210話 た、助けてあげたいけども...... —花音Side※
「桜沢! おい!」
……?
会長の、声……?
冷たい感触を頬に感じる。
ゆっくりと重くなってる瞼を上げた。
視界がぼやける。
あれ……? ここ……?
「桜沢!!」
これ、間違いなく会長の声。
ハッとするように瞬きをした。
目の前には横たわっているレイラちゃん。
え、なんで?
というか、ここは?
体を起こそうとして、そこで気づく。腕が後ろでロープによって縛られている。自分も今のレイラちゃんのように床に横たわっていたんだ。両足首にもロープが巻かれていた。これじゃあ動けない。
だけど縛られているのは腕と足首だけ。なんとか上半身を、近くにあった壁を頼りに起こしてみた。
「桜沢! 気がついたか!」
さっきから会長の声がする。壁に寄り掛かって、その声のする方を見てみた。
「か、会長?」
明らかに安心するかのようにホッと息を吐いている会長がそこにいた――――上半身、裸で。
なんで上半身裸なんですか? そっちの方が驚きなんですけど。
会長は椅子に縛られていて、何故か上半身は何も着ていない。……寒くないのかな?
「えっと……風邪引きますよ?」
「そこは今ツッコむな……俺にも分からん」
耳まで真っ赤にして視線を逸らされた。会長も分からない状況ということらしい。
それより、ここどこ?
ゆっくりと周りを改めて見てみた。所々に水槽らしきものがある。自分が寄り掛かっている壁の方の上を見上げてみると、大きな水槽。わ、可愛い。見ると小さい魚が泳いでいる。
って、そうじゃない。
この空間。
そしてこの水槽。
来たことはなかったけど、テレビとかでこういう映像は見たことある。
「水族館……?」
「……そうだ。ここは街の外れにある水族館だ」
思いついた言葉を呟いたら、会長がそう答えてくれた。
え、でも待って? なんで水族館に? そしてなんで私、縛られてるの? 会長もだし。全く訳が分からない。レイラちゃんもまだ起きてないし。
「なんでお前、ここにいるんだ?」
会長、それは私が聞きたいです。
最後に思い出すのは車の中。レイラちゃんの友達が寮まで送ってくれることになって、そして――そう、飲みものを渡されたんだ。
もしかして、あれの中に何か入っていた?
それにあの唐突な眠気、覚えがある。ああ、そうだ。先生のところに通い始めたころ、診察室でよく飲まされていた睡眠薬だ。一花ちゃんが最初はよく付き添ってくれて、少しでも眠らないとってあれを飲んでいた。今は飲んでないけど。
けれど、あの薬を飲んだ後は、唐突に眠気がやってきた。
でもやっぱり分からない。なんで彼女が睡眠薬を私とレイラちゃんに飲ませたの?
「う……ん……」
「レイラちゃん!」
考え込んでいたら、レイラちゃんが眉を顰めた。起きそう。
ハッとするようにレイラちゃんは目をパチッと開けて、すごい勢いで上半身を起こしていた。え、すごい腹筋。違うところに驚いちゃったよ。レイラちゃんも腕と足を縛られてるのに。
キョロキョロとレイラちゃんは周りを見渡し、そして私と目が合う。
「……花音? なんですの、この状況?」
「私も分からないの。さっき目が覚めたら、こうなってて……」
「そうですの――ってはあ!? なんでわたくしが今更またこんな状況に!? 今は葉月と一緒にいませんのに!!」
なんで葉月の名前が出てきたんだろう?
不思議に思っていたら、レイラちゃんは会長の姿を見つけて、また驚いていた。
「なんで会長までいるんですのよ!? そして裸!? この季節にバカなんですの!?」
「俺のせいじゃないわ!!」
ま、まあそうですよね。好きでこの寒い季節に上半身の服は脱ぎませんよね、うん。
「ななな何がどうなってるんですのよ!? ちょっと! 誰かいませんの!?」
「お、落ち着いて、レイラちゃん」
「これが落ち着いていられますか! 葉月に用事があるんでしたら、そっちを狙えばいいものを!!」
「おい、円城。なんで小鳥遊が出てくるんだ……?」
「そんなの昔に同じようなことがあったからですわよ! あのバカと一緒にいたせいで、葉月目当てのテロリストに誘拐されたことありますもの!」
どんな過去!!? 葉月、なんでテロリストに狙われたの!?
