59話 自覚させられる
「大丈夫なんですの?」
今からゲレンデに向かおうとした時に、後ろからレイラの声が飛んできた。
振り返ると、少し不安そうにあたしのことを見下ろしてくる。
「何がだ?」
「葉月ですわよ……」
レイラは顔を上げて、建物の外でスノーバイクの手入れをしている葉月に視線を向けていた。あたしも釣られてそっちに顔を向けてしまう。ルンルン気分でスノーバイクの調子を見ている葉月がそこにいる。……ああ、今日は大分調子が良さそうだ。
今日は舞に誘われて、生徒会メンバーのスキー旅行に一緒に来ている。
舞の思惑は花音と葉月に話し合いをさせることだが、本音を言うとあたしは違う。花音に協力をしたいとは思うが、葉月のストレス発散をさせることの方が重要だ。
花音には感謝している。
冬休み、花音のおかげであいつは眠れたようだ。それ以降、子供のあいつの声に引っ張られることが少なくなった。花音がそばにいることで、滅茶苦茶安心しきって寝ている葉月を見て、こいつ、いい加減自分の気持ちに気づけよ、とは思ったが口には出さなかった。
それに、葉月は自分で不安がっているようだ。昔みたいになることを。
兄さんとの部屋の会話を聞いて、そう何となく感じた。
そりゃ不安になるだろうさ。あの状態の葉月は記憶が飛んでいる。覚えていない。いつのまにかあたしに拘束されているんだ。
でもそれはあたしたちも同じだ。
前回だって、正気を取り戻したのが奇跡だと思ったんだから。
「この前だって、倒れたではありませんの……」
か細いレイラの声で、この前のイベントの時のことを思い出す。
少しでも影響を受けないかと、葉月を無理やり花音と会長のイベントに付き合わせたが、気づいたらあいつは隣からいなくなっていた。本当に音も何もせず、あいつは急にいなくなった。
焦ったさ。
また声に引っ張られているんじゃないかって。
部下たちがちゃんと葉月の居場所を把握していたから、まだ大丈夫、間に合うとあいつの所に向かっていた矢先に、舞とレイラの前で葉月はいきなり気を失ったらしい。
目が覚めた葉月はヘラヘラと笑っていた。
何かを隠している目をして。
あの時、何の声を聞いたんだ? そう疑問に思ったが、葉月は何も答えないだろうと思った。
大事なことを、葉月は正気に戻ってから話さない。
美鈴さんのことも。
浩司さんのことも。
だけど、今は――
「大丈夫さ。だってあいつ、少し楽しそうだ」
困ったように笑って、後ろにいるレイラに振り向く。
今日は好き勝手にしていいと言ってある。制限はつけさせてもらったが、基本、今日はあいつがやることを止めることはしない。死のうとするようなことをしそうだったら全力で止めるが、あの調子だとスノーバイクを使って好き勝手に遊び回るつもりだろう……レイラを巻き込んで。
「あなたは?」
「ん?」
「一花は大丈夫ですの?」
被害に遭う予定のレイラに少しばかり同情的な気持ちになっていたら、そのことを知らない当人から予想外の問いかけがきた。
あたしが大丈夫? なんでだ?
「なんでそんな不思議そうな顔をしていますのよ……呆れますわね。自覚ありませんの?」
「何の自覚だ?」
「目の下の隈、酷いですわよ」
ツンツンと目の下を突いてくるから、反射的にその手を軽く払った。そんなに酷いか? 冬休み以降、前よりは眠れているんだが。
目の前のレイラはハアと溜め息を零しながら、今度は腕を組んであたしのことをジト目で見てきた。
「眠れていないのが丸わかりですわ」
「……前よりは寝ているぞ?」
「舞だって心配してましたわよ」
舞が?
「一花にも気晴らしさせたいって、そう言っておりましたわ」
「あいつが……?」
「周りに心配かけすぎですわよ、一花は。お父様だって心配しておりましたわよ? きっと、東雲家も鴻城家もそうでしょうね」
学園長も、母さんたちもか……あいつが去年怪我して以来、頻繁に頼っているんだが、それでも心配かけてしまっているのは、何か申し訳なくなるな。この旅行から帰ったら、顔を出してみるか。
まだ呆れたように見てくるレイラに、こちらもハアと息をついてしまう。お前も心配してるのか。
「帰ったら会いに行くさ。そんなに心配するな」
「その顔で言われても説得力ありませんわよ」
「本当に大丈夫だ。特に今日はな」
「? 何で今日限定ですの?」
すごーく不思議そうな顔をしているレイラを見ていると、不憫になってくる。あの葉月の様子を見て、巻き込まれないと思っているのか。こいつ、昔のこと綺麗さっぱり忘れているな。
まあ、あたしは遠慮なしにこいつを餌食に出すが。
最近では滅多に出ない元気一杯の葉月の「いっちゃぁぁん! 準備出来たよぉぉ!」という声が聞こえてきたから、軽く肩を竦めてレイラに顎で示した。
「ほら、行くぞ。あいつがお呼びだ」
「なんか怪しいですわね……行きたくありませんわ」
「あいつが大丈夫かどうか、お前自身の目で確かめたらいい」
そうすれば分かるさ。あいつが今どんな状態なのか。
渋々といった雰囲気で葉月の所に向かうレイラを見て、少し同情したが仕方ない。
お前が死ぬ前には回収してやるから、安心して葉月の玩具にされろ。
■■ ■
