97話 先生との対話
「じゃあ、ちょっと行ってくるが……お前、逃げ出すなよ?」
「大丈夫だよ~、いっちゃん。そんな心配しなくても」
「そうよ、一花。私たちもいるんだから、安心しなさいな」
叔母さんがいっちゃんを促してる。ちぇっ。こんなぴったり張り付かれたんじゃ逃げれないや。
昨日は別荘に帰ってから、花音から連絡あった。「先に戻っちゃってごめんね」って謝られたけど、花音、謝ることでもないと思うよ?
その日はいつもみたいに眠れなくて、いっちゃんに内緒で、あれを飲んで寝た。
いっちゃんは今から舞のところに行くことになっている。生徒会メンバーが打ち合わせしてる時に、舞が手持無沙汰になるから相手してくるんだって。私もお昼過ぎたら行くけどね。
いっちゃんが心配そうにこっちを見ながら、叔母さんに無理やり車に押し込まれてたよ。
はぁ~やだな~。今から先生が来るんだよ。しかも今回は叔母さんとお兄ちゃんも一緒だよ。やだな~。
あれ? 別に逃げてもいいんじゃない? いっちゃん、いないし。ここなら多少暴れても大丈夫だし。
「だめよ、葉月。逃げるのは許しません」
何も言ってないのに、叔母さんがしっかり私の腕を掴んで阻止してきた。う~……わかったよ~……これは約束だからね……だから引き摺らないでよ~。
暫くすると先生がやってきた。来なくて良かったのに。
「ごめんね、葉月ちゃん。待たせちゃったかな?」
「……別に~……来なくて良かったのに~」
苦笑して、私の向かいのソファに座る。
「ごめんなさいね、優一君。忙しいのにここまで呼んじゃって」
「大丈夫ですよ、沙羅さん」
にっこり微笑んで叔母さんに挨拶してる先生。叔母さんは先生がお気に入りなんだよね。さっきから、ああでもないこうでもないって、ずっと喋ってる。お兄ちゃんが呆れた感じで見てるよ。
「母さん、そのぐらいで……優一も済まないな」
「あら、魁人。何を謝ってるのかしら?」
「母さんの話は長いんだ。見ろ、この隙に逃げれないか、葉月がさっきからキョロキョロしてるじゃないか」
バ~レ~て~る~。
「大丈夫よ。ドアも窓もしっかり鍵をかけてるし。窓は防弾ガラスだから、葉月だって壊せないもの」
ちぇっ……対策はバッチリですね。
「はは。沙羅さんは相変わらず容赦ないですね」
「当たり前よ。何度、この子にそういうことをされたと思ってるの」
「母さん」
お兄ちゃんが叔母さんを窘めてる。
何回だろうね~。さすがに数えてないから覚えてないや。はぁ~、まあいいや~。さっさと終わらせようよ~。
グデ~と姿勢を崩してソファに凭れ掛かった私を見て、先生がまた苦笑していた。
「そうだね、退屈だよね。始めようか、葉月ちゃん」
「ん~……早くして~……」
「葉月、姿勢を正しなさい」
「や~だ~」
「いいんです、沙羅さん。葉月ちゃんには自然体でいてほしいので」
「……はぁ」
叔母さん? 嫌なら出てっていいんだけどな~。
「今日もご機嫌斜めだね。何かあったかな?」
「これ~」
「やっぱり僕と話すのは面倒臭いのかな?」
「そう~」
そうですよ~。心底面倒ですよ~。叔母さんもお兄ちゃんもそんな厳しい目で見ないでよ~。だって事実だも~ん。
「そうか、ごめんね。でも何度も言うけど、僕は君を理解したいんだよ」
「あっそ~……」
「――会ったらしいね?」
誰にとは先生は言わない。おじいちゃんに会ったことは、ここにいる全員が知っている。連れていった叔母さんがいるしね。
「どんなことを話したのかな?」
「別に? 特には何も~?」
「そうなの? ちょっと暴れたって聞いたけど?」
「…………覚えてない」
私の言葉を聞いて、先生は少し緊張した雰囲気に変わった。そだよね~。3年ぶりだからね~。叔母さんとお兄ちゃんも真剣な顔になってる。
でも、覚えてないものは覚えてない。後でいっちゃんに聞いただけだ。
「……きっかけは何かな?」
「さぁ……そこにいる人に聞けば? あそこにいたんだし~」
「葉月ちゃん……」
「そもそもさ~……」
私は叔母さんとお兄ちゃんを見る。
「……何で2人はここにいるの?」
私、まだ納得してないんだよね。何で2人はまた会いにきてるの? 叔母さんに限っては、あの後に花音と舞にも会いに行ったんだよね~?
叔母さんは私を辛そうに見てるけど、何で約束破るの? もしかして、本気じゃないと思ってるの?
「……もしかしてさ~、私が本気じゃないって思ってるの?」
「葉月ちゃん……ちょっと落ち着こうか?」
「……先生? 先生もそう思ってるの? そんな訳ないよね~?」
だって、
「散々見てきたはずなんだから」
2人は黙り込んだ。先生まで黙ってしまう。でも全員が私から目を逸らさなかった。
「……別にいいんだよ~? 本気じゃないと思うならそれで」
「……葉月ちゃん、脅すようなことは駄目だよ」
「脅し?」
何言ってるの、先生?
