63話 許せるわけない
卒業式後の話です。
『愛さないでよ……誰も、私を愛さないで……』
葉月のその言葉を聞いて、体が動かなかった。
『私のせいで…………パパ……ママ……死んじゃった』
ずっと隠していた葉月の本音。
『私のせいで、私を守ったせいで! 2人は死んじゃったんだよ!』
ずっと一緒にいたのに、気づけなかった。
『みんな、愛してるって言って、私を守って死んでいくんだよ!』
何度も何度も、あの時、前世のことも、言っていたのに。
『愛されて、守られて、みんな、いなくなるならっ……私が死ねば、誰も死なないっ……!』
そんなことを考えていたなんて、想像もしていなかった。
美鈴さんたちがいなくなって、
それが耐えられなくて、
だから、2人を求めていると、そう思っていたんだ。
だから、死のうとしているって、
そう思っていたんだ。
■ ■ ■
「そうか……」
どこか安心したような、でも辛そうな源一郎さんが息をついた。隣では泣きそうになりながら、口元を手で押さえている沙羅さんもいる。
さすがに葉月がいなくなったと聞いて、いてもたってもいられなかったんだろう。魁人さんはさすがに海外にいるから、今はいない。
葉月の本音を伝えたら、みんながみんな、嬉しいような、でも気付けなくて申し訳なさそうな表情になっていた。病院の母さんの部屋でみんなに紅茶を出してくれたメイド長も、心なしかいつもの無表情じゃない気がする。
あたしもだ。
ついさっき、葉月は時計塔から飛び降りようとしていた。
それをあたし、生徒会メンバー、レイラ、舞、そして花音が止めた。
いや、花音一人で止めたといっても過言ではない気もする。
その時に吐露していた、葉月の本当の気持ち。
何故死にたいのか、どうして源一郎さんたちを遠ざけていたのか。
全部が、あの時の言葉に込められていた。
『愛されて、守られて、みんな、いなくなるならっ……私が死ねば、誰も死なないっ……!』
ずっと、ずっと葉月はそう思っていたんだ。
自分がいるから、みんなが死ぬと。
自分の存在が、邪魔だと。
「私たちは、葉月のことを何も理解していなかったんだね」
苦笑して、源一郎さんはこの場にいるみんなに伝えるように呟く。
「美鈴と浩司君に申し訳ないな」
「そんなっ……お父様、それは違いますわ……」
「ええ、そうです。まさか葉月ちゃんがそう思っていたなんて……誰も気づきませんよ」
母さんの言葉に、あたしもギュッと拳を握りしめる。
誰よりも傍にいた。
誰よりもあいつのことを理解していると思っていた。
でも、気づけなかった。
あいつが美鈴さんたちのことを大好きだからだって、そればかり考えていたから。
「……すまない。あたしが、さっさと気づけばよかったんだ」
「一花ちゃんのせいじゃないよ。一花ちゃんのせいじゃない……私たちが、勝手な思い込みをしていたからなんだ」
フォローするように源一郎さんは言ってくれる。
葉月が死ぬことを選ばなかったのは嬉しい。嬉しいさ。
花音が止めてくれたことにも感謝している。
でも、それでも、もっと早く気づいていたならって思う。
機会は何度でもあったはずだから。
「一花ちゃんには本当に感謝しているよ、私も沙羅も、そして魁人も」
「……え?」
「今までずっと、葉月を支えてくれたのを知っているから」
ソファから立ち上がった源一郎さんが、あたしの前まで歩いてきてソッと頭に手を置いた。
「君が葉月を止めてくれていたから、だから葉月は今もちゃんと生きているんだ」
「源一郎さん、でも……」
「君の責任じゃない。葉月の本音に気づかなかったのは、私たちの責任だ」
言い含めるような源一郎さんの声には、あたしが今後悔していることを分かっているのが伝わってきた。ふふっと源一郎さんは笑う。
「葉月は頭が良すぎるからね。色々な事を考えすぎてしまってたんだ。それに気づけなかった私たちの責任だ」
「でも美鈴さんたちなら――」
