54話 あたしはストッパーだ
『ねえ、いっちゃん……』
その声を聞いて、どうしようもなく後悔した。
目の前にはあたしが机の中にしまっていた、『乙女ゲーム』に関することを書いていたノートが開かれている。高等部に上がったころに、改めて内容をまとめていた箇所だ。
これを、よりにもよってこれを見たのか。
『ここは……現実なんだよね……?』
電話の向こうから聞こえてくる葉月の声は冷え切っていた。
久しぶりに聞くその冷たい声音に、ドッドッドッと心拍数が自然と上がってくる。
まずい。
その言葉がすぐ浮かんだ。
「はづっ――!」
問いかけようにも、葉月は電話を切った。
「ね、ねえ、一花?」
後ろから戸惑っている舞の声が聞こえてくる。でもそれどころじゃない。早く葉月を見つけないと、まずい。
今回のイベント。あたしは葉月に見せるつもりはなかった。だから行かないと言ったんだ。あいつは不思議そうにしていたが、見せるわけにはいかなかった。
覚えているスチルの映像。相手の不良はナイフを持っているからだ。
そんなの、葉月にとっては好都合だ。しかも相手は会長を暴力で怪我させるのに抵抗がない相手。ゲームでの会長は軽傷で済んでいたからと、甘く考えていた。
ここは現実なのに。
どこかゲームの世界と一緒だって楽観視してたんだ。
今の葉月は危ない。さっきの声音で分かる。あいつ、絶対死のうとする。でもどこに向かった? ゲームでは場所の記載はなかったんだ。どうやって見つけ出す?
「一花ってば!」
舞の手が肩に置かれて、無意識にビクッと体が震えた。振り向くと、心配そうに見下ろしてくる。
「ね、ねえ……大丈夫? 顔真っ青だよ。葉月っち、どこだって?」
……何をやってるんだ、あたしは。何を。
舞の不安そうな顔を見て、ギュッと心臓が掴まれるような感覚が襲ってきた。目を閉じて、ふーっと深く息を吐いていく。
落ち着け。落ち着くんだ。
大丈夫だ。こういう事態は何度もあった。あいつが正気を取り戻してからも、何度もあった。
目をゆっくり開けて、目の前の舞を視界に入れる。
いつまでも舞にこんな顔をさせているわけにはいかない。やるべきことは変わらない。
「大丈夫だから安心しろ」
「本当に?」
「ああ。ちょっと葉月を迎えに行ってくる」
「え? それじゃあ、あたしも一緒に――」
「いや、お前はここで待ってろ」
舞の言葉を遮るように、言葉を被せた。
舞を連れて行くわけにはいかない。万が一のことを考えないといけない。
無理やり笑顔を作って、今度は逆に舞の肩に自分の手を置くと、それでも心配そうにあたしを見下ろしてくる。
「本当に大丈夫だ。あのバカが何かしでかす前に、引っ張ってくるだけだ」
「で、でもさ……」
「あたしはストッパーなんだ」
そうだ。あたしは、葉月をこの現実に戻すためのストッパーだ。
「だから、お前は待ってろ。帰ってきたら、葉月にお説教でもしてやれ」
そしてまた、葉月とバカなことをやって、笑っていればいい。
「え、ちょっと、一花!?」
舞の肩をポンポンと叩いてから、足を部屋のドアへと動かす。それでも後ろから不安そうな舞の声が聞こえてきたが、それに構わず部屋を出た。さっきから振動している携帯電話を開き、部下からの電話に出ながら考える。
あいつは花音のところに向かった。
舞も言っていた。花音から連絡があったと。
そのあとに、あたしのあのノートを見て、イベント内容を知った。
きっと花音からの連絡をヒントに、居場所を見つけるはず。
考えろ。
考えろ、考えろ。
あいつが行きつく先を。あいつが導き出した答えを。
どんどん歩くスピードを速めて、寮を出た。指示通りに部下の車が入口付近に止まっている。
「……申し訳ありません、お嬢様」
「いい。怪我人はどれぐらいだ?」
「止めに入った者は全員……」
「とりあえず、その場所まで迎ってくれ。あいつの行先はそれまでに考える」
開け放たれた車のドアから入り込むと、すぐに車を発進させる。部下たちが葉月を止めに入った場所から、あいつが向かった先をまた考える。
花音と会長が食事をしたあと、不良共に絡まれる。つまりは食事できる場所。
会長が行くとしたら、近くにある鳳凰系列のレストランか。
そうだ。あいつもそこに絶対気付く。
問題は、その場所がどこかだ。
いや待て。違う。
思い出せ。思い出せ。あのゲームのスチルの背景を。路地裏っぽい場所に花音と会長は連れ込まれてた。そこに辿り着ければいい。
……待てよ。
葉月の携帯は、あいつ自身が部下をぶっ飛ばした時に捨てていった。だから、葉月の携帯の位置情報は使えない。
――じゃあ、花音は?
本当はそこまでプライバシーを侵す行為はしたくないが、背に腹は代えられない。一緒に乗り込んでいる部下が持っているパソコンを渡してもらう。カタカタと目的の花音の位置情報を探るためにキーボードを動かした。
「見つけた……」
「お嬢様?」
不思議に思っている部下を余所に、またキーボードを動かす。花音がいる場所は見つけた。あとは葉月が今どこにいるかだ。
続けて鴻城家の監視カメラを起動させる。パパパパッと画面に映像が次々と映ってくる。葉月ほど映像からの情報を深く読み取れないが、あたしだって探すくらいは出来る。次から次へと切り替わる画面を、情報を零さないように見ていくと、ある画像が視界に入り込んできた。
いた。
でも、まずい。花音の場所からかなり近い。
チッと軽く舌打ちをしてから、運転している部下に指示を出すと、車のスピードを上げてくれた。
目的の場所近くまで行くと、繁華街のせいか人も多くいる。今は鬱陶しくて仕方がない。目的の路地裏までは車が入っていけない。
「すぐに病院にいけるように車を移動させろ! 何人かはあたしと来い! 兄さんたちにも連絡しておけ!」
指示を出してから、車を降りて目的の場所まで走っていく。
間に合え、間に合え。
葉月、早まるな。引っ張られるな。
そこには、お前が大切にしている花音がいるんだ。
お前を好きな、花音がいるんだ。
だから、
あんな姿を、花音に見せるな。
でも、
駆けつけた先にいたのは、
腕から血を流して嗤っている葉月で、
青褪めて、泣いている花音で、
間に合ったのに、間に合わなかった自分が、どうしようもなく嫌になった。
お読み下さり、ありがとうございます。