遠くない未来に ―花音Side
柔らかくてあったかい。
その唇に触れられることが、とても幸せな気持ちにさせてくれる。
もっと、もっとって、貪欲な気持ちが溢れてくる。
息を少し吐きながら瞑ってた目をゆっくりと開けると、視界いっぱいに嬉しそうに微笑む葉月の笑顔が映った。
ああ、もう。
可愛すぎる。
その笑顔を見ただけで、これ以上ないくらいにキューっと胸が締め付けられて、また葉月にキスをしてしまう。葉月もそれに応えてくれる。それが嬉しくてたまらない。多幸感が止まらない。
葉月の体を抱きしめると、葉月もまた抱きしめ返してくれた。この温もりに包まれる幸せな時間。
もっと、もっと近づきたい。
触れたい。
触れてほしい。
どんどん溢れる感情に支配される。
「おやすみ~、花音~」
「え?」
額に葉月の口付けが落ちてくるのを感じたと同時に、しまったと思った。
「葉月?」
慌てて顔を見上げると、そこにはもうあどけない寝顔になっている葉月がいる。
これ、だめだ……もう朝まで起きないコースだ。
ハアと軽くため息を吐いて、それでも可愛いと思ってしまうその寝顔に耐えられず、頬に口付けをする。ふにゃっと口元を緩ませた。ほら、可愛い。
「今日こそはって……思ったんだけどな……」
寝ている葉月の唇をフニフニと指で押し返しながら、自然とまた溜め息が出てきてしまった。
葉月と恋人になって、どんどん抑えきれなくなっている自分がいる。
キスをできるだけでも、抱きしめられるだけでも、その笑顔を見れるだけでも、贅沢だと思っていたのに。
もっと、もっと、って思う自分がいる。
「私だけなのかな……」
葉月は、何も思ってないのかな?
私に触れたいって思ってない? でも、キスはしてくるんだよね。
そんなことを考えていると、眠ったままの葉月がスリスリと私の頭に無意識に頬ずりしてくるから、たまったものじゃない。嬉しいけど……嬉しいんだけどっ!!
そんな可愛い行為をしてくる葉月に胸が締め付けられる。しかも背中に回された腕もまるで離さないっていうみたいに抱きしめてくるから、愛しい気持ちが溢れて、もう私の心の中は嵐のよう。
そんな私の心の内を知らない葉月は、いつものように安心しきって寝ているわけで。
最近もうずっとこう。ベッドの中で眠る前にキスをして、抱きしめて、そして葉月は眠りにつく。私のそばで眠ってくれるのは単純に嬉しい。
でも、でもね、葉月。
私、そろそろもう限界で。
そっと寝ている葉月の頬を指の背で撫でる。その柔らかさにも、やっぱりドキドキと心臓はうるさい。
もっと、葉月に触れたいよ。
近づきたいよ。
葉月にも触れてほしいよ。
そう思った自分にハッとして、恥ずかしくなり頬が自然と熱くなる。本当、最近、これの繰り返しだから困る。
自分の中にそういう欲があるのは知ってる。実際、離れる前の葉月に抑えきれなくなったことあるし。
だけど、葉月と両想いになって、その欲がどんどん育っていて、そんな自分に戸惑ってもいる。
キスして、抱きしめて、その先はって……。
誰にも相談できない。葉月にも舞にも、こんなこと恥ずかしくて相談できないよ。
だから、葉月がその気になってくれたらなって、勝手に思ったりしてるけど……現実はそう甘くはない。
何よりも……葉月、寝ちゃうんだよね! 私が抱きしめると、それはもう秒で!! 一番早くて十秒ぐらいで「ぐう」って寝たことあるし!! 嬉しいけど、嬉しいんだけどぉぉ!!
このままだと襲っちゃいそうで、葉月の腕の中で体の向きを変えた。ハア……今日、寝れるかな? 寝れるといい――
「むう……」
――――無理。
今度は葉月の腕がお腹あたりに回ってくる。グリグリと私の背中に顔を押し付けてきた。ああ、もう……そういうところだよ、葉月!!
