シンクローン
私が首を傾けると目の前に立つ彼女もカクンと首を傾ける。
私が着ている黒のワンピースの色違いである白のワンピースを着ている彼女は、栗色の巻き毛もいい、真珠のように白い肌といい、血のように真っ赤な唇といい、昔見た琥珀石に似た瞳といい、私と瓜二つであった。
服の色の違いさえ無ければ、鏡を見ているものと錯覚したかもしれない。
「セバス、この娘、ちっとも喋らないようだけれど」
赤の絨毯が敷き詰められ、アンティーク調の樫の木の家具が置かれている私のお気に入りの部屋にセバスが連れて来た彼女。
「お嬢様が指示を出さない限り、極力動かないという命令が遺伝子に組み込まれております」
「そう、悪趣味ね」
彼女は私の遺伝子から生み出された存在。
クローンとでも言った方が分かりやすいだろうか。
今でこそ受け入れられている技術だが、それはごく最近の事。
自身の分身を生み出すという忌避感のせいで、千年程前には技術が体系化されていたにも関わらず、今のように当たり前のものとなったのはここ数十年の事らしい。
忌避感というのも分からないわけではない。
生まれた時からクローンという存在が当たり前に居た私ですら、実際に自身のクローンを見た時に薄ら寒いものを感じているのだから。
「セバス、ご苦労様。部屋で休みなさい」
「では、失礼します」
金のドアノブを掴み、木の扉を開けて、黒い燕尾服を着たセバスは部屋から出ていった。
「貴女、喋りなさいな。私、だんまりなお人形さんは嫌いなのよ。後、役に立たない木偶坊もね」
「初めまして。お嬢様のクローンで御座います。ご命令とあれば何でも致しますので、どうぞお申し付け下さい」
綺麗なお辞儀を披露する彼女を見ながら、思考を巡らす。
自分と同じ顔をしておいて、主人に迷いなく頭を下げる、性根が気に喰わない。
「そう、なら最初の命令をするから良くお聞きなさいな。何よりも一番優先する事。自分の感情に従いなさい」
「感情、ですか?」
訳がわからないという風に首をひねる。
「ええ、私が貴女に求めているのは私の仕事を支えるパートナーとして私の隣に立つ事。そして、私が背中を預けたいと思えるのは自分の心に従う、自分というものを持っている人物。言われた通りにしか動かない、お人形じゃない」
「かしこまりました、誠心誠意お嬢様の望む通りになるように努めます」
まるで、人の心が分からぬロボットのように答えてきた。
気に喰わない。
「まあ、いいわ。それにしても、名前が無いというのは不便ね。何と呼びかければいいか分からないもの」
「必要であれば、お嬢様がお付け下さい」
ふと、頭の中にある単語が浮かんだ。
外国語の授業、確か独国語であっただろうか。
自分の名前に似ていて、意味もあいまって気に入った言葉だ。
「そうね、私、フロイという名前だし、決めたわ。貴女の名前はロイデね」
「理由を伺っても?」
「フロイデ、という言葉があるの。意味は喜びや歓喜。私たちの未来を祝うのにこれ以上ない素晴らしい言葉だと思わない?それに、これからパートナーとなるのだし、目に見える形の絆としてこれ以上ないと思うわ」
私の分身たる彼女。
そんな彼女ではあるけれど、一人の人間として生きる喜びを知って欲しい。
むしろ、知らずに死ぬ事は許さない。
だからこそのこの名前だ。
「ロイデ、私の事を手伝って下さる?」
「はい、まずは何をすれば宜しいでしょうか?」
「ついてきなさい」
◇
「ロイデ、赤の光線が見えるかしら?」
私は身体を伸ばしつつも、問う。
「はい、これは何でしょうか」
屋敷の廊下の一角にある、赤の光線が無数に走っている場所。
肩をくるくるしてほぐすと、私は体勢を低くする。
