78話 レイラの心配 ― 一花Side
「あら? そういえば、舞はどこですの?」
花音が作ったチャーハンをものの数分で平らげたレイラが、やっと気づいたと言わんばかりに部屋を見渡している。お前……今頃気づいたのかよ? どんだけ花音の料理に夢中だったんだか。
ハアと呆れつつレイラを見ると、「なんですの、その目は?」と突っかかってきた。あははと苦笑いしながら、花音がレイラにお茶を渡している。
「もうすぐ帰ってくるとは思うよ。生徒会の用事で買い出しを頼んだの」
「こんな時間までですの?」
「手伝うって言ったんだけど、大丈夫だって押し切られちゃって」
その様子が目に浮かぶ。大方、花音たち生徒会メンバーを置き去りにしたんじゃないか? レイラもそう思ったのか、呆れるような溜め息をついていた。
「舞の勢いには誰もついていけませんわね」
「そう~?」
「葉月には言ってませんわ。というか、さっきから何やってるんですの? なんか後ろに引っ張られるんですが?」
「ゴロンタが楽しいみたい」
「は? ぎゃあああ!! ちょちょちょ!! なんで髪にじゃれついてるんですのよ!?」
それも今頃気づいたのか? ずっとお前のその立派な縦巻ロールにゴロンタが夢中になってたんだが。葉月は葉月で面白がって、その髪にまたたび風の匂いが出るスプレーを吹きかけてたし。
「ゴロちゃん、悪戯はもうやめようね。こっちおいで?」
「みゃぁ」
「ひぃぃ!! 花音の方に行きなさいな!! わたくしの髪は遊び道具じゃありませんのよ!?」
「え?」
「なんで『え?』とか言うんですのよ!?」
葉月の心底驚いたような表情にレイラが喰いついている。葉月の中でのレイラのポジションが子供の頃に戻っているような気もするな。いいことだ。
「一花も! 分かってたなら止めてくださいな!?」
「必要ないだろ?」
「あなた、葉月のストッパーは卒業しないって言ってたじゃありませんの!?」
「何度も前から言ってるが、そっちのストッパーじゃないんだよ」
「みゃあ」
「ぎぃやぁぁぁあ! こっちにこないでくださいなあ!」
「はいはい、そこまでにしようね、ゴロちゃん。葉月もそのスプレーかけるの止めようね」
「ちぇ」
花音の言うことはすぐ聞く葉月と、ゴロンタを無理やり抱っこして落ち着かせている花音に、レイラが部屋の中を逃げ回るのをやめて、「酷い目に遭いましたわ」と息をついていた。
お前がいつまでもそんな反応するから、葉月は面白がるんだけどな。昔から言ってるんだが、こいつは全くあたしの言葉を覚えてないんだろう。そんな恨みがましい目で見られても困るんだが?
「なんであなたはそうなんですのよ?」
「いきなりなんだ?」
「わたくしが葉月に遊ばれても、あなたはいっつも素知らぬ顔で本を読んでいるではありませんの!」
葉月に遊ばれている自覚があったことに驚きなんだが?
「そう思うなら、少しは落ち着いて対処したらどうだ? 葉月の悪戯なら、お前だって慣れっこだろ?」
「慣れるわけないでしょう!? 葉月のやること為すこと、突拍子もなさすぎるんですのよ!」
「え?」
またまた葉月が不思議そうにレイラを見ていた。葉月にとっては普通のことだからな。またたび風の匂いがする花の香りの調合も、どうやって見つけ出したんだか。予想の斜め上をいく思考だっていうのはレイラと同意見だが、レイラもいい加減慣れろと言いたい。
そのレイラは、葉月にまた何かされないかとビクビクしてるが、不意にその目が寂しげになった。
「……わたくしは一花のようにできませんわ」
「は?」
いきなりどうした?
「一花のように、葉月のやる事に慣れることも出来ませんし、一花のように、何から何まで上手く立ち回れないのも分かってます」
「レイラちゃん?」
レイラのいきなりの自分を卑下する発言に花音が驚いている。あたしもだ。葉月もレイラがいきなりそんなことを言いだしたのが不思議だったのか、目をパチパチと瞬かせていた。
「ですが」
キッと睨みつけるように、今度はあたしを見てきた。なんなんだ、一体?