葉月の温もりに幸せを感じつつ、でもモヤモヤしっぱなしの夜が過ぎていく。
もう限界すぎる……。
◇ ◇ ◇ ◇
「もう、無理です……」
「いきなりそんなことを言われて、あたしにどうしろと?」
ものすごく呆れた目で、ポリポリとお気に入りのエビ煎餅を食べている一花ちゃん。
今は葉月と舞がゴロちゃんと部屋で遊んでいる。一花ちゃんが読書タイムに入っているところに、おやつの差し入れと称して逃げ込んできた。
「なんだ、葉月に愛想でも尽かしたか?」
「それはない」
ない。絶対ない。毎日キスできて、あの笑顔向けられて、嫌いになるはずがない。それどころか昨日より今日と、どんどん好きになってる現状です。
きっぱりはっきりと即答した私に、一花ちゃんはげんなりと疲れた様子。一花ちゃんと舞の前では、葉月とベッタリくっついてるのを見ているからね。もちろん、四人で部屋に居る時だけだけど。
「じゃあ何だと言うんだ? 何が無理なのか具体的に言ってもらわないと、あたしも困るんだがな」
「そ、そうだよね……」
分かってる。分かってるんだよ。でも、どう相談したらいいのかも分からないんだよ。
もう一花ちゃんしかいないと思って来てみたけど、実際口にするっていうのはやっぱり勇気がいるというか、色欲塗れみたいに思われるのはやっぱり恥ずかしいわけで……。
「それとも、葉月がまた魘されているとかか? それに耐えられなくなったか?」
「え? あ、ううん。それは大丈――」
あれ? 今、思った。葉月には前世の記憶があるんだよ。たまに夢に見てるみたいで、魘されることがある。そういう時、葉月は知らない言葉で寝言を言ってる。
でも、そっちのことは、全く気がつかなかった。
私はもちろん初めてだけど……葉月って初めてなの? なんかそう考えたら、キスも上手い気が……いや、私は葉月以外としたことないから、それが上手いかなんて分からないけども……いやいやでも、そういう風に考えたら、なんか慣れている気もしてきた。もしかして、前世の経験、とか?
そんなことを思いついたら、サアっと血の気が引いてきた。もし初めてじゃなかったら、さすがにショック。かなりショック。どうしようもないけど、ショックすぎる。
「じゃあ一体何が無理だって言う――」
「いいい一花ちゃん、葉月って経験あるのかな!?」
「ブフゥ!!!」
また聞いてきた一花ちゃんが、丁度良く飲んだお茶を盛大に天井に向けて吹いた。あ、口に入れちゃってたんだね。ゲホゲホっと苦しそうに咳き込んでいる。
「あの、大丈夫?」
「お前はいきなり何を言い出す!?」
私が出したハンカチを乱暴に受け取って、それでも咽ながら正確なツッコミを入れてくる一花ちゃんを見たせいか、自分でも少し冷静になった。
ですよね。いきなりこんなこと言われたらびっくりしすぎて咽るよね。ででででも、ちょっと不安になっちゃって。
「ご、ごめん……」
「ハア……なるほど。悩んでるのは、そっち系ってことか」
バレた。そこで『何の経験だ?』ってならない一花ちゃんの勘の鋭さ。恥ずかしくなってきたから、一気に頬が熱くなる。
両手で顔を覆うと、向かいに座っている一花ちゃんからは呆れたような溜息が聞こえてきた。
「っていうか、あんな堂々とあたしと舞の前でキスはしてるくせに、そこまで至っていなかったのか」
「……はい」
「まあ、当然といえば当然かもな。葉月だしな。大方、その考えに至らないで寝てるんだろ」
全くもってその通りすぎる。まるで毎晩私と葉月のベッドでの様子を見ているかのよう。
「それで、花音の方が我慢できなくなったということか」
いやいやいや、納得しないで!? いや、その通りなんだけどね! 全くもってその通りなんだけどね! 「いいかげん、顔あげろ」って呆れたように言ってこないで!? 恥ずかしいんだよ!
