245話 帰省 —花音Side※
「あのね……」
「ん? 何、葉月?」
「うんと……退院、決まった」
え、決まったの?
いつものように、葉月の病室で検査が終わって、着替えの手伝いをし終わった時に、葉月がそんな嬉しいニュースを知らせてくれた。
退院。そっか、そっかぁ。
近いうちにとは聞いてたけど、日にちまでは決まってなかったから、良かった。
「じゃあ、ご馳走作らなきゃね。いつになったの?」
「……明後日」
随分急に決まったんだね。でもそっか。葉月、寮に帰ってくるんだ。
実は、一花ちゃんにも相談して、計画してたこともあるんだよね。一花ちゃんも了承してくれたし。
嬉しいな。葉月が帰ってくるのは素直に嬉しい。
「迎えにくるよ。何時ごろ?」
「…………」
いきなり黙っちゃった。どうしたんだろう? まさか……迎えに来られるの、嫌?
ベッドの上で、葉月は顔を下に俯けたまま、キュッと布団を握ってる。どこか緊張しているように見えた。何かあったとか……?
不安になってその手を握ると、やっとこっちを向いてくれた。
「どうしたの?」
「……実家に、顔出しに行く」
え、実家? 鴻城の?
予想外の言葉で、つい何度も瞬きしちゃった。
「おじいちゃんたちが、会いたいって……」
……そう、だよね。葉月が怪我してからも、鴻城さんたちは葉月との約束とかで会いにこれないって、一花ちゃんが言っていた。
ただ、葉月が会いにいこうって思ったなら、それはそれで嬉しいことだね。
本当は一緒に行きたいけど、私が一緒に行ったら邪魔かなって思っていたら、チラッとこっちを見ながら、葉月が手を握り返してくれる。
「いっちゃんも来るよ」
――あれ? これって誘ってくれてる?
だから、思い切って願いを言ってみた。
「私も、一緒に行きたいな」
「……来る?」
「うん。葉月が嫌じゃなかったら、一緒に行きたい」
「いっちゃんに言っとく」
心なしか、葉月がどこか安心しているように見えた。
葉月の実家か。手土産に何かお菓子でも作っていこうかな。前に喜んでくれたよね。
私との会話が終わった葉月は、また窓の外を眺めていた。
最近、少しだけ分かるようになった。
きっと今、ご両親のこと思い出してる。さっきの手、少し震えてたから。
ご両親のことを考えてる時の葉月は、本人は気づいていないみたいだけど、いつも少し体が震えている。1回だけ、葉月に両親のことを聞いた時そうだった。言いにくそうにしてたから、その時はすぐに話題を変えたけど。
でも、空を見て、必死にそれを隠そうとしている。
震えてるのをなんとかしたくて、空を眺めている葉月をそっと抱き寄せた。
「花音……?」
「少し寝よっか、葉月。今日は検査で疲れたでしょ?」
「……うん」
ゆっくりと宥めるように、頭と背中を撫でてあげる。それが一番落ち着くみたい。
先生は言っていた。
子供の葉月と大人の葉月が、葉月の中にいると。
両親が亡くなった事実を、子供の葉月は受け止めきれなかったんじゃないかって、先生はそう話してくれた。
自我を失ってしまったのは、子供の葉月。
理性を取り戻したのは、大人の葉月。
自我を失った時に、子供の葉月は時間を止めてしまったのではないか? そのせいで、大人の葉月と子供の葉月が、はっきりと葉月の中で分離してしまったんじゃないか?
