50話 先生
時刻はもう18時を回っていた。
先生の家は学園からだと遠いんだよ~。だから来るのも面倒なんだよね~。
来たとしても毎回同じことなのに。
カイお兄ちゃんが玄関のチャイムを鳴らす。
暫くして出てきたのは優しそうな顔のお兄ちゃんと同じ年の男の人。カイお兄ちゃんと私は10歳離れているんだよね~。
「すまない。遅くなった」
「気にしなくていいよ。葉月ちゃん、久しぶりだね。一花からは聞いていたけど、元気そうで安心したよ」
この人はいっちゃんの一番上のお兄さんだ。そして私の先生でもある。
ズカズカと先生の家に入り込んで、いつもの部屋に向かった。中等部の頃から何度もここに来ているから、勝手知ったるというやつだ。
そんな私を見て先生は苦笑して、カイお兄ちゃんは溜め息をついていた。
「今お茶出すよ。中入って」
「いつも悪いな、優一」
部屋で待っているとお茶を持ってきてくれた。いつもの紅茶を机に置き、私と対面のソファに座る。カイお兄ちゃんは1人掛けのソファに腰を掛けていた。
クッションを腕で抱えて、先生にいつものように私は聞く。
「はちみついれた~?」
「入れたよ。ちゃんとスプーン1杯分」
「むー。2杯が良かった」
「葉月、我儘言うな」
「はは、いいんだ。ごめんね、葉月ちゃん。今度からは2杯入れることにするよ」
花音のお菓子のおかげで最近は前より甘党なんだよ~。この前クッキー作ってくれたんだよね~。おいしかった~。
一口飲むとふんわり甘さが口に広がった。うん、やっぱりもっと甘い方がいいや。
「それで~? 今日は~?」
「随分とご機嫌斜めだね?」
「むー、そりゃそうだよ~。今日はエビフライの予定だったんだから」
「そっか。葉月ちゃんが、エビフライが好きだったとは知らなかったな」
「花音が作るご飯が好きなの」
「花音? あー、一花が言ってた子か。君の新しいルームメイトの子だよね?」
「そう」
「そっか。上手くいってるみたいだね」
「うん」
そだね~。これにはちょっと自分でもびっくりかな~。というか花音がすごいんだよね~。よく私の我儘に付き合ってくれてるよ、本当に。
先生がコトっとカップを置いた。
「それなら良かった。そうだな、じゃあ今日は、その花音さんっていう子との生活でも聞こうかな」
「ね~先生?」
「何かな?」
「これホントに意味あるの~?」
「というと?」
「最近のこと聞いて何か意味あるの~?」
先生はいつも来るたびに最近のことを聞いてくる。もう面倒臭い、はっきり言って。
「ははは。相変わらず手厳しいね、葉月ちゃんは」
「もうやだ~」
「そう言わないで?」
「え~もうやめよ?」
「そんなにやめたい? 僕と話をするのは嫌かな?」
「むーそうじゃないけど、面倒」
「葉月、優一はわざわざ時間を作ってくれて……」
先生がカイお兄ちゃんを手で止めている。
「葉月ちゃん。僕はね、葉月ちゃんを理解したいと思ってるんだ。その為には会話が一番近道だよね」
「そう?」
「そうだと僕は信じてるよ」
そうかな~。それに理解してもらおうと思ってないけどな~。あ~疲れる。
「……わかったよ~。早く終わらせよ~。花音に心配かけたくないからさ~」
「随分とその花音さんがお気に入りだね?」
「別に~? そんなことないけど?」
「そう? 今日の葉月ちゃん、花音さんの話をしている時は随分と楽しそうだよ」
「そんなことないけど?」
クスっと笑って先生はまたカップを手に取った。
この先生は実はちょっと苦手なんだよ。見透かしてくるような感じが。確かにお気に入りかもしれないけど。すっかり私の胃袋は花音に掴まされましたからね。
「じゃあ、その花音さんとは普段どんな話をしているのかな?」
「ん~、普通~。ご飯の話とかかな~」
「花音さんは料理が上手らしいね。一花が褒めてたよ」
「いっちゃんも花音のご飯好きだからね~」
「そんなに美味しいなら僕も食べてみたいかな」
「わかった~。今度奥さんに言っておくね~。先生が他の子の手料理食べたがってたって~」
「そ、それはちょっと困るかな……」
この先生は既婚者だ。学生結婚したらしいよ。奥さんも超美人さんだしね。何、先生? 倦怠期?