そんなことを言ってても仕方ないから、渋々と気まずく手を離して、一花ちゃんの方を見上げてみた。何てことないようにまたポリポリとエビ煎餅を食べている。
そういえば、一花ちゃんと舞はどうなんだろ? まだ正式に付き合い始めだから、さすがにまだだよね。でもなんか気になってきた。
「あの、一花ちゃん?」
「なんだ? まさか葉月に言えとか言わないよな? 勘弁してくれ。さすがにそこまで面倒見切れん」
「それはいいんだけど……いや、よくはないんだけど……その、一花ちゃんと舞はどうなの?」
「…………」
興味が勝った私が思い切ってそう聞くと、お煎餅を食べていた一花ちゃんの口が止まった。段々半目になっている。え、何これ? 怖い。ふっと感情の見えないその目と口元のその笑み、怖い。
「花音」
「う、うん?」
「断言してやろう」
断言?
「あのヘタレがあたしに手を出してくるのは、天地が逆になろうとありえん」
まままま舞!? 一花ちゃんに何をしたの!? いや、この言い方違う! もしかして何もしてない!? あれだけ恋人になったら一花ちゃんとキスしたいハグしたいって言ってたのに!?
「ああ、悪い。さすがにあそこまでウジウジウジウジされるとな……まあ、今はあのヘタウジのことはどうでもいい」
どんな略し方!? 舞、そこまでウジウジしてるの!?
まさかあの舞がそこまで一花ちゃんに対して行動に移してないとは思わなかったよ! 逆に片思いの時の方が行動してたんじゃないかな。抱きついたりデート誘っていたり、挙句の果てにはお風呂に突撃してたとか言っていた気がするんだけど。
そんな舞のこれまでの言動を思い返していたら、目の前の一花ちゃんは誤魔化すようにゴホンとわざとらしく咳払いをした。
「それで? あたしにどうしろというんだ? さっきも言ったが、あいつにそれを花音としろとか助言しろっていうのは勘弁だぞ」
「……そうだよね」
話を戻されて、ハッキリと断ってきた一花ちゃん。いや、分かってる。さすがにそれを一花ちゃんに頼もうと思っていたわけじゃないの。
でも、この心の内を誰かに相談したくて! 一花ちゃんしか思い浮かばなかったんだよ!
ズンっと落ち込んだ私を見てか、一花ちゃんが疲れたようにまた息を吐いていた。
「あのな、花音。前にも言ったが、あいつは鴻城家史上稀にみる鈍感だ」
「それは覚えてるけど……」
ええ、ええ。葉月のこの恋愛関係に関することの鈍感さは身に染みていますとも。
うんうんと心の中で頷いていると、一花ちゃんが言葉を繋いでいく。
「つまり、あいつはそこまで考えが及んでいない」
そうだろうね。だからキスはしてくるんだろうしね。というか、それ以上のことを知らない可能性もあるだろうし。
「だが、ちゃんと知識はある」
うんうん、知識は……うん?
「えっと……あるの?」
「当たり前だ」
「葉月に?」
「あいつの頭の中にちゃんと入ってる。子供の頃に人の営みに関しても勉強してるしな」
一花ちゃんはトントンと自分のこめかみを人差し指で突きながら、これまた疲れたように息を吐いている。
ポカンとそんな一花ちゃんを見つめてしまった。あるの? え、でも葉月……全くそんな気配ないんだけど。
それは、つまり……私とその行為をしたいわけではないということでは!?
「あのな、花音。何度も言うが、あいつは超絶鈍感だ」
「そ、それは知ってるけど……」
「勘違いしてそうだから言うが、同性だから気づいていないだけだ」
あ、なるほど。勉強したのは男女の営みって訳だね……じゃない!!
「そ、そんなのもうどうしようもないんじゃ?」
「あいつが気づくしかないな」
ハッキリとキッパリと言い放つ一花ちゃん。そんなうんうんと頷かないで!? 私、毎晩葉月のことを襲いそうになって大変なんだよ!!
