83話 胸に響く
「あたしらの部屋に、な」
ピタっとその一花の声に、体も思考も止まった。
今、一花何て言った?
あたしら?
「どうした?」
「……いやいや、どうしたじゃないでしょ?」
ついツッコんじゃったじゃん。嬉しい気持ちとか、好きだぁって気持ちも止まっちゃったじゃん。
「あのさ、今あたしらの部屋って言った?」
「……言ったな」
「つまり、一花とあたしの部屋ってことだよね?」
「そういうことだな」
……『何を今更』って顔を何でしてるのかが、こっちはさっぱりなんだけど!?
あれ、あたしがおかしいの? あたし、ちゃんと一花が考えて返事するまで戻らないって言ったよね? それを一花は答えが変わらないって突っぱねてたよね!? 学園から出る時まで、それは変わらなかったよね!? それ数時間前の記憶だよね!?
「そんなに確認することじゃないだろ。あそこはお前の部屋でもあるんだぞ?」
「ああ、うん。まあ、そうなんだけど――ってそうじゃなくてね!?」
何をそんなあっさりとした答えを返してくれてるのかな!?
あ、いやいや、待てよ。
こう一花があっさりと言うってことはさ、これ、もしかして一花の答えがちゃんと決まったって事? あれ、それだとちゃんとあたしに返事言うよね?
それを、敢えて言ってこない。
そして、さらっと『自分たちの部屋に帰る』と言った。
それは、つまり、
「もう、一花! やっとあたしへの気持ちに気づいたか! あたしのこと好きって事だよね?」
なーんて、あるわけないと思ったことを、茶化しながら笑うと、
「そうだな」
また自分の笑顔が固まった。
……
…………
……………
はあ!?
バッと一花の肩に手を置いて、あたしに振り向かせる。そこには全く全然変わらない一花の表情。うん、変化なし。
「何をする……」
「熱でもあんのかと思って」
「あるわけないだろ。あったら、こんなところまでお前を迎えに来るわけないだろうが」
「いやいや、だって、今――」
そうだなって、そう言ったよね? え、聞き間違い?
……そうかもしれない。あたしが聞きた過ぎて、幻聴だったのかも。
ハアと目の前の一花が、軽く息をついた。え、呆れてんの!?
「今のが答えだ」
「は?」
「だから、今のが答えだ。分かったら、さっさと帰るぞ」
あたしの手を軽く握って肩から降ろさせてから、簡単に離してしまう。
って、ちょおっっっと待ったあ!?
はあ!? 答え!? どこが!?
「待った待った待ったあ!! 何、どゆこと!?」
「どういうことも何も、答えだって言っただけだ」
離れようとした手をあたしがまた掴むと、疲れたようにまた一花があたしを見上げてくる。そんな顔されてどう解釈しろと!? むしろ疑問だらけなんだけど!?
「答えって何さ!? どこがどうそれが答えになってんの!?」
「揺らすな。叫ぶな。ちょっとは落ち着け」
「落ち着けるはずないでしょ!?」
なんでそんな一花の方が冷静なのさ!? 余計さっきの『そうだな』って言ったことが嘘くさく感じ――
待てよ? 嘘?
……なるほど。そういうことか。
あたしは一花から手を離して、真っすぐ見据えた。一花は怪訝そうな目で見てくるけど、あたし分かっちゃったから。
「いきなり落ち着いたな?」
「あのさ、一花……さすがにそれはないよ」
「は?」
いや、『は?』じゃないでしょ、『は?』じゃ。それはない。さすがにあたしも傷つくって。
「一花がそういう嘘ついて、あたしのことからかうとは思わなかった」
「……あー、えーと、舞?」
「さすがにあたしだって傷つくって。あたしが好きとか、そういう嘘はさ」
「嘘じゃないんだが?」
また一花がなんか言ってるけど、嘘じゃなければなんだっていうのさ? 信じる要素がどこにもないじゃんか。常に元気いっぱいのあたしでもさ、前向きにいつも考えるようにしてるけどさ、さすがにヘコむって。しかもさっきまであのバカ男の相手もしてたわけで、疲れてる時に。
それってつまりさ……
「もうあたしのことを考えたくないってことでしょ? あたしを好きだとか言って、ぬか喜びさせて満足させて、それで一時しのぎみたいにして」
「いや、だからな?」
「そうやってあたしをあの部屋に戻して、一花は寮から出ていくつもりってことじゃん」
「想像力たくましいな!?」
誰でも想像つくよ、こんなこと!
