20話 一花のお姉さん
「ここかな?」
「そうですわよ。名前書いていますもの」
確かにネームプレートに一花のお姉さんの名前が書いてある。
この部屋に辿り着くまで、意外と時間がかかってしまった。レイラのせいなんだけどね。「確か涼花さんの部屋はあっちですわ」とか言うからついていったら、何故か屋上までいくことになった。結局、近くを歩いていた看護師さんに「知り合いです」って言って、教えてもらったよ。もうあたし、レイラの記憶を当てにしないって決めた。
部屋の前で胸に手を当てて深呼吸した。き、緊張してきた。話、聞いてくれるかな? いやでも、ここまで来たからには、このまま帰ってたまるかっていう気持ちの方が強い。
隣のレイラが不思議そうに見てきた。あ、なんであたしが緊張してるのか分かってない顔だわ、これ。まあ、いいや。無視しよう。
そんなレイラを無視して、ノックをした......けど返事がなかった。あれ? もしかして、いない?
「いない?」
「そんなことないと思いますわ。手術した後だって言ってましたし」
ああ、そうだよね。グータラしているって近藤さん、言ってたし。
またノックしてみる......けど、やっぱり返事がない。その代わり、中で何か声が聞こえた。
中にはいるのかな? とか思っていたら、「入りますわよ」とかいきなり言い出して、隣のレイラが何故か勝手に扉を開けた。え、勝手に入っていいわけ────
「うへへぇ......一花ちゃぁ......もっと蹴ってぇぇ......」
───すぐ扉を閉めた。
......今、見ちゃいけないものを見た気がするんだけど。
なんか、幻の半裸状態のお姉さんが、ソファの上で一花の写真付きの抱き枕を羽交い絞めしていた気がするんだけど。
しかも危ない発言してた気がするんだけど。
「ちょっと、舞。なんで閉めますのよ? あれ、ぜったい起こさないと起きませんわよ」
「え、あれ? いや、うん? 幻だよね?」
「何を言ってますの。現実ですわ。いいから、入りますわよ」
「へ!? いや、レイラ!?」
あたしが止める間もなく、遠慮なしにまたレイラが扉を開けて中に入っていく。中のソファでは、さっきの幻だと思っていた光景があった。......うわ、うわぁ!? 幻じゃないぃぃ! お姉さん、大胆! 一花のこと溺愛しているのは知っていたけど、ここまで!? ここまでだったの!? 知らなかったんですけど! あと、蹴られたいの!? そんな性癖だったの!?
絶対誰もが色んなツッコミを入れたくなるような現状のお姉さんに、レイラはなんてことないように近づいていき、肩にポンポンと手を置いていた。そんなレイラを見て、また驚愕した。レイラが、レイラがなんか慣れている!! え、あれ......なんだろう......なんかショック。負けた気分なんだけど。
「涼花さん、起きてくださいな」
「ふへへぇ......一花ちゃん、大胆ぅ......蹴ってぇ......」
「蹴りませんわっって、ちょぉぉ!? 抱きついてこないでくださいなぁ!? わたくしは一花じゃありませんわぁ!!!」
「一花ちゃんぅ......好き好きぃぃ......んふふぅ......」
「ぎぃゃぁぁぁあああ!!? ちょちょぉぉっ!!? いい加減目を覚ましなさいなっ!?」
前言撤回。慣れてないわ、これ。
一花のお姉さんがガバっと抱きついてほっぺにチューしようとしているのを、レイラが悲鳴を上げながら、必死にお姉さんの顔に手を置いて避けようとしている。そんな様子のレイラに、一気に呆れた。
なんであんなに“慣れてますよ”的な感じで近寄ったんだろ? あ、お姉さんの目が開いた。
「んぅ......? 一花ちゃん、胸小さくなった?」
「だから一花じゃありませんわ!? ってどういう意味ですのよ!?」
「ん......んんぅ......? あれ? ああ、なんだ、レイラかぁ......納得ぅ」
「だから、どういう意味ですの!?」
「ふああ......やっかましいわねぇ......そのキンキン声、何とかしなさいよぉ......」
「んなぁっ!?」
ノソノソっと緩慢とした動きでお姉さんがレイラから離れると、レイラがすかさずといった感じでソファから立ち上がっていた。あ、胸気にしてる。だ、大丈夫だってレイラ。普通、普通にあるから。だから泣かなくていいって。あたしなんか、葉月っちにハッキリないとか言われてるんだから、それに比べれば可愛いものさ!......あるよ! ちゃんとあるよ!