「まあ、あれは葉月が解決したから何とかなりましたが……また今回も? ですがあれ以来、葉月の存在は各国に秘匿にされているはずですのに……」
どんな存在なの、葉月は!? 各国って何!? 前に一花ちゃんが鴻城は世界中渡り歩いているとは言ってたけど!
さっきから葉月の知らない過去がどんどん出てきてパニックだよ! ある意味、何度も死のうとしてた過去より衝撃なんだけどな!?
会長もそうなのか、口元が引き攣っていた。分かります、そうなるの。
「あーもう……うっるさいわねぇ……」
カチャという音とともに、誰かの声が聞こえてきた。葉月の情報に混乱していて、さらに混乱してしまう。
声のした方に視線を移すと、そこにはさっきまで一緒にいた彼女の姿。
……すごい恰好だったね。車の中にいたから分からなかったよ。まるで、子供向けの昔のアニメに出てくるような、フリフリのワンピース姿。こ、コスプレなのかな?
なんて明後日の方向を考えていたら、レイラちゃんは目を輝かせて、彼女を見ていた。
「あなたは無事だったんですのね! 丁度よかったですわ! これを今すぐ外してくださいな!」
「……ハア」
「それにここは今テロリストの巣窟ですわよ! 一緒に逃げないと!」
レイラちゃんの中で、何故か犯人はどこかのテロリストになったらしい。で、でもレイラちゃん? よく考えてみて? 彼女、縛られてないよ? 状況的に見ても、これは。
「――お前か、俺らをここに運んだの」
会長が忌々しそうに、そう呟いた。会長がそう言ったのが聞こえたのか、レイラちゃんが「はえ?」と呆けた声を出して、その子と会長を見比べている。レイラちゃん……全く思ってなかったんだ。
でも状況的に見ればそう。彼女が私とレイラちゃんをここに運んだ犯人だよ。……なんでそんなことをしたかは分からないけど。
その子はニンマリと笑って会長に視線を向け、ツカツカと私たちの前を通り過ぎ、会長の前に立った。首をのけぞらせて、会長が逃げようとしているのが分かる。
「なんでこんなことした? というか服返せ」
「つれないですわ、翼様」
「誘拐されて喜ぶバカがどこにいる。そもそも今日だって、母に挨拶しにいくんじゃなかったのか? だから俺を呼び出したんだろ」
「純粋に翼様との仲も深くなりたかったんですのよ」
「誰がお前なんかとそんな関係になるか。まずとっととこれを外せ。こんなくだらないことやめろ。そして服返せ」
会長……寒いんだなぁ。それもそうか、今、冬だもんね。彼女は全く会長の言葉を無視しているから、服返さないんだろうな。可哀そうに。
またまた明後日の方向に思考を飛ばしていたら、レイラちゃんが「ちょちょちょっと!?」と声を荒げた。あ、そ、そうだね。服どころの話じゃないよね。
その子は鬱陶しそうに、レイラちゃんの方に振り返っていた。
「レイラ様。邪魔しないでくれます?」
「どどどういうことですの、これは!? 何なんですの、この状況!? 聞いてませんわよ!」
「言ってませんから」
ふんっとまた彼女は会長に向き直ってる。そんな彼女に呆気に取られているレイラちゃん。
あの子、さっきとはレイラちゃんに対する態度が全然違う。もしかしてこっちが素なのかな。
「んなっ! てっめ――触るな!」
「もう、翼様。動かないで? 寒いんですよね? 私がしっかり温めてあげますから」
会長の悲鳴が上がった。
えっと……ツッコミどころがありすぎる。
寒いって、あなたが会長の服脱がせたんですよね? と言いたい。一花ちゃんがここにいればすぐツッコミが入りそう。というより、会長に何しようとしているんだろ?
彼女はゆっくりと自分の手を会長の上半身に触れさせていた。ここからじゃ彼女の表情は分からないけど、会長の表情は分かる。かなり怯えて青褪めてる。さ、さすがに可哀そうになってきた。
「あ、あの……? 何を会長に?」
「あんたは黙って見てなさい、ふふ」
こっちも振り向かずにそう言われてしまった。
不穏な空気が彼女から漏れている気がする。
か、会長、そこから何とか逃げれませんか?