でもぜーったい、あたしはまだあの部屋に帰ってやんないから! 一花がちゃあんとあたしのことまだまだ考えて、どう思っているかをちゃんと考えてくれるまで!
「無駄だから! あたし、帰らないからね!」
「ああ、もう! だから、嘘じゃないって言ってるだろうが!」
ガッと今度は一花があたしの両腕を掴んでくる。ものすっごく疲れた目で見てくる。
ほら! それのどこがあたしを好きな顔だっていうのさ!? いつもの一花の顔だよ!
ムカ―っと苛つきが胸の内から広がっていく。
「どこが嘘じゃないのさ!? いきなりあたしのことを好きって一花が言う筈ないじゃんか!」
「勝手に決めるな! この答えをお前は待ってたんじゃないのか!?」
「待ってるよ! 待ってるけど、こんな急に変わるはずないでしょ!?」
「それはっ……そう、なんだが……」
ほら、一花だって納得してるじゃんか! それにさ、さっきだよ、さっき! あたしに一花が言ったこと!
「さっき学園のエントランスホールで、一花が言ったんだよ! あたしをそう言う対象で見れないって! さっきだよ!? それが数時間後になんでいきなり真逆の答えになるのさ! ありえないじゃん!」
「そ、それは……それもそうなんだが……」
ほらほら! 一花だって答えに詰まってんじゃん!
「だから却下だから! もっとあたしのこと考えて、ちゃんとあたしへの気持ちを考えるまで、あたしは一花の答えは受け入れないからね!」
「……ハア」
ゆっくりと一花があたしの腕から手を離した。ほら手を離したってことは、そういうことじゃん! あたしに良い事言って部屋に戻させて、さっさと自分は実家に帰るつもりだったってことじゃん!
「お前は……」
「無理だから!」
「まだ何も言ってないだろうが!?」
何かを言う前に、ちゃんと否定しておく! あのね、あたしは引き下がんないよ!
腕を組んで、ふんっと一花から目を逸らしてやった。これ以上は誤魔化されない意思表示。
「……全く……イエスでもノーでもお前はあたしの予想通りに動かないんだな」
ボソッと疲れたため息と共に呟いた一花に、ムカムカムカっと苛立ちが募りっぱなしだ。ええ、ええ、そうですよ! 一花の思い通りに動くもんか! そもそもさ、一花が自分の気持ちにちゃんと正直に行動してたら良かったんだよ!
「……仕方ない」
無言を貫いていたら、また一花の呟く声が聞こえてくる。
これは……一花が折れたので――
グイっと、また腕を引かれた。
身体が、よろけた。
一花の方に、顔を向かせられた。
え、ころ――
フニッと柔らかい感触が、唇に当たった。
――――は?
柔らかい感触は一瞬で離れて、でも目の前には一花の顔がある。
え、え? 何? どういう?
困惑中のあたしをよそに、あたしを間近で見つめてくる一花の目。
「これでどうだ?」
……はい?
「……」
「おい?」
……いや、いやいやいや……いやいやいやいや!!
え、え!? 何、これどういう状況!? 今、一花何したの!?
