28話 ルームメイトへの心配 —花音Side※
コトコトと目の前の鍋から音がする。
寮に帰ってきて、この前葉月が気に入っていたクリームシチューを煮込んでいた。
放課後、葉月と東雲さんをクラスまで迎えに行ったら、まだ戻ってきていないと言われてしまった。待とうと思ったけど「帰ってご飯作ってあげといた方が喜ぶんじゃない?」と舞に言われて渋々帰ってきちゃった。
申し訳ない気持ちでいっぱいで、逆に料理で気を紛らわせている感じ。
ふうと息をついて、火加減を調整して、お玉をゆっくり掻き回す。でも誰もいないから自然とお昼休みの時のことが思い出される。
怒ってくれていた。
私のために怒ってくれていた。
そして葉月は躊躇なく、あの先輩たちを相手に喧嘩を選んでいた。
怪我をするかもしれないのに、
葉月だって女の子なのに、
男の人相手に、一切迷っていなかった。
入学式の時、葉月が弓道場で矢を的の下から見学すると言った。
この前、屋上からゴムをつけていたとはいえ、飛び降りた。
そして今回の喧嘩は、体格的にも力の強さでも勝っている男の人を相手に喧嘩した。
危ないよ……。
いつか大きな怪我をするんじゃないかって不安になる。
コトコトと鍋の音がやけに耳に響いてきた。
「ただいま~」
廊下に続くドアの音とその声に反射的に顔を上げた。帰ってきた。
パタパタと足を動かしてキッチンルームから出ると、いつもの葉月がそこにいた。いつもみたいにニコニコと笑っている。怪我……本当にしてないみたい。平気そう。
「おかえり、葉月」
「ただいま~花音~お腹空いたよ~」
いつものように言ってきて、安心して思わずクスっと笑ってしまう。でももう少しだけ待てるかな。もう少し煮込んだ方が美味しくなる。ご飯がシチューだと言ったら目を輝かせて「おお~やった~!」と喜んでくれた。その笑顔を見ると、本当こっちが嬉しくなる。
部屋に戻って、葉月は「つっかれた~」と言いながらベッドにボフっと制服のまま体を沈めこませていた。
「葉月、制服ちゃんとかけないと皺になっちゃうよ?」
「ん~平気だよ~ちょっとくらい」
「だーめ。ほら、着替えて」
そう言うと「むー」っと頬を膨らませながら、ノロノロと起き上がって着替え始めた。こういうところは素直なんだよね。でも葉月、ちゃんとハンガーにかけないと。ベッドにポンポン置いてたら意味ないよ。見かねてその制服を取ってハンガーにかけていく。
「花音~。いっちゃんから聞いたよ~、ありがとね~」
「え?」
唐突にお礼を言われたから葉月の方を振り向いたら、部屋着のTシャツからちょうど頭を出して、こっちに振り返っていた。私、お礼言われることなんてしてな――
「いっちゃんを人の波から連れ出してくれたんでしょ~?ありがと~」
――ギュッと胸が締め付けられた。
「……それぐらいしか……思いつかなくて……」
東雲さんを呼んでくることしか思いつかなくて。私じゃ止められないって思って。葉月が怪我したらどうしようって思って。
でも思いついたのはそれしかなかった。
だからお礼を言われることしていない。
私、何も出来なかった。
「それで助かったからいいんだよ~、だからありがと~」
着替え終わった葉月はまたボフンとベッドにダイブしている。どういたしまして……なんて言えなくて、言葉が出てこない。黙ってしまって、ゆっくりハンガーをかけた。
「花音~?」
「……ん?」
「もう大丈夫だからね~」
思わず、息を詰まらせた。
「もう怖くないからね~?」
……どうしてそんなに葉月は優しいの?
私を安心させようとしてくれる。
怖いことないよって言ってくれる。
心配、してくれる。
……葉月、私だって同じだよ? 自分のこと大事にしてほしいんだよ?
