2話 乙女ゲーム
「ついに……ついに始まるぞ! あの〈桜咲く、光を浴びて〉が!」
「そっかぁ」
「そうなんだよ! この世界に転生して15年! 長かった……この時をあたしは待っていたんだ!」
「良かったねぇ」
「おい、曖昧に返事するな。なんだ、その気の抜けた返事は! お前、この待望感が分からないのか!?」
と騒いでいるのは、私の幼馴染で同じ転生者である東雲一花だ。肩口まである髪を二つに分けて結わえている。
ベッドに腰かけ足と腕を組み、大きな丸い眼鏡の奥にある瞳で私を睨んでいた。背が小さいから、まだ小学生と間違われている。
あの後、下着までぐっしょり濡れて帰ってきた私は、まあ案の定、この幼馴染にガッツリ説教されました。そして怒られた内容が、帰りが遅いでもなく、びしょ濡れになって帰ってきたことに関してでもなく、部屋を濡らしたことに関してでしたとさ。仕方ないじゃん。お風呂場に行くまでにどうしても床とか濡れるじゃん。
まあ、前者に関しても怒られたけどね。人助けにしては呆れられたけどね。「その子を駅に送り届けてからバスに乗れば良かっただろ……」と言われた時に、正論だとも思いましたさ。
お風呂入って、濡らした床を雑巾で拭き、そして今やっと明日の引っ越しの準備をしている。本とか今すぐ必要じゃない服とか雑貨とかは、すでに新しい部屋に明日届くように手配しているから、後は明日、自分で持って行く荷物と部屋の掃除だ。
そして先程から興奮している幼馴染が話している内容は、出会った時から言っていたことだった。
「えーと、乙女ゲーム? だっけ? その、いっちゃんが待望しているのは?」
「そうだ! 〈桜咲く光を浴びて〉だ!」
すごく満足そうにしているいっちゃんが言うには、こういうことらしい。あ、いっちゃんっていうのは私がつけた彼女のあだ名だ。だって一花って呼びにくいんだもん。
とにかく彼女曰く、この世界は彼女のいた世界の乙女ゲームの世界らしい。
明日から通う(私たちの場合幼等部からの持ち上がりなんだけど)星ノ天学園高等部が舞台で、外部から入ってくる女の子が主人公だというのだ。
この主人公が学園で攻略対象者に出会い、恋に落ち、紆余曲折を経て、最後にはその攻略対象者と結ばれるというのが乙女ゲームというものらしい。
らしいというのは、私が前の世界で乙女ゲームというものをやったことがないからだ。知らないといったら「お前、ホントに転生者か?」とめちゃくちゃ呆れられた。乙女ゲームを知っているかどうかが、いっちゃんによる転生者の基準らしい。よく分からない。
「それで?」
「それで? とはなんだ! それでとは! 〈桜咲く光を浴びて〉! 通称サクヒカ! 知る人ぞ知る名作中の名作だ! ストーリーといい、主人公の可愛さといい、出会う攻略対象者との美しいスチルだったり!」
いや、いっちゃん? その乙女ゲームを知っているのはこの世界であなた1人だけだよ? 私は知らないよ?
いっちゃんはそのゲームが大層お気に入りみたいだ。子供の時からずっと言っている。その世界に転生できて幸せらしい。
「いや、だからさ。攻略対象者? だっけ? その人たちと主人公は何すんの?」
「お前はバカか? いや、バカだったな。失礼した。攻略対象者っていうんだから。攻略するんだよ」
「結局何を攻略するの?」
「いいか? バカなお前でも分かりやすく説明してやる。この攻略対象者たちは、それぞれに心に傷を抱えているんだ。その心を癒すのが明日から学園に入る主人公、ということだ」
確かに分かりやすいけど、さっきからものすごくバカバカ言われている気がするのは気のせい?