その一花ちゃんは肩を竦めながら、またエビ煎餅に手を出していた。
「もう花音から手を出せばいいだろ」
「それが出来たら苦労しないよ!?」
「だがそうでもしないと、あいつは一生気づかないぞ。花音の気持ちだって、キス付きで告白されたから信じたんだろうしな」
言われてみればそうかもしれない。行動に移さないと、言葉もハッキリ言わないと、葉月には伝わらない。
だけど、だけど……
私は、葉月にちゃんと求めてほしい。
私が葉月を求めるように、
葉月にもちゃんと私を求めてほしい。
触れたいって、
もっと近づきたいって、
そう思ってほしいんだよ。
私から手を出しても、ちゃんと葉月は応えてくれると思う。嫌がらないと思う。葉月が私を好きでいてくれるのは、ちゃんとキスからもハグからも伝わってくるもの。
でも、でもそれじゃダメだと思う。
「それともなんだ? 何か花音から手を出したくない理由があるのか?」
つい口を噤んで下を向いてしまうと、一花ちゃんからはポリポリとお煎餅を食べている音が聞こえてくる。
葉月は優しい。
キスをする時も、
抱きしめてくれる時も、
優しく優しく触れて包み込んでくれる。
そんな優しい葉月は、きっと私がしたいことを優先する。
「私は……ちゃんと葉月にしたいって思ってほしいんだよ」
私がしたいから、
私が言ったから、じゃなく、
葉月がしたいと思って、ちゃんと触れあいたい。
私がそう言うと、今度はちゃんとお茶を飲みこんでから、一花ちゃんはどうでもよさそうに肩を竦めていた。
「だったら、答えは簡単じゃないか」
「え?」
「そう思っている花音の気持ちが伝わらないと、あいつはそれすらも考えないぞ」
またまたハッキリと一花ちゃんは答えた。
そうだよね、そうなるよね。それが出来たら苦労しないんだけども。
「そうだよね……」
「あのな、花音。あいつが何故考えないか分かるか?」
「え?」
ん? なんで考えないか? 予想外のことを言われて、パチパチと目を瞬かせると、一花ちゃんは眼鏡を取ってクルクルと回しだす。
「さっき、葉月は経験あるのか聞いたな」
「そうだね」
「今世ではもちろんない。じゃあ前世はと聞かれたら、それもきっとないだろう」
随分ハッキリ言う。一花ちゃん、葉月の前世のことも詳しく知ってるから?
「あいつの前世は、酷い殺し合いの記憶だ」
「そう、言ってたね……」
まだ詳しくは聞いていない。でも一花ちゃんが前に教えてくれたことは覚えてる。葉月は戦争を経験しているって。
一花ちゃんは回していた眼鏡をかけて、思いのほか真剣な目で真っ直ぐ私を見てきた。
「あいつはな、今も昔も、“今だけを生きること”を考えてきたってことなんだよ。その意味が分かるか?」
今だけを、生きる。
それが葉月にとっては全てだった。
「未来を今世のあいつは捨てていた。今のことだけ考えていた。前世では未来のことなんて考える暇もなかったはずだ。生きるか、死ぬか、それしか考えてこなかった。恋愛まで考えが及んでいないんだ」
一花ちゃんの言うとおりだ。
今、葉月が生きることを考えてくれているのは奇跡に近い。無理に私や皆が引き留めている形だ。まだ心の底から、葉月は自分から生きたいと考えていないと思う。自分の存在が周りを不幸にするって思いこんでいる。
だから、私は葉月の生きる理由になりたいって思ったんだから。