「んんぅ......? なんでレイラがいるのよ......? ってか、今何時?」
ついつい葉月っちに言われたことでショックを思い出していたら、お姉さんが眠そうにふああっと欠伸をして辺りを見渡している。あたしには気づいてない、これ。
「そんなことより、その恰好なんとかなさいな......」
レイラもさすがに見るに堪えないらしい。分かる。目のやり場に困ります。ほぼほぼ裸です、それ。レイラに指摘されたお姉さんは「面倒ねぇ......」とソファに掛けてあったシャツを乱暴に羽織っていた。寝ぼけているせいか、表と裏、逆だけど。あ、やっとこっちに気づいたっぽい。
「あー......んん? 舞よね? なんでここに......?」
「は、はい。お久しぶりです!」
訳が分からなそうに見られて、また緊張がぶり返してきた。そ、そういや、お姉さんとこんな真正面から話すの初めて。
ドキドキしていると、ふああとまた大きな欠伸をしたお姉さんが徐に立ち上がった。髪を搔き上げながら、奥のテーブルに置いてあるコーヒーをカップに注いでいる。髪、ボサボサなのに、なんか色気がある。そんな様子のお姉さんにレイラがハアと溜め息をついていた。
「だらしなさすぎですわ......」
「仕方ないでしょぉが。まだこんな時間じゃないの。さっきまで一仕事してたのよ、こっちは。んで? なんで二人がここにいるわけ?」
やっと目が覚めてきたのか、さっきよりしっかりした目つきでお姉さんがあたしとレイラを交互に見てきた。う、ちょっと怖い。
「一花ちゃんがいないってことは、葉月関係じゃないのよね? それ以外で二人がここにいる理由が分からないんだけど。それとも何? レイラ、あんたまたぶり返した?」
「いいえ。わたくしは大丈夫ですわよ。今日は舞に付き合わされただけですもの」
「舞に?」
れ、れ、れ、レイラぁぁ!? だからいきなりこっちに振らないでよ!? 悪気がないのは分かってるんだけど、分かってるんだけどぉぉ!!......あれ? ぶり返すってなんのことだろ?
ついレイラとお姉さんを交互に見てしまうと、レイラが肩を竦めていた。
「そもそもあれから何年経ってるとお思い? わたくし、もう大丈夫ですわ」
「......あっそう。それなら兄さんたちに言わなくてもいいのね?」
「大丈夫ですわ。もう薬もカウンセリングも必要ありません」
そのレイラの一言で、あ、子供の時の話だなって察した。あたし自身、そこまで深く聞いていない。トラウマになって家から出られなくなったって、葉月っちの過去を聞いた時に言われたぐらいだ。ぶり返すって、その時のことを思い出すとかかな?
「それで? 舞が何の用で来たのよ?」
「へ?」
「私に用があってきたんでしょ?」
............いきなり現実に引き戻された! ジッと不思議そうに、コーヒーを飲みながらお姉さんが見てくる。そ、そうですよね。何の用か気になりますよねぇ!!
さっきまでの自分、出てこーい!!
よし、よし!!
聞くぞ......ちゃんと聞くぞ!
スウッと息を吸い込んで、あたしもお姉さんを見据えた。
「あ、あの! 一花のこと教えてほしくて来ました!!」
「......へええええ」
お姉さんの鋭くなった目つきで、一気にあたしの勇気が萎んだ。
こ......こっわっ!! こわ、怖いぃ!! 何これ、怖い!! 人って、これだけ冷たい声を出せるんですか!? 花音の怒った時の空気も怖いけど、お姉さんのこの殺してくるかのような目と声も怖い!!
