44話 賭け
「着きましたけど……ここでいいんですか?」
「ああ……」
辿り着いたのは、あたしたちが住んでいる街から車で3時間ぐらい離れた場所。
駐車した場所から少し離れた場所には、この地域の中学校の校門が見える。
……ここだ。
あのヒロインが通っていた中学校の名前が確かあれだ。
前世でハマっていた時に、僅かばかりの自由になるお金でゲームの設定集も買って読み漁った記憶がある。家族にバレないように部屋でひっそりと読んでいた。
この光景も設定集に書かれていた写真と同じだ。
緊張して自然と拳をギュッと握った。
「ここに何があるんです?」
「……いいから静かにしろ」
気になるのか部下が話しかけてくるが、あたしは今それどころじゃないんだよ。
ここにいるかもしれないんだ。
ここに、あのヒロインがいるかもしれないんだよ。
丁度下校時刻なのか、さっきから生徒が次から次へと校門から出てくるのが見える。星ノ天学園は今日、午前までの授業だったからお昼には下校していたが。
次から次へと下校する生徒達を瞬きも碌にしないで見つめた。
いない。
あの子も違う。あの子も。
必死に記憶の中のヒロインの容姿を思い浮かべながら視線を動かした。
ここは現実だ。あの二次元の姿に近い人物を探すのは正直疲れる。攻略対象者達も最初は気づかなかったし。
しばらくジッと校門を見ていたが、一向に彼女が現れる気配はない。
……いないのか?
やっぱりここはあのゲームの世界じゃなかったってことか? だが……星ノ天学園と攻略対象者もいるのに……
「一花お嬢様、いつまでここに……?」
痺れを切らした部下がまた声を掛けてきた。確かにそろそろ戻らないといけないかもしれない。兄さんがいるとはいえ、さすがに長時間あいつの元を離れるのは不安になる。
もしかしたら……ヒロインがいるのならって思ったんだけどな。
そう上手くはいかないってことか……。
現実はそんな甘い夢を見させてはくれないってことだな。
そんなありもしない希望を抱いた自分に少し笑えてくる。自分達だけで葉月をどうにかしろって誰かに言われている気分にもなってきた。
「もど――」
「お嬢様?」
言葉が詰まった。部下も言いかけたあたしにまた振り向いてきたが、あたしは校門から出てきた人物に視線を止めた。
……まさか。
あれは、まさか?
カバンを持って、友人らしき人物と会話をしている女の子。
あのゲームより少し幼いし、髪も若干短い気もするが……あの顔立ち。
「いた……」
「はい?」
間違いない。
あんなに何度もやったゲームだ。
道路の向こう側を、彼女は何かを話しながら楽しそうに笑って歩いていた。
あのヒロインが、歩いていた。
ドッドッドッと心臓が騒がしくなってくる。
自分が僅かに抱いた希望が、どんどん大きくなっていく感覚がする。
いた。
いたぞ、葉月。
あのヒロインが、ちゃんといたぞ。
ギュッと心臓付近の服を掴んだ。
これで、もしかしたら……もしかしたら変えられるかもしれない。
お前を、変えられるかもしれない。
期待がどんどんと胸の内に広がる。
「あの……お嬢様?」
「車を出せ」
「は?」
「用は済んだ。戻るぞ」
顔を上げ、まだ訳が分からなそうな部下に告げた。
戻らないと。
戻って、あの人たちに伝えないと。
ポケットから携帯を取り出した。かける相手はもう決まっている。
何度かのコール音の後に『もしもし?』という声が聞こえてきた。
「母さん、話があるんだ」
電話の向こうから、母さんが『病院に来なさい』と言ってくれた。
◆◆ ◆◆ ◆◆
「それがどういう意味か分かってるの、一花ちゃん?」
「ああ」
病院の母さんの診察室で、あたしの言った言葉に目を丸くしている。
当然だ。
あたしは母さんに「高等部では葉月とのルームメイトをやめたい」と言ったんだからな。
その言葉を聞いて驚いていたが、次第に考え込むようにジッと向かいのソファに座っているあたしを見つめてきた。
「あなたが言ったのよ。葉月ちゃんからは離れないって」
「そうだな」
「自分が止めるから、葉月ちゃんは死ぬことは無いって。そう言って源一郎さんたちを説得したわよね」
「ああ、その通りだ」
「自分で言ったことを放棄するの?」
「違う。ストッパーはやめない。あいつを止めるのをやめたりしない。それはあたしが自分で決めたことだ」
「ルームメイトをやめるって言うのはそういうことじゃない?」
「母さん」
ふうと息をついて、真剣に母さんに向き直る。母さんは観察するかのようにあたしを見てきた。
母さんが心配しているのは分かっている。
これでルームメイトをやめ、あたしがそばにいない時にあいつがおかしくなったら、手遅れになったら、あたしは絶対にもう立ち直れなくなる。
だけど、
だけど、可能性を見つけてしまったんだ。
「賭けてみたいことが出来たんだ」
もしかしたら、葉月が明日を考えられるようになるかもしれないんだ。
「賭けてみたいこと?」
「ああ」
ここに来るまでの間に用意した書類をテーブルの上に置いた。
彼女の書類だ。