でも声が出てこなくて、パチパチパチと困惑絶賛中の瞬きを繰り返して一花を見ることしか出来ない。
その一花は、真っすぐにあたしを見てくる。
感情を読み取れない。
囁き声で、一花が口を開いていく。
「……確かに、お前の言うとおりだ」
「……え?」
「急だったかもしれない、さっきまであたしだって答えを変えるつもりなんてなかった」
そう、だよね。あたしもそう思ってる。今でも、そう。
「変える必要も感じなかった。そういう生き方を、あたしは選んだと思っていた」
自嘲するような一花の言葉。
「あたしはお前が喜ぶようなことを出来ない。この先絶対傷つける。そういう未来を恐れている」
そんなことない。
そんなことないんだよ。
でも今は一花の言葉を遮っちゃいけない気がする。
「自分の家族も、葉月も、レイラも、あたしの周りにいる人間を、傷つけるかもしれない未来が怖いんだ」
そんな未来はこない。
一花は優しいんだから。
そう信じてほしいって、あたしは思ったんだよ。
「今でも怖い。本当はお前からも家族からも離れたくて仕方ない。そうすれば、絶対お前もみんなも傷つける未来はこない」
一花の自分を責めるような声に、一気に胸がギューっと締め付けられる。
伝えないと。
ちゃんと伝えないと。
そんなことはないんだよ。
あたしも一花の家族も、葉月っちも花音もレイラも、そんなこと思ってないよ。
「でもな、言われたよ」
「え?」
やっと声が出たと思ったら、目の前の一花が目元を緩めて優しく笑った。
今まで見たことない、一花の笑顔で、
「ここが現実だってな」
力強いその言葉と、初めて見る一番心安らいでいる一花の笑顔で、
「ここが現実で、そんな未来がこないように守ればいいって」
つい、見惚れてしまう。
「それを言われて、思い出したのはお前のことだ」
ドクンと、心臓が騒がしくなってくる。
「お前を傷つけるあたしになりたくない」
……それって。
「だから、これが答えだ」
ゆっくりと、一花が体を離していく。
見惚れてしまうぐらいに優し気な瞳をして、あたしを見つめながら一歩離れていく。
でも、分かってしまう。
今の一花の言葉は、
その声は、
「お前が好きだった、そのことに気づいたっていう答えだ」
本気の、一花の答えだ。
ヘナヘナっと体から力が抜ける。
立っていられなくてその場に座り込んでしまう。
そんなあたしを見て、少しおかしそうに一花はまた笑ってくれた。
「まだ嘘だとか言うなよ?」
どんどん頬が熱くなってくる。
嘘、嘘だ。そう言いたかったのに、先取りされた。
ほんっと、ズルい。
こんな、こんな告白するのズルい。
そんな顔で言われたら、そんなの信じるしか出来ないじゃん!
さっきまで疑問だらけだったのに、
そんなの信じられるはずないのに、
そんな顔で、
そんな声で言われたら――
「し……」
「し?」
「信じるしか、ない、じゃんかぁ」
込み上げてくるものがある。
目が熱くなってきた。
ハアと一花が困ったように笑ったまま息を吐いて、座り込んでるあたしの頭に手を置いてきた。
「なんで泣くんだ……」
「だって、だってぇぇ……」
「本当にお前は思い通りにならないな」
一花が悪い!
一花が悪いんだよ!
ポンポンとあたしの頭を撫でてくるそのあったかい手に、また涙が溢れてくる。
「まあ、信じてもらえて何よりだ」
「はあ!? 信じる要素、ながったじゃん!!」
「泣くか怒るかどっちなんだ……」
「一花が悪い!」
「全く……怒る方を選ぶのか」
怒るよ、それは! そもそもさ、最初のあたしを好きだとか言う前のやり取りで、どう信じろっていうのさ!?
……あれ? って、そういえばさっき!?
「ファーストキス!?」
一花、さっきキスしてきた!?
続けての告白で一瞬忘れそうになってた!
うそ、嘘ぉ!?
「なんでいきなりキスしてきたのさ!?」
「落ち着かせるのと、お前が信じるようにだが?」
「はあ!?」
めっちゃ冷静な一花に動揺しちゃうんですけど!?
でも、でもさあ! キスはこう、もっとこう! ちゃんと嬉しくてムードがあって、そういうシチュエーションってものがあるんじゃないの!?
「なし! 今のなし!」
「は?」
いやいやだから『は?』じゃないでしょうが!
「ちゃんとキスしてよ! あんな不意打ちじゃなくて、ちゃんとこう、あたしが実感できるように!」
ああ、もう! 何これ! 告白とか、キスとか、ちゃんとした答えだとか、あとさっきの一花の笑顔めっちゃ可愛いとか! 色んなことが一気に起こってまたパニックだよ!
その一花はやっぱり溜め息をついていた。
「なんというか……本当、お前は忙しないな」
「なっ、一花のせいじゃんかぁ!?」
誰のせいでこうなってると思って――
またいきなりグイっと制服の襟を引っ張られて、一花の柔らかい唇が重なってきた。
だ、だから、不意打ちぃ!?