「何か物体に触れるとけたたましい音が鳴り響くの。触れないようにして、見てて」
私は深呼吸すると、廊下を走り出す。
下をくぐり、身体を捻り、上を飛ぶ。
そうして、赤の光線がある場所を見事に通り抜けるとロイデを見る。
「素晴らしいです。お嬢様」
「お嬢様と呼ぶのは辞めなさい。フロイと呼んで、私たちはパートナーなのだから」
「かしこまりました、フロイ様」
「様も辞めて。フロイだけて良い」
私はそう告げるとロイデに手招きをする。
「こちらにいらっしゃいな。勿論、赤の光線に触れる事のないように」
「かしこまりました」
ロイデは走り出す。
そして、次々に赤の光線を避けていくが、それを見た私はなんとも形容し難い感覚を受けた。
先程の自分の動きと何一つ違わないのだ。
まるで、私の動きをそのまま写し取っているような。
「無事、到着出来ました。フロイ」
「ええ、行きましょうか、ロイデ」
私は奥に向かって歩きながらも一人、納得する。
確かに一見気味が悪い光景だけれども、これならば『継承の儀』は滞りなく済むかもしれない。
◇
「・・・『継承の儀』ですか?」
「ええ、このコンパニェーロ家では当主の継承の際に必ず行う事になっているの。私が次の当主になるためにロイデには私に協力して下さる?」
「かしこまりました。ところで、前当主はどちらに?」
顔が強張るのを感じる。
「他界したわ」
不幸な事故と騒がれているが、本当のところは娘の私にも分からない。
私を産み落とした後に直ぐに息絶えた母の代わりに私を育ててくれた事には感謝しているが、考え方の是非のせいで終ぞ分かり合う事無く逝ってしまった。
「不躾な質問をして申し訳ありません」
淀みなくそう答えるロイデ。
「ロイデ、今は私と貴女二人だけなのだし、敬語は無しにしないかしら?」
ロイデの唇のはしがピクリと動く。
「それは、良くないと愚考致します。あくまでも、フロイに仕える立場ですので、それに適した言葉遣いの方が良いかと」
「その通りよ。でもね、私たちはそれ以上にパートナーとなるのだから、堅苦しい敬語は二人の間では無しにしましょう」
私はロイデの手を軽く引っ張り握りこむ。
「・・・分かりました」
「まだ、固いわね。まあ、急には無理でしょうから追々慣れていけばいいわ」
私は茶色の革ばりソファーに腰掛けるとロイデにも座る事を促す。
ロイデは細工の施された木彫りの机を挟んで向かい側の私が座っているものと同じ種類のソファーに座る。
「これから説明するわね。よくお聞きなさいな」
コクリとロイデが唾を呑み込む音がする。
「我が家の『継承の儀』というものは主人とその一番の従者の絆を試すものと伝わっているわ」
「絆、ですか?」
「そう、試練の洞窟と呼ばれる場所の奥の玉石を持ち帰るのが『継承の儀』なのだそうだけど。なんでも主人と従者が同じ動きをしなければどちらかが崖から落ちるという不条理な仕掛けが施されているそうよ」
だからこそのクローンなのだけど。
その言葉をそっと胸にしまい込む。
最初の頃こそ、普通に主人と従者が『継承の儀』を執り行っていた。
だけれども、玉石こそ持ち帰れたもののどちらかが死ぬという事も多かった。
主人が生き残るならまだいいが、従者が生き残るといった事も度々あったそうだ。
その場合は従者を養子としてなんとか乗り切っていたそうだが、そのような事を無くすためにと体系化されたばかりであったクローン技術に目を付けた先祖が居たようであった。
クローンであれば結果的にコンパニェーロ家の血筋が受け継がれるという理由で。
元々の従者が養子となる場合でも、従者本人が分家から来た者なので問題なく血筋は受け継がれていた。