「上手く出来ないかもしれませんが、それでも今なんとかやっていますわ!」
何の話か、さっぱり分からんのだが?
「お前、何が言いたいんだ?」
「分かりませんの?」
さっぱり。
「あなたが自分の時間を大切に出来るように、自分の気持ちを優先してもいいように、わたくしだってやれることはあるってことですわよ」
――は? あたしが?
「なんであたしが?」
「一花は色んなことを背負いすぎですわ! 勝手に!」
「いやいや、さっきからなんだっていうんだ?」
なんか話題が変わってないか!? なんであたしの気持ちとか時間とかそういう話になってるんだよ!? 背負うとかそういう話の流れだったか、今!? しかもなんでそれでお前がキレてるのか、訳分からん!
困惑しているあたしに気づいたのか、何故か花音の「レイラちゃん、落ち着いて?」と宥める声が聞こえてきた。
「あのね、レイラちゃん。一花ちゃんはレイラちゃんが今何をやってるのかよく分かってないと思うよ?」
「え? わたくし、この前言いましたわよ?」
「あーその、なんで宝月さんが入っている刑務所の管理とか、鴻城のおじい様にどうしてそれを頼むことになったとか、そういうのは言ってないんでしょう?」
「言いましたわよ、わたくし? 源一郎さんに任されてるって」
ああ、まあ、確かにそんなことを言ってたこともあったかもな。なんでレイラにとは思っていたが、どうせ源一郎さんのことだからレイラのフォローはしてるだろうと、そこまで気にしていなかった。
困ったように笑ってから、花音がレイラからあたしに顔を向けてくる。
「あのね、一花ちゃん。レイラちゃんは一花ちゃんの為に、鴻城のおじい様に頼んだんだよ」
「……は?」
「レイラが~?」
全くの予想外の花音の言葉に、あたしもそうだが葉月も訳分からなそうに首を傾げるしか出来ない。あたしの為?
「一花ちゃんの負担を減らしたくて、だから今レイラちゃんは色々と忙しいし頑張ってるの」
「ふんっ!」
レイラが何故か恥ずかしそうに腕を組んで、あたしから顔を背けていた。照れ隠しのつもりか? いやでも、あたしの負担を減らすってどういうことなのか、さっぱり分からないんだが?
「なんでまたそんなことをレイラがするんだ?」
「っっっ一花が悪いんですのよ!!」
今度はキレ始めた。
「わたくし、聞きましたわ! 涼花さんに! 葉月に昔したことも、それで悩んで自分を責めていることも!」
……また姉さんか。なんで舞だけじゃなくて、レイラにまで余計なことをペラペラと。
「……あのな、お前が知らなくてもいいことなんだよ。忘れろ」
「そういうところですわよ、そういうところ!!」
どういうところだよ、というツッコミはしないで、また盛大に溜め息をつく。
レイラはそんなあたしの態度が気に入らないのか、興奮した様子で捲し立ててきた。
「いっつも、いっつもいつも! あなたはそうやって達観して、全部お見通しみたいな態度で! 全っ部自分でなんとかしようとして、自分を責めて! そういう所が腹が立つんですのよ!」
「だからってお前に何が出来ると言うんだ……」
「ほら! そうやって勝手に自己完結して! わたくしだってやれることはあるんですのよ! あなたが苦しんでる時も、ちゃんと言ってくれればよかったではありませんの!」
「あの時のお前に誰が相談できるって言うんだ? それにあの時はお前が離れるのが正解で……」
「そんなの分からないじゃありませんの! 確かにわたくしは逃げましたわ! ええ、ええ! 自分可愛さに逃げましたとも! ですが! 言ってくれれば、わたくしだってちゃんとあなたと葉月とも向き合えたかもしれないって今は思いますわ!」
そんなの、もしもの話じゃないか。そんなことをいつまでも言っていたらキリがない。
「そんな出来なかったことの話をしても意味ないだろ」
「そうですわね! だから、わたくしは今! あなたから全てを奪ってやりますわ!」
……どこをどうしてそこに行きつく?