柔らか……とか、あったかい……とか、そんなの感じるのも一瞬で、またすぐに一花の唇は離れていく。
ハクハクハクと口を動かしていたら、目の前で一花がフッと微笑んだ。
「これでいいか?」
さっきと同じように聞いてくる一花に、言葉が出てこない。
な、なななな、ななななぁ!? 積極的!? いきなり積極的すぎない!?
「まあ、お前もまだまだ実感できないだろうから、少しはあたしも努力をしてみるとするか」
「……は?」
「あたしでも、いきなりコロッと実は好きでしたって言われても信じないしな」
「いや、いやいや信じる! ちゃんと信じる!」
「こういうことやってけば、お前でもさすがに実感できるだろ」
だから、積極的過ぎぃ!? 数時間前までの一花の塩対応ぶりと、確かに豹変しすぎだけど!
でも、さ。
「とりあえず、さっさと帰るぞ」
そう言って、手を差し出してくる一花。
「あたしがお前の恋人だって、お前自身が確かめていけばいい」
そのはにかむ笑顔が、本当に可愛くて。
「ちゃんとお前を守ってやる」
今までに聞いたことないくらい、優しい声で。
「傷つけるかもしれない未来のあたしからも、お前を害する誰かかからも」
力強い、頼もしくてかっこいい言葉で。
「だから、もうあたしの前で泣くな」
心の中から思っている願いだと伝えてくれて、
ああ、これは一花の本当の気持ちだって、信じることが出来る。
胸が熱くなるのを感じながら、一花の差し出してくれた手を握った。
その優しい声音と、
安心したような顔と、
あったかい手の温もりを感じる。
ちょっとは、
ちょっとは一花も変われたのかな。
ちょっとは一花は、自分を許すことが出来たのかな。
あたしが、一花をそういう風に思わせることが出来たのかな。
「だから……なんで泣くんだ?」
「ちっ、違う! 嬉し涙! これは嬉し涙だから!」
ちゃんと信じれるよ。
一花の気持ち、今、信じれるよ。
あたしを守るって言ったその言葉が、
その声が、
そのあったかさが、
すごく胸に響くから。
一花はまだ全部を自分で許してないかもしれない。
まだ自分を責めているのかもしれない。
だけど、今の一花の顔は、あたしに気を許している顔だと感じるよ。
「ああ、ほら! 帰ろ! 花音にとびっきり美味しいコロッケ作ってもらお!」
「葉月に取られると思うがな」
「そこはほら! 一花がちゃんと止めてよ!」
「あのな……何度も言うが、あたしはそういう意味でのストッパーじゃないんだよ」
「恋人なんでしょ、あたし!? 恋人のご飯を守ってよ!」
「都合良いな、恋人……」
嬉しさと、急展開すぎる状況と、そのあったかさとでフワフワとした感覚だけど、
ちょっとは一花のことを変えれたらいいなって思う。
そういうあたしでありたいなって思う。
もっともっと、一花のこと分かりたいなって思う。
「あ、でもさっきの不意打ちみたいなキスなしだから!」
「分かった分かった。じゃあ、今度はお前からすればいい」
「あ、あたしから!? 難易度いきなり上げないで!?」
「いっつもお前からしようとしてきたくせに、今更何を言う?」
「そそそそれは、ほら! ほっぺじゃん! ほっぺだったら、難易度軽いかなって思ってたんだよ!」
「軽くも何もないと思うが?」
手をギュッと握って、たわいもない話をする。
この手のぬくもりが、幻じゃないといい。
一花のそうやってくだけた表情を見るだけであたしの心は嬉しくなる。
もっと、
もっともっと、
一花の心を、掴みたいって思う。
「なんだ?」
「え!? べべべ別に!」
「……分かりやすすぎる」
本当に好きだなぁと思って、つい隣にいる一花を見ていたら、呆れたように肩を竦めていた。
幻じゃないといいなって思っただけだし!
一花もさっきより強く手を握り返してくれて、ちょっとドキっとした。
「さっさと行くぞ。部屋に葉月たちを置いてきたままだ」
「え!? じゃあ、早く帰らないとやばいじゃん! ゴロンタとの追いかけっこでもされてたら、あたしらの部屋が滅茶苦茶にされる!」
「そういうことだな」
一花の手の温もりを感じながら、二人で駆け足で急いだ。
あたしらの部屋に帰るために。
やっぱりもう一話追加したいと思ったので、あと三話にします!
お読み下さり、ありがとうございます!