そう思って、キッチンで鍋にかけていた火を止めてから、部屋に戻ってベッド横の床に座った。きょとんとした顔で見てくる葉月に「葉月……ちょっと起きて?」と言ったら、首を傾げながらベッドに腰掛けて私に向き直ってくれた。
訳が分からなそうな顔をしているけど、それに構わず膝に置かれた手を握って、葉月を見上げる。あのね、葉月……。
「花音~?」
「葉月……私、危ない事しちゃ駄目だって言ったよね。前に、入学式の日……覚えてる?」
「ん~、そうだったね~」
良かった、一応覚えていてくれてたみたい。ジッと葉月を見ると「それが?」と言いたげな顔をしていた。でもね、葉月。そうじゃないの。ギュッと強く手を握る。
「……怖かったよ……」
そう告げると、途端に難しい表情になった。けど怖かったんだよ、葉月。
「葉月が怪我するんじゃないかって……怖かった……」
怖かった。
どこか怪我するんじゃないかって、怖かった。
難しい表情だったのが、今度は目を大きく見開いている。少し驚いている感じに見えた。「……あの、花音?」と言葉を挟んできたけど、ちゃんと聞いてね。
「男の人と喧嘩なんてしちゃ駄目だよ……葉月、女の子なんだよ?」
「うん? いや、そうなんだけど……」
「ホント……あの人、何考えてるのかな。何であんな人が生徒会長なの……」
口に出したら、沸々とあの人への怒りが思い出されてきた。そうだよ、元はと言えば、あの人があんな横暴だったからいけないんじゃない。何が拒否権ないよ。あんないきなり命令されて、「はい、分かりました」なんて言うわけないでしょ。勧誘なら勧誘でそれらしくしてくれれば良かったものを。そうすれば私だってあんな断り方しなかったし、それに葉月だって私を心配して喧嘩なんてしなかったのに。
喧嘩で思い出した。ちゃんと確認したいと思ってたのに。
「葉月、怪我してないんだよね? ホントに?」
「大丈夫です……」
「はぁ……良かった。もうこれからは喧嘩とかしちゃ駄目だよ? 怪我するかもしれないんだから」
「あの、花音? 怪我したのはむしろ会長たちの方でね?」
思わず目をパチパチとさせてしまった。葉月も「え?」という顔をしているけど、葉月があの人たちの怪我を心配する必要なくない?だって、
「あの人たちの自業自得でしょ?」
自分たちが蒔いた種でしょ? それで返り討ちにあって怪我したのなんて完全な自業自得じゃない。それよりも、暴力を振るうことで葉月がどこか怪我しないかの方が重要だよね?
だって殴った時に手首捻ったらどうするの? 蹴った時に足痛めたらどうするの?
葉月、女の子なんだよ? 指だって細いし、体だって細いし、力だってあの人たちより弱いでしょ?
まぁ、鍛えてるかもしれないけど、体格はあの人たちの方が圧倒的に有利じゃない。逆に葉月1人にやられて、どれだけ鍛えてないの? って思っちゃうけど。
きょとんとしてしまったら「いや、まぁ、そうなんだけど……」と何故か葉月が戸惑っていた。葉月は優しいからね。自分が怪我させた相手を心配してしまったのかもしれない。
「花音? 会長、怖くなかった?」
え、会長? ああ、あの人のことだよね。
「まぁ……壁にドンってやられた時は怖かったけど……」
ふふって、あの時の事を思い出して、また怒りが募ってきてしまう。
「けど、それ以上に最低としか思わなかったよ?」
ええ、もう、最低としか思ってませんとも。断ったら力尽くとか最低でしょ。男として最低。人間として最低。……あ、あれ? 葉月、どうしてそんな目を泳がせてるの? 焦っている感じに見えるのは気のせい?