前世では、一花ちゃんの言葉を借りるなら、それどころじゃなかった。それは想像するしかできないけど、毎日どう生きるかの連続だったのかもしれない。
恋愛どころじゃない。そうかもしれない。
「花音が葉月にそう願ってほしいなら、ちゃんと言うべきだ。あいつに考えさせるべきだし、気付かせるべきだろう」
前にも一花ちゃんはそう言ってたな。私が葉月に本格的にアプローチしようとしてた時。葉月に自分の気持ちにちゃんと気付いてほしいと言ってた。
「あいつはもっと、色々なことを考えていくべきだし、気付くべきだと思っている」
「色々?」
「普通の日常がどんなものかをな」
困った奴だ、とそれこそ困ったように笑っている一花ちゃんがいる。
「普通のことを知らない。知識はあっても、知らないんだ。幸せな日常が簡単に壊れない普通を知らない。だから、経験して学んでいくべきだ」
葉月は簡単に壊れると思っている。
今の笑いあう、みんなといる日常を。
私といる日常を。
ああ、だからなのかな。
葉月と両想いになってからのことを思い返してみる。
うん……そうかもしれない。
一花ちゃんの言うとおり、葉月は壊れないようにしているのかも。
私に触れる時、葉月は優しく壊れ物を扱うように触れてくる。
大事に大切に触れてくる。
それは優しいだけが理由じゃなかったんだ。
一花ちゃんは、それをちゃんと分かってたんだ。
そんなことも気づかずに、私は自分の欲だけを考えていた。
葉月のことを分かるのは、やっぱり一花ちゃんなんだ。
それがやっぱり少し悔しく思う。
ついジッと一花ちゃんを見てしまうと、半目になって私を見てきた。
「あのな……なんで今のやりとりでその目をしてくる……?」
う……嫉妬したのバレてる。
「いやだって……やっぱり一花ちゃんには何でもお見通しなんだなって……」
「そんな怖い笑顔で見てこられたら、誰だってわかるわ」
え、笑ってた!? む、無自覚!
指摘されたからバッと両手に自分の頬を当てると、向かいの一花ちゃんからはハアと疲れたような溜め息が聞こえてきた。ご、ごめん! 本当に無自覚だったんだって!
「とにかく、だ。あたしが言えることはこれぐらいだ。ちゃんと伝えろ。考えさせろ。気づかせろ。そうすれば、花音の望むような答えが出てくるはずだ」
いきなりまとめたね!?
いや、だからね……一花ちゃんの言う事は尤もなんだけど……
「それが出来たら苦労しないんだよ……」
「それもそうだな」
あっさり認められて、さらにグサッて何かが私の心に刺さる。
「だが、あたしから言えるのはもう本当にこれぐらいだ。花音の方から行動しないと、あいつは絶対これからも気づかない。断言できる」
……そんな断言はしてほしくないんだよ、一花ちゃん。
結局どうすればいいか分からなくなっちゃうよ。
ハアとついつい溜め息をついてしまうと、向かいの一花ちゃんから何故かわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「あのな、花音」
「……うん」
「ちゃんと花音の望む答えは、あいつから出てくる」
「うん?」
何故かそこを断言してきた。つい不思議に思って顔を上げると、一花ちゃんが今度は頬杖をついて、呆れたように見てくる。え、なんで呆れてるの?
