21話 記憶に残っている
中編は全て一花Sideになります。
「いっちゃん」
「なんだ?」
「本当にいいの?」
珍しく真面目な声で葉月が聞いてきて、何も返す言葉が見つからない。
最後の問いかけは、昨日の舞の告白のことだろう。
病院から帰ってきてから、葉月が許可もなく入ってきて寛いでいた。ちなみに花音は部屋でお菓子を作っている。葉月のこの様子だったら、別に学園に行かせてもよかったのかもしれないと少し後悔したが......いきなり慎重そうにそう聞いてきたから、つい耳を傾けた。
「いっちゃんがそれでいいなら、私はいいんだよ」
ゴロンタのお腹に顔を押し付けている様子の葉月と、その声が全く嚙み合っていない。
分かってる。
お前なら、そう言うだろうことも分かってるさ。何年の付き合いだと思ってるんだ。だから、そのしょぼくれた声をやめろ。
心配しているのも......分かっているさ。
「いいんだ」
「そっか」
あっさりと葉月は答える。こいつも、あたしの考えてることなんてお見通しだ。
パラっと本を捲って目を通していると、何故か今度はゴロンタの肉球をあたしの頬に当ててきた。
「......一応聞こうか。何してる?」
「慰めてます」
「みゃ?」
「いらん」
「ゴロンタの善意なのに!」
「お前が無理やりやらせてるだけだよ!?」
「そうとも言う」
埒が明かないと思って無理やりその肉球を離したら、「ちぇ」とか言いながら、今度は自分の頭にゴロンタを乗せていた。その葉月の様子を見て一気に疲れてきた。ハアといつもの溜め息が自然と出てくるのも仕方がない。
「あたしは別に落ち込んでない」
「嘘が下手になったね、いっちゃん」
間髪入れずに返された。こいつにこんなことを言われるとは......屈辱以外の言葉が出てこないんだが。というより、あたしが落ち込むのは筋違いだろう。
落ち込んでいるのは、舞だからな。
「あたしじゃないだろ......」
「そだね。舞もいっぱい泣いてたよ」
「そうか......」
それはそうだろう。
あたしが振った。
あいつの好意を拒否したのは、他ならないあたし自身だ。
泣いていたという事実を葉月に知らされて、傷つくのはお門違いというものだ。
「けど、いっちゃんの方がもっと傷ついてる」
それは違う。
「傷ついてるのは舞だ」
「いっちゃんの方」
「違う」
「いっちゃんの方だもん」
頑なに言い張る葉月は考えを変えるつもりはないのか、むーって頬を膨らませて、テーブルの上で両手に顔を乗せていた。ゴロンタ、すごいな。全くこいつの頭から落ちる気配がないんだが。と、違う方に思考を飛ばしてしまった。
「ハア......自分の部屋に戻れ。花音が待ってるぞ」
「またあの薬を飲んだいっちゃんの方が今は大事」
......それもバレてたか。
平静を装って、本から葉月の方に視線を向けた。じっと険しい表情になっている。誤魔化しても、きっとこいつには見透かされてるだろうけど、しらばっくれたい。
「何のことだ?」
「いっちゃん、それは無理があるよ」
「さっぱり分からないな」
「酷いの? フラッシュバック」
あたしの言葉なんてスルーして、逸らさせないように葉月は目を見てきた。やっぱり誤魔化せないか。これ以上は本を読み進められないな。こいつ、あたしが話さない限り絶対部屋に戻らない。
ハアと息を吐いて、静かに本を閉じた。ゆっくり眼鏡を取って、目頭を指で押さえる。
「......大したことない」
「ホント?」
「本当だ」
本当さ。少し夢に見ただけだ。
あの時の自分を。
あの時の間違った選択をした自分を。
あの時の感触を。
あたしよりずっと辛そうに目元を歪めている葉月がいる。
絶対、知らせたらこいつは自分を責めると分かっていた。だから隠しておきたかったんだが、無理だな。あたしがこいつのことを分かるように、こいつもあたしのことを分かっている。
いや......舞に告白された次の日の今日に、こいつを置いて病院に行ったからか。
久しぶりにあの夢を見たせいか、あの感触を思い出してそれどころじゃなかったからな。花音がこいつのそばにいるという安心感で気が緩んでいる証拠だ。普段だったら、あたしが葉月のそばから離れるとか、あり得ないのに。
「お前のせいじゃない」
「......」
「本当に、お前のせいじゃない」
眼鏡をかけてから、何も言わなくなった葉月の頬をつねってやる。この顔は、明らかに自分を責めてる顔だ。
「いふぁい」
「何度も言わせるな。お前のせいじゃない。その空気が重くなる顔をやめろ」
「れも......」
「しつこい」
