254話 ここにいる現実 —花音Side※
部屋は、葉月がこの部屋を離れる前と同じ状態になっている。
葉月はゆっくり部屋の中を見渡していた。
入院していた時の葉月の荷物をベッドの隣に置き、自分のバッグも一旦中央のガラステーブルの上に置く。クルっと振り返ると、まだ葉月は部屋の中を眺めていた。
……葉月がいる。
この部屋にいる。
それが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。
あの日以来、ここに葉月はいなかった。
葉月の過去に踏み込んで、葉月は私から離れていった。
その葉月が、目の前にいる事実が、本当に嬉しい。
嬉しくて微笑みながら葉月を見てたら、葉月が少し慎重そうに声を掛けてきた。
「花音?」
「うん?」
「……夢、見ない?」
――まだ、心配してくれてたの?
心配そうな表情になって、私を見てくる。
本当、優しいな。
いつも自分より周りのことを考えるその優しさ。出会った頃からずっと変わらない。その優しさが好きなんだけどね。
思わずクスって笑みが零れて、ドア近くに立っている葉月の手を取った。
「そうだね、全く見ないわけじゃないけど」
ピクッと握った手が動く。思わずと言った感じで、葉月が足を一歩後ろに下げた。でも離さなかったよ。
顔を上げて葉月を見ると、やっぱり不安そうな表情になっている。違うよ、葉月?
「でも、葉月が死ぬ夢じゃないよ?」
え? というように少し驚いた葉月。その顔が少しおかしくなって、また笑みが零れてしまう。
「葉月がね、震えてる夢」
分からなそうに葉月が首を傾げていた。そうだよね。私もさっき、鴻城のお屋敷で気付いたからね。
「小さい葉月が震えて、膝を抱えてる夢を見るかな」
あの子が葉月だったなんて思わなかった。
「でも最近は見なくなったよ。葉月のそばにいるからかな」
最後に抱きしめてから、あの子は出てきていない。あれから毎日、今の葉月を抱きしめてるからかな。
握った葉月の手を持ち上げて、自分の頬に当てた。変わらない温かさが伝わってくる。
「さっき子供の頃の写真見て驚いちゃった。だって夢の女の子がいたから。あの子が葉月だったんだなって思ったんだよ?」
目の前の葉月は、信じられないのか何度も目をパチパチと瞬かせていた。不思議そう。私も不思議だよ。でも、あの子が葉月だったらいいなと思ってる。
「震えてるその子を何とかしてあげたくて手を伸ばすんだけど、いつもそこで目を覚ましてた。最初は確かに葉月が死ぬ夢見てたよ。でもクリスマス辺りからは、その子の夢に変わっちゃった。卒業式の日辺りからは見なくなったけどね」
「そう……なの?」
「そう。だから本当にもう大丈夫だよ、葉月」
「そ……そう」
あまり納得がいかなかったのか、いまだに分からなそうに首を傾げていた。どうして小さい葉月が出てきたのか、私も不思議でならないけどね。あ、子供の葉月で思い出した。あの写真。
葉月の手を離して、自分のバッグから写真を取り出す。
この写真を見ると、私まで幸せな気持ちになる。
自分の机の引き出しから写真立てを取り出し、そこに写真を入れて、また葉月のところに駆け寄った。いきなりそんな行動を取ったからか、葉月はまた不思議そうにしている。
喜べばいいなと思って、葉月にその写真を差し出した。
「これ、葉月の机に置こう?」
その写真を受け取った葉月の目が、どんどん驚きでいっぱいになっていく。
写真に写っているのは、葉月と葉月のご両親の笑っている写真。
お母さんが葉月を抱きかかえていて、お父さんが子供の葉月の口の周りに付いたクリームを拭きとろうとしている。
葉月とご両親が一緒に写っている写真があればなって思ったの。そうすれば寮に飾れる。
葉月がいつでもご両親と会えるように。
慈しむように、葉月がその写真をそっと撫でていた。
喜んでくれたかな?
飾ってくれると嬉しいな。
「ね、葉月?」
写真から視線をこっちに向けてくれた葉月。
「うん」
優しく、またふんわりと微笑んでくる。
うわ……は、反則。
その微笑みを見た時に、心臓が暴れ出した。激しい鼓動が胸を叩いてくる。
視線をまた写真に戻していたけど、私はたまらずしゃがみこみました。
無理……無理無理。何あの笑顔……全然慣れない! 可愛すぎ、綺麗すぎ!!
「か、花音?」
「不意打ちすぎるよ……」
心配そうな葉月の声が頭上から降ってくる。
不意打ちすぎるから。
ああ、もう……キスしたい。
今すぐ葉月にキスしたい。
葉月、無自覚のその笑顔……本当困る。
しばらく内心で悶えていたら、段々落ち着いてきた。というか、葉月の困っている空気が伝わってきた。
ご、ご飯作らないと。もう葉月もお腹空かせているだろうし。
スクっと立ち上がって「ごめん、もう平気」と葉月に告げると、どうみても混乱している葉月がそこにいた。手を出したり引っ込めたりしてるんだもの。ハアと息をついたよ。この鈍感さが、また可愛い。
「今日は葉月の好きなオムライス作るから。他に食べたいものある?」
「オムライスでいい」
「ふふ、じゃあちょっと待ってて。準備は朝の内にしてあるから、すぐ出来るよ」
うんと甘くしてあげなきゃね。スープは温めるだけだし、サラダももう盛り付けるだけ。
本当は今日、皆で葉月の退院祝いをしようと思ってたけど、舞が気を遣ってくれてそれは後日になったんだよね。だから、今日は私と葉月の2人分だけ。すぐ作り終わる。
キッチンに向かおうとして、ふと葉月に言ってないことがあったことに思い出した。だから葉月の方を振り向くと、自分の机に向かっているところ。多分、写真を置こうとしたんだね。
「待って、葉月」
「うん?」
呼ぶと、また振り向いてくれる。
それだけで、嬉しさでまたいっぱいになった。
「おかえりなさい」
言いたかった言葉。
この部屋に帰ってきてくれた。
それがどれだけ嬉しいことか、葉月、分かってるかな?
「うん、ただいま」
葉月が目元を緩めて、そう言ってくれたことがまた嬉しい。
自然とまた口元が緩んでしまう。
ふふって笑って、今度こそキッチンに向かった。
葉月が大好きな甘いオムライスを作りに向かった。
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