83話 怖がっている? —花音Side※
茫然としていたら、メイド長さんがお茶とケーキを持って戻ってきてくれた。目の前のテーブルに置いてくれたけど、やっぱりポカンとしたその様子を眺めてしまう。
鴻城……鴻城源一郎が、葉月のおじい様……とグルグル頭を駆け巡っていくのが分かる。
「君たちの口に合うといいんだが。そういえば花音さん? 君は料理が上手らしいね?」
いきなり声を掛けられて思わず「えっ?」と返してしまった。りょ、料理? あ、ああ。一花ちゃんから聞いてた、のかな? でででも上手だなんて言うほどじゃなくてですね。
「え? いや、あの……上手っていうより……好きなだけで……」
「私も一度食べてみたいな。どうだろう、今度時間が合った時にでもまたここに――」
ブンッ!!
という音と共に、私の目の前を何かが通り過ぎていって、そして鴻城さんの後ろ横のソファに突き刺さった。
え、あれ? 何が……?
その刺さったものを見て、血の気が引くのが分かる。フォークが刺さってるんだから。
そして、それを投げたのは――視線をそこに向けるとやっぱりというか、そこには葉月が手をダランとこっちに向けていた。鴻城さんを睨みつけて。
葉月、今これを投げたの? おじい様に向かって? どうして?
「葉月……これはな……投げるものじゃない……」
「…………」
「これは人に投げるものじゃない……」
「……………………」
鴻城さんがそのフォークと取って、言い聞かせるように優しく葉月に説いている。
だけど、葉月。どうしてそんなに冷たい目を向けているの?
そんな葉月に声を掛けることも出来なくて、どうすることも出来なくて、ただ茫然と2人を見るしか出来なかった。
ゆっくり立ち上がった葉月の腕を一花ちゃんが掴んで、「座れ」と声を掛けているけど、葉月はジッと鴻城さんを見ている。鴻城さんもまた葉月を見ている。
「……………………帰る」
小さく言って、一花ちゃんの手を振り払って扉に向かっていく葉月。
まるで逃げるように感じてしまったけど、如月さんが立ち上がって追いかけ、葉月の腕を掴んでいた。
「葉月っ! 待ちなさい!」
葉月が顔だけ如月さんに向けた時、空気が凍り付いたのが分かる。
とても冷たい目で如月さんを見ている。
どうして、葉月?
どうしてそんな目をしているの?
「葉月お嬢様……」
メイド長さんも扉の前に立ち塞がって、葉月に深くお辞儀していた。
「席にお戻りを……」
その声は懇願に似ていて、
「旦那様はずっと……ずっと会いたがっていたんです……」
だけどとても悲しそうで、
「そうよ、葉月……お父様はずっとあなたに会いたいのを我慢して……」
如月さんも、辛そうに声を絞り出していた。
葉月、すごく皆が辛そうだよ?
おじい様とあなたのことを思っているのが伝わってくるよ?
部外者の私でもそれを感じるよ?
「花音も舞もここを離れるな」
一花ちゃんが小声で私たちに呟いて、葉月の傍に寄って声を掛けていた。離れるな? 一花ちゃんの言葉に疑問を持ったけど、次の葉月の言葉で言葉を失う。
「じゃあ……閉じ込めれば?」
シンっと場が静まり返る。
全員、何も言葉は出てこない。
葉月、本気で言っているの?
「もういい」
ソファに座っていた鴻城さんが静かに口を開いた。
「けどお父様……」
「旦那様……」
「すまないね、皆」
苦笑して私と舞とレイラちゃんに、申し訳なさそうに言ってくる。私たちに謝ることなんてないのに。
そう言いたいのに、だけど言葉は出てこなかった。
鴻城さんはゆっくりソファから立ち上がって、葉月の方に振り返っている。だけど葉月はやっぱり冷たい目で鴻城さんを見ていた。
「葉月、すまなかった。ちょっと無理やりすぎたな」
「………………」
「だけど……これだけは言わせてほしい」
とても優しい声だなと思った。
鴻城さんは葉月を大切にしている。伝わってくる。
「2人はお前に会いたがってるよ」
2人……? まだ葉月に会いたがっている人がいるってことなのかな?
