226話 あの日決めたこと
『迎えに来たよ』
ゆっくり目を開ける。
横を見ると、あの子が血だらけでベッドのそばにいた。
こっちをジーっと見下ろしている。ペチペチと頬を叩いてきた。
う――ん? ここは?
ここは病室だった。
ボーっとする。
ああ、ここは私専用の病室だね。
そうか……あの時、あの女にお腹刺されて……。
『今日だよ? 起きて~?』
あの子が覗き込んでくる。ペチペチペチペチと叩いてくる。
今日? もうそんなに経ってたの? あれからそんなに経ってたんだ~。
ゆっくり起き上がって、あの子を見た。
ニコニコして嬉しそう。
そっか、この子にとっても待望の日か。
窓の外を見る。快晴だ。
思わず口元が綻んだ。
『いこ~?』
「着替えなきゃね~」
『うん』
ベッドから降りて、腕や体についている管を取り外した。それから前に入院した時、万が一で用意して、ソファに隠していた制服に着替えた。
ベッドにあるサイドテーブルに向かう。
前に隠していた携帯を取り出して、起動させた。
うん。確かにあの時、決めた日だ。
『まだ~?』
「ちょっと待って~?」
『早く~』
携帯をいじって、鴻城の監視カメラに映る画面を用意してた画面に切り替える。
携帯の電源を切ってテーブルに置いた後に、あの子を振り返った。
「いこっか」
『うん!』
血塗れの手で私の手を握ってきた。
ヌルっとした感覚がまたする。
思わず苦笑しながら、握り返してから病室を出た。
□ □ □
『ここ~?』
「そう」
今はある一室の中にいる。
今日は警備が薄いんだよ~。おかげですんなり入れました。
絵画を外すと、金庫が出てきた。
なんてベタな隠し場所だろうって、初めて見た時思ったけどね。この金庫の鍵も、近くにある机からさっき取った。
ギイって音を鳴らして開けていくと、奥の方に古びた鍵を保管している箱がある。それを取って、慎重に開けていく。
これ、からくり箱なんだよね。手順間違うと最悪なんだよ。この4年で開け方もバッチリですね。いっちゃんの目を盗んでは挑戦してたから。
中から出てきた鍵は特殊な形をした古い鍵。え、これ鍵なの? って形をしてる。いやだって、立体パズルみたいな形状だからね。縦長で所々凸凹してる。
その鍵だけを取り、金庫と絵画を戻して部屋を出た。
『開く~?』
「ん~多分」
『多分~?』
目的の場所について、入口にある鍵開けに挑戦中。
そんなむーっとして見ないでよ。私だってこんな特殊なカギは今世でも前世でもないんだよ~。何これファンタジーなの? っていうぐらい複雑な構造なんだよ。さっき取ってきた鍵をキーにして時間内に100の質問に答えなきゃいけないんだから。前、挑戦しようとしたけど無理だったんだよ。
でも、問題は簡単なものだったね。歴史の問題だったんだもん。
なんだ拍子抜けって感じ。こんなことなら、もっと早く実行に移しておけばよかったって思ってしまった。ま、いっか。今日みたいな快晴とは限らなかったもんね。
扉が無事開いて、あの子も途端にご機嫌だ。
こうやって見ると、昔の私って可愛かったんだな~。
思わず頭ぐりぐり撫でたら、とても満足した様子ですね。まあ、この子幻だけど。私にしか触れないけども。
中に入ると螺旋状の階段がずっと上まで続いてる。ほ~。中はこうなってたんだね~。こうやって下から見ると壮観ですね。あ、だめだよ~。置いてかないで~。
あの子の手を取って、どんどん登っていく。
『ワクワク~』
あの子は鼻歌を歌いながら、ルンルン気分で隣でスキップしていた。そだね、楽しみだね。
一番上まで到着。
なんだか東屋みたいな作りだなぁ。等間隔で太い柱があって屋根を支えていた。思わずキョロキョロしてしまう。
結構広いな。それもそうか。ここ、大きい望遠鏡があったはずだもんね。まだあると思ったんだけど、もう撤去されちゃってたのか。噂は当てにならないな~。でもあったら、壁があるはずか。
『こっち~』
あの子が手招きしてる。はいはい、今行きますよっと。