「きっと分かっただろう。この世界で一番葉月を理解していたのは、そして愛していたのは美鈴と浩司君だから」
――確かにそうだ。
あの2人は、本当に葉月のことを愛していたから。
それを、ちゃんとあたしもこの目で見てきたから。
「今後の課題だね。葉月が生きていることが、私たちにとっても生きる意味にもなっているっていうことを、ちゃんと伝えていかないと」
「……それは、ちゃんと伝わっていると思うぞ?」
だから、あいつは自分がいなくなればいいと思っているんだから。
ふふっと、今度こそ嬉しそうに源一郎さんは微笑んだ。
「信じてもらえるようにだよ。きっとこれからも葉月は色々と考え込んで、迷ってしまうだろうから」
「……そうですね、お父様」
「ああ、沙羅も魁人もこれからも頼むよ。美鈴と浩司君、2人に負けないぐらいに葉月のことを理解していこう」
いつの間にか立っていた沙羅さんが近づいてきていて、源一郎さんと頷き合っている。
でも、もう大丈夫だと思う。
「もう、あいつは平気だぞ」
「ん?」
「花音がいるから、もう大丈夫だ」
花音が攻略した。
葉月を、あいつを救い上げた。
あの乙女ゲームの主人公みたいに。
「ふふ、そうか。花音さんか。負けてられないな、私も。葉月にとっての大切な家族として」
「ああ、そうね。花音さんにもちゃんとお礼を言わないと」
「沙羅、前みたいに過剰なお礼は禁物だよ。それこそ葉月が嫌がるだろうから」
「分かっていますわ。ふふ、それに花音さんのお母様、とっても話が合いそうですの。今度お父様にも紹介しますわね」
「それは楽しみだね」
……なんか不穏な会話してるぞ、この2人。何をしでかすか分かったもんじゃない。まあ、話を聞く限り、花音の母親はかなりの常識人みたいだから、大丈夫だとは思うが。一応、この人たちが花音の家族に接触する時は、あたしにも一報もらえるようにしてもらおう。如月家と鴻城家、この両家と関係を持つことになると、花音が卒倒しそうだ。葉月を好きな限り、通れない道だが。
「じゃあ、蘭花さん。私たちはこれでお暇しよう。葉月のことを頼むよ」
「あら? 会われていかないんですか?」
「私はあの家で葉月を待つよ。一度話をしたいと伝えてくれるかい?」
「……ええ。分かりました」
さっきまでの少し辛そうな顔はどこへいったのか、源一郎さんは表情晴れやかに部屋を出て行った。沙羅さんも一緒に。
「さっきまで気づかなかったことにショック受けてそうだったのに、切り替え早いな」
「一花ちゃん、今更何を言ってるの? あの人、あの美鈴の父親よ? これからが大変よ。葉月ちゃんのことが気がかりで今まで静かにしてたのに、楽しそうだからとか言って色んなことに手を出し始めるわ」
「確かに……」
「美鈴でも手を焼いたのに、あの源一郎さんが現役時代みたいに動き回られると……頭が痛くなってくるわね」
「東雲家の宿命だろ?」
「ただの腐れ縁よ」
呆れたような声でツッコまれてしまったが、すぐに母さんも嬉しそうに笑っていた。
「でも、余程嬉しかったのね。あんな顔をする源一郎さんは久しぶりに見たわ。そりゃそうよね。だって、憎まれているわけじゃなかったんだもの。業界では化け物扱いされても平気だけど、最愛の孫に憎まれるのは、あの人でもさすがにきつかったはずだわ。この6……いえ、7年ね」
「そうだな……」
あの人も、沙羅さん、魁人さんも、葉月のことを愛してるから。
「一花ちゃんも、今までご苦労様」
「ん?」
「ずっとずっと頑張ってきたのを、知ってるから」
カタっと静かに席を立った母さんが、ソファの方に座り直してポンポンと横を叩いた。座れってことか? もう葉月のところに行こうと思っていたが……いや、花音がいるから大丈夫か。
ふうとあたし自身も息を吐いて、黙って母さんの隣に座る。そのままゆっくりと抱きしめられた。
「……もう子供じゃないぞ」
「子供よ。一花ちゃんは大事な大事な子供」