「いいぃぃぎゃぁぁあああ!! いぃちぃかぁ!? 早くこのバカを止めなさいなぁ!!」
ゲレンデ中に木霊しているレイラの叫び声。
隣では舞が「うわぁ……」とか言って、スノーバイクに取り付けられたレイラを見ている。
「……ねえ、あれ大丈夫なの?」
「全くもって問題ないな」
ああ、全く問題ない。下は雪だし、周りで滑っている人間全員、あたしの部下だし。危なそうだったら、葉月のスノーバイクを止めればいいだけだ。周りにいる部下たちで、スノーバイクのスピードは制限しているしな。
うんうんと頷きながら、今は遥か遠くにいる葉月とレイラをあたしも見つめた。片耳に着けているイヤホンからは葉月の声が聞こえてくる。あいつの胸ポケットに入れさせておいた盗聴器からだ。
『ひぃやっほぉぉ! レイラぁ、今度こっちにいっくよぉ!』
『いっくよぉ! ではありませんわよぉぉ!? 止めなさいって言っているのにぃぃ!!』
滅茶苦茶元気だな、レイラ。言い返す余裕があるとは思わなかった。まあ、あれでも学園長に一応護身術やら受け身やら鍛えられてるから、大丈夫か。あたしや葉月みたいに上達はしてないが。
「見ているこっちがしんどいんだけど」
「大丈夫だ。昔からあんな感じだしな」
「うっへぇ……レイラ、なんて不憫な……」
お前、全くそんなこと思ってないだろ、と思ってしまう舞のどこか楽しそうな声に呆れてしまう。「花音に美味しいモノ一杯作ってもらうから」とか言っているが、それ、お前が食べたいだけだろ。
「……ハア、あたしはもう行くぞ。さすがにあいつの傍を離れすぎるのはレイラも不憫だ。いざとなったら止めてやらないと」
「一花ってさ……めっちゃ優しいよね」
「は?」
唐突の『優しい』宣言で、スキーのストックを動かそうとしていた手が止まった。隣を見ると、舞が何故か嬉しそうにはにかんで笑っている。
「めっちゃ優しいよ」
「どこがだ?」
「だってさ、レイラのこと、ちゃんと見てるもんね」
今さっき、そのレイラを葉月の生贄に差し出したばかりだが?
「なんでそんな意味わからなそうな顔してるのさ?」
「どこをどう見て、そんな感想が出てくるんだと不思議なだけだ」
「どこをどう見ても、優しいという感想しか出てこないでしょ!」
あっはっはっと楽しそうに笑う舞。
全く分からない。レイラを見捨てているのに、なんでそんな言葉が出てくるんだ?
そんなあたしを覗き込むように、レイラから舞は視線をこちらに向けてきた。
「レイラのこと、ちゃんと考えてるじゃん。いざって時にちゃんと葉月っちを止めれるようにさ」
「それは、まあ……でも普通だろ? あの葉月に遊ばれているんだぞ?」
「あの葉月っちに遊ばれているのを見て、ちゃんと止めようとしているのが優しいってことだよ。あたしや普通の人は巻き込まれないように、レイラを見捨てるからね!」
「お前、それ堂々と言う事じゃないぞ?」
「あっはっはっ! 確かに!」
いや、だから……そんな笑うことでもないんじゃないか?
呆れかえっているあたしにお構いなしに舞はまた笑って、でも目元を緩ませて笑いながらこっちを見てきた。
「一花が優しいこと、あたしは知ってるし」
どこか重みのある言葉で、
舞はあたしに伝えてくる。
そんな舞を見て、ゾワゾワと嫌な予感がしてきた。
「あたしさ……」
続く言葉が、聞きたくない。
――やめろ。
「笑ってないで行くぞ」
「え? ちょちょ、待っ――」
「お前もちょっとは葉月に遊ばれてこい」
「は!? いやいや、あたしにはム――いぎゃあああ!?」
舞の言葉を遮って、無理やり背中を押してやった。準備する間もなく、舞の履いているスキー板が雪の上を走っていく。
「ちょぉぉぉ!? 一花のバカぁぁぁ!? 無理やりいきなり押さないでよぉぉ!?」
見る見る内に、舞の姿が小さくなっていく。……しまったな。そういえば、スキーは久しぶりだとか言ってたか。
ハアと溜め息を零しつつ、でも心臓はうるさかった。
きっと、さっきのあいつの言葉の続きはこうだ。
『そんな一花が、好きなんだよね』
……告白。
そんな空気に感じた。
「ちょちょ、止まらないんだけどぉぉ!? いぃちぃかぁ!! 助けてぇぇ!!」
ちょっと遠い舞の叫び声が聞こえてくる。
……あのな、舞。
あたしが優しいとか、どうかしている。
優しい人間はな、友達を殺そうとは思わない。
本気で殺そうとは思わない。
どんな状況でも、
環境でも、
そんなことは思わないんだ。
ストックを掴む手が、少し震えている。
傷つける人間だと、あたしに思い出させるみたいに。
「お前のことも、傷つけている……」
お前の精一杯の告白を、なかったことにしている。
最低な人間なんだ。
乾いた笑いが知らず出てきた。
「馬鹿野郎だ……お前も……あたしも……」
傷つけている事実が、あたしにあの時のことを思い出させる。
最低な人間だと、自覚させられる。
「無理だ……あたしには……」
受け入れられない。
舞の気持ちを。
だから、
だから、
頼むから、このままでいさせてくれ。
告白なんて考えず、
ただの友達のままで。
勝手な我儘を心に抱きつつ、叫んでいる舞の所に自分もスキー板を動かした。
お読み下さり、ありがとうございます。