4話 家族からの激励 —花音Side
「お姉ちゃん、これどうしたの?」
家に帰ったら、目ざとい妹の詩音がパーカーのことを聞いてきた。
さすがに少し雨に濡れたから先にお風呂に入ることにして、体を温めている間に脱いだパーカーを見つけてしまったらしい。
「こんなのお姉ちゃん、持ってなかったよね?」
「詩音、それはお姉ちゃんのじゃないの。ほら、こっちに渡して?」
詩音はまだしも、弟の礼音に見つかったらグチャグチャにされてしまう。ただでさえ高い服(だと思う)だから、礼音に見つかるわけにいかない。前に制服のリボンを切り刻まれたことあるから、注意しないと。
パーカーを広げている詩音から、その服を取って綺麗に畳んだ。後でお母さんにクリーニングに出してもらおう。とてもじゃないけど、家の洗濯機で私たちの服と一緒に洗うなんて出来ない。
今日はお父さんも早く帰ってくるはず。お母さんももうすぐの予定。畳んだパーカーを自分の部屋の箪笥に入れて、キッチンに向かう。
休みになったら帰ってくるとはいえ、それでもしばらく家族とはお別れ。最後の晩餐とは違うけど、みんなで一緒にご飯を食べるのはお預けになる。折角だから、楽しい時間にしたい。
「ねえちゃん、あそぼ」
「今から夕飯作るから、その後でね」
キッチンで冷蔵庫から食材を取り出していたら、礼音が足にしがみついてきた。頭を撫でると気持ちよさそうに目を細める。あーもう、可愛い。
今年で5歳になる礼音は少しやんちゃな男の子。「礼音、ズルい」と詩音まで腰に抱きついて、背中にグリグリと顔を押し付けてくる。10歳なのに、こういう風に甘えてくる妹も可愛くて、思わず2人まとめてギュって抱きしめてしまう。あーでもだめだめ。夕飯作らなきゃ。
「2人共、ご飯作り終えるまでは2人で遊んでて?」
少しむーって頬を膨らませながら、2人はテレビを見にいった。食材を洗い始めたら、玄関からお母さんが「ただいま」って声が聞こえてきた。詩音と礼音がドアに振り向いているのが見える。
「ただいま。あら、花音。今日ぐらい作らなくていいのよ?」
「お帰りなさい。でも私も、礼音と詩音に作ってあげたくて」
クスっと笑ってお母さんを出迎える。「お帰りなさい」と2人もお母さんに声を掛けてた。荷物を置いてから、お母さんは困ったように笑ってキッチンに入ってきた。
「今日は花音の好きなモノ作ろうと思ってたんだけどね?」
「それは次の機会に取っておくよ。お母さん、先に着替えてきたら?」
「いいえ、せっかくだから一緒に作りましょうか。当分一緒に作る機会は減るからね」
クスクス笑って腕の服を捲り、手を洗い始める。確かにこうやって一緒に作る機会は減るんだなって、ちょっと寂しく感じてしまった。
お鍋とフライパンを用意しながら、まな板と包丁も用意していく。今日は礼音の好きなハンバーグと詩音の好きな具沢山のお味噌汁。
「そういえば、寮には食堂があるのよね?」
「うん、そう聞いてる。でも部屋にもキッチンついているって案内には書いてたよ」
「そうなの。でも食堂があるなら、毎日作らなくていいわね」
「そうかもね」
毎日作っても、そんな支障はないけどなぁ。自分でも最低限は作れるし。最初はお母さんの見様見真似。お母さんも働いてるから、大変だろうと思って私が作るようになった。詩音も礼音も喜んでくれるしね。それに料理も楽しい。自分好みに味付け出来るし、ちょっと調味料を変えるだけで、違う味になるのも面白い。お菓子もそう。
明後日からの学園のことや、寮で同室になる人の事など話しながら、楽しくご飯を作っていく。サラダも盛り付けながら、詩音と礼音も呼んで、夕飯を食べる準備を進めた。お父さんも帰ってきたところで礼音が大きくお腹を鳴らしたから、みんなで笑ってしまった。
お母さんもお父さんも着替えてきて、みんなで手を合わせていただきますをする。礼音も詩音も美味しそうに食べてくれるから、作った甲斐があるというものだ。