知ってる。分かってる。
母さんの腕を離そうとして――
「もう自分を許しなさい」
――その手が止まった。
耳元で、母さんが優しく説いてくる。
「ずっと頑張ってきたのを知ってる。それにあの時、葉月ちゃんに手を掛けたことを後悔してることを知ってるわ」
止めてくれたのは、他でもない母さんだから。
「見てきたわ。この7年。あなたがそのことに苦しんでる所も、抗おうとしている所も。でも頑張ってきた。自分に言い聞かせるように、ストッパーだって言って、立ち上がってる姿も」
だって、それは……自分の為で……
「今まで何も言わないできた。それを一花ちゃんが望んでいると思ったから。それが一花ちゃんにとって前に進むために必要なことなんだって」
そうだ。必要なことだ。
「でもね、もういいと思うの」
良くない。
「もう、自分を責めなくていいと思うのよ」
あれはあたしがした、絶対許されないことだ。
「葉月ちゃんは生きてるわ、一花ちゃん」
花音が救ったから。
「あなたが、止めてきたからよ」
最後は止められなかった。
手が震える。あたしの頭を母さんが撫でてくる。
「そのことに自信を持ちなさい」
頬を雫が流れる。体も震えてきた。
でも、母さんは優しく抱きしめて、まだ頭を撫でてくる。
「自分を責めすぎよ、今まで」
……当たり前だ。
だけど、声は出ない。代わりに涙が出てくる。
「もう十分よ。十分頑張ったし、その頑張りは報われたわ」
頑張った。
そうかもしれない。
けど、
もっと頑張らないと。
「美鈴は、責めてないわよ」
身体が震える。
息が苦しくなる。
見透かされている。
「ずっと今まで、美鈴と浩司さんに申し訳ないと思ってたんでしょう?」
母さんの言葉が、胸に、脳に、突き刺さってくる。
「葉月ちゃんに手を掛けようとしたこと、謝りたくても出来なくて、苦しんでいたでしょう?」
頭を撫でてくる温かい手が、余計苦しい。
もういないから、
あの2人はもういないから、
だからもう謝れない。
「こうやって抱きしめられることも、葉月ちゃんはもうできないから、罪悪感を持ってることも分かってるわ」
もう出来ない。
葉月はもう、あの大好きな2人からこうやって抱きしめられることは出来ない。
なのに、
あたしはこうやって家族の温かさを得られている。
ギュッと目を瞑る。
頬を流れる涙を余計に感じた。
「美鈴は怒ってもいないし、もう許してるわよ」
そんなの……そんなの分からないじゃないか。
「だから、もう自分を許してあげなさい」
――そんなの、無理だ。
だって、
あの人たちは、誰よりも葉月を愛していたんだから。
その葉月を、
殺そうとした自分を、
許すことなんてできない。
大切な誰かを、
傷つける自分を、
許せるわけないだろう。
でも、何も言葉にすることはできなくて、
代わりに涙だけが溢れてくる。
押し殺してきた感情が胸の中で暴れて、
大丈夫だとも、違うとも言えない。
気づいてくれた嬉しさと、
罪悪感と、
後悔と、
色んな感情に押し潰されそうだ。
「苦しんでる娘を助けたいのは、母親として当たり前なのよ」
「っ……」
母さんを安心させたくても、どうしても溢れ出てくる感情で胸が苦しい。
すまないと思う。
でも消えないその罪悪感を、
あたしは拭い去ることができないんだ。
「何度でも言うわ。あなたは、誰よりも頑張ってきたの。ちゃんと私たちが知っている」
「…………」
「一人で、何もかも背負わなくていいの」
「っ……っ……」
「忘れないで、私たちがいることを」
耳元で聞こえてくる母さんのその声はどこか悲しそうで、だけど、あたしが考えていることを見透かしているようだった。
母さんはそれから黙って、しばらくあたしを抱きしめたまま頭を撫でてくれた。
一花視点だったので書くことは出来なかったのですが、実は廊下に涼花と優一もいて、母親と一花の会話をこっそり聞いています。
お読み下さり、ありがとうございます。




