54話 いじめ
「ねぇいっちゃん。忘れてたけどさ~」
「何だ? 何を忘れた? 常識か? 元からお前にはないぞ」
「花音たちにな~んであの人が婚約者なんて言ったのかな~?」
ゴフっと咳き込むいっちゃん。ジュースを飲んでいたから、変な所に入ったみたい。大丈夫? でも私はちょっと怒ってるんですよ。
結局、舞にも問い詰められたし、花音には謝られるし(ベッドに連れ込まれたことでも)。まぁ、誤解は解けたんだけど。
「ゴホンっ! あー葉月……それは誤解だ」
「何かな~? 誤解って?」
「あたしはちゃんと伝えたぞ? 魁人さんは子供の時に、葉月の婚約者にされかかった被害者だと」
「へぇ」
「それをまぁ……聞き間違えたんだな! 舞と花音は!」
「へぇぇ」
「ただ、誤解されてるだろうなぁとは思ったが……」
「へぇぇぇ……その時に解かなかったの~? な~ん~で~?」
「……普段振り回されてるからこのくらいいいかと……」
「へぇぇぇぇぇぇ……」
「…………わ……悪かった……」
悔しそうに顔を真っ赤にしたいっちゃんが可愛かったので許します。
「仕方ないな~」
「お前にそう言われるのは釈然としないが……まぁ、今回はお前の家関係だしな。ちゃんと謝る」
「いいよ、いっちゃんだからね」
でも次はないからね?
「そういえば聞いてなかったな。どうだったんだ、兄さんとのその……」
「あ~、そうだった。いっちゃん。先生の奥さんに伝えておいて?」
「何をだ?」
「先生が他の女の手料理食べたがってたって」
「言えるか!?」
え~事実だよ~? 花音の料理食べてみたいって言ってたもんね~。
「……その様子だと、変わりなかったみたいだな?」
「ね~。だからもうやめたいんだけどな~」
「それは……無理だな……」
「ですよね~……」
ホントにさ~行くの疲れるし、話すの疲れるし~行きたくないんだけどね? は~……こっちから条件出しちゃったからね~……あの先生のところに行くっていうのはさ~。でもめんど~……。
ああ……でも……あの時の花音はあったかかったな~。
人の体温ってあんなあったかかったんだなぁ……。
おかしいな~? そういうのあんまり感じないはずなのにな~……。
ギュッギュッと自分の手を握ったり開いたりしてみるけど、あんまり変わらない。
「どうした?」
「ね~いっちゃん……」
「何だ?」
「人ってあったかいんだね~……」
「…………何かあったのか?」
「別に~……ただ……」
「ただ?」
「あったかいんだな~って……それだけ……」
「……そうか」
いっちゃんの目が優しくなってる。な~にかな? その目は? ムギュっとしちゃうよ? してやる~。
いっちゃんの顔をムギュっと両手でいきなり押さえてあげたら、ゴンっと殴られた。
「あの女、何なのかしら……全然ヘコたれてないじゃありませんか」
「でも気に入りませんわ。この前、翼様たちと一緒にお茶を飲んでいましたのよ」
「椿様も何であの女なんかを……」
んん~? なんだか穏やかじゃない声が聞こえましたよ~?
いっちゃんも気づいたみたい。私と一緒にその声がした方に振り向いていた。
丁度、廊下を歩いていた女子数人からそんな話が聞こえてきたみたいだ。でも顔は見えず、すぐ通り過ぎて行ってしまった。
でも今のって~……十中八九、花音のことじゃないの~? 翼様は会長でしょ~? 椿様は寮長でしょ~? はて?
「ねえ、いっちゃん?」
「ん?」
「今のって花音の事かな~?」
「まぁ、そうだろうな」
「イベント?」
「いや、次のイベントは確か体育祭のはずだが……いや待て……もしかしてサブイベントか?」
「サブイベント?」
なんだね、それは?
「別に無くても本編に支障はないイベントだな」
「ちなみにどんなの?」
「あたしはメインイベントしか興味なかったからな。よく覚えていない」
いっちゃん、ホントに『サクヒカ』のファンなの? というより思い出してよ。
「確か、そうだな……いじめがあったか? なかったか? それを攻略対象者が庇って……そのいじめてた人間が退学にさせられたんだったか、どうだったか……」
あっやふや。いっちゃんの記憶があっやふや。どんだけそのイベントに興味なかったのさ?
「仕方ないだろ。そういう断罪イベント系は好きじゃなかったんだよ。だからゲームでそのイベントはスルーして発生させなかった」
「つまり、花音がいじめにあってるの? さっきの子たちに?」
「かもしれないし、そうじゃないかもしれないし、というところだな」
結局分からないんじゃん。
でもさっきの子たちの中に「全然へこたれない」とか発言してたから、もしかしていじめられてるのかな?
「ただなぁ……ゲームとは違って、この世界ではお前がいるしな。舞もいるし。この前のレクリエーションみたいなこともあると思うし……」
あいまいだな~。でも確かに私の存在は大きいはずなんだよね~。この学園の生徒の中で、私の名前を知らない生徒はいないと思うんだけどな~。花音は生徒会メンバーと特待生っていうのと、私のルームメイトっていうので知られてしまっているけどね~。
「まぁ、様子見だな。舞にもそれとなく聞いてみる」
「ん~? 私は~?」
「お前が動くと勧誘イベントみたいな大惨事が起こるかもしれないからな。極力動くな」
え~? あれは会長たちが悪いんじゃん~。理不尽~。
じゃあ、花音の様子でも見ておこう。
「あの……葉月……?」
「ん~?」
「その……そんな見られてると、さすがに恥ずかしいんだけどな……?」
寮の部屋で勉強してる花音をじーっと観察してたら、花音に突っ込まれた。
見られてることに照れてるのか、顔が若干赤い。可愛いですね。
「気にしないで、花音」
「いや……気になるよ、さすがに。顔近すぎるもの」
花音の真横で見てますからね。それにしても、特に変わった様子はないけどな~。怪我してる感じでもないし。それにあのヘコたれない発言が気になるんだよね~。
あの声、どっかで聞いたことあるような……ないような……。
「葉月? 聞いてる?」
「聞いてない」
「もう……いいから、もう少し離れようね?」
「はーい」
苦笑して私のおでこをちょっと押してから、また勉強に戻る花音。……あれ? なんかノートが汚れてる?
「花音? これどうしたの?」
「ん? 何?」
「ここ。汚れてる」
「ああ、ちょっと教室移動の時に落としちゃっただけ。拭いたんだけど取れなくて」
……怪しい。すごく怪しい。すこぶる怪しい。
「花音?」
「ん? 今度はなに?」
「何か困ってる?」
「何も困ってないよ」
「ホント?」
「ホント」
花音はクスクス笑ってた。あれ? ホントに困ってなさそう?
「どうしたの、葉月? 何かちょっとおかしいよ?」
「私はいつもおかしいよ?」
「そうじゃなくて。何か心配事?」
「花音が心配」
素直にそう言ったら一瞬目を丸くして、花音が嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、葉月。でも私は大丈夫だよ。困ってることも本当にないから」
「ホント?」
「本当。この話はもうおしまいね。そうだ、お茶でも飲む? 東海林先輩から紅茶もらったんだけど」
「飲む」
「ふふ。はちみつ入れる? 2杯だよね」
「うん」
結局何も分からずじまいだった。花音は何も変わらないし、あの可愛い笑顔を今も浮かべている。
紅茶は美味しかったけど、気になるんだよな~。
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