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ルームメイトは乙女ゲームのヒロインらしいよ?  作者: Nakk
番外編 中編(一花Side)
319/366

60話 戻れない

少し流血シーンあります。

苦手な方はご注意ください。

 

『いっちゃん、行く』


 葉月のその目が、揺るがないことを分かっていた。


 花音とレイラがいなくなった。

 それも、イベントがある日の前日に。会長もだ。


 レイラはともかく、会長と花音の二人が同時にいなくなるのはおかしすぎる。何かがあったと考えるのが当然だ。


 可能性として思い浮かんだのは、前に会長の婚約者になろうとしていた、宝月(ほうづき)美園(みその)の存在。


 なんでゲームでは存在しない彼女が、婚約者になったのか。

 あたしの中で、一つの考えが思いついていた。


 あいつが、あたしと葉月と同じ存在、転生者かもしれないということだ。


 きっと葉月と違って、あいつはこの乙女ゲーム『桜咲く、光を浴びて』を知っている。そして、会長狙いだということ。


 でも、葉月が知らない内に彼女を潰した。

 いや、正確には、源一郎さんの方がだが。


 何を思ってか、葉月が珍しく頼んだらしい。自分から電話をしていたんだから。


 結果はまあ、宝月の父親の自滅ではある。よりにもよって鴻城(こうじょう)家の後継者に自分の娘を推してきたんだから。


 鴻城の権力欲しさにそんなことを言いだしたのは分かるが、鴻城家の在り方は、調停する者。権力を振りかざすことにしか能がなさそうな者に、鴻城の名前を使わせるわけがない。今の内に芽を潰すのは当たり前だろう。