全く脈絡なくそんなことを言いだしたから、若干呆れるようにレイラを見ると、ふんっと今度は偉そうにふんぞり返っていた。
「あなたが今までやってきたことを、全部全部わたくしがやってみせますわ! 時間はかかるかもしれませんが、それでもわたくしはやってみせます!」
「あたしがやってきたことを全部、お前が出来る筈がないだろうが……」
主に葉月を止める事をやってきたが、それに伴ってあたしが今まで何をやってきたかこいつは本当に分かってるのか?
警察への根回しもそうだし、部下を使っての周囲の情報収集。源一郎さんや沙羅さんたちへのフォローを兼ねての報告。葉月に飲ませる薬の成分、用量の把握。その他にも色々と面倒くさいこともやってきた。
絶対レイラには無理だ。
そんな無謀なことをする前に、学園を継ぐための勉強とかに力を入れた方がいいんじゃないのか? そもそも、レイラがそんなことをする必要全くないんだし。
だから、意味のないことに時間を使うなと言おうとして――
「あなたに無理だと言われても、わたくしはやりますわ! そうでもしないと! あなたは自分のことを考えないではありませんの!」
――涙目になりつつあるレイラの言葉が脳に響く。
「ずっとずっと葉月のこと、わたくしのこと! それに源一郎さんや涼花さんたちのこと! いつもいつも自分の気持ちを後回しにしているあなたには! こうでもしないと、自分のことを考えないじゃありませんの!」
これはレイラの心配か……そのことにやっと気づいた。
「だから、全部わたくしが奪ってやりますわ! そしていつまでもそんなバカバカしいことを悩んでいるあなたを鼻で笑ってやりますとも!」
全く笑ってないレイラが、一気に話したせいか少し息を荒げていた。
バカバカしいって、お前がやっていることの方があたしにとってはバカバカしく感じてしまうが……いやでも、レイラが心配しているのは伝わってくる。
……いらない心配だが。
「だから……だから、一花はもっと自由にやりなさいな」
――それが言いたかったのか、お前は。
「いつまでも引き摺ってないで、自由に行動すればいいんですのよ。わたくしだって源一郎さんだって、涼花さんたちだっているのに……なんであなたは自分を縛っていますのよ……」
それが戒めだからだ。
あたしにとっての戒め。
誰が許そうとも、自分自身が許さない。
そうしないと、立っていることも怪しくなる。
あたしは自分が善人じゃないと知っているから。
「あたし自身が決めたことだ」
「っ……」
頑ななあたしの返事に、レイラが歯を食い縛ったのが分かった。
でも変わらない。
あたしの気持ちも、自分を信じることも出来ない。
だから、縛るんだ。
葉月と花音はさっきから黙ったまま、あたしとレイラの会話を聞いていた。口を挟んでこない。
「レイラ……お前がそんなことをする必要はどこにもない」
だから、あたしはちゃんとレイラに伝える。
「お前はお前の未来を考えろ。学園を継ぎたいんだろう?」
レイラがあたしのやっていることを背負う必要はどこにもない。
「今までのことも、これからのことも、ちゃんとあたしが自分で決めたことだし、決めることだ」
葉月を殺そうとしたことも、
これから先、
自分が幸せを掴む未来を選ばないのも。
「お前が背負う必要はどこにもない」
そう言い切って、眼鏡を外した。
美鈴さんと葉月が作ってくれた眼鏡だ。
絶対壊れない、大切なもの。
そして、いつでもあたしが自分でしたことを思い出すためのもの。
これがある限り、あたしは自分が善人じゃないことを思い出せる。
「……馬鹿だなぁ、いっちゃんは」
昔の葉月の声がして、眼鏡をまたかけようとした手が止まる。
顔を上げると、
そこには子供の頃の、葉月の笑顔があった。
お読み下さり、ありがとうございます。