「あいつが好きなのは、お前なんだぞ。つまりは、ちゃんと花音の望む答えが返ってくるだろうが。そこを信じないでどうする」
あまりにもハッキリと断言してくる一花ちゃんの言葉に、ハッと気づかされる。
そうだよ。
葉月が好きなのは私。
私が葉月を好きでこういう欲が出てきたなら、葉月だって出てくる。
そこを信じないのはおかしい。
パアアっと心が軽くなるのを感じていると、向かいの一花ちゃんは困ったようにまた笑う。顔に出ていたんだと思う。
「多少強引にでも気づかせるんだな」
「――うん。ありがとう、一花ちゃん」
素直にお礼の言葉が出てくる。
ちゃんと、ちゃんと葉月に言おう。
きっと最初は葉月も分からないと思う。
でも思っていることを言おう。
考えていることを伝えよう。
そうすれば、きっと葉月は考えた後にちゃんと気付いてくれる。
葉月が好きなのは私だから。
だから、
気づいたら、ちゃんと触れたいって思ってくれる。
「さっさと戻ったらどうだ? そろそろ葉月も戻ってこないことを心配するぞ」
「うん、そうだね……そうする」
「舞のことも部屋から追い出して構わない」
「ふふ、そうだね。一花ちゃんが待ってる事、ちゃんと伝える」
「別に待ってない」
照れ隠しなのか、一花ちゃんは閉じてた本を少し荒々しく開けていた。可愛い。
立ち上がって、また一花ちゃんにお礼を言ってから、自分と葉月の部屋へ向かう。部屋の中には猫じゃらしで遊んでいるゴロちゃんと舞がいた。
葉月はどこか落ち着かない様子でドアから入ってきた私を見てくる。やっぱり心配してたみたい。その様子につい少し笑ってしまった。
私に気づいた舞の方が、話しかけてくる。
「ああ、遅かったじゃん、花音」
「ごめん、少し一花ちゃんと話してて」
「一花、本読み終わってた?」
「待ってたよ、舞のこと」
「え、うそ!? 戻る戻る!」
その待ってるっていう言葉が嬉しかったのか、舞はゴロちゃんの頭を撫でてから慌ただしく部屋を出ていった。そんなに焦らなくても、一花ちゃんはいなくならないよ。
葉月は舞が放っていった猫じゃらしを掴んで、ゴロちゃんの前でフリフリと揺らせている。
「ごめんね、葉月。遅くなっちゃって」
「んーん。いっちゃん、喜んでた?」
「うん、やっぱりエビ煎餅好きだよね、一花ちゃん」
「いっちゃんの大好物だもん」
葉月の隣に腰を下ろすと、振っていた猫じゃらしを離して唐突に葉月がギュッと抱きしめてきた。それが嬉しい。分かってるよ、ちゃんと葉月が今何を感じているか。
「本当にごめんね。戻るの遅くなって」
「平気……」
「いなくなってないよ」
「うん……」
これは少し心配かけすぎたかもしれない。
葉月は私がバイトとかでそばにいない時も、かなり心配するから。すぐ戻るって言って、一花ちゃんに差し入れ持っていったのに、思ったより話し込んで長くなっちゃったものね。
スリスリと、私の存在を確かめてくるように肩口に顔を擦り寄らせてくる。そんな葉月を私も抱きしめ返す。
離さないようにギュッと腕の力を強めてくる葉月を見ると、私のことが好きなんだっていうのが伝わってくる。
葉月にとって、私はもう大切な人なんだって、ちゃんと分かる。
そっと抱きしめる腕を緩めて、少し体を離した。葉月の頬に手を添えて覗き込むと、きょとんとしたような目で見てくる。
「んー?」
「可愛いなって思って」
「花音の方が可愛いもん」
「葉月の方がもっと可愛いよ」
「花音の方だもん」
むーって納得できないのか少し頬を膨らませている葉月の方が可愛いよ。
ふふって笑うと、額をコツンと合わせてきた。嬉しそうに、目元を緩ませている。
「それ、好き」
「ん?」
「笑ってるの、好き」
そんなことを唐突に言ってきて、私の顔が急激に熱を帯びていく。そんな私の反応に満足したように葉月も笑っていた。
ズルいなぁ、もう。
「不意打ちだよ……」
「えへへ。真っ赤なのも可愛いから好き」
「……不意打ちだよ」
そんな幸せそうに何度も言われると、私の心臓持たないよ。