そう、先生は仮説を立てたらしい。
だけど今、葉月は意識しなくても自我を保っていられるみたい。
その子供の葉月がやっと時間を動かし始めて、大人の葉月と溶け込みだしたんじゃないかなって、笑いながら話していた。
目を覚ましてからの葉月は、時々極端に子供っぽくなる。
前から子供っぽいところがあったけど、もしかしたら、それは子供の時の葉月が出てきている表れだったのかもしれない。
だから私は抱きしめる。
子供の葉月も、大人の葉月も全部包んで温めてあげたくなるから。
全部全部、受け止めたいから。
いつものようにしばらく抱きしめていると、葉月は段々と体重を預けて、寝息を立てて寝始めた。
鴻城の実家に帰るのも緊張してるんだろうな。おじい様たちに会うのも久しぶりだよね。
葉月にとっては自分を愛してくれる人達。
怖いって……まだ思ってるのかな。
でも、大丈夫だよ。
「いなくならないから……誰も」
寝ている葉月に囁いた。
聞こえたのかは分からない。
だけど、さっきより安らかな寝顔になった気がした。
□ □ □ □
「はい、一花ちゃん」
「ああ、ありがとう」
「運転手さんもどうぞ。片手で食べられますので」
「どうもありがとうございます」
「はい、葉月。あーん」
「あ~ん」
退院の日。病院から一花ちゃんが手配してくれた車に乗り込んで、直接鴻城のお屋敷に向かう。
朝から今日は忙しかったなぁ。舞と一緒に人数分のお弁当を作って部屋も掃除して、さらには夕飯の仕込みもしてきたよ。日帰りで今日は寮にみんなで帰るからね。
舞とレイラちゃんも後ろの車に乗っている。2人とも一緒に来るって答えだったから、葉月も軽く「いいよ」って承諾してたよ。
車内でお昼のお弁当を広げて葉月に食べさせると、ちゃんと味も分かるみたい。あれ以来、本当に味覚が治った。でもたまに味しないって言うから油断は出来ないんだよね。
葉月は味覚だけじゃなくて、痛覚もないらしい。痛みが分からないから、自分が傷ついてるかどうかも分からない。一花ちゃん曰く精神的なものだと言っていた。
ただ、その痛覚も最近少し戻ってるとか。それなら嬉しいけど、でもやっぱり油断は出来ない。
食べ終わると、葉月はやっぱり窓の外の空を眺めている。緊張、してるのかな。
そっと葉月の手を、指を絡めて握ってみた。
……やっぱり少し震えてる。
いきなり手を握ったからか、葉月は少し驚いた顔で振り向いてくれた。大丈夫っていうことを伝えたくて微笑むと、ギュっギュッと握ってくる。
……なんかこういう風に握られること、前にあったような。
「プニプニする」
「ふふ、それ言ったらだめだって言ったよね?」
デートの時だね。そんなにプニプニするって、また太ってるって言いたいのかな? だから体重変わってないからね。
まあ、緊張してるのがそれで少しでもほぐれるならいいかって思って、そのまま葉月の肩に頭を預けた。
「大丈夫だよ、葉月」
「……うん」
大丈夫の意味が分かったのか、葉月も肩に置いた私の頭に顔を乗せてくる。その重さが愛おしくて、また手を強く握ると、葉月も返してくれた。
……こんな時に思う事じゃないけど、葉月、私のこと嫌ってはいないよね。ハグも、こうやって寄り添うのも、手を握るのも全然嫌がらないし。というか返してくるし。
少しだけ、期待してもいいのかな?
いやでも……葉月だし。
油断はやっぱり出来ないなぁ。
「一花様」
「慣れろ」
運転手のお姉さんと助手席に座っていた一花ちゃんが、2人にしか分からない会話をしていて不思議に思ったよ。何をそんなに通じ合ったのかな?
◇◇◇
「お帰りなさいませ、葉月お嬢様」
去年来た時みたいに、メイド長さんを筆頭に使用人さんたちがお辞儀をして出迎えてくれた。前と同じように圧倒されてしまうよ。これ、本当に現実なんだろうか。現実だけど。
「すまない、遅れてしまった。沙羅さんや魁人さんは?」
「既に到着しております。旦那様の私室で、皆様お待ちしておりますよ」
一花ちゃんが代表でメイド長さんに聞いている。そっか。如月さんたちももう到着しているんだ。
一花ちゃんが葉月の顔を見て「大丈夫そうだ」と何かを確認していた。前みたいに暴れたりはしないと思うけど、葉月自身がここに来るって言ったからね。
ずっと鴻城さんたちを避けていた葉月の前進。
やっぱりそばにいたいよ。
近くにいてあげたい。
「葉月お嬢様」
メイド長さんがいつもの無表情で葉月に顔をズイっと出してきた。隣にいるけど、それでもすごい圧を感じてしまう。葉月は慣れてるのか飄々としているよ。さすがだ。
「お元気そうで何よりです」
「……うん」
「きっと喜びます」
「うん?」
「お二方にも会われると聞きました」
「……」
「その時は笑ってあげなさい」
「…………ん」
そう。さっき聞いたばかりで私も驚いたけど、実はこの帰省、葉月のご両親のお墓参りも兼ねてるらしい。
言ってくれなかったから、お花も何も用意出来なかったよ。一花ちゃんにちゃんと聞いておけばよかったって、少し後悔している。
メイド長さんが葉月の頬を両手で掴んでつねっていた。確かに、少し葉月の表情も強張ってるかもね。自分で頬をムニムニとやっている葉月。気づいてなかったのかな?
ギュッと葉月の手を握ってあげると、葉月が私の方を見てくれる。
安心するかのように、あの笑顔を浮かべてくれた。
――不意打ちすぎるよ。
こんなところで赤くなるわけにはいかないのに。
「……これで自覚なしか。葉月っちの天然は筋金入りだわ」
舞、あんまり見ないでね?
ふふってつい笑いながら後ろにいる舞を見たら、少し血の気が引いていた。そんな怖がらなくてもいいのに。
ただ、握っている葉月の手はまた少し震えていた。
だからまたギュッと握り返してあげる。
大丈夫。
葉月、大丈夫だからね。
鴻城さんたちがいる部屋に辿り着くまで、葉月は何も言わなかった。
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