196話 先生がやってきた
あ……れ?
ここ?
私……どうし……?
「お目覚めかな?」
目をゆっくり開けると、ベッドの横で先生が椅子に座って見下ろしていた。
「せんせ~……?」
「うん、おはよう。葉月ちゃん。とは言っても、もう夕方だけどね」
いっちゃんがもう1つのベッドで寝てる姿が見えた。
あれ? ここ……寮、だよね?
なんで、先生が……?
「今は一花も眠らせてるんだ。大分疲れてたみたいだからね」
「そう……」
「良く寝たね。丸一日起きなかったみたいだよ。昨日の事、覚えてるかい?」
昨日。
昨日……?
確か花音が本を……。
頭がぼーっとする。
クスっと先生が苦笑してる。
「君、花音さんの腕の中で寝てたんだよ。一花が帰ってきた時にドアを開けたら、花音さんが困ってたらしいよ」
寝た?
私が…………?
「僕はさっき来てね。一花の代わりさ」
「……そう」
段々意識がはっきりしてくる。
でも昨日のことがはっきり分からない。
確か花音がきて、
それから……?
先生は膝に肘を置いて指を組み、観察するように私を見てきた。
「声はどう? 今も聞こえる?」
「今は……平気~……」
「昨日も聞こえてきたのかな?」
「そう……いっちゃんいるとき」
「花音さんが言ってたよ。泣いてたって。覚えてる?」
…………覚えてない。
泣いてた?
私が?
「覚えてないみたいだね」
「……記憶……ない……」
「そっか……じゃあ、一花がここを出た時のことは覚えてる?」
「……覚えてる」
携帯でタイマーセットした。いっちゃんが帰ってくるまで耐えようと思った。
「どこから記憶ないかな?」
「……花音がきた辺りから」
「その時に声はした?」
「…………わかんない」
断片的にしか思い出せない。花音から本を受け取ったとか……あとなんだっけ?
靄がかかってるみたい。
「最近は、大分分からなくなってきてるんだってね?」
「……」
「コントロールできなくなった?」
「…………」
「一花に確認とらないと、ここにいること難しい?」
…………難しい。
ここにいる自覚が難しい。
あの子の声で簡単に塗りつぶされる。
自分がおかしいと自覚するまでに時間がかかる。
先生が黙って、観察しているのがわかった。
スッと目を閉じる。
今は分かる。
自分がおかしいのが分かる。
自分の欲がおかしいのが分かる。
だから“こっち側”じゃないのが分かる。
ここにいることが分かる。
だけど、
あの子の声で簡単に引き込まれる。
そうすると記憶があやふやで……。
そういえば……。
昨日、
昨日、花音の腕の中で寝ていた?
花音に……何かした?
覚えてないよ……。
「せんせ~?」
「うん?」
「私……昨日何かしたかな~?」
「何かって?」
「……花音……怪我とか」
「怪我とかは何もないよ。ただ、君の様子が変だったって」
「…………そう」
怪我とかはしてない。
そっか。
よかった。
でも、
おかしいのが自覚できないと困る。
おかしいのが自覚できないと、“こっち側”にいて記憶があやふやになる。
いっちゃんたち側に戻れなくなる。
それはいやだ。
それは困る。
あの時決めた。
あの時願った。
それは狂った私じゃできない。
だけど、
だけどさ、
一気に欲が染まっていくんだよ。
あの子の声聞くと、
それに身を任せちゃうんだよ。
怖いよ。
また狂うのかな?
記憶が無くなって、欲に溺れて、それを周りに止められて、繰り返して。
「せんせ~……」
「ん?」
「私……閉じ込められる?」
「……葉月ちゃん」
「また…………閉じ込められる?」
だって、先生。
皆で私を閉じ込めたよ?
狂った時、閉じ込められたよ?
「私……また狂ってる?」
「そんなことないよ。君は今ここにいるじゃないか」
「…………本当?」
「君がちゃんと意識すれば、大丈夫だよ」
意識。
意識意識。
自分の立っている場所。
どっちにいるかの確認。
正気に戻った時に、何度も繰り返した。
いっちゃんと先生と、
何度も何度も繰り返した。
「引っ張られちゃだめだよ、葉月ちゃん」
先生が優しい声で説いていく。
「君の中の欲に身を任せちゃいけないよ」
染まらないように。
「君はここにいるんだ」
思い出させるように。
「ちゃんとここにいるんだ」
閉じてた目を開けた。
「そだね……先生」
先生がそっと頭を撫でてくれた。優しい目でこっちを見てくる。
ちゃんと寝た後だからかな。
声が今日は聞こえてこない。
花音には悪い事しちゃった。
覚えてないけど、様子が変だったってことは心配してる。
こうしないためにも離れたのにな。
そういえば、花音の方はどうなのかな?
先生を見上げる。
「せんせ~、花音は今どう?」
「花音さんは大丈夫だよ」
「……魘されてる?」
「そうだね……でもね、クリスマスの後に会ったら、随分晴れやかだったよ。心の整理がついたのかもね」
「心の整理?」
「そう、心の整理」
ふふっと先生は笑ってるけど、さっぱり分からないんだけども。
そういえば、何か吹っ切れたって言ってたもんね。
何を吹っ切れたのかさっぱりですけどね。
「よくわかんないな~……」
「そっか……でも君は、本当にもう部屋を替えないの?」
「…………替えない」
「どうして?」
「…………」
だって、
もう花音には会長いるし。
心配させたくないし。
泣かせたくないし。
それに、
自分で決めた、あの日も迫ってる。
「どうして、葉月ちゃん?」
「……いいんだよ、これで」
「話したくない?」
「先生とはいつもそうだよ」
「ふふ、そっか。辛辣だね」
そこで何で笑うのか分かんない。
だけど、先生はそれ以上聞いてこなかった。
いっちゃんが起きないから、数年ぶりに食堂のご飯を食べて満足してた。懐かしいなぁって言ってたよ。
先生も星ノ天の卒業生で、男子寮で3年間過ごしてたんだって。カイお兄ちゃんと一緒。食堂のメニューは男子寮も女子寮も変わらないもんね。
途中花音がお茶とお菓子を持ってきてくれた。私は会わなかったけどね。
一応味覚の方も見てくれて、何故か道具も全部持ってきてたから血抜いてった。検査に回すんだってさ。「別にいいよ」って言ったら、医者の仕事取らないでって笑ってた。
花音のお菓子を食べて、すごく嬉しそうな顔してたから、その様子を動画で取って先生の奥さんに送ってあげた。もちろん先生の携帯で。
そうしたら怖い内容の返事が来たみたいで、いっちゃんが起きたら慌てて帰っていったよ。ちょっと面白かった。いっちゃんには殴られたけどね。
いいじゃん、それぐらい波乱万丈の方が人生面白いよ?
お読み下さり、ありがとうございます。