そのまま葉月は顔を近づけてくる。その意図が分かって私も素直に応えると、柔らかい暖かな感触が唇に触れてきた。
ああ、本当に敵わない。
その熱が伝わってくるのがたまらない。
葉月が私のことを好きだよって、その熱でも伝えてくる。
悩んでいたのがバカみたいに思えるくらいに、その熱に溶かされる。
目をゆっくり開けると、そこにはやっぱり幸せそうな葉月の笑顔。
愛しくて愛しくて、その気持ちで胸はいっぱい。
そうだね、一花ちゃん。
今、葉月が好きなのは、ちゃんと私。
今、この笑顔にしているのは、間違いなく私。
ちゃんと伝えれば、葉月はちゃんと望んでくれる。
「あのね、葉月」
「ん?」
いきなり名前を呼んだからか、またきょとんとした目を向けてくる。
「私ね」
「うん」
「もっと、触れたい」
「うん?」
やっぱり恥ずかしかったから直接的な言葉を出せなかったけど、訳が分からなそうに、葉月は目をパチパチと瞬かせた。その様子が可愛くて、クスっと笑ってしまう。
「葉月も早くそうなって?」
「何の話?」
やっぱり気づかない。でも答える代わりに今度は葉月の頬に口づける。
「花音?」
また答える代わりに、今度は額に口づける。
頬に手を添えて、葉月の顔を至近距離から覗き込むと、分からなそうにパチパチと目を瞬かせていた。
その想いを、葉月にちゃんと気づいてほしい。感じてほしい。
「ちゃんと待つから」
「待つ?」
葉月が、私に触れたいって思ってくれるまで。
「でも、あまり遅くなっちゃだめだよ」
私の理性がもたなくなるからね。
「葉月にもちゃんと私を求めてほしいけど、それ以上に私は葉月を求めてるから」
最後にまた触れるだけのキスを唇にすると、「うんん?」と分からなそうに首を傾げながら見つめてくる。
「どういう意味~?」
「ふふ、やっぱり葉月は鈍感だね」
「むー、もう鈍感じゃないよ。花音好きって自覚してるもん」
「それはもうちゃんと伝わってるから安心してね。私も葉月が大好きだよ」
「じゃあ、今の意味ちゃんと教えて~?」
「それはちゃんと葉月に考えてほしいから、教えないよ」
「むー。じゃあヒント」
「そうだなぁ。私はもういつでも大丈夫だから、あとは葉月次第ってことかな」
遠回しではあるけど、結構分かりやすく言ったつもりなんだけどな。葉月は頭に一杯はてなマークがあるような表情をしている。
そんな様子の葉月にやっぱり笑ってしまう。
「みゃ」
一人で遊ぶのに飽きたのか、ゴロちゃんが私と葉月の間に無理やり登ってきた。そんなゴロちゃんを持ち上げて、葉月が話しかけている。
「ゴロンタ、分かる~?」
「みゃ?」
「葉月、ゴロちゃんに答えせがんでも駄目だよ。ちゃんと自分で考えようね」
「むー。ゴロンタ、花音が意地悪です」
「みゃ、みゃ」
ゴロちゃんの手足を交互に動かしている葉月は、答えが分からないからかむーっと頬を膨らませた。そんな顔しなくても大丈夫だよ。
「大丈夫だよ、葉月」
「んー?」
ふふって笑ってゴロちゃん越しに、葉月の頭を撫でてあげる。
大丈夫。
葉月はちゃんと気付くよ。
ちゃんと感じてくれるよ。
「葉月が私のこと好きだって言ってくれてるから、大丈夫」
きっと遠くない未来に、葉月も私と同じように求めてくれる。
私の言っていることを本当に分からなそうにしている葉月が可愛すぎるから、ゴロちゃんには悪いけどまた床に戻ってもらう。ごめんね、後でおやつあげるからね。
願いを込めて、葉月に近づいてそのまま唇を重ねた。
葉月もまた私を抱きしめながら応えてくれる。
私の熱が葉月に届くように、
その熱の意味を、葉月に染みこませるように、
自分の熱を葉月に与える。
少し顔を離すと、いつもみたいに幸せそうに笑う葉月の笑顔。
その笑顔を見て、これは案外早いかもしれないと思えた。
葉月がくれるだろう未来の幸せな気持ちを想像していると、待ちきれなくなったゴロちゃんが「みゃ」と催促してきて、思わずまた自然と笑みが零れてしまった。
明日がラストの更新になります。
お読み下さり、ありがとうございます。