256話 じれったい —花音Side※
「おいしい?」
「んん、おいひい」
満面の笑顔で、おいしそうにオムライスを頬張っている。
作ってよかったって思わせてくれる、その笑顔。
この部屋でまた見られたことが、また堪らない。
すぐに平らげてしまったから、お代わりの分を作ってまたテーブルに出してあげると、これまたおいしそうにお代わりのオムライスを口に入れている葉月。
これが、見たかったんだよね。
微笑ましく思いながら、ずっとその姿を見ていたいなって思う。
食後に葉月の好きなハーブティーを淹れてあげると、あの安心した顔をしてくれる。このハーブティーを飲む時だけに見せるその顔を見るだけで、満足感に浸れる。
気長に待とう。
葉月がここにいてくれるだけで、私にとっては奇跡だから。
ゆっくりゆっくり、葉月が好きになってくれるのを待とう。
そう決心していたんだよ?
「ねぇ、花音?」
「うん?」
「花音はどうしたいの?」
「どうしたいって?」
自分も淹れたハーブティーを飲んでいたら、葉月がそんなことを聞いてきた。
どうしたいっていきなりどうしたんだろう? 思わず首を傾げて葉月に聞くと、聞いてきた葉月も首を傾げていた。
「舞にね」
「舞?」
「返事したのかって言われたんだよ」
思わず持っていたカップを落としそうになった。
カアアアと頬が熱くなる。
どうしたいって……そ、それは告白のこと!? 返事って、舞!! 私、本当ついさっきに気長に待とうって決めたばかりなのに!! 前から決めてたけど……。
いきなり告白のことを話題に出されるとは思わなかった。葉月、全然反応ないし、何も言ってこなかったし。てっきり忘れてると思ってた。
で、でもそうか。普通忘れないよね。あんな恥ずかしい告白だったからね。
……どうしたいなんて、決まってるんだけど。
この際だから、1回ちゃんと葉月に聞いてみるのもいいかもしれない。今の時点でどう思っているのか。嫌っては――いないはずだし。
カップを置いて、ふうと息をついた。
ゆっくり葉月の方を見ると、不思議そうに見てくる。
こ、この感じ……何も思ってなさそう。いや、うん。まだ早い。落ち着け、私。
「ねえ、葉月?」
「うん?」
「葉月はその……やっぱり嫌?」
きょとんとしている。それは、どっち? というか、何のことか分かってる?
「その……同性にそういう風に想われるの嫌かなって」
少し言葉に詰まってしまった。でも、目の前の葉月はどこか納得した様子。
「花音、可愛いから。そういうのは気にしないかな」
ドクンっと胸の奥が騒がしくなる。
か、可愛いとか……サラッと言わないでほしいなぁ。何で葉月は、無自覚天然でこういうこと簡単に言っちゃうかな。
心臓がバクバクとして息苦しい。好きな人からのその褒め言葉、体に悪い。
「……あの、ね……葉月……そういう風に言われると嬉しいんだけどね。心臓が持たないから」
無理。っと思って、顔を両手で覆ったよ。
落ち着こう、私。葉月は天然。葉月は無自覚。ただそう思ったから言っただけ。何で私が顔赤くなってるのかも絶対気付いてない鈍感。
すっごい深呼吸してから、手を外して葉月に向き直った。……あたふたしてる。これ、絶対、「心臓持たないの、え、どうすれば?」という顔だ。少し冷静になったよ。
だからニッコリ笑ってあげた。
「葉月が無自覚天然鈍感だっていうことは知ってるから、大丈夫だよ」
ガンっとしたように、葉月がショックを受けているのが分かったよ。大丈夫だよ、葉月。
「そういうところも好きだから安心してね?」
全部ひっくるめて、ちゃんと私は葉月のことが好きだからね。ポカンと口を開けているその姿も、愛しくてたまりませんから。
そんな葉月を見て妙にすっかり落ち着いた。もうこれは直で聞いてみよう。
「それで、葉月はどう? 私のこと好き?」
さすがに慌て始めた。目を忙しなく泳がせている。動揺しているのは分かるけど、でもこれは……どっち? 好きなのか嫌いなのかも分からない。
「私のことはそういう風に見れないかな?」
「……あの、花音?」
「ん?」
少し気まずそうにしているね。何かを聞きたそう。何を聞きたいのか――。
「花音はそれで、私が好きって言ったらどうするの?」
「抱きしめてキスしますけど?」
何を言うかと思えば。
そんなのキスするよ? 抱きしめるよ? 愛してるって言ったでしょう? 好きな人にしたいことなんて決まってる。
即答した私に、明らかに動揺している葉月。あちこちと視線が彷徨ってる。
何だか面白くなってきた。そんな葉月の反応を見れるなんて思ってなかった。嬉しくなるのはやっぱり重症だからかな?