「一花ちゃんの、何を知りたいっていうのかしらねぇぇぇ??」
「ひぃっ!!」
「大体、私、あなたに言いたいことあったのよねぇぇ」
いいい言いたいことぉぉ!? ななな何、いきなり何!?
コトっとお姉さんがカップを置いて、ふふふって口元に笑みを浮かべながら近づいてくる。さらに怖い!! さらにお姉さんがあたしの前に立ち止まって、顔を覗き込んできた。
「私の可愛い可愛い一花ちゃんのルームメイトになったこと、私、許してないのよ!」
「ごごごごめんなさいぃぃ!!!」
「舞、それ謝る事じゃありませんわ」
ハアと溜め息をついたレイラが、いつの間にかお姉さんとあたしの間に入ってくれた。れ、れ、レイラぁぁ!! レイラの声で、少しホッとしていたら、レイラが今度は涼花さんの方に視線を向けている。
「ちょっと、レイラ。そこどきなさい」
「全く呆れますわ。落ち着いたらどうですの? ルームメイトの件は、わたくしも聞いていますが......一花自身が決めたこと。そうではなくて?」
え、へ? 一花が決めた? え、何それ、レイラ? あたし、そんなこと一花から聞いていないんだけど? むしろ葉月っちと仲良く出来なかったら、解消を考えていたって聞いたんだけど?
だけど、レイラの言葉にお姉さんが盛大に「ちっ」と舌打ちしていた。またソファに座り直して、ハアと溜め息をついている。なんで引き下がったの?? そんなお姉さんを見て、レイラがやれやれといった感じで首を振っていた。え、あれ? 解決した? ルームメイトの件、これであっさり解決? ちょっと疑問が残るけど、え、いいんだよね? いや、いいよね! そう思おう!
なんて勝手に安堵していたら、面倒臭そうにお姉さんが口を開く。
「それで? 一花ちゃんの何を知りたいって? スリーサイズ? それとも一年に何センチ伸びたかの記録? 初めて私の事を『お姉ちゃん』って言った時の映像は渡せないわよ」
「誰もいりませんわよ、そんなもの」
え、レイラ。いらないの? あたしは少し欲しいと思ってしまった。あの一花がお姉ちゃんって呼んでるんだよ? 何それ、想像するだけでもう可愛いんですけど。
「......知りたいのは、わたくしが葉月たちと離れていた時のことですわ。一花と葉月に何かありましたの?」
あたしがすっかり戸惑っていたら、レイラが代わりに聞いてくれて、ちゃんと分かってたんだって思ってしまった。だけど、それを聞いたお姉さんが、怪訝そうにあたしとレイラを見つめてくる。
「......いきなり何よ? なんでそんなこと知りたがるわけ? しかも舞よね、それを聞きたいのは?」
う......は、はい。そうです。
「知っても意味ないわよ。そんな話なら帰ってちょうだい。私、これでも疲れてるのよ」
即答。
や、やっぱり、簡単にはいかないか。
だけど、だけどお姉さん。
あたし、知りたいんです。
グッと気持ちを引き締めて、レイラより一歩前に出た。そんなあたしを見てくるお姉さんの目は、探るかのようなものに変わっていた。
怯んじゃダメだ。
知るためにここに来たんだから。
「一花に何があったのか、知りたいんです。教えてくれませんか?」
「......何故? 興味本位なら、容赦しないわよ」
お姉さんの空気が少し変わった。今の言葉も牽制しているように感じる。
お姉さんはきっと、一花を守ろうとしている。
これは、大事な妹を心配している目だ。
分かる。この目、一花と一緒だ。
葉月っちのことを止めている時の一花の目にそっくり。
嘘をついちゃダメだと思った。
誤魔化してもダメだと思った。
正直に伝えないと、お姉さんはきっと何も話してくれない。
このお姉さんにバレたら怖いとか、微塵も思わなかった。
「あたしは、一花が好きです」
ハッキリ、真っすぐ、言葉に出した。
お姉さんが意表を突かれたように、少し目を丸くさせている。
だけど、お姉さん。
これがあたしの本心です。
「だから、知りたい。一花の事」
胸に手を置いて、ジッとお姉さんを見つめる。
「ちゃんと知りたい。何があったのか、知りたいんです」
ちゃんと知って、そして一花にまた伝える。
「一花の本心を、知りたいんです」
一花がどう思っているのか、ちゃんと知りたいから。
ジッとお姉さんから目を逸らさなかった。
あたしの言葉に、お姉さんは最初こそ驚いていたようだったけど、真剣な目になって見返してくる。やっぱり......こんな理由じゃ教えてくれないか───
「だからって、一花ちゃんは簡単に渡さないけどね」
──予想外のこと喋り出したぞ!? いや、あの、今そういう話だった!?