それを手にした母さんがさっきの厳しい顔とは違い、不思議そうにその書類に目を通した。
「えっと……この子は?」
そうだろう。
母さんには全く知らない子だ。
「桜沢花音という名前だ」
でも、彼女があたしの希望なんだ。
あのゲームのヒロインである桜沢花音は、攻略対象者達の心に寄り添い、傷を癒し、最後には攻略対象者たちを救い上げる。
彼らは彼女に会い、心を開き、前を向けるようになる。
そして攻略対象者達の一人、鳳凰翼。
彼は母親に雁字搦めに縛られている設定だ。いや、設定ではなく、この現実でもそうだろう。母親の言うとおりに生きてきたはずだ。
そんな彼の特徴は、実は葉月と似ているところがある。自分の気持ちを封じ込め、彼は周りの期待に応えるべく自分を偽っている。周りというより、母親か。母親の望む自分を演じている。
葉月も今はそうだ。
死にたい自分を必死に抑え、あたしらに大丈夫だと言ってくる。その答えをあたしらが望んでいるのを分かっているから。
言われた通りに薬を飲み、言われた通りにストレス発散をする。
そんな葉月にもし……もし彼女と鳳凰翼とのイベントを見せたらどうなるのだろうか。
影響を受けないだろうか。
彼女の優しさに触れ、ゲームの攻略対象者たちは変わった。
葉月も変わらないだろうか。
そんな淡い期待を持ってしまったんだ。
ヒロインに頼ってしまうのは情けなくも思う。
だけどな、自分の力では無理だということも分かってる。
あたしや源一郎さんたちの気持ちを知っていて、葉月は何も変わっていない。
その心の中に、葉月は今も死への欲を捨てていないんだ。
あたしに出来るのは現実に戻すことだけだ。
だから、あたしではない。
あいつを変えられるのは、あたしでは無理だ。
近くにいすぎて、もう慣れてしまっている。
新しい何かが必要だ。
その答えが、あたしにとっては彼女なんだ。
「この子がどうしたっていうの? 一花ちゃんの知ってる子ってこと? でもいつこの子と知り合ったっていうの?」
母さんが矢継ぎ早に聞いてきた。
そうだよな。色々と疑問に思うだろうさ。
でもここが前世の乙女ゲームの世界だなんて信じられるはずがない。
ましてや彼女がそのゲームの主人公だなんて、誰が信じるっていうんだ。前世の記憶は信じれても、こんな話まで母さんたちも信じないだろう。
だけど、あたしは彼女に賭けたい。
「この子を、葉月の新しいルームメイトにしたい」
「この子を?」
予想外のことを言ったのか、また驚いている。さっきの母さんの質問にはあえて答えない。嘘で誤魔化せばいいだろうけど、母さんに嘘をつきたくないからな。
このまま押し通す。
「彼女に賭けたい」
そのままあたしが思っていることを伝えると、今度は目を大きく見開いてきた。
「母さん、彼女だったらもしかしたら変えられるかもしれないんだ」
身を乗り出して、必死で訴える。
そんなあたしを母さんは考えているのかジッと見つめてきた。
「新しい何かが必要なんだ。あたしは葉月を現実に戻せるけど、でもそれじゃあずっとこのままだ」
このままずっと変わらない日常を送ることになる。
止められても、あいつはずっとその中に死にたいっていう欲を抱え続ける。
明日を望まない。
「あたしは葉月にまた明日を望んでほしいんだ」
望んでほしい。
また前みたいに、あのバカみたいにキラキラした笑顔をしてほしい。
今みたいに無理やり今日を生きるんじゃなく、
明日を楽しみにしてほしいんだ。
美鈴さんたちが生きていた時の様に、
『いっちゃん、あのね! 今度ママとパパとね!』
あんな風に笑ってほしいんだ。
その願いは、あたしの中でずっと残ってるんだよ。
頭の中で、あの頃のバカみたいに楽しそうであたしを振り回してきた葉月の顔を思い出す。
今でもはっきり思い出せる。
あのヒロインだったら、
あの桜沢花音だったら、
もしかしたら、葉月にそうまた思わせることが出来るかもしれないんだよ。
攻略対象者達を救った彼女なら、出来るかもしれないんだよ。
グッと歯を食い縛りながら、また書類に視線を移した母さんを見つめた。
やっぱり無理か? リスクは承知だ。葉月があたし以外の誰かとルームメイトになるってことは、その誰かを巻き込むことになる。
夜中、もしかしたらあいつは自害行動をするかもしれない。
あいつを止めようとして逆に怪我をさせられるかもしれない。
さらにはそんな葉月の行動でトラウマを与えるかもしれない。
でも、それでも賭けたい。
ありとあらゆる可能性を考えて、それらのリスクは出来るだけ排除する。対策はちゃんと考える。
「その新しいルームメイトになる子のフォローはちゃんとする。だから母さん。協力してくれ」
母さんたちにちゃんと認めてもらいたいんだ。
あたしが賭けたいことに、ちゃんと背中を押してもらいたいんだよ。
不安に思っていると、母さんがゆっくりと瞬きをしてから、またあたしの方に視線を向けてきた。
その目は、とても優しい目だった。
「バカね。協力しないわけないでしょう?」
それって……?
