81話 祖父
「今、皆様のお茶をお持ちします」
メイド長がお辞儀して部屋を出ていった。
おじいちゃんが私たちをゆっくりと見渡して、嬉しそうに微笑んでいる。
「皆、座りなさい」
窓際にあるソファに促す。そんなおじいちゃんを私は遮った。
「…………会ったよ……もう帰る」
もう用はないはずでしょ?
「……葉月、座りなさい」
叔母さんが厳しめの声で言ってくる。でも、関係ない。
「叔母さん。約束は会うだけだよ?」
「葉月! いい加減にしなさい!」
叔母さんが声を荒げた。私といっちゃん以外の皆がビクッてなってる。いきなり大きな声は出さないでほしいんだけど。
「おじいちゃん……もう、いいでしょ?」
おじいちゃんはふうと息をついて、私を見て困ったように微笑んだ。
「随分とご機嫌斜めだ。沙羅、無理やり連れてきたのかい?」
「……ごめんなさい、お父様」
「……そうか」
そうだよ、無理やりだよ。もう用件は済んだよね?
「葉月、周りのお嬢さんたちもいる。そういう態度はやめなさい?」
「……帰っていい?」
「葉月!」
「沙羅、やめなさい」
「っ……」
おじいちゃんが少し屈んで、ジッと目を合わせてくる。
「……葉月、沙羅が無理やり連れてきたことは謝るよ。ただ、もう少しお話しないかい?」
「…………話すことないけどな~?」
何を話すの? 全部報告書は読んでるんでしょ? いっちゃんにも聞いてるんでしょ?
「葉月、いい加減にしろ……」
見かねたいっちゃんが、おじいちゃんの援護に入ってきた。私の腕を掴んでくる。
「ここまできたんだ。少しぐらいいてやれ」
「……話すことないよ、いっちゃん?」
「済まないね、一花ちゃん。いつも苦労をかける」
「……いえ。葉月座れ」
いっちゃんに引っ張られて、無理やりソファに座らされた。えーもう帰りたいんだけど。
他の皆も促されて座っていく。
おじいちゃんが手前の1人用ソファに座って、私が対面の窓際にある1人用ソファ。
叔母さんとレイラが私から左側。いっちゃんと花音と舞がその反対側に座っている。
何話すの? 約束破ったこと? それはそっちだよね?
「さて葉月、改めて会えて嬉しいよ」
「……今回だけね~。でもこれ以上話すことないけどな~?」
苦笑して、おじいちゃんはいっちゃんに話しかける。
「一花ちゃん、いつもありがとう」
「……いえ」
いっちゃんもさすがに、この人にはいつもの態度ではいられない。そんな様子を見て、私はグダーっとソファに凭れ掛かる。
早く帰りたい。
「葉月、ちゃんと座れ」
「やだ……帰りたい……」
ハァといっちゃんが溜め息をつく。仕方ないじゃん、早く帰りたいんだよ。
「君はもしかしてレイラちゃんかい? 面影がある」
「はい……ご無沙汰しておりますわ」
「お父さんとはよく話しているが、綺麗になったね。お母さんに似てきたよ」
「あ、ありがとうございます……」
何、頬を赤く染めてんの、レイラ?
「それで、君たちは一花ちゃんと葉月のルームメイトかな?」
「あ、は、はい……桜沢花音です」
「神楽坂舞、です……」
花音も舞もおじいちゃんの雰囲気に吞まれてるっぽい。委縮しちゃってる。
「一花ちゃんからはよく話に出てきてたんだ。会えて嬉しいよ」
嘘だね、報告書を読んだんでしょ? まあ、いっちゃんからも聞いてたとは思うけどさ。
「多分……葉月からは私のことは聞いてないんじゃないかな?」
ええ、はい。言ってませんよ。それが何かだめですか?
花音と舞が、恐る恐ると言った感じでコクンと頷いた。
「そうか……ああ、そんな緊張しなくていい。楽にしてくれ。じゃあ、ちゃんと自己紹介しなくてはね」
少し居住まいを正して、花音と舞に向き直ってから柔らかく微笑んだ。
「私は鴻城源一郎。葉月の祖父で、そうだな――今はただお金を持ってるだけの人間だ」
花音がポカンとして、舞の方は顔を少し青褪めさせている。
「あ……あの……鴻城って……」
「ああ、君のお父さんとも知り合いだよ。今度お父さんによろしく言っておいてくれ」
「……は、はい! 伝えます! もちろん! はい!」
舞がなんでこんなに嬉しそうなのかって?
それは、この人が鴻城源一郎で、有名人だから。
鴻城の名前は財政界では元々有名だ。
というより、この世界では有名だ。何故かって?