だが、クローンであれば本人と遺伝子すら同じであるから問題無いという考えでそれ以降はクローンを造る事でこの『継承の儀』を行っている。
そうは言っても、クローンと本人で『継承の儀』を行なった場合、ほぼ完全に本人が生き残るそうだ。
現に、私の父もそうだと聞いている。
そもそも、何故そこまでして死人も多く出る『継承の儀』などが行われているのか。
廃止してしまう方が今後の為になるだろう。
でも、もしそうするのであればまずは当主にならなくてはならない。
「分かりました。もしもの場合は全力でフロイを守ります」
「ありがとう。でも、覚えておきなさい。ロイデ自身が死ぬ事も私は許さないから」
「何故です?本人とクローンならばクローンの方が犠牲になるのが建設的では?」
「クローンだろうと一つの命。そのような考えはすてなさい」
だから嫌なのだ。
この家のしきたりもクローンも。
クローンという存在を、命を軽く扱い過ぎる。
だけれども、だからこそ私の代わりに死ぬ事は許さない。
許されるなんて事がいいわけない。
◇
私たちは動きを合わせる特訓をした。
その間、ロイデは私に引っ付いてばかりであった。
何度も私と共に居る必要は無いと諭したが、聞き入れてはくれず、私としても慕われているのは悪い気はしなかったので隣に居てもらっていた。
自身の思考を放棄しているようにも思えたので、ことあるごとに自分で考えるように、自身の心に従うようにと言い続けてはいたが。
まあ、もしも私から離れないようにと遺伝子にでも刻まれているのであれば容赦なくセバスをしばき倒したのであろうけれど、違うようだったのでそのままにしてある。
数時間の特訓の必要なんて無いのではと思えるほど動きは寸分違わず、私は半ば安心して当日を迎えることとなった。
「ロイデ、必ず生きて戻ってきましょう」
「そうですね、フロイ」
セバスが試練の洞窟の入口で頭を垂れる。
「いってらっしゃいませ」
その言葉を聞き、私とロイデは洞窟の中に足を踏み込んだ。
◇
洞窟の中は外よりも涼しく、少し肌寒く感じる。
狭い2本の道があり、その周りは底の見えぬ崖。
話には聞いていたけれど、改めて見ると圧倒される。
「行くわよ」
「はい」
右の道に私、左の道にロイデが進む。
これで私たちは運命共同体だ。
仕組みは良く分からないが、どちらかが不用意な動きをした途端、崖から真っ逆さまだ。
私が右足を出すのと同時にロイデも右足を出す。
岩がせり出して、屈まねばならぬ所も同時に屈む。
更に言えば、屈む時の所作すらも同じ。
そうして進んでいく。
三十分ほど歩み続けただろうか。
拍子抜けするほど呆気なく、洞窟の奥に辿り着いた。
洞窟の奥には玉石が山積みになっていた。
大きさは親指の爪程で、艶のある紅き石。
私とロイデは其々一つずつ、懐に玉石をしまい込むと引き返す事にした。
だが、本当の試練はこれからだったのだ。
「なるほどね」
道が変わっている。
先程までの平坦な道はゴツゴツとした足場へと変わり、バランスを崩しやすくなっている。
存在しなかったはずの岩がせり出すようになっていたりと、行きよりもかなり困難な道程になる事は想像に難く無い。
「フロイ、道が変わってる」
「そのようね、慎重に行きましょう」
しかし、呆気なくも事件は起きた。
何てことはない、単に私が小石のせいで足を滑らせただけなのだから。
「フロイ!」
悲痛な声と共に腕を引っ張られる。
ロイデが咄嗟に私の手首を掴んだらしい。
私は宙ぶらりんの状態になりながらも、静かに言った。
「ロイデ、腕を離しなさい。このままでは二人とも落ちてしまうわ」
ロイデの手が緩む、が、直ぐにハッとしたように握り直す。
手が緩んだのは主である私が離せと言ったからだろう。
ならば、何故握り直した?