思わずそんな自分にクスって笑ってしまう。キスするって言っただけで、こんなに動揺するなんて思わなかったなぁ。そもそも、葉月が最初にしたよね?
「でも、私のファーストキス、葉月が奪ってるけどね?」
忘れているのか、一瞬にしてきょとんとした顔になった。葉月だと半分以上確信してるよ?
「海で助けてくれてありがとう?」
そう告げると、今思い出したのか納得したように「ああ」と呟いていた。
「いや、でもあれは人口呼吸――」
「やっぱり葉月だったんだね」
本当に葉月だった。つい苦笑しちゃったよ。葉月もそう思ったのか、目をパチパチとさせている。葉月はあの時、一言も助けたことなんて言ってなかったからね。
「会長がお正月にね、自分じゃないって教えてくれたんだよ。じゃあ誰がって考えたときに、葉月しか思いつかなかったんだ」
「そ、そう」
「会長が教えてくれるまで、会長にされたと思ってたんだけどね。でも葉月だったから、嬉しかったかな」
嬉しかったなぁ。やっぱりファーストキスは好きな人とってどこかで思ってたんだろうね。
葉月だったから、本当嬉しかった。
――まあ、それはそれとして。
またハーブティーを飲もうとしているから、ちゃんと言っておかないとね。
「でも、大変だったよ? 誰かさんがそれはもう無自覚に人を誘惑してくるからね。思わず寝てるときに、抑えられなくてキスしちゃったけど」
もうあれ以来、キスしたくてキスしたくて大変だったんだからね?
暴露したから、葉月が噴き出しそうになってた。この動揺している葉月、可愛いなぁ。クセになりそう。
「葉月が気づかなかったから安心してたけど、一花ちゃんにはバレてたね……はぁ……」
わざとらしく溜め息をつく。葉月は絶句してるね。もっと意地悪なことを言いたくなってきた。
「葉月が悪いんだよ?」
「へ?」
「一緒に寝るんじゃなかった、あの時。葉月が退院して、安心したくて一緒に寝てってお願いしたんだけど、それはもうあんな無防備な可愛い寝顔見ちゃったら……無理、限界」
実際無理だったし。あの寝顔とか無理だし。というか今でも無理だし。
つい鎖骨にキスしたことを思い出してしまって、頬が熱くなっていくから、また両手で顔を覆っちゃったよ。感触また思い出した。
「ハア……でも一番はここ最近かも。キスしてからもう抑えるの大変だったんだよ? あのとき葉月を止めるためだったとはいえ、もうダメ、無理。毎日思い出すし。葉月がちゃんと私を好きになってくれるまで、返事待つつもりだったのに――なのに、どうしたいって」
吐き出すように自分の口からは次々溢れだす。これ、止まりません。もう全部葉月に言っちゃいたい。というか言う。
「か、花音?」
「そんなのキスしたいに決まってるし、もうずっと抱きしめてたいし触れたいし、もう他の人と話してほしくないし……一花ちゃんに何度嫉妬したことか……」
もう葉月への気持ちが全開。
何度キスしたいって思ったか、抱きしめたいって思ったか、嫉妬したか。
戸惑っている葉月の空気が伝わってきたけど、でも無理。一度口に出したら、もう全部出てくる。こんなの初めて。
「でも全っ然葉月気づかないし! 指とか手とかに抑えられなくてキスしてもあんまり反応ないし――なのに可愛いし、嫌いって言われる方が怖かったし、でもあの見せてくれた本当の優しい笑顔がたまらないし、でも反応ないし……もう少し私を意識させてから告白しようと思ってたけど、でもそんな気配ないし……だから告白があんな場面になっちゃって……皆見てたのに」
「か、花音?」
「さっきの顔も危なかった……キスしそうになったよ……葉月、どれだけ無自覚なのって思っちゃうよ」
「い、いや、あの花音?」
葉月の声が聞こえてきた気がしたけど、言ってて思った。
そうだよ……無自覚なんだよ。
あの笑顔も、優しさも、しかも可愛いとかサラッというところも。
それって――私以外にもそうだってことじゃない?