目で会長に訴えたら、フルフルと小刻みに首を横に振っていた。レイラちゃんはさっきから茫然と変わってしまった友達を見ている。
これは、レイラちゃんでは彼女を止められないかな。何をするつ――
「ひっ!! やめろっ!!」
――――もりだろうという考えが、一瞬にして吹き飛んでしまった。
会長のその情けない悲鳴と一緒に、彼女が会長の上半身にキスしだしたから。
「んっ……翼様っ……」
「ははは離れろ!! 気色悪い!!」
……こっちまで彼女の口付けの音が聞こえてくる。茫然としてしまったよ。
ガタガタと会長は縛られている椅子を必死に動かして、逃げようとしている。だけど彼女はがっしりと会長の体をホールドしていた。……あれは逃げられない。
「ぎぃやぁぁあ!! やめろやめろ!! 離れろぉっ!!」
「翼様、照れて可愛い……」
照れてないと思う。
会長の顔に、ここからでも分かるくらいブツブツと蕁麻疹のようなものが出ているから。
でも、彼女はなおも下品な音を立てながら、会長の体に次から次へとキスをしている。
何だろう。普通、こういう場面って、見ているこっちが恥ずかしくなったりするものじゃないのかな?
何だろう、会長を見ていて、ものすごく可哀そうになってくるのは。
会長の体には彼女のつけたキスマークがくっきりとついていた。ま、まあ……あれだけ濃い赤い口紅つけてたものね。
「たたた助けろっ! ひいっ! 止めろっつってんだろうが!!」
「もう、私のキスが気持ちいいからって、あんまり暴れないでください。ハア、ほら、こんなに体が熱くなって……」
「ちがうわ!!? 気持ち悪いんだよ!! とっとと離れろっ――んぐう!!?」
わあ……ついに会長の口に無理やりキスしちゃった。
なんだろう、この状況。ガタンガタンと会長は椅子に縛られながら、必死に動いている。だけど顔をしっかりホールドされていた。
どう見ても、会長がものすごく嫌がっている。
た、助けてあげたいけど……すいません、会長。助けられない。
「んぐっ!! ふうっ!!」と会長の苦しそうな声が聞こえるけど、それと同時に濃いキスをしてるだろう音もこっちまで響いてくる。か、可哀そすぎる。
あ、あれ? 待って? 私も葉月に無理やりキスしてる……ままままさか、今の彼女と同じことを私、葉月にしてるんじゃ?
ちょっと勝手に青褪めた。あ、でも葉月は嫌がる素振りとかしてないな。蕁麻疹――出てなかったな。それにあそこまで濃いキスは、さすがに葉月にしてないな。
なんて都合のいいこと考えたけど、でもやってることは一緒。さすがに会長と彼女のキスを見てると、反省するしかない。
こ、今度告白するつもりだし……それまでは止めよう。たとえキスしたくなっても、頑張って耐えよう。うん、そうしよう。葉月は優しいからただ止めなかっただけで、本当は嫌かもしれない。
……嫌だから、最近ものすごく逃げてるのかも。
「ぷはぁっ!!」
あ、終わったっぽい。あれ、会長?
会長が顔を下に俯けて、ピクピクしながら動かなくなってしまった。え、え? いきなりどうしたんだろう? あれ、大丈夫なのかな?
レイラちゃんはさっきから茫然としている様子。彼女のキス場面に驚いてしまったんだろうか?
会長の方を心配しつつ、レイラちゃんの様子も視界に入れていたら、見る影もない彼女がすごくサッパリした様子でこっちに振り返った。
口元を手で拭ってうっとりした表情になっている。……心なしか、さっきより肌が輝いているように見えるのは気のせいかな?