一歩一歩、鴻城さんは葉月に近づいていく。
「お前を待ってる」
待っている人がいるんだ。葉月を待っている人が、いるんだ。
鴻城さんが葉月に伝えようとしているのが、こっちにも伝わってくる。聞いているこっちまで落ち着くような優しい声だから、つい聞き入ってしまう。
だけど葉月の方を見てみると、表情が変わっているように見えた。
「いつかでいい……お前の気が向いたらでいい……」
葉月?
怯えている?
「一緒に会いに行こう?」
鴻城さんのその一言で、葉月が突然近くの机に手を掛けた。
「葉月っ!!」
「お嬢様っ!!」
一花ちゃんとメイド長さんが止めようとするのも間に合わず、その机を葉月は上に置いてあった花瓶なんか気にせずに持ち上げて、床に叩きつけてしまった。
ガシャンッ! と花瓶は壊れ、破片が飛び散る。
「葉月っち!?」
「舞、だめです! 行ってはだめです!」
舞が動こうとしたのを、レイラちゃんが止めていた。
「葉月っ! 落ち着け!」
「沙羅様、旦那様! 近付かないでください!」
メイド長さんが鴻城さんと如月さんの前に立ち塞がって、一花ちゃんは緊張した様子で葉月を見ていた。
葉月は苦しそうに頭を押さえている。
動けなかった。
私は動けなかった。
葉月が苦しそうで。
辛そうで。
怖がっているように見えて。
それは一瞬。
葉月が唐突に割れた花瓶の欠片に手を伸ばそうとしたのが分かる。だけど一花ちゃんが、その前に葉月を違う方向に蹴り飛ばして、葉月の上に背中から馬乗りになって頭を押さえつけている。押さえつけられた葉月は手足をバタバタさせていた。
「どっけぇぇぇ!!!!」
「いいから落ち着け!!」
「ぅっぁぁああああ!!!」
「お嬢様っ! 落ち着いてください!!」
叫んで、もがいて、葉月は暴れる。
メイド長さんも葉月の足を押さえて、一花ちゃんはグッと葉月の頭を押さえている。
「レイラ……葉月っち、どうしたのさ……」
「……」
レイラちゃんは舞の問いかけに答えなかった。ただ辛そうに葉月たちを見ているだけ。
葉月はずっと叫び続けている。
その姿が、とても怖がっているように見えて、
葉月……どうしたの……?
何をそんなに怖がっているの?
「葉月っ……!」
一際大きい声で一花ちゃんが葉月の名前を呼んだ時に、その叫び声が止まった。
「落ち着けっ……!」
声が届いたのか、今度は葉月の荒い息遣いが聞こえてくる。
「葉月……」
鴻城さんの悲しそうな声が部屋に響いた。顔を横に向けて、葉月がこっちを見たのがわかった。
荒く息をしながら、傷ついている目で見てくる。
さっきの寮で一花ちゃんに押さえられた時と同じだ。
また、胸をギュッと締め付けられた。
「葉月お嬢様……どうか落ち着いてください」
「葉月……落ち着け……頼む……」
メイド長さんと一花ちゃん交互に言い聞かせるように、葉月に言葉を投げかける。
しばらくそのままで、でもゆっくりと、葉月が一花ちゃんに「もう平気」と辛そうに返していたのが聞こえてきた。
一花ちゃんとメイド長さんが葉月からどいて、ゆっくりとフラつきながら葉月が立ち上がる。そして鴻城さんと如月さんに悲しそうに視線を向けていた。
本当に平気なの……?
「葉月……」
「おじいちゃん」
2人とも、辛そうだった。
「もう……会わないよ……」
葉月、誰に会わないの?
「2人にも会わないよ……」
すごく悲しそうだよ? 本当に会わないの?
「ごめんね?」
その“ごめんね”がどういう“ごめんね”なのか、私には分からない。
だけど葉月は、鴻城さんに背中を向けて扉に向かった。
「それでも……ずっと待ってるよ。葉月」
その葉月に掛ける鴻城さんの言葉も、懇願に近いような気がしたけど、葉月はそのまま扉から1人出て行ってしまう。
「お父様……」
「沙羅、いいんだ。顔を見れただけで十分だよ」
「ですが……」
「一花ちゃんもすまないね……いつも」
「いや……あたしの判断ミスだ。やっぱり連れてくるのはまだ早かったかもしれん」
「無理を言ったのはこちらだ。一花ちゃんが気にすることじゃないよ」
ポンポンと鴻城さんが一花ちゃんの頭に手を置いていたけど、一花ちゃんは辛そうに表情を歪めていた。一体何があったのか、気になるところはあるけれど、でもそれより出ていった葉月が気になる。
葉月、大丈夫なのかな……?