それってつまり――――。
「これじゃあ、すぐに葉月を好きになっちゃう人出てくる――そっか、そうだね。そうだよ」
口に出して、ますますそう思えてきた。
誰がいつ好きになってもおかしくない。こんなに綺麗でこんなに可愛くて、こんなに優しいんだもの。ライバル――いっぱい出てくる。
今は葉月の悪戯で皆は敬遠してるけど、絶対出てくる。相手は男の子だけじゃない。女の子もだ。だって現に、女の私が好きになったもの。
これは、気長になんて待てない。
葉月はきっと私の事を嫌ってない。
ハグもキスも嫌がって無かったもの。
一応、確認しよう。
顔を覆っていた手を下げて、改めて葉月の方を見ると、またきょとんとしている。そんな葉月ににっこり笑った。
「葉月? 私を好きだよね?」
もうこうなったら、誘導でもなんでもいいから言質取ろう。葉月は流されやすいから、きっと大丈夫。
見るからに葉月は慌てていたけど、深呼吸してから、落ち着いた声を出していた。
「あの、花音?」
「うん、好きだよね?」
「ちょっと落ち着こう、ね?」
「私は落ち着いてるよ?」
その口から好きって言葉が出ればよし。だからもう迫ったよ。ベッドの近くまで後退りしてたけど、絶対その言葉が出てくるまで逃がさないから。
「ね、葉月、好きって言って?」
「かかか花音? だからちょっと、ちょ~っと落ち着こうか!?」
「だめ? 私じゃだめかな?」
ベッドに背中を当てて、まるで捕食者から逃げようとする葉月。でも逃がさない。
ベッドに手を置いて、両腕で閉じ込めた。
……どうしよう。少し怯えてるけど、でもこの怯えた姿も可愛い。
可愛いと思った瞬間、
もうキスしたくてたまらなくなった。
理性が全く働かない。
だから顔をどんどん近づけた。
その唇を味わいたくて、たまらない。
葉月が肩に手を置いて押してきた。その手の感触も今の私には嬉しくて仕方ないよ。その手を掴むと、葉月はまた驚いた表情になっている。
「葉月、好きだよ……もう無理だよ……」
掴んだ葉月の手の平に、自分の唇を押し当てる。その感触が心地いい。
「かかかか花音? ちょちょちょっと落ち着こう? ね?」
「じゃあ、好きって言って?」
「いいいいいや、あのね、花音? 私はそれを確認したくてね?」
「やっぱり嫌い?」
「それはないです」
――――ん?
今、それはないって言った?
そう、なの?
今まで葉月から、確かに嫌がっている感じはなかった。
だけど優しいから、私のすることに何も言ってこないんだと思ってた。
思いがけない葉月の言葉で、さっきまでのキスしたい衝動がパタッと落ち着く。
「嫌いじゃ……ないんだ」
「えっと、それはないよ?」
「そうなん……だ」
「そうだね」
またハッキリとそう言った。
あれだけ無理やりキスしたのに。
手とか指とかにキスしたのに。
それを葉月の意思を無視してしてたのに。
嫌いに、ならなかったんだ。
ついポカンとしてしまう。いや……だって……普通、“何してるの?”ってならない? 会長だって宝月さんにいきなりキスされてて、そうなってたよ?
「あのね、花音。私は花音のことちゃんと好きだよ?」
「え……?」
またまた葉月が予想外のことを言いだした。
好きなの?
全っ然そんな反応したことないし、全っ然そんな態度じゃなかったよね?
「ただ、ね……それが花音と同じ好きかが分からないだけなんだよ? 本当だよ?」
――そっち??
え、でもちょっと待って? キスとかハグとかされてて、そうなるの?
恋愛かどうかが分からないって――え、そっちなの?
まるで困ってるんだよと言いたげに、葉月はうーんと唸っている。
……全く分からないんだ。
つい、葉月の手を放して茫然としてしまうと、うん? と可愛らしく首を傾けて見てきた。
さっきまで葉月の手を掴んでいた自分の手で、顔を覆う。思いっきり溜め息が出てきた。
そう、だよね。
葉月だよ?
恋愛と友情の違いなんて、わからないよね。
でも、一つ言いたい。
キスとかハグとかされて嫌じゃないって――
それ、私のこと好きじゃない?
好きじゃなかったら嫌だろうし、拒否するよね? 葉月、全っ然反応なかったから分からなかったけど、でもそれが答えだったんじゃない?
「葉月……」
「は、はい……」
何故か敬語で返事してきた。でも私、それどころじゃないからね?
「今からちょっと質問するからね?」
そう……ちょっと質問してみよう。
その答えでハッキリする。
「私と一緒にいて、胸ドキドキするかな?」
「うん? うん、たまに……」
してたんだ? 顔に全然出てなかったけど、してたんだ?
「私が笑うと嬉しいとか思ったりする?」
「それはイエスだね」
即答。私が笑って嬉しかったの?