「ロイデ、何故離さないのかしら?」
「は、離しません・・・」
ロイデの白い肌が少しずつ赤くなっていく。
額に汗が滲み、雫となって垂れる。
「フロイ、私、は、貴女に、死んで、ほしく、ない!」
「ロイデ、単に私が主であるという理由なら──」
「違う!!!」
悲鳴のようなロイデの声に思わず怯む。
ロイデの懐から玉石がこぼれ落ちる。
「フロイは、ずっと、ずっと、ずっと、優しかった!あの家、に居る、人、は、皆、クローンだって、言って、ろくに、話も、聞か、なかった、のに」
そんな事をしていたのか。
その事を踏まえると、ロイデが私から離れようとしない事が多かった理由が説明出来る。
てっきり、自分で考える事を放棄しているからだと早合点してしまっていた。
これは帰ったら、セバスを含めてロイデに心無い言葉をかけた者をしばき倒さなくてはならない。
絶望的な状況なのに帰るという発想が出てくる辺り、少し笑えてくる。
「フロイ、私は、私は、貴女を、助けたい!!!」
絶叫にも近いその言葉を聞いて、嗚呼、彼女も人間なんだなと、全てが私のコピーであるクローンでは無くて一つの確固たる人格を持った人間なのだなと実感した。
「ロイデ、ありがとう。私は貴女に生きて欲しい。だから、貴女のその言葉だけで充分」
私はそっと、ロイデの手を私から離す。
限界も近かったようで、予想よりも呆気なく離れた。
「フロイ!!!!!」
最初から決めていた事がある。
もしも、どちらかがこの試練で落ちそうになる事があれば犠牲となるのは私だと。
この洞窟は性質上、仮に引っ張り上げても反動で引っ張り上げた人間が落ちるようになっている。
だからこそ、これまでの先祖たちは自身が落ちそうになったら自身のクローンを犠牲にして生き延びてきた。
残酷ではないか。
私たちの都合で勝手に生み出しておいて、あっさりとその命を切り捨てるなど。
だから、これでいい。
「アナタノ ソノユウキニメンジ タスケマショウ」
耳元で声がした。
◇
「どういう、こと・・・」
生きている。
目の前には泣いて私にすがるロイデともう一人。
いや、人では無いかもしれない。
鉄板のような物をツギハギして人の形にしたような身体で、その目には玉石がはまっている。
飾りの無い白のワンピースを着ている事が少し妙に感じた。
「助けてくれて、ありがとう。名前をお伺いしても良いかしら?」
「コノ ドウクツノ カンリキタイ イチ コンパニェーロケノ ショダイガ ツクッタ」
「そう、ならイチさんと呼ばせてもらうわね。それで、イチさんは何故助けてくれたのかしら」
「ショダイガ イッタ カイニュウ シタイナラ シテイイト ヒサシブリニ タスケタイ ニンゲン イタ」
たどたどしくも一生懸命話すイチ。
「久しぶりという事は、これまでの人たちは助けたいと思わなかったの?」
「ミンナ カンタンニ ミゴロシ スル カナシカッタ」
なるほど。
クローンを利用するようになってからはそのようになっていたのだろう。
全くもって嘆かわしい。
「イチ、助けてくれてありがとう。これでロイデと共に帰ることが出来るわ。それで提案なのだけれど、貴女も一緒に来ないかしら?」
「イッショニ?」
「ええ、この試練も私の代で終わらせるつもりだったから。どうかしら?」
「ワカリマシタ ソレナラバ ゼヒ イカセテクダサイ」
イチは何処となく笑っている気がした。
もしかしたら、これまでの光景に心を痛めてたのかもしれない。
「フロイ、行きましょう」
目元が赤くなったロイデが涙を拭って言う。
「ええ、ロイデ。貴女が居てくれて良かった」
私が微笑むとロイデは一寸驚いた様子を見せた後、花咲くような満面の笑みで言った。
「はいっ!」
これが、後に世界を変える事になる少女たちの始まりの物語。