「心の傷ねえ……前に言っていた人たちが?」
「そうだ。高等部の生徒会メンバーだな」
生徒会メンバーが攻略対象者達らしい。
私もいっちゃんも勿論顔を知っている。何故かというと、この学園はこの国でも有名な幼等部から大学まで一貫の超エリートお金持ち学校だ。通っている生徒は財界の有名人、政治家等の子息子女たち。ただ、幼等部から入る子の方が多い。ほとんどが顔見知りである。
初等部、中等部、高等部とそれぞれの節目で外部から受験して入ってくることも少なくないから、全員顔見知りということではないが。
つまりその生徒会メンバーも例外ではなく、大臣や大財閥の子息子女だったりする。幼等部から知っているわけだ。
「何か信じられないけどね~。あの坊ちゃんたちが心に傷とか、似合わないわ~」
「いや、その傾向はあったぞ。この9年、あたしはずっと観察してきたからな! お前が興味ないから分からないだけだ。というか手を休めるな。今何時だと思っている。早くやらないと明日までに終わらないだろうが」
「え~! じゃあ、いっちゃんも手伝ってよ~」
「自業自得だろうが。あたしはもう自分の分は終わらせてある。だから今日出かける必要ないと言ったんだ」
「やらなきゃいけない事を無視するって気持ちいいよね!」
「尚更、自業自得だ! さっさとやれ!」
「ちぇ~……」
私は止めていた手をまた動かして、掃除をやり始める。そんな私を見て、いっちゃんは溜め息をついていた。
「お前、そんな様子で明日から大丈夫か? 新しいルームメイトに迷惑かけるなよ?」
「ん~? 大丈夫じゃな~い?」
「いや、大丈夫じゃないな。あたしがバカだった。何かしら問題起こすだろうな。いいか、葉月。くれぐれも、そう、くれぐれも極力迷惑はかけるなよ? お前の新しいルームメイトは主人公なんだからな!」
決めつけて念入りに注意してくるいっちゃん。その目がかなり真剣だった。
そうなのだ。いっちゃんとは今日でルームメイトは解消で、明日からその乙女ゲームの主人公が私の新しいルームメイトになるらしい。事前に渡された割り当てられた紙に書かれている名前を見て、かなり驚いていた。
「心配しすぎだよ~。大丈夫だって、いっちゃん」
「お前の大丈夫ほど安心できないことを、あたしが一番知っているからな」
「信用ないな~」
「え? あると思ってたのか?」
「もちろんだよ。何年の付き合いだと思っているのさ」
これでも、幼等部からの付き合いのいっちゃんの事は親友だと思っているのに。酷いわ~。
「大丈夫だって~。その主人公ちゃんとも普通にやっていけるよ。仲良くなれるといいな~」
「いいか、葉月? よ~く聞いてくれ」
「ん? 何?」
「普通っていうのはな。決して……そう、決して“蛇の抜け殻を窓辺に飾ったり”、“2階の窓から近くの木に飛びついたり”、“夜中の3時にアイス食べたいと言ってルームメイトを無理やりコンビニに付き合わせたり”、そういうことをしない事を言うんだ。分かるか?」
「やだな~。分かってるよ」
「そうかそうか。分かってくれるか……ってお前の事だ! このバカが! この3年、そういうことを日常茶飯事でやってきたやつのどこに信用があるというんだ!」
「やだな~、いっちゃん。いっちゃんの方こそ分かってないね~」
は~やれやれ、と肩を竦めると、いっちゃんが怪訝そうな目で見つめてくる。
「ほ~~~……聞いてやる。言ってみろ」
「いい、いっちゃん? 私はね、確かにそういう事をしてきました。認めます」
「うんうん。そうかそうか。それで?」
「ちゃんと、そういう事が普通はやらない事と分かっています」
「うんうん。そこだけは、この3年で理解してくれたんだな」
いっちゃんは何だか満足している顔で神妙に頷いていた。そうだよ、いっちゃん! 私はちゃんと理解してるんだよ!
「理解した上で私は興味半分、面白半分でやっているから問題ないよね!」
「問題ありまくりだわ!? というか、尚タチ悪いわ! 自覚してるなら反省しろ! 真面目に聞いたあたしがバカだったわ!」
いっちゃんのツッコミとともに投げられた枕が私の顔を直撃する。
え~? 私、ちゃんと頭おかしい事自覚してますよ?
「はぁぁ……とにかく葉月。頼むから……頼むから自重しろよ? 相手は心優しい主人公だけど、お前に影響されて、ゲームみたいなストーリー展開にならなかった、なんて嫌だからな?」
「いっちゃんは生でそのストーリーを見たいんだもんね」
子供の頃からずっと言っていたもんね。大丈夫だよ、いっちゃん! 安心して!
「私も人見て、そういうのはやっているからさ! ドンと任せたまえよ! いっちゃんが楽しい学園生活を送れるように協力するから!」
「いや、お前に任せると碌なことにならな――って待て? お前、今聞き捨てならないことを言わなかったか?」
「その主人公の子、どんな子なのかな~? 楽しみだね~」
「無視するな、おい。人見てって、あたしで遊んでたのか? ちゃんとこっち見ろ?」
「いっちゃん。細かいことは気にしない方が幸せだと思うよ」
「お前に言われると無性に腹が立つんだが?」
「あんまりプリプリしてるとお肌に悪いよ?」
「怒らせているのはお前なんだけど!?」
いっちゃんがツッコミ続けているのを背中で聞きながら明日の事を思い浮かべる。
可愛い子なのかな~。いっちゃんがベタ褒めするくらいなんだから、いい子なんだろうな~。そういえば、今日会った子、美少女だったな~。あの子、無事に家に帰れたかな?
なんて呑気なことを考えながら、掃除を続けた。
お読み下さりありがとうございます。