14話 お留守番
「むー......やっぱり行くのやだ」
「駄々こねるな。いい加減にしろ」
「そうだよ、葉月。一緒に行くって約束したでしょ?」
「ゴロンタといる方がいいもん」
「そのゴロンタは、ちゃ~んとあたしが見てるってば! 安心しなって!」
むーむーと頬を膨らませて渋っている葉月っち。ゴロンタを抱えてギュッとしている姿に、うーんと困ったように花音は笑っている。
実は今日、葉月っちは病院で検査とカウンセリングの予定。あれから3ヶ月ぐらい経ってるから、主治医である一花のお兄さんが経過を見たいそうで、前々から今日の休日に予定を入れていたんだよ。
けど、さすがにあの病院にゴロンタは連れていけない。今日はあたしの予定もないし、じゃあゴロンタの面倒見るよ、という話になった。
「ミャーミャー」
「ほら、いっちゃん! ゴロンタが行くなって言ってるよ!」
「それはお前の願望だ。お腹空いたの間違いだ」
「違うもん!」
「小腹が空いちゃったかな? 舞、ゴロちゃんのおやつもキッチンの下に用意してあるから、まだ鳴くようだったらそれあげてね」
「りょーかい! ほら、葉月っち! ゴロンタもお腹空いてるって。離してあげなよ?」
むーってしながら、渋々と言った感じでゴロンタを渡してくれたよ。葉月っち、めちゃくちゃゴロンタ溺愛してるね。ゴロンタはあたしの襟元の服を爪で引っ掻いてくる。痛い! 爪立てるの禁止!
「ほら行くぞ。約束の時間にギリギリだ」
「葉月、帰ってきたら今日はゴロちゃんと目一杯遊んでいいから。機嫌直して、ね?」
「むー......」
未練がましくあたしの腕の中のゴロンタを見てくる葉月っちに痺れを切らしたのか、一花が乱暴に葉月っちの襟元の服を引っ張ってズルズル引っ張り出しちゃったよ。この光景、すっかり見慣れちゃったなぁ。苦笑してる花音が「じゃあ、ゴロちゃんのことお願い」と言ってきたから、ゴロンタの前足を取ってバイバイさせながら、花音たちを見送ったよ。
カチャンとドアの閉まる音を聞いてから、シーンと静まり返る。
「よっし! ゴロンタ、早速おやつ食べよっか!」
「ミャー」
あたしの言葉が分かってるのか分かってないのか、タイミングよく返事してきてつい笑ってしまった。
花音が教えてくれた場所を探して、器におやつを取り出してあげたよ。まだ小さいしっぽをフリフリさせながらむしゃむしゃと食べ始めた。かわいいな、ゴロンタ! 葉月っちが可愛がるのも分かる!
ちなみに、ゴロンタは今ではこの寮でのアイドル的存在になってしまった。
まず人懐っこい。人見知りしないから、帰ってくるみんなにスリスリと擦り寄ってる。それを見て、皆がきゅーんと胸をときめかせてるわけだ。猫嫌いの子も中にはいるけど、ゴロンタは大丈夫みたい。なんでだろ? 鳴き声も可愛いからかな?
他にはアレルギー持ちの子たちのところに絶対自分から近づかない。ケージに入れてるからだけど。遠くからまるで「お帰りなさい」と言わんばかりに「ミャーミャー」鳴いてるから、そんな姿にキュンキュンと胸をときめかせてる子たちが続出である。葉月っちが帰ってきたら、葉月っちにべったりだけどね。
葉月っちがいない時の普段のお世話は、一花が言っていた鴻城の護衛の人と、あと寮母さんが交代で見てる。寮母さんなんかゴロンタとしょっちゅう遊んでるね。あたしが話しかけるまで気づかない時もあるから、それは困ったものだけど。
むしゃむしゃと食べ続けているゴロンタは推定でまだ生後4カ月ぐらい。こんな可愛い子を捨てた人間がいるとか信じられないけど、それが事実だ。どんな理由があるにせよ、捨てるとかしないでほしいよ。この子だって生きてるんだからさ。
だけど、ゴロンタは葉月っちっていう愛してくれる存在と会えたから、それはそれで良かったのかもしれない。葉月っちも花音以外に守る存在が増えて、余計死ぬことなんて考える暇もなくなるかもね。
ふふってつい笑ったら、それに気づいたのかゴロンタが口をペロペロしながら見上げてきた。
「おいしい?」
「みゃ?」
ハグハグしながらまた食べている。花音もよくやるなぁ。これ、お手製でしょ? きちんと一回の分量で袋に入ってたもんね。さすが、徹底してる。今じゃ葉月っちの食事の量も完全に徹底管理してるもんなぁ。あたし、無理だわ。
花音の計算通りなのか、その量を食べて大分落ち着いたゴロンタは毛づくろいを始めちゃったよ。ここじゃなくて部屋にいこうよ、ゴロンタ。あたしも花音のジュースとおやつを食べたいからさ。
「ふぃー......」
部屋に戻って、おやつを一通り食べてから、中央のガラステーブルの上でぐだーって腕を伸ばした。
そういや、最近忙しくてこうやってまったりもしてなかったなぁ。ま、だから今日も葉月っち達についていかなかったんだけどね。一花にも言われたし。
『お前だって、たまには休んだ方がいいだろ』
肩を竦めてそう言ってくれた一花の姿が思い出される。
体育祭の時以来、一花は前よりあたしのことを気にかけてくれるようになった......と思う。多分。きっとあの時『あたしにだって悩みある!』って言ったからだと思う。多分。
「ミャ、ミャ」
「あーはいはい、分かった分かった。遊んであげるよ」
ゴロンタが背中に引っ付いてきた。この子、本当に元気だなぁ。気にかけてくれる一花を思い出して、少し嬉しくなっているところに現実に戻された。分かった、分かったから! だから爪立ててこないで!?