「……じゃあ、離れてる時に会いたいって思った?」
「ん? 会いたいっていうより、笑っててくれないかなと」
「――つまり、離れてる時に私のこと考えてた?」
「そう、だね……怖い夢見てないといいなと」
考えてたの? ものすごく逃げ回ってたけど、そういう風に考えてたの?
「……私が誰かと一緒にいるとき、胸がモヤモヤしなかった?」
「……した」
したの? それ嫉妬。ヤキモチ。
「……私が指とか手とかにキスした時、本当はどう思ってた?」
「目が離せなくて心臓うるさかったです」
ドキドキしてたの? しかも目が離せなかったの? だからあんなジッと無反応で見てきてたの?
「……もし私が他の誰かとキスするってなったら、どう思う?」
最後の質問。
「やだ」
即答。
深く深く溜め息が出てきた。
それはもうこれ以上なく深い溜め息が自然と出てきた。
いやだって――私が他の人とキスするのやだって。
それもう、私の事好きじゃない。
ゆっくり顔を覆っていた手を下ろして、呆れて葉月を見てしまったよ。分かってなさそうな葉月が、目の前にいる。
「あのね、葉月」
「うん?」
「それ、私のこと好きだからね」
「え、うん」
「葉月、また分かってないね。恋愛の方だからね」
「え、え?」と戸惑っている。全然分かってない。
どうすれば気づくの? 葉月の感じてる感情が恋愛だって。これはもう一花ちゃんを例題に出そう。
「葉月、私とキスできる?」
「うん?」
「一花ちゃんとはできる?」
「いっちゃんは違う」
即答。これでも分からないなんて。
でも畳みかける。
「どうして?」
「うん? 違うって感じ」
「じゃあ、私とは?」
ジッと見たら、葉月が何も考えてなさそうに、自分の指で私の唇に触ってきた。
――な、な?
何でいきなりそういうことしてくるかな?!
唐突に唇に葉月の指の感触。
フニフニと、何故か弾力を確認するかのように押してくる。
「したいかも」
また唐突にそう言ってきた! したいの!? カアアアっと顔が熱くなるのを抑えられない。
したいって思ってるのに――なんでそれで気づかないの!?
唇を触ってる葉月の手をムギュっと掴んで離した。尚も戸惑ってる様子だけど、私、それどころじゃないからね。
本当、何でこんな鈍感なの? 自分の気持ちに。
ついジト目で見てしまったよ。
「葉月、ちゃんと自覚して。私をそういう対象で好きってことだからね」
もう完全にそれ、私のこと好きじゃない。
一花ちゃんへのキスを即答で違うって言ってて、何で気づかないのかな?
だけど、やっぱり葉月は自分の指と私を交互に見てくる。
さっぱり分からないって顔をしている。
じれったくなってきた。
「私といてドキドキして、いなければ私のこと考えて、しかも他の人と一緒にいたら嫉妬して、キスしたいと思って、それでどうして友達の好きと勘違いできるの? 一花ちゃんが他の人と一緒にいても、嫌だなって思ったりしないでしょ? 一花ちゃんといて、心臓がバクバクしたりしないでしょ? 一花ちゃんがそばにいない時に、何してるかなって考えないでしょ? 一花ちゃんとキスしたいと思う?」
一気に捲し立てると、それを考えてるのか、フムフムといった感じで頷いていた。
「それが好き。恋愛の好き」
言い含めるようにハッキリ言うと、またポカンとした表情で私を見てくる。
これでも気づかない?
葉月のそれ、私への好きだよ?
友情じゃないよ? 恋愛だよ?
本当は嬉しくて仕方ないはずなのに、当の本人が分かってないとか、じれったくて素直に喜べないんだけど?
しばらくポカンとしていた葉月が、いきなり納得したかのようにじっと見つめてきた。ん? これは、分かった?
――――え?
私が握ってない方の手で、唐突に葉月が私の体を抱き寄せてくる。
あまりの急なことで、逆にこっちがポカンとしてしまう。
「え――は、葉月?」
こ、これは……自覚したの? どっち?
ギュッと私が掴んでいた手も首に回してくる。
――というか。
葉月の温もりに包まれて、それだけで心臓が張り裂けそう。
自然と葉月の肩口に顔が埋まった。
ああ、もう。何でこんなこといきなりするかな。
気持ちの準備が出来てない時に、こう抱きしめられるとか、心臓持たない。
耳元で、葉月が笑う声が聞こえてきた。か、からかってる……?
「はづ――」
「好き」
「え?」
今、なんて?
「ちゃんと好き」
はっきりと、間違いなく葉月が耳元でそう囁いてきて、体が自然とビクッて震える。
幻聴……じゃないよね?