フウと一息吐いてから、優しく微笑んでくれた。
「一花ちゃんが選んだ子ね……いいわ。もうどこで知り合ったとか根拠とか聞かないであげる。何か理由がありそうだしね」
ふふっておかしそうに笑っているのを見て、逆にこっちが呆けてしまった。
何も聞かずに、あたしを信じてくれるのか? あまりにもあっさりしすぎだろ。いや、信じてくれて嬉しいは嬉しいし、そういう風に言ってくれることを望んでいたのは確かなんだが。
「なーに、その顔は?」
「え? あ、いや……信じてくれるんだなって……」
「当たり前でしょう。一花ちゃんがこんなに必死に言ってくることなんて、初めてだしね」
え、そうか?……ああ、いや、そうかも……な。そういやこういう風に何かをしたいって言うのは初めてかもしれない。ん? でも葉月のストッパーをやるって言った時もあったはずだが?
少し昔の自分を思い返していたら、母さんが「ハア」と溜め息をつきながらあたしの隣に腰を下ろした。ポンポンとその優しい手で頭を撫でてくる。
「一花ちゃんがそこまで言う子なら、ちゃんと協力するわ。賭けると言うなら、私も賭けましょう」
「……いいのか?」
「危ないからダメと言ったら、一花ちゃんはやめるのかしら?」
「いや、それは――」
「知らない所で勝手に何かをやられる方が大変なのよ。美鈴でそれは十分経験してる」
確かに母さん、後で知らされて美鈴さんのフォローを浩司さんと一緒にしていたな。特に怪我した動物の治療とか。母さんは獣医でもなんでもないのに全部治してたな。
「でも、その子のケアはちゃんとしなきゃダメよ。何かあってからじゃ遅いんだから。寮のことになると私や源一郎さん、学園長でもフォローできる範囲は限られる」
「それはもちろんだ」
そんなのは当たり前だ。間違っても葉月のことで彼女を病ませるわけにはいかない。怪我もさせるわけにはいかない。
誓うように母さんを見上げて頷いたら、満足したのかまた嬉しそうに笑っている。しっかり目を合わせて、静かにあたしの名前を呼んだ。
「葉月ちゃんに生きることを考えてほしいのは、一花ちゃんだけの望みじゃない。私や源一郎さんたちも思っていることだから、それは忘れないで」
「ああ」
「新しい生活で困ることが少しでも出てくるようだったら、いつもみたいに一人で背負わないで、ちゃんと私たちを頼りなさい」
「分かってる」
ちゃんと頼りにしている。
母さんたちがいてくれるから、あたしは葉月を止めることだけに専念できるんだ。
あたしの返事に母さんは満足したのか、ソッと優しく抱きしめてくれた。
「……あたしはもう子供じゃないぞ」
「いいじゃないの~。たまにはこうやって親子で触れ合うのも大事よ~。ここに来ると、いっつも涼花が突撃してくるから、こうやって一花ちゃんを甘やかすこと出来てないしね~」
さっきとは違って間延びした口調に戻った母さんに少し呆れつつ、でもどこか安心している自分がいた。母さんの存在はやっぱり頼もしく感じる。
来年、彼女はゲーム通りなら星ノ天学園に来るはずだ。
その彼女に全てを賭ける。
葉月が変わるかもしれない可能性に賭ける。
葉月。
彼女にちゃんと攻略されろ。
そうすればきっと、
お前は美鈴さんたちを追いかけないようになるはずだから。
明日を、
望めるようになるはずだから。
お読み下さり、ありがとうございます。