「明日の準備は済んだかい?」
おかずを口に入れてたお父さんが、不意にそんなことを聞いてきた。
「うん。もう後は行くだけ」
「同室の子がいい子だといいね」
「そうだね。話が合えばいいんだけど……」
和んでいた心に少し不安が過っていく。お味噌汁を飲んで紛らわせた。
「お姉ちゃん……本当に行っちゃうの?」
「ねえちゃん、いっちゃうの?」
詩音は不安そうに、礼音は詩音の真似をして聞いてくる。お父さんもお母さんも苦笑して2人を見てた。私も思わず苦笑してしまう。
「大丈夫だよ、2人とも。大きな休みになったらちゃんと帰ってくるからね」
「そうよ。それにいつまでも花音に頼りっきりじゃダメよ。詩音はこれを機に、いい加減お姉ちゃん離れしなさい」
「えー。お母さんだって、お姉ちゃんを頼りにしてたじゃない」
「それとこれとは別です。せめて、自分の身支度ぐらいは自分でやるようにしなさいね」
「だって、お姉ちゃんに髪やってもらった方が皆褒めてくれるんだもん」
むーって膨れる詩音の髪を毎日セットしてあげていたからね。私も楽しくてやってたんだけど、ここにきて障害になるとは。さすがに甘やかしすぎたかもしれない。
「花音だって新しい生活が始まるんだ。期待と不安でいっぱいだろうから、詩音がそう言っていると、安心して学園生活を楽しめないかもしれないよ?」
あ、さすがにお父さんにはバレてたみたい。これはお母さんにも絶対バレてるなぁ。困ったように私を見て笑っているもの。「花音」と優しい声で呼ばれる。
「こっちは気にしないで。あなたの好きな事を精一杯やってきなさい」
「お母さん……」
「そうだよ、花音。今の内に色んなことを経験して、知識だって好きなだけ勉強しなさい。視野を広げて、学生らしく青春を謳歌すればいい」
「お父さんまで……」
お父さんは、「まあ、学費は花音頼りになっちゃう、体たらくだけどね」と困ったように笑っていた。
そんなことないよ。だって寮に入るのも、制服もジャージも靴も用意してくれた。それだけでも感謝の言葉しか出てこない。「それと」と言葉を続けてくれる。
「もし、辛くなったり悲しくなったりしたら、帰っておいで」
いつもの大好きな穏やかな表情で見られて、安心を覚える。お母さんも隣で柔らかく微笑んでいた。
「ここはいつでも花音の帰ってくる場所だから、いつでも帰っておいで」
お父さんもお母さんも、嬉しいことを言ってくれる。
その優しさが心に沁み込んでいって、さっき感じた不安を溶かしてくれる。2人の優しさが胸を温かくさせてくれた。自然と口が綻んでしまう。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
2人の娘で良かったって心から思う。
とても私のことを考えてくれて、大事にしてくれているのが伝わってくる。
いつも私の意見を大切にしてくれた2人が、この学園のことだけは背中を押してくれた。
頑張ろう。
どこまで出来るかは分からないけど、出来るだけ頑張ってみよう。
住む世界が違う上流階級の人たちばかりだと思うけど、
精一杯楽しんでみよう。
不思議とそう思えた。
2人からの激励に身が引き締まった気がした。
詩音はそれからむーってまた膨れてしまったけど、礼音は多分私がこれから毎日いないことがまだよく分かってないのだろう。首を傾げながら、ハンバーグを頬張っていた。そんな食べっぷりがおかしくて、お母さんもお父さんも笑っている。
いつでも帰れる場所があるっていうのは、安心するなぁ。
最後ではないけれど、当分先になってしまうであろう家族との食事は和やかに終わった。
「お姉ちゃん、今日一緒に寝よ?」「おれもねる」と詩音と礼音が食後に言ってくる。もちろん「いいよ」と答えてあげた。嬉しそうに2人はお風呂に走っていったけど、転ばないでね?