ドクンドクンと、さっきから早鐘のように鼓動が叩いてきて、体が熱い。
私がそう聞きたいから、そう聞こえたとか?
自分の耳、ちゃんと働いてるよね?
「花音が好き」
優しい声で、また囁いてくる。
体がさっきより熱くなる。
ズルい。
そんなのズルい。
ギュッと葉月の腕の服を掴んだ。
「不意打ちすぎるよ……」
嬉しそうに、葉月は耳元でクスクス笑ってくる。
その笑い声が、どこか幸せそうに聞こえてきて、
葉月が、自分のことを好きだって思ってくれてるのが伝わってきて、
嬉しくて、もうおかしくなりそう。
「好きだよ、花音」
本当、その優しい声音での告白、ズルすぎる。
それだけで、もう何もいらないって思ってしまう。
「私も好きだよ、葉月」
でも、私の方が好き。
絶対そう。
この甘い声に、その言葉に、酔いしれてしまう。
好きで、好きで好きでたまらない。
葉月の腕の力が緩んだ。
顔を見たくて、ゆっくり自分の顔を上げる。
――――ああ、もう。
何これ。
こんなの、絶対私のこと好きだよ。
そこには嬉しそうに、愛おしそうに私のことを見てくる葉月。
目元を緩ませて、若干頬が赤くなってる。
なんで、自覚した途端こうなるかな?
さっきまで分からなそうにしていたくせに、こんなのズルい。
こんなの、こんな笑顔……誰にも見せられない。
どこまでも幸せそうに、子供の頃の両親と一緒に笑っていた葉月の笑顔が、そこにある。
そっと葉月の指が、私の頬に触れて撫でてきた。
その手が、
指が、
まるで宝物に触れているかのように撫でてくる。
敵わない。
そっと、葉月の頬に私も触れた。
どんどんとお互いの顔が近づいた。
葉月の吐息がくすぐってくる。
柔らかくて、暖かい葉月の唇に自分の唇を重ねた。
――――こんなの、知らない。
あの時のキスと違う。
葉月の口を無理に塞いだ、あの時のキスと違う。
今、こんなに満たされていく。
葉月の唇の温もりが、柔らかさが、私を包んでいく。
好きって気持ちが、溢れてくる。
幸せで愛しくて、胸の奥まで温かくなってくる。
こんな心地よさ、知らない。
もう、ずっと触れていたい。
ハッ……と息を漏らして、唇がつくかつかないかの距離に少し離れた。葉月の吐息が、唇をくすぐってくる。
それすらも幸せで、どうにかなってしまいそう。
近くで葉月の瞳を見つめる。
あの綺麗な瞳が、私を捉えて離さない。
またフフって、葉月があの微笑みを浮かべていた。
本当、こんなの誰にも見せられない。
「葉月……それ、だめだから」
聞いているのか聞いていないのか、葉月はあの笑みを浮かべながら首を傾げていた。
尚も嬉しそうに、幸せそうに笑っている。
「それ、誰にも見せちゃだめだからね」
こんなのを見たら、誰もが恋に落ちてしまう。
頬を撫でると、スリッとその手に頬を擦り寄らせてきた。可愛い。
それは嬉しいんだけど、分かってなさそう。
「私以外に見せないでね?」
でもニコニコと笑っている。
それはもう何も考えてなさそうに笑っている。
……これ、自覚してない。
「本当にわかってる?」
「うん? わかってない」
「そうだよね……葉月だもんね」
そう、葉月はわかってない。しかもはっきりそう言ってきた。
この無自覚、どうにかならないかなぁ。
「花音、大丈夫だよ?」
「えっと、何が?」
私が考え込んだのが分かったのか、そんなことを言い出した。
いきなり、どうしたんだろう?
何が大丈夫なの?
「だって、私」
「うん?」
どこか自信たっぷりに、そして嬉しそうに見てくる葉月。
「花音に攻略されたんだもん」
…………攻略?
何のこと?
頭の中が疑問符だらけになってしまったよ。
思わずパチパチと目を瞬かせてしまった。
あの、葉月?
さっぱり分からないんだけどな?
「葉月? 何の話?」
「えへへ~こっちの話~」
また葉月が唇を重ねてくる。
不意打ち、ズルい。
でもそれだけで、もう私は何も考えられなくなった。
感じるのは葉月の温もり。
それが唇から伝わって、これ以上なく体に沁みわたる。
幸せで、幸せで、それ以外何もいらなくなる。
やっと手に入れたその笑顔を、何度も自分の瞳に写し込んで、
その日は何度も何度も葉月とキスをした。
お読み下さり、ありがとうございます。