自然と口角が上がった。
「じゃあ……脅しじゃなければいいの~……先生?」
全員が表情を厳しくしている。ピリピリしてる空気が漂う。
あのさ……こっちが困ってるんだよ? 先生はともかく、お兄ちゃんや叔母さんに頻繁に来られても困るんだよ。
「もう……来ないで……」
お兄ちゃんと叔母さんが少し顔を俯かせてる。自分たちに言われてるって分かってる。
フウと先生が息を吐いた。
「随分と、葉月ちゃんにはストレスかかっちゃったかな?」
「そだね~……いっちゃんが大変かな~……」
かかってるね。発散しても追いつかないもん。いっちゃんも、おじいちゃんのとこに会いに行ってから離れなくなった。常に私を見張ってる。
「一花は負担に思ってないよ?」
「いっちゃんは優しいからね~」
でも、いっちゃんがいないと無理なんだ。いっちゃんじゃないと駄目なんだよ。
「君にとって一花は何?」
「ストッパーだよ~?」
「それ以外にあるかな?」
それ以外? 決まってる。
「……現実かな~」
現実……そうなんだよ。いっちゃんは私にとっての現実。前世の記憶を持ってる――同士。
先生が私の返事を聞いて、ゆっくり頷いていた。
「葉月ちゃん、君は今ここにいる」
「……そだね」
「それは分かってる?」
「分かってるよ~先生?」
「沙羅さんや魁人は君を心配してる」
「…………」
「それは分かってる?」
……分かってるよ?
「2人は一花の代わりにならない?」
「……」
「一花と2人の違いは何?」
「…………」
……先生、それは言えないよ。
だから嘘をつく。
知られたくないから嘘をつく。
「違いなんてないけど~?」
にっこり笑って、嘘をつく。
だけど、先生にこの嘘はお見通しだろうね。
でも私は言わないよ。
これだけは死んでも墓場まで持って行く。
自分がおかしいと気づいたあの時に、
そう決めたから。
「葉月ちゃん、本当に違いはないのかな?」
「ないね~」
「他の人でも変わらないのかな?」
「多分ね~」
「……花音さんはどうだろう?」
言葉が止まる。
本当に嫌だ……先生と話すのは。
「花音さんは一花の代わりにならないかな?」
「花音~? 何で~?」
「花音さんの言う事は聞いてるんだってね?」
「……いっちゃんが言ってたの~?」
「そうだよ。玉ねぎ出すと言うこと聞くって喜んでたよ」
「そだね~……花音はね~怖いんだよ、先生」
「花音さんは怖い人なの?」
「ニコニコ笑ってね~、食べるまで目を離さないの~。だから、そこだけは言う事を聞いた方がいいなって思ったの~」
「それは確かに怖いかもね」
「でもね~花音でも無理かな~……いっちゃんの代わりにはならないと思うよ~?」
「そう……そっか……」
花音に知らせるつもりはないしね。こっちの事情で振り回したくないし。
「……花音さんに知られたくないんだね」
だから、ホントにやだ……この先生……。
「本当に花音さんを大事にしてるんだね?」
「……そだね~。花音のご飯はおいしいからね~。それに知る必要ないよね~」
「もし、花音さんに知られたらどうする?」
「さあ? 花音のほうから離れるんじゃないかな~?」
「君はそれでいいの?」
「別にいいんじゃないかな~?」
「沙羅さんや魁人みたいに、今度は花音さんを遠ざけるんだね?」
先生……絶対分かって言ってるよね?
いや違う。ただの推測かな?
それは分からないよ?
ただ……花音は、優しいからね。
「君……眠ったそうだね?」
「…………」
「あの人に会いにいく車中で、花音さんに膝枕してもらって」
「……それが何~?」
「ねえ葉月ちゃん……」
……何を言うつもりかな、先生?
「花音さんを離すべきじゃないと、僕は考えてる」
笑みが消えた。
「君は花音さんに心を許してる」
「……ありえない」
「眠れる場所を見つけたんだ」
「……たまたまだよ」
「あの君が? たまたま? それこそあり得ないんじゃないかい?」
スウッと先生を見据える。
先生がしっかり私を見てくる。
「葉月ちゃん。花音さんは一花と同じ、現実なんじゃないのかい?」
違う。
花音といっちゃんは違う。
「花音はいっちゃんの代わりにはなれない」
3人が体を強張らせるほどの、冷たい声が出た。
ゾワゾワッと、頭が冷えていく感覚が広がっていく。
「じゃあ……花音さんは何?」
「先生」
だめだよ、先生。
「これ以上は許さない」
これ以上は抑えられない。
先生の額から汗が出ている。叔母さんもお兄ちゃんも緊張で手を固く結んでいた。
いけない。
今、いっちゃんはここにいない。
だめ、だめ。
目を閉じて、自覚する。意識する。それから、ゆっくりゆっくりとまた瞼を開けていった。
ふうと息を吐いて、口を開いた。
「先生~? もし花音に知られたらって話だったよね~?」
「……そうだね」
「花音を離すな? だったっけ~?」
「そうだよ……」
「それは無理だよ~。そこは花音の意思に任せるしかないかな~」
「……」
「あと、な~に? 私が花音に心を許している?」
「――葉月ちゃん」
「まあ、許してるかもね~。花音のご飯にはすっかり餌付けされてるかな~」
「葉月ちゃん……」
「先生」
私はにっこり笑う。
「これでいい?」
花音を巻き込むことは許さない。
私の事情に巻き込むのは許さない。
ふうと先生が顔を俯かせ、ゆっくり深呼吸した。
「……葉月ちゃん」
何かな、先生?
「君……ちゃんとここにいるかい?」
もちろんだよ、先生?
「やだなぁ、先生……」
私はちゃんと、
「ここにいるよ?」
お読み下さり、ありがとうございます。