「翼様ったら……気絶するほど良かったなんて」
……絶対違うと思う。
そしてありがとう。
会長には悪いけど、いい反面教師になってくれました。
葉月にあそこまでのことをするのは止めよう。この子みたいなことしたら、絶対葉月に嫌われる。それに、あそこまで嫌がられてキスしたくない。
心の中で密かにお礼を言っていたら、彼女は何故か私の前に来て、すごく勝ち誇った表情で見下ろしてきた。
「あんたじゃないってことよ」
「はい?」
「まあ、あんたは今日で終わりだけどね」
一体、何の話? それよりも、私とレイラちゃんに特に用がないなら解放してくれないかな。あと、さすがに会長が可哀そうだから、会長も解放してくれたら助かるかな。気絶するほど嫌だったなんて。
そう訴えようとしたら、どこか誇らしげな彼女は、またツカツカとさっき現れた扉の方に向かってしまった。
すると、扉の奥から男たちが何人か出てくる。だ、誰? スーツを着た男の人たち。まるで前に、一花ちゃんが指示していた人たちのような雰囲気。
「それで、まだなの?」
「……すいません。餌を投げかけても何も反応しなくて」
「使えないわね。まあ、いいわ。気長に待ちましょうか。ああ、暇だったらあの子たち好きにしていいわよ? あんたたちの暇潰しにもなるでしょ」
肩を竦めて彼女は扉の奥の方に消えてしまう。ああやって大人の人に何かを指示してる姿、なんか一花ちゃんを思い出すな。
――そんなこと思い出してる場合じゃないんだけどね。さっきの好きにしていいよって、つまりはそういうことだよね? 冗談じゃないんだけども。
彼女に言われた何人かが、ゆっくりと私とレイラちゃんのところにきて囲んできた。さすがにレイラちゃんも我に返ったのか、戸惑っている様子で彼らを見上げていた。
「なんなんですの、あなたたちは!? これを今すぐ外しなさいな!!」
それを言えるレイラちゃんはすごい。実は私、少し怖い。
さすがに大人の男の人に囲まれるとか、何も出来ない。何かを抵抗しても、力尽くでねじ伏せられる気しかしないよ。
でも、ただ黙ってこの人たちの好きにされるのも嫌。
だから精一杯、私も彼らを睨みつけた。
周りの男たちは、何故か困った様子で顔を見合わせている。あ、あれ? 襲われるんじゃないの?
「好きにしろって言われてもな……俺、子供に興味ないんだけど」
「でもよ、逆らったら向こうのあいつみたいにされるぞ?」
「じゃあ、お前やれよ。俺は無抵抗の女相手にするの無理」
――――全く襲われる気配がない。
どころか、彼ら、本当はいい人? いやでも、いつ襲ってくるか分からないし……前に会長と一緒にいた時に絡まれたお兄さんの例もあるわけだし。
目の前の男の人たちは何故か擦り付け合っていて、どうにもさっきの緊張感が抜けてしまう。
そして同情的な目で会長を見ていた。「あいつ、哀れだよな、お嬢に目をつけられるとか」と心底哀れんでいる。か、会長……すごく同情されてますよ。
ただどうしよう。この人たちがいい人たちなら、なんとか交渉できないかな。解放してくれたら、すごく助かるんだけど。
そもそも、私たちがここにいる理由がさっぱり分からない。彼女の目的って一体、何?
「み~つけた」
目の前の男の人たちが何かを話しあっている時、
聞き覚えのある声がホールに響き渡った。
思わずバッと顔を上げて、男たちの向こう側を見る。
その姿を見て、たまらなくなる。
なんで、ここに?
どうしていつも、きてくれるの?
カツカツと足音が響いて、ニコニコと笑ってこっちに来る。
「は、葉月……」
嬉しくなって、安心して、
涙が込み上げてくる。
ふふって、葉月は微笑んでいた。
大好きなその笑顔。
安心するその微笑み。
私の好きな、葉月がそこにいる。
何で来るかな。
何でいつも来るのかな。
助けてほしい時、どうしていつも葉月が来てくれるのかな。
ああ、もう。
さっき反省したのに、抱きしめたくてたまらない。
キスしたくなってたまらない。
「一花に舞まで……? あなたたちどうしてここにいるんですの? というか、もう1人は誰ですの?」
レイラちゃんの言葉に我に返った。
ギュッとさっきまでの衝動を必死に抑え込んで、葉月の後ろを見ると、確かに一花ちゃんと舞と、あ、あれ? もう1人の女性は、私が病院行った時に帰りの車を運転してくれてた人? 皆で助けに来てくれたってこと? よく私とレイラちゃんが誘拐されたってわかったね?
周りの男の人たちも、戸惑っているように葉月たちを見ていた。警戒しているようにも感じる。まあ、そうだよね。いきなり皆が現れたから。
葉月もその男の人たちをグルッと見渡している。
さっきとは違う不安が襲ってきた。
この状況、前にガラの悪い男たちに絡まれた時と似ている。
あの時、葉月は刺された。
またあんなこと、してほしくない。
一花ちゃんに視線を移すと、慎重そうに葉月を見ている。あの時とは違って、今回は一花ちゃんがそばにいるんだ。
大丈夫、なんだよね?
「またあなたなの?」
心配になっていたら、ギイっという音と共に、彼女の不機嫌そうな声が届いた。
お読み下さり、ありがとうございます。