それからは猫じゃらしで一杯遊んであげたよ。ほいほいっと縦横無尽に動かすと、それを追ってゴロンタも激しく動き回る。何、この動き。可愛いんだけど。床から一気にベッドの方まで猫じゃらしを動かすと、なんと、華麗なジャンプまでしてきた。動画撮っておいてあげよ。葉月っち、きっと喜ぶわ、これ。
しばらくそんな感じで遊んであげたら、疲れてきたのか動きが緩慢になってきた。クァって欠伸しながら、花音が用意してるゴロンタ専用のクッションに移動して縮こまってる。
「ゴロンタ~、もういいの?」
「......」
クァっとまた欠伸して、すっかりあたしに背中を向けてきたよ。自由だな!? さっきまであれだけ引っ付いてきてたのに!
「おーい」
「......」
もはや何も返事しない。代わりに面倒臭そうに尻尾を一振りさせてきた。返事のつもりらしい。そんなゴロンタの様子をしばらく見ていたら、ゴロンタの小さな体がゆっくり上下してきた。これ、寝てるな。
「どれ......」
寝てるゴロンタに近寄って、記念に無防備なゴロンタの寝顔を一枚カシャっと撮ってあげた。さっきまでのわんぱくぶりはどこへやら、だね。それにしても、癒されるわぁ。
目を閉じて寝ているゴロンタを見て、ホワァって自分の心が癒されるのを感じながら、あたしもゴロンと床に寝そべった。んーって腕を伸ばしてから、脱力する。
ほんっと、こんなにまったりなの久々。近くには可愛い子猫の寝顔。ほんわか幸せ気分だね。
さっきのゴロンタの真似じゃないけど、ふぁぁって欠伸が出て、目尻に涙が溜まる。自分も少し寝よっかな。一花たちは夕方まで帰ってこないし。
そういえば......結局、一花があたしのことどう思ってるのか分かんないままだなぁ。バカで騒がしくて、見ていて飽きない......とは結局のところ、好き? 嫌い? どっち? 嫌われてたら、あんなこと言わないかなぁ......?
段々思考がゆっくりになってきた。本格的に眠くなってきたや。
自分の頭の下に腕を入れて、横向きになった。目の前には小っちゃい毛玉がクッションの上で静かに上下している。
告白、告白......そうすれば、さすがにきっと......きっと一花も気づく......。
そのまま目を閉じた。
夢の中で告白したあたしに、
一花が耳まで真っ赤にして驚いていた。
───
カタ......。
物音がする。
......んぅ?
あ、れ......あたし......。
ゆっくりと目を開ける。夕焼けの色が、窓から部屋に入ってきているのが分かった。
「ん......んぅ」
ボーっとしながら、グーっとその場で体を伸ばしてから、ゆっくりと起こしていく。窓の外に視線を向けると、すっかり夕方になっていた。
ああ、寝た。めっちゃ寝た。
かなり寝たという感覚に包まれてふぁぁと欠伸を一つ。どんどん頭が働いてくる。
「あれ、夢かぁ......」
真っ赤な一花。まだ覚えてる。あ~あ、現実でもあんな風に真っ赤にさせてみたい。時計を見ると、もう17時を過ぎている。がっつり寝たな、あたし。あれ、そういえばゴロンタに一回しかおやつあげてないな? そろそろお腹空く頃じゃない?
「ゴロンタ~、そろそろ次のおやつでも食べ──」
縮こまって寝ているだろうゴロンタに話しかけて、途中で言葉が止まる。
あれ? いない?