 宝月美園も会長との婚約は破談になったらしいから、動向は少し気にしてはいたが、そこまで問題にならないと思っていた。


 今、この時までは。


「お嬢様、優一様からのお電話が!」

「耳に当てろ!」


 グーッと葉月の腹から出ている血を、自分の全体重をかけた手で圧迫する。思ったよりも出血が酷い。


『一花、状況は?』

「腹をナイフで刺された! 今は止血しているが、止まらない! 兄さん、指示をくれ!」

『輸血は?』

「予備があったはずだ! おい、早く輸血急げ!」


 兄さんの声を聞きつつ、周りにいる部下に指示を出す。常に誰かしら医療に携わる人間を置いているから、てきぱきと慣れた手つきで、葉月に輸血する準備をしていた。


 宝月美園が躊躇いもなく、葉月を刺した。

 想定外すぎる。


 こんなことになるなら、絶対葉月をここに連れてこなかったのに。


 あの時、宝月に刺されたあの瞬間、

 葉月は一瞬で自分の子供の声に引きずり込まれた。


 自分を殺してくれると、葉月は言った。


 その目は期待に満ちていた。


 最悪だ。さすがにあんな一瞬でここまで自我を失くすとは思っていなかった。こんなのはこいつが正気に戻ってから初めてだ。


 花音の顔を見た一瞬を除いて、全然葉月はあたしを認識していなかった。


 昔のことが蘇る。


 あたしを見て、一瞬止まって、でもすぐに死のうとする葉月の姿。

 躊躇いもなく、自分も周りも傷つけていく、地獄の光景。


 葉月の宝月を見るあの目が、あの頃を思い出させた。


 その光景が脳裏をよぎり、どうしても手が震えてくる。


「兄さん……葉月を……」

『一花、しっかりするんだ。大丈夫だから』

「血が……血が止まらないんだ」

『大丈夫だ。間に合う。絶対間に合うから』


 耳元に聞こえてくる、兄さんの励ましの言葉。今、頼れるのは兄さんたちだ。きっと姉さんも一緒に兄さんといる。


 でも、本当に不安なのは、葉月が目を覚ました後なんだ。


 戻らなかったら、どうすればいいんだ。

 葉月は助かる。

 絶対に兄さんたちが助けてくれる。


 でも、さっきの葉月の嬉しそうな声を聞いて、どうしても不安が沸き上がってくる。


『い、一花ちゃん……葉月は? 葉月、大丈夫なんだよね?』


 車に葉月を乗せる前、花音のその問いかけにあたしは答えられなかった。レイラに後を任せて、今、あたしは必死に止血している。


 舞の顔も、見ることは出来なかった。


 きっと、2人は酷く動揺している。

 あんな葉月を見せてしまったんだから。


 何も言えない。

 あたしだって、今、不安で不安で仕方がないんだ。


 さっき無理やりあたしでも使える注射器を使って、眠らせた血塗れの葉月を見下ろす。青褪めた顔色で、まるで生気がない。


 でも、今この瞬間も、葉月は目を開けて、昔みたいに嗤って、あたしを攻撃してくるかもしれない。


 死ぬかもしれない恐怖じゃない。

 あたしの中に明確にあるのは、あの時の葉月に戻る恐怖だ。


 宝月に刺された後の、あの葉月の嗤い声が、嫌でもそれを考えさせる。


 きっと、


 いや、確実に、



 あの瞬間、葉月はもう吞み込まれた。



 それは、もう、嫌でも分かってしまうことで。



 意識をもう失っている葉月に、縋りつくように絞り出した声を出す。


「葉月……」


 戻って来い。

 ちゃんと、この現実に戻って来い。


 花音がいる。

 舞がいる。

 レイラがいる。

 源一郎さんも、沙羅さんも、魁人さんも、みんないる。


「お前の現実は、こっちだ、葉月」


 周りにいる部下は、何も言わない。


「お前の現実は、こっちなんだよ……」


 花音がいるんだ。

 お前を好きだと言っている花音がいるんだぞ。


 お前だって、花音を泣かせたいわけじゃないだろ?

 さっき正気を失う前まで、お前、花音のこと気を遣ってただろうが。


 お前の中にちゃんと花音はいるんだ。


 その声が届かないことを分かっていても、伝えずにはいられないんだ。


「負けるな……自分の欲に」


 ■ ■ ■


「一花!」


 病院に到着して、兄さんたちが入口に走り込んでくる。姉さんも一緒にいる。ストレッチャーの上で変わらず止血しているあたしを見て、2人とも苦渋の表情になっていた。


 姉さんと交代で、あたしも葉月の上から降りる。ガラガラと急ぐように、葉月を手術室の中に連れて行った。そんなあたしを見て、兄さんが肩に手を置いてくる。


「一花、大丈夫だ。間に合わせてくれてありがとう。後は安心して――」

「兄さん……」


 兄さんの声を遮って、震えている自分の血塗れの手を無理やり握った。ヌルっとした感覚が、いやでも全身を駆け巡る。


 でも、事実を伝えないといけないから。


 もう、葉月のあの嗤い声で、分かってるから。



「……あいつ、堕ちた」



 あたしのその言葉で、兄さんの表情が変わる。

 あたしの言葉が分かるから。


「……今は、人命優先だ」


 兄さんも苦しそうに呟いて、すぐに手術室に入っていった。兄さんは絶対助けるだろう。でも、きっと今、頭の中では今後のことを巡らせているはずだ。


「一花ちゃん……」

「一花……」


 花音と舞の声が、耳に届いてくる。ゆっくり振り返ると、やっぱり不安そうにこちらを見てくる。2人の後ろにはレイラの心配そうな顔も見えた。2人を連れてきたのか。いや、当然だな。花音とレイラについては、さっきの乱闘にも巻き込まれている。


 だけど今、伝えることはできない。

 あいつを2人に会わせることはできないことを。


 今の2人は、葉月の命が無事なのかの不安が強いだろうから、さらに不安にさせることは言えない。


 チラッと奥にいるレイラに視線を合わせると、あたしの言いたいことが伝わったのか、悔しそうに唇を引き結んでいた。


 フウと息を吐いて、ゆっくりと自分の隣にいた部下に顔を向ける。


「こいつらを検査に連れて行ってくれ」

「分かりました」


 すぐに返事をした部下とは逆に、花音と舞がぎょっと目を見開かせて驚いていた。


「え? 一花?」

「舞もさっきの乱闘で、どこか怪我をしているかもしれない。レイラ、この2人を頼む」

「……分かりましたわ」

「ま、待って、一花ちゃん!」


 悪いが、花音。今はあたしもフォローは出来ない。

 この先に起こることの対処を、考えないといけないから。


 尚も声を掛けようとしてくる2人を無視して、あたしはみんなとは別の方向に歩き出した。


「待ってってば、一花!?」


 舞の声も無視して歩いていると、声がどんどん遠くなる。部下が無理やりみんなを連れて行ってくれたのだろう。


 その静けさが、逆にあたしを冷静にさせていた。


 また、これから、葉月を本当の意味で止める日々に戻る。

 あいつをこの現実に戻すために、眠れない日々が訪れる。


 ああ、宝月のことも何とかしないと。

 それに、源一郎さんや母さんにも、ちゃんと相談しないと。源一郎さん、絶対悲しむだろうな。


 学園も、もう行けないな……。


 ピタッと、歩いていた足が止まった。

 廊下の窓からは、真っ暗な世界しか見えない。


 そうか……もう、あの学園には戻れないか。


 脳裏に浮かんでくるのは、花音や舞、レイラと過ごしたあの毎日。


 花音の隣で、幸せそうに笑っていた、葉月の顔。



 忘れさせてくれた、舞とバカなことして笑った日々。



 舞の……あの明るい笑い声も、もう聞けなくなるんだな。



 その事実を、少しだけ寂しく想いながら、また母さんの部屋に足を動かした。


 源一郎さんも、母さんも、沙羅さんも魁人さんも、あたしが告げた事実に悲しそうに表情を歪ませていた。


お読み下さり、ありがとうございます。

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