「他には? 花音さんとはどういうことをしているの?」
「ん~? 特に何も」
「そう。一花からは身支度とかも全部やってもらっている、と聞いていたけど、本当かな?」
いっちゃんは、先生には全部話している。仕方ないことだけど。
「本当~」
「そう。君が一花以外でそんなに甘えるのは珍しいね」
「そうかな~?」
甘える? ま~確かに甘えてるかもね~。
「花音さんとの生活は、葉月ちゃんにとっては楽しいものになってるのかな?」
「楽しいよ~」
「……じゃあ、どうして眠れないんだろうね?」
……ほらね~。こうやって会話に核心ついてくるから苦手なんだよね。
私が黙ってると、先生は微笑んでこっちを見てくる。
「随分と大人しくなったみたいだね。花音さんと一緒の部屋になってからは」
「………………」
「何でかな? 毎日何かしら問題を起こしていた君が」
「………………」
「我慢しているのかな?」
「………………」
「そのせいで眠れなくなったのかな?」
「………………」
だから嫌だったんだよ、ここに来るのは。絶対突っ込まれると思ったから。
確かに今は我慢している。
花音と一緒の部屋になってからは、特に。
だって、花音はいっちゃんとはまた別なんだよ。
優しいんだよ、花音は。
私を敬遠してくれたら良かったのに。
嫌ってくれたら楽だったのに。
本当は、花音もすぐ私との生活も嫌になるだろうなって思ってた。
いっちゃん以外の人間が、私との生活を続けるとは思わなかった。
嫌になって、部屋替え希望を出すと予想していた。
花音との生活でも、私は自分の行動を改めるつもりはなかった。
なのに、花音は全部許す。
だから、出来なくなった。
我慢するしかなくなった。
他の人も、いっちゃんでさえ怒ることも花音は怒らない。
怒るときは本当に些細なコトの時だけ。
予想が裏切られた。
花音はいつも笑って許してくる。
『次はだめだよ?』
『仕方ないなぁ』
そう言って、私のやる事を許してくる。
頭を撫でてきて、困ったように笑いながら、許してくる。
だから、余計出来なくなった。
やったら、花音は心配すると思ってしまうようになった。
花音は、いつも優しい。
だから、
優しすぎるから、花音に心配かけたくないんだよ。
スウッと静かに目を閉じる。
「図星……かな?」
そうはいかないよ、先生。
先生は私の本音を聞きたいんだよね?
でも、そうはいかない。
そんなこと、絶対させない。
ゆっくり眼を開けて、私はニッコリと返す。
「先生、何を言ってるの~? 私はいつも通りだけどね~」
「……じゃあどうして眠れないのかな?」
「さあ?」
「心当たりはないの?」
「ん~? 確かに前ほどやんちゃしなくなったからじゃない~?」
「今までの君の行動はストレス発散も兼ねてたもんね?」
「そだね~」
「どうして、しなくなっちゃったのかな?」
「全部いっちゃんに止められてるからかな~?」
「一花はちゃんと君のストッパーになってる訳だ」
「そだね~」
「そうか……」
ふうと息を吐く先生。これ以上聞いても、私が答えないのがわかったから。あと、いっちゃんはちゃんと私のストッパーだよ? 今度褒めてあげなよ。
先生は静かに私を見つめてきた。
「葉月ちゃん……」
ああ、これで今日の会話は終わりだね、先生。
「君は今、どこにいる?」
いつもの最後の質問だ。
だから、私はこう答える。
「やだな~先生」
いつもみたいにニッコリ笑って、こう答える。
「私はここにいるよ?」
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