「葉月? どうしたの? やっぱりどこか痛めてたり……?」
「へっ!? い、いやいや! 大丈夫だよ~、花音! 私は怪我一つないから!」
ほ、本当? すっごい慌てようだけど。でも握っている手からは痣とかそういうのは無さそうだから本当かもしれない。足も……葉月の部屋着は短パンだから見えてるけど、そういうのは見当たらないから本当でいいのかも。
でも今回は大丈夫でも、次は怪我するかもしれない。
「これからは喧嘩しちゃ駄目だよ、葉月。約束ね?」
危ない事はだめ。私だって心配なんだよ、葉月。葉月は優しくて自分のことより他の周りの人の方優先させちゃうみたいだから。今回の私のがいい例だよ。
でも「え? ん~……」と迷い始めた。これはきっちり言い聞かせないと。
礼音にやる時と同じようにニッコリと笑って見せると、葉月の表情が一瞬固まったのがわかった。これ、一番効くんだよね。こういう風に言い聞かせると、いつも礼音はちゃんと反省するから不思議。
「約束ね?」
案の定、葉月は小さい声になって「……善処します」と言ってくれた。まあ、葉月相手に効くかは分からないけど、ちょっと考えてくれればいいか。その言葉を聞けて安心して、今度は普通に笑ったら、どこかホッとしたような表情になった。
葉月も疲れているだろうから、これぐらいにしないとね。きっと東海林先輩からきっちり叱られただろうし。
「お風呂も沸いてるから先に入ってきて? その間にシチュー仕上げちゃうから」
キッチンルームに戻るために、立ち上がろうとした時に、ふと葉月の左手首のリストバンドが目に入った。
これ、いつもつけてる。それこそ寝る時も朝も。ちょっと不思議には思ってた。
「そういえば葉月、いつもこのリストバンドしてるね?」
「え? あ~うん。お守りみたいなものだから」
お守りかぁ。そうなんだ。確かに少しほつれたりしてる。
少し撫でると年数が経っているのか、ボロボロした感触がした。でも少し分かるかな。私も詩音と礼音が前にくれた誕生日プレゼントのヘアゴム、手首にいつもつけてるし。今じゃお守り代わりみたいなものだね。
あ、そっか。これをつけてるからか。
「あ、だから時計もいつも右にしてるの? 右利きなのに何で右につけてるんだろうって思ってたんだよね」
箸とかスプーンとか字を書くときは右手だから、どうしてだろうとは思ってた。このリストバンドつけてるからかな? けどすぐに「ん~そ~」と返事が返ってくる。このリストバンド、片時も離せないぐらい大事なお守りなんだね。
「ふふ、毎日つけてるから大事なお守りなんだね。私も妹たちからもらったお守り毎日つけてるから気持ち分かるよ」
「そういえば、花音には兄弟がいるんだっけ?」
「そう。妹と弟。ちょっと生意気だけどいい子たちなんだ。葉月見てると妹たちの事思い出すかな?」
思ったより寮の生活で、あの子たちがいなくても寂しくないのは、葉月が重なって見えるからかな。「どんなとこが~?」って聞いてきたから、う~んと考えた。
「毎朝寝ぐせつけてたり、着替えとか?」
「むー、そんな子供じゃないよー」
「そうやって頬を膨らませるところもかな」
むーって機嫌悪くなった時とかはよくやってるんだよね。思い出してクスクス笑って、葉月の膨れた頬をツンツンする。そっくり。葉月はこういうところが子供っぽい。
「ほら、お風呂入っておいで」と促したら「入る」と途端にスクっと立ち上がってバスルームに向かっていった。キッチンルームでシチューを仕上げてると、微かに機嫌良さそうな鼻歌も聞こえてくる。私もお風呂好きだけど、葉月も好きだよね。
上がってきた葉月がクリームシチューを見て、髪も乾かさないで食べようとしたから「ちゃんと乾かしてから」って注意したら「やって」と言われた。ああ、こういうところは詩音に似ているかもなって、葉月の髪を乾かしてあげてそう思った。
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