あたしが手を離してから、片方の手で解放された自分の頬を撫でている葉月にあからさまに溜め息をついてやる。葉月の頭から器用にテーブルに降りてきたゴロンタが、今度はあたしの方に擦り寄ってきた。スリスリとあたしの手に頭を擦りつけてくる。
まるで、今のこの部屋の空気を変えたいと言われている気がした。
「ゴロンタもいっちゃんが元気ないの気づいてる」
「いや、ただ撫でられたいだけだろ」
その都合のいい解釈をやめろ。絶対こいつは撫でられたいだけだ。
諦めないかのように、粘り強くスリスリスリスリと「みゃ、みゃ」と鳴いてくるから、根負けしてそっと撫でてやった。花音が丁寧にお手入れしているからか、毛並みはふわふわだ。
そのゴロンタの様子を見たおかげか、葉月の表情も大分和らいだ気がした。
「そろそろ戻れ。花音が寂しがってるぞ」
「いっちゃんは行かないの?」
「あたしはまだこの本を読みたいんだ」
十分撫でてから、ゴロンタをズイっと葉月に差し出した。あたしの返答を聞いて少し不機嫌そうにしながらも、承知したみたいだ。これ以上、あたしがあの薬のことを話す気がないのも分かってるんだろう。
ゴロンタを腕に抱えて、ゆっくりと葉月は立ち上がった。
「いっちゃん」
「なんだ......まだ何かあるのか?」
「......」
返事がない。
また開いた本じゃなく、立ち上がった葉月を見上げると、少し泣きそうな顔で見下ろしてきた。
そんな顔をする必要は、もうないだろ?
「私はさ、いっちゃん。いっちゃんがいいなら、いいんだよ」
知ってる。
「舞のことも、それでいいなら、いいんだよ」
そうだな。お前はあたしの意思を尊重するだろうさ。
「舞を傷つけたこと、いっちゃんが責める必要はないからね」
その葉月の言葉に、あたしは黙るしかない。
「何度でも言うよ、いっちゃん」
「......」
「いっちゃんはもう自由だよ」
......違う。
「誰を好きになっても、誰を選んでも、いっちゃんの自由だからね」
それじゃダメなんだ。
「あの時のことで、自分を縛り付けなくていいんだからね」
縛り付けてるんじゃない。
あれは、
あたしの戒めだ。
心の中で反論する。
でも口には出さない。
言ったら、葉月は自分をもっと責める。
何も言わないあたしの頭をゴロンタの肉球で撫でてから、葉月は部屋に戻っていった。あたしが考えていたことは、きっとあいつも分かっている。
フウと息をついてから、本の続きを読もうとした。だめだ。全然頭に入ってこない。
仕方ないから、もう本を閉じてベッドの上に寝そべった。眼鏡をサイドテーブルの上に置いて、片腕を目に押し当てるように乗せる。
分かってる。
舞を傷つけた。
その事実が、あの時の記憶を呼び起こしている。
......そうなるだろうと思っていたさ。
だから、あいつが告白をしないでくれればって願ってた。
あたしは自分の気持ちがどうであろうと、断る気でいたんだから。
舞には悪いと思っている。
あれだけ好意丸出しで接してきてくれた。
底抜けに明るくて、
バカで、
見ていて飽きなかった。
あいつといると、少しだけ......ほんの少しだけ、忘れることが出来ていた。
あいつの気持ちを、利用したんだ。
最低だ。
なんで、あいつは......あたしなんかを好きになったんだか。
誰かを好きになる資格なんて、あたしにはない。
誰かに好意を向けられる資格なんて、あたしにはない。
葉月と花音みたいに、幸せオーラを振りまく資格なんて、ない。
顔に乗せてた腕をどかし、手の平を見つめた。
今でも......あの感触が、蘇ってくる。
あの時、
あの瞬間、
明らかな殺意を持って、
葉月を本気で殺そうとしたあたしが、
舞の純粋な気持ちを......受け入れられるはず、ないだろ。
思い出した感触で震える手を、無理やりギュッと握った。
お読み下さり、ありがとうございます。
少し長くなります。
次話から本格的に過去編に入ります。シリアス多めになりますし、過去編なので当分百合要素はありません。期待している読者の方には申し訳ないのですが、ご了承していただきたく思います。
また、シリアスの話数に関しましては、本編同様、その時だけ複数話更新と、前書き後書きに注意書きを入れさせていただきます。ご不便をかけて本当にすみません。
ですが、この番外編は本編同様に、きちんとハッピーエンドで終わらせます。最後までお付き合いいただければ嬉しく思います。
一花の想いと、舞がその先どれだけ頑張れるか、見守っていただければ幸いです。
ここまでお付き合いいただいている方々に、心の底から感謝しています。本当に本当にありがとうございます。