名家中の名家であり、世界でいくつもの事業を成功させ、かつてはこの世界での政治家を何人も排出していたからだ。中には総理大臣になった人もいる。
おじいちゃんはもう引退してるけど、今でもそれぞれの分野の人間がこの人にアドバイスをもらいにくる。おじいちゃんは政治家じゃなかったけどね。経営の方が好きだったみたい。この人が動くと世界の経済も動くと言われているほどだ。
知らない人の方が少ない。教科書にも名前が載ってる人なんだから。
そんな人が私の祖父である。
学園が私を手放すわけないし、多少の融通がきくのも、この人が私の身内だからだ。
「ああ、舞さん。そんな固くならないでくれ。今はもう全てから手を引いて隠居してる身なんだ」
「は、はい!」
舞が完全にオドオドしてるよ。花音は放心状態ですね。
「舞、落ち着け」
「いや、いやいやいや! だって一花!」
「落ち着け、今はただの人間だ」
「今はって!?」
「前は――怪物? 化け物? かもしれなかったが、今は人間だ、多分」
「一花!? 何てこと言ってるの!?」
「ははは。一花ちゃんにそう言われると照れるな」
「いや、褒めてない……」
「……今、葉月っちとの血の繋がりを感じた」
げんなりしてるいっちゃん、茫然としている舞。そして花音はまだ放心状態。大丈夫?
メイド長が扉をノックして中に入ってきた。お茶とケーキを持ってきてくれたみたい。別にいらないんだけど……さっさと帰りたい。
そんな私をよそに、おじいちゃんは花音たちに語り掛けている。
「君たちの口に合うといいんだが。そういえば花音さん? 君は料理が上手らしいね?」
「え? いや、あの……上手っていうより……好きなだけで……」
「私も一度食べてみたいな。どうだろう、今度時間が合った時にでもまたここに――」
ブンッ
という音と共に、フォークがおじいちゃんの顔の横を通り過ぎて、ソファの背もたれに刺さる。
――何言ってるのかな?
投げたのはもちろん私。
一瞬にして場が静まり返った。というより固まった。いっちゃんはしまったという顔をして、レイラと叔母さんは顔を青褪めさせ、花音と舞は茫然としている。ただ、おじいちゃんだけは平然としていた。
何言ってるの……本当に……?
花音を使うの……?
今回で来るのは終わりなんだけど……?
頭がどんどん冷えてくる。
おじいちゃんがゆっくり刺さったフォークを取って、私を見据えた。
「葉月……これはな……投げるものじゃない」
「…………」
「これは人に投げるものじゃない……」
「………………」
ゆっくりゆっくり、言い聞かせるように優しく私に説いていく。
逆に私の頭は冷えていく。
静かにソファから立ち上がった。
「葉月、座れ」
いっちゃんが腕を引っ張ってくる。
おじいちゃんを見る。
おじいちゃんが私を見る。
どんどんどんどん冷えていく。
止まらない。
「……………………帰る」
いっちゃんの手を払って出口に向かおうとして、扉の近くで今度は叔母さんに腕を引っ張られた。
「葉月っ! 待ちなさい!」
顔だけ振り返った。
私の目を見て叔母さんの顔が青褪めていく。
近くにいたメイド長も顔を強張らせた。
約束が違う。
もう会わない。
これが最後。
「葉月お嬢様」
メイド長が扉の前に立ち塞がる。
「席にお戻りを……」
深く深くお辞儀する。
「旦那様はずっと……ずっと会いたがっていたんです……」
ギュッと腕を掴む叔母さんの手が強くなる。
「そうよ、葉月……お父様はずっとあなたに会いたいのを我慢して……」
今度はいっちゃんが傍に寄ってきた。
「葉月……少しは応えてやれ……」
全員が見てる。
「じゃあ……閉じ込めれば?」
私の発した言葉で、いっちゃんも叔母さんもメイド長も花音も舞もレイラも凍り付いたのがわかった。
「もういい」
おじいちゃんが静かな声で言葉を出した。
「けどお父様……」
「旦那様……」
「すまないね、皆」
ソファから立ち上がって、いつもの優しい笑みを向けてくる。
「葉月、すまなかった。ちょっと無理やりすぎたな」
「…………」
「だけど……これだけは言わせてほしい……」
言ってくることは分かってる。
いつものことだ。
だけど――。
「2人はお前に会いたがってるよ」
聞きたくない。
「お前を待ってる」
聞きたくない聞きたくない。
「いつかでいい……お前の気が向いたらでいい……」
聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
「一緒に会いに行こう?」
ヤ メ テ
瞬間、意識が混濁した。
お読み下さってありがとうございます。
前話を呼んでいない方へ。
鴻城家の設定は、全く深く考えて作っておりませんので、とにかくすごい家なんだなっていう認識でいてほしいと思っています。ツッコまれると......何も言えません。つ、ツッコまないでくれると、嬉しい限りでございます。