私の胸の辺りまである塀の上に腰掛けて、外を見てる。私も隣に登って空中に足をぶら下げ、下を見てみた。
これはあのタワーより高かったね。やっぱり実際来てみないと分からないもんなんだな~。
『たか~い!』
「そだね~」
眼下に見えるのは大きな秒針。やっぱり緑色だ。気になる。何の材質なんだろ。
下を見て考えてると、隣にいたあの子が私の膝の上に移動してきて、私を見上げてきた。
『みて~』
「ん~?」
上を指差すからつられて見上げると、障害物が何もない大きな青い空が広がってる。
『ふふ~キレ~だね~』
「そだね」
『雨も好き~』
「うん」
『でもやっぱり星がいいな~』
「私もかな」
足をお互いブラブラさせながら、空を見上げる。
『あの時ね~。キレ~だった~』
「うん」
『おぼえてる~?』
「そりゃもちろんね」
あの日、いつものように死のうとしていた。
体中、今のこの子みたいに血塗れで。
どこを刺したかも、切ったかも記憶にない。
夜だった。
窓の外の星空を見た。
昔、鴻城の別荘で見た星空を思い出した。
その光景に目を奪われたんだ。
そのあと、ふと気づいた。
実家の屋敷で閉じ込められた自分の部屋で、私はガラスに映る自分を見た。
あ、これおかしい。
その時やっと自覚した。
自分がおかしいことを自覚した。
ハッとする思いで自覚した瞬間、自分は狂ってたことに気が付いた。
そして、自分が死ぬことを望んでいることを自覚した。
手に持っていた何かを落として、自分の血塗れの手を見つめた。
これ血だよ。
改めて気づいて茫然とした。
また窓の外の夜空を見上げた。
魅入られた。
点々と瞬いてる星を見て、
綺麗だって感動した。
どうせ死ぬなら、もっと近くでこの星を見ながらにしたいって、この時思ったんだよ。
狂ってる時は記憶が曖昧だ。
ちゃんとこのはっきり感動できる時に、
正気でいる時に、
この星を近くで見ながら、
最後まで見ながら意識を閉ざしたいって、
この時、願った。
だからこの時決めたんだ。
探そうって。
その場所を見つけようって。
でもそれは閉じ込められていては出来ない。
だけど、おじいちゃんたちはきっと反対する。
だって、いつ死のうとするかわかったもんじゃないから。
だから脅した。
逆に出さなきゃ死んでやるって。
おじいちゃんたちを見ると、死にたくてたまらないからって。
おじいちゃんたちは渋々承諾するしかなくなった。
いっちゃんに頼んでストッパーになってもらった。
全部あの日決めたことを実行するために。
狂ったまま逝かないように。
その願いは、いっちゃんにも言ってない。
言ったら絶対、いっちゃんも先生も反対して説得する。
だから本当の願いは隠し続けてきた。
みんなに隠して、まずは場所を探した。
その場所はすぐ見つかった。
あとは方法。
それをこの4年間試していった。
最終的には、やっぱりこれがいいと思った。
あとは時間。
この日がここに唯一入れる日だった。中等部では無理だった。
高等部のこの日じゃないと無理だった。
調べて、試して。
後は待つだけ。
『星にしよ~』
「うん」
あとは夜まで待つだけ。
今はあの昔の自分の声が聞こえてこない。
あの声も結局私だ。
分かってるんだよ。
もう呼ぶ必要がないってことに。
もうお互いの目的が一致していることに。
だから私は今、正気でいられる。
こんなに心が穏やかなのは、もうこの日を迎えたからかな。
『もう平気~?』
下から見上げてきた。
なるほど。
「平気だよ」
腕の中の私が、にっこり笑って、消えていく。
忘れないために、私が自分で呼んでたんだなぁ。
でも大丈夫。
もう大丈夫。
あの日願ったことを。
あの日決めたことを。
私は今、忘れていない。
空を見上げる。
どこにも雲一つない。
きっと、今日の夜も雲はかからないんじゃないかな。
満天の星空を願って、
空を見上げる。
もうすぐ、願いが叶うんだ。
お読み下さり、ありがとうございます。