クッションの上で寝てたはずなのに、いない。
もしかして、お腹空きすぎて自分でキッチン行っちゃったとか?
一気に目が覚めて、立ち上がってキッチンルームに向かってみた。
やばやば。お世話任されたのに、気づかないで寝てたとか最悪じゃん。ごめん、ゴロンタ!今あげるからね!
だけど、キッチンルームにもいない。
ザワザワと胸がざわついてくる。
どこ行った? もしかして、悪戯してるとか? そういえばこの前、ゴロンタがお風呂に落ちて大変だったって花音が言ってたような......。
急いでバスルームに向かってみる。もし溺れていたら大変なことになる。
でも、そこにもゴロンタの姿はない。
お風呂の中の水は抜かれていた。溺れてる可能性は最初からなかった。花音のことだから、気を付けてるのかもしれない。
ここにもいない? だけどさっき、部屋にもいなかった。もしかして隠れてたとか?
また部屋に戻ってみる。グルリと見渡してみるけど、やっぱりゴロンタの姿が見えない。ベッドの下にも、それこそ机の隙間にも、クローゼットの中にもいない。なんで......?
「ゴロンタ? 出ておいで! おやつあげるから!」
名前を呼んでも、部屋の中はシーンとしている。物音も聞こえない。
窓は最初から開けていない。鍵もかかっている。だから、窓から外に出ていったとかはない。
どんどん焦燥感が体中を駆け巡る。
うそでしょ? なんで? さっきまであのクッションの上で寝てたのに。
葉月っちに任せてって言ったのに、あたし、何やってんの? 自分も寝てゴロンタがいなくなってるの、気づかないなんて!
もしかしたら、部屋の外に行ったとか? でも、部屋の鍵は締めた──ハッとそこで気付いた。あたし......花音たち見送ってから部屋の鍵閉めてないかも......。
慌てて今度は廊下に繋がるドアへと向かう。
サアっと血の気が引いていったのが分かった。
ドアが少し、開いていた。
最悪だ。
ゴロンタ、お腹空いて部屋から抜け出したんだ。
ゴロンタは基本、この部屋にいる。鴻城の護衛の人がお世話するのもこの部屋だ。後は寮母さん。寮母さんの受付の部屋で過ごして、葉月っちの帰りを待っている。寮母さんが玄関周りの外を掃除する時だけゲージに入れていて、そこから寮生のみんなにお帰りなさいの鳴き声を出している。
だけど、今日、寮母さんはいない日だ。
自分が今日はお世話するとも伝えている。
ドッドッドッっと心臓の鼓動が響いてきた。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう。
あ、でも寮生の誰かがおやつとかあげてるかも!
急いで廊下に出て、隣の部屋に行った。
答えは見ていないというもの。
また違う部屋に聞きに行った。
やっぱり答えは見ていない、来ていない。
ほとんどすべての部屋を回った。
留守だった部屋もあるけど、みんな、ゴロンタを見ていない。
うそでしょ? どこいったの?
「ゴロンタのこと見かけたら連絡して! というか保護してて!」
「え、あああの、舞先輩!?」
最後に生徒会の後輩の部屋に行ってから、入口に向かって走った。
いない。
いないいない!
嫌な汗がさっきから背中を伝ってくる。
外に出て行ってしまっていたら、本当にまずい! ゴロンタはまだ子猫だ。好奇心旺盛だから、構わず道路にも出てしまうかもしれない。もしそれで車にでも轢かれちゃったら、なんて嫌な想像を勝手にしてしまう。
もうすぐ暗くなる。そうなると、見つけるのも難しくなる。
まずは周辺を探そう!
探さなきゃ! 見つけなきゃ!
だって、あの子はもう葉月っちにとって大切な子なんだよ!
もし、もしゴロンタがいなくなったら、葉月っちは自分がいるせいだって思っちゃうかもしれない。
そんなことになったら、また自分を責めるかもしれない。
そうしたら、また、自分の存在を否定するかもしれない。
そうなったら、
一花からも笑顔が消えることになる!
そんなの嫌だ!
あたしのせいだ。
あたしがちゃんと起きてゴロンタの様子を見ていなかったから。
せっかく任されたゴロンタのお世話も碌にできないなんて、本当に自分が情けない。
こんなあたし、一花に好きになってもらえなくても当然じゃん。
情けなくて、そんな自分が嫌で嫌で、走ってる間にじわっと涙が込み上げてきた。視界が霞む。グイっと乱暴に腕の服で払った。
泣いてる場合じゃない。
見つけなきゃ。
ちゃんと、葉月っちたちのところにゴロンタを返してあげなきゃ!
携帯も取りに戻らず、
周囲に視線を向けながら、
あたしは寮の外に出た。
お読み下さり、ありがとうございます。