ソッとその場から立ち上がって、葉月の様子を見に行こうとしたら、レイラちゃんに呼び止められてしまった。
「花音、どこ行くんですの?」
「……葉月を1人にしておけないよ」
「でもさ、花音……」
舞が少し渋い顔をしている。
さっきの葉月の様子を見たから、怯んでしまったのかもしれない。
だけど、舞。
私、葉月が何かに怖がっているようにしか見えなかったの。
怯えて、傷ついているようにしか見えなかったんだよ。
放っておけないよ。
扉に向かうと鴻城さんたちがこっちを見ていたので、一礼してから葉月のことを追いかけた。
どこ行ったんだろう。帰りたそうにしてたから多分入口かな。
さっきの部屋までの道を玄関の方に戻っていく。
本当、このお屋敷広いな。葉月、どこ?
廊下をずっと進んでいくと、先に葉月の後ろ姿が見えた。
壁に寄り掛かってる? え、まさかさっきのでどこか怪我したとか?!
「葉月?! 大丈夫!?」
慌てて駆け寄って、葉月の正面に回り込むと、顔を青褪めさせて虚ろな目でこっちを見てきた。
「どこか怪我したの? 一花ちゃん呼んでくる?」
こんなことなら一花ちゃんと一緒にくれば良かった。どう見ても具合が悪そう。でも葉月はふふって笑ってくれた。
「……大丈夫だよ~花音」
「……本当に?」
「ホント~」
全然大丈夫に見えないよ。でも葉月はニコニコと笑ってくる。
「花音~……ごめんね……」
「……え?」
「怖かったよね~……? ごめんね?」
怖くないよ。全然怖くなんてないよ。首を横に振って否定するけど、葉月に伝わっているのか怪しい。ポンっと私の頭に手を置いて撫でてきたから。
「葉月?」
「本当にごめんね……?」
「気にしてないよ……?」
本当に気にしてないんだよ?
だから葉月、そんなに気を遣わなくていいんだよ?
そんな、辛そうにしなくていいんだよ?
それでもニコニコと顔を青褪めさせたまま笑う葉月を見ると、自分の胸まで苦しくなる。
放って……おけなくなるよ。
自然と葉月の腕を掴んでいた。
本人はきょとんとしているけど、そんな辛そうな姿見ていられなくて。
たまらず、葉月の背中に腕を回して、抱き寄せてしまう。
葉月の鼓動が伝わってくる。
葉月の温もりが伝わってくる。
ねえ、葉月。
気づいてる?
「葉月……」
抱きしめた葉月の体が、少し震えていた。
「怖かったのは……あなたじゃないの?」
耳元で思わず聞いてしまったら、葉月はピクッと肩を震わせていた。
何かに怖がっていたのは、葉月だよね?
怖くて、だから震えているんでしょう?
葉月は何も答えない。
だけど体は震えていて、
何とかしてあげたくて、
静かにそっと背中を宥めるように撫でてあげる。
私、これぐらいしか出来なくてごめんね。
だけど前に、
雨の日にこうやったら落ち着くって言ってくれたから、
こんなことならいつでもやってあげるから、
だから葉月、
怖がらないで?
ギュッと葉月が落ち着くまで、しばらくの間抱きしめていた。
その間、葉月はジッと私に抱きしめられたまま何も言ってこなかった。
鴻城のおじい様と何があったかまでは分からない。
会わない2人が誰なのかも分からない。
葉月はきっと色んなものをその中に隠しているんだね。
私が知らない何かを隠しているんだよね。
だけど葉月。
そんな震えないで?
怖がらないで?
苦しそうにしないで?
いつものように笑ってほしいよ。
胸がギュッと苦しくなる。
何とかしてあげたくなる。
胸の奥の鼓動が、早くなっていることに私は気づかなかった。
お読み下さって、ありがとうございます。
これにて4章終わります。次話から5章になります。