お父さんは少しのお酒とつまみを一緒に、ソファに腰掛けてテレビを見ている。
食器を片付けていたら「明日忘れ物ないようにね」って背中に声がかかった。……ああ、そうだ。
「お母さん、クリーニングに出してほしい服あるんだけど」
「どれ?」
「実は私の服じゃなくて……」
今日、服と傘を貸してくれた彼女のことを話したら、さすがにお母さんも目を丸くしていた。うん、そうだよね。びっくりするよね。
「随分親切な方だったのね」
「うん。それで、一応またその喫茶店に行ってみようとは思ってて。だからその服をクリーニングに出して、寮に送ってくれない?」
「それはいいけど、連絡先も名前も分からないんでしょう?」
「無駄足になるかもしれないけど、行ってみる」
会えない可能性の方が高いとは思うけど、もしかしたらっていう可能性にかけて。
そう答えたら、お母さんも送ってくれるって言ってくれた。自分の部屋からそのパーカーを持ってきてお母さんに預ける。あ、生地の柔らかさに驚いてるみたい。その気持ちは分かる。さらに高級ブランドの服だって伝えたら、益々驚いていた。一気に慎重に扱い始めちゃった。でも分かる。思わず頷いちゃった。
お風呂から上がってきた詩音と礼音の髪を乾かしてあげた。礼音が本読んでって言ってきたから、膝の上に乗せて絵本を一つ読んであげる。やっぱり男の子だからかな。冒険モノの話に目を輝かせてた。詩音は詩音でマニキュア塗ってって爪を出してきた。まだ早いんじゃないって言ったら、仲のいいお友達がやっていたらしい。最近の小学生は進んでいるんだなぁ、知らなかった。
でもお母さんが止めてきた。やっぱりまだ早いと思ったらしい。むーって膨れちゃったからよしよしと頭を撫でたら抱きついてきた。詩音は機嫌が悪くなるとすぐ抱きついてくるからね。あと友達に嫌な事言われたとか、転んでひざ擦りむいたとか、悲しい時とか嫌な思いした時。抱きつくと落ち着くんだって。
まあ、そんなところも可愛いから、私もついつい甘やかしちゃうんだけども。それを真似して礼音も抱きついてくるから、最終的に2人に埋もれてしまう。お父さんが苦笑して助けてくれるんだけど、でもこういうのも少しの間お別れかな。
夜、宣言通り詩音と礼音が私のベッドに入ってきた。シングルだからさすがに狭いなぁ。でも2人の体温が温かくて、思ったより明日からの不安を感じずに、安心して朝まで寝れた。
――
「じゃあ、いってきます」
朝、家族全員が出発しようとしていた私を玄関で見ていた。
詩音は少し泣きそうで、お父さんに肩を抑えられている。礼音はきょとんとしながら、お母さんに抱っこされていた。
両親は2人揃って苦笑して詩音を見ていた。私も思わず困ったように笑って、頭を撫でてあげる。
「詩音、ちゃんとGWには帰ってくるから」
「……うん」
「花音、体には気を付けなさい」
「何かあったらすぐ連絡するんだよ」
「うん。お父さんもお母さんも、体には十分気をつけてね」
ふふって笑いながら、抱っこされている礼音の頭も撫でてあげた。少し眠そう。まだ朝早いからね。
スーツケースを手にとって、「またね」と詩音と礼音に言ってから、家族全員に見送られて駅に向かう。
さあ、いよいよ。
また自然と緊張が走る。
「あ、いたいた」
「花音ぅ~」
思わず目を丸くしてしまった。駅に着いたら、友人の茜と蛍がいたから。
「え、2人とも、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! 決まってるじゃん! 見送りだよ、見送り!」
「あったりまえぇ~」
ニカッと白い歯をむき出しにして、ショートヘアの茜が笑う。蛍はいつもみたいにのんびりとした口調で微笑んできた。
2人とは小学校から同じクラスで、自然と仲良くなっていった幼馴染に近い親友。中学でも遊ぶのも勉強するのもずっと一緒だったから、少し寂しい気持ちはある。
「でも、こんな朝早くなのに」
「何水臭い事言っているのさ! 長年の親友が旅立つっていうんだから見送りにくるのは当たり前でしょ!」
「そうそう~。花音の緊張をほぐしてあげようと思ってねぇ~」
バンっと茜に背中を叩かれて、蛍は何故か愛用している高級ブランドの最新号の雑誌を渡してきた。
「茜……力加減覚えてっていつも言ってるでしょう? それに蛍、これは私には無縁だと思うんだけどな」
「あはは! ごっめん! ついいつもの癖で!」
「そんなこと言ってたら遅れちゃうよぉ~? 行くのは星ノ天なんだからさぁ~。これで少しは勉強しないとぉ~」
茜は全く反省してない、いつも通りだけど。蛍、勉強したところで、私にはこの服たちは買えないんだけどなぁ。
だけどいつもの2人を見て、少し嬉しくなってしまった。
「帰ってきたら、ちゃんと連絡してよ!」
「うん、もちろん」
「星ノ天の情報もよろしくぅ」
「ふふ、わかった」
こんな朝早くから見送りに来てくれた2人。わざわざ来てくれたことが嬉しく思う。
うん、少しは緊張ほぐれたかも。
まあ、近付くにつれて、また緊張はするだろうけど。
「ありがとう、2人とも」
お礼を言ったら、2人も嬉しそうに笑っていた。
改札まで見送ってくれて、手を振って2人とは別れた。
電車に乗って、寮に向かう。
まずは新しいルームメイトとの挨拶が待っている。
さっき蛍が渡してくれた雑誌を少し捲った。うっ……やっぱり高い……こういう服を着ている人たちばかりなんだろうか……。
せっかくさっきまで消えてた不安が、また過ってしまった。
お読み下さりありがとうございます。次話、葉月視点に戻ります。