「座りなさい」
「へ?」
「知りたいんでしょ?」
またまた予想外のことを言ってきて、お姉さんの向かい側のソファを、顎をしゃくって示してきた。戸惑っていたら、隣にいたレイラが「では、遠慮なく」とか言って、さっさと座っていた。しかも勝手にテーブルの上にあったお菓子の袋を開けている。ちょちょ、レイラ? 何をそんなきびきびと座ってるのかな!? ちゃっかりお菓子も何で食べてるのさ!?
なんかレイラがあっさりと座ってしまったから、慌ててあたしもレイラの隣に座った。あ、あれ? 座っちゃったけど、これ、いいの? あれ......今のって、お姉さん、話してくれるってこと?
疑問だらけで頭が一杯になっていたら、目の前のお姉さんが「さて」と口を開いて、またジッと見つめてくる。思わず背筋を伸ばしてしまった。
「覚悟、ある?」
え?
「一花ちゃんのこと知る覚悟、本当にある?」
そのお姉さんの問いかけが、どこか重く響いてくる。それって、どういう意味なんだろう? と自然と疑問にまた思った。
だけど、ある。
ちゃんとある。
知りたいという思いは確かだから。
自分が望んだから、聞かなきゃよかったなんて、そんなこと絶対思わない!
お姉さんの問いかけにコクンと頷くと、フウと息を吐いてから、お姉さんは視線を自分の組んだ太ももに向けていた。その動作が、とても辛そうに見える。
「もったいつけすぎではなくて?」
「あのね、レイラ。あんたは知らないから言えるのよ」
空気を読まないレイラにお姉さんは即座に反論している。あの、レイラ? ちょっと空気読んで? あたしでも今のお姉さんの空気が重いって分かるから。今さ、大事なとこ──
「本当、あの時は葉月を恨んだわね」
思いがけないお姉さんの言葉に、息を呑んだ。
その声が悲しそうで、口元は仕方ないというように笑んでいて、見ているこっちまで苦しくなってくる。
葉月っちの過去、とんでもないとは思っていたけど......あたしが思っているよりずっと、周りの人に傷を与えているのかもしれない。
「何から話そうかしらね......」
今から語られるのは、この人たちにとっても忘れられない事なんだって思った。
「やっぱり、美鈴さんたちのことかしらね......」
あたしが知るのは、一花のこと。周りにいた人たちのこと。
何よりも、一花の想い。
「あの人たちがいて、一花ちゃんも楽しそうだった」
お姉さんの口から語られる、最愛の妹。
どんな子供時代だったか。
どんな思い出があるのか。
「いっつも巻き込まれていて、それでも楽しそうだった」
一花がどれだけの想いで葉月っちのそばにいたのか、
お姉さんの話を聞いて、
自分の甘さを思い知った。
これで前編終わりになります。次話から中編の一花Sideになります。
お読み下さり、ありがとうございます。




