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195話 笑っていた? —花音Side

 


 しばらく葉月を抱きしめたまま頭を撫でていたら、腕を掴んでいた葉月の手が緩んだ。


 ん? あ、あれ? これってまさか……。

 肩口に頭を置いている葉月から、案の定寝息らしきものが聞こえてくる。あと完全に私に体重預けてる。さっきまでの震えも、今は微塵も感じられない。


「……葉月?」


 腕の中にいる葉月に呼び掛けてみる。


「………………」


 …………反応ない!? こ、これ……寝てる! そ、そうだよ。葉月、何故かハグすると寝ちゃうんだよ! え、ええ!? ここで、今!? 泣いてたのにいきなり!?


 逆にパニック。起こすわけにもいかないし、かといってこの状態も――ど、どうすれば? あ、あれ? 一花ちゃん、いつ戻ってくるの? それに舞たちもそろそろ帰ってくるはずだし……。


 バンッ!!


 どうしようどうしよう……と思っていたら、いきなりドアが大きな音をさせて開いて、体が跳ね上がった。


 葉月を抱きしめた状態で後ろを振り返ると、そこには汗だくになっている一花ちゃんが目を大きく開いて、激しく呼吸をしながらそこにいた。


「い、いい一花ちゃん」

「こ……ハアっハアっ……これは……ハアっ……どういう状況だ?」


 かなり乱れた呼吸をしながら、だんだん半目になってきている。そして葉月……さっきの音でも全く起きる様子がない。スウスウと可愛らしい寝息が聞こえてきます。


「いいいや、あのね? その、本を返しにね?」

「待て…………まさか寝てるのか?」


 上から見下ろすようにしてくる一花ちゃんは、心底驚いている表情に変わっていた。


「そ、そうみたい。さっき」

「なるほど……花音のハグは健在なのか」

「え?」


 感心するように、一花ちゃんが葉月の頭をペシペシと叩き出したから驚いちゃったよ。あ、あの? 起きちゃうよ? 全く起きる気配ないけど。いや、それよりも。


「あの、一花ちゃん……どうしよう?」

「ん? ああ、そうだな。ベッドまで連れていくか」


 この態勢でずっといるわけにもいかないし、かといって、さっきまで泣いていた葉月を起こしたくないし、と困っていたら、一花ちゃんが何てことないように、腕の中にいた葉月の首元の服をグイっと引っ張って私から離した。そのまま乱暴にズルズルと葉月を引っ張って、ベッドの上に放り投げている。


 あまりのあっというまの光景に茫然としちゃったよ。そ、そうだったね。一花ちゃんの葉月の扱い、こんなものだったかも。そして葉月、全く起きないね。そっちにもびっくりだよ。


 ベッドの上に放り込まれた葉月は、それはもうスヤスヤと寝ている。頬に涙の痕を残しながら。


 それに気づいた一花ちゃんが、ソッとその頬に手で触れていた。


「……泣いた?」


 そうだよ、泣いてたんだよ? 私もそっと近づいて葉月の顔を覗き込む。うん、やっぱり顔色も悪いよね。


「あの、一花ちゃん? 葉月、何があったの? すごく震えて泣きだしたんだけど」

「震えて?」

「え? う、うん」


 私がそう言うと難しそうに眉を潜ませて、顎に手を置いて何かを考え始めてしまった。


「…………こいつ、何か言ってたか?」

「ううん、何も。大丈夫だって最初言ってたけど、最後は何も言ってくれなくて……ただ、いきなり泣き始めて……だから、その……」

「なるほど」


 なるほどなの!? 今ので何に納得したの!? こっちは必至でハグした言い訳考えようとしてたんだけど!?


 でも一花ちゃんはすごく厳しい表情で、隣にいる私を見てくる。だから逆に何も言えなくなっちゃった。


 え、えっと……もしかして、勝手に部屋入って葉月にハグしたから怒ってる?


「……花音」

「は、はい……」

「こいつに、何かされたわけじゃないんだな?」

「え? それはされてないけど?」

「むしろ花音の方が襲ったわけか。まあ、それはいい……そうか、何もされてないならいい」


 明らかにホッと安堵の息を漏らしている一花ちゃん。あの、でも……いや、うん。そうだね……襲いました。無理やり抱きしめました。ごめんなさい。でも何もされてないって?


「葉月が何かするって思ったの?」


 今の一花ちゃんの言葉はそういうことだよね? 


 一花ちゃんは「何でもない、気にするな」と、また葉月の方に視線を落としていた。気になるんだけど……でもきっと、一花ちゃんは言わないんだろうなって思う。


 また寝ている葉月を見下ろしてみた。いつも差し入れ持ってくる時に一花ちゃん、寝ているって言ってたよね?


 でも、今の葉月はどう見ても熟睡している。まるでずっと寝ていなかったように。……え、あれ? ベッドの横にあるの手錠?


 葉月から部屋の中へ視線を移して、周りを見てみた。


 散らかっている。ロープもあるし、それに朝ご飯を食べたお皿とかコップとか、テーブルに放置されていた。


 だけど、何か変……そっかカーテンがない。一花ちゃんの本もないし、よく見ると、お皿もコップも紙製のもの。


 部屋の中は必要最低限のものしかない。最低限のベッド、シーツがあるだけで、教科書やパソコンも見当たらない。まるで生活感がない。それにクローゼットやドア、至る所に鍵がついている。全部についていると異様な光景。


「あの、一花ちゃん? この部屋、舞と暮らしてた時、こんな感じだった?」

「…………」


 返事がないからつい一花ちゃんの方に視線を移すと、一花ちゃんが何故かベッドに突っ伏していた。え、ええ!?


「い、一花ちゃん!?」

「……ん? あ……ああ、悪い……」


 気の抜けた声で、顔を上げる一花ちゃんはとても疲れた顔をしている。そういえば、一花ちゃんも顔色悪い。


 ふうと息をついて、体をベッドに寄り掛かせて眼鏡を外していた。その横に膝をついて、つい顔を覗き込んでしまう。葉月も顔色悪いけど、一花ちゃんも酷い。


「本当に大丈夫? 葉月も一花ちゃんも顔色悪いよ?」

「……大丈夫だ。悪いな、少し気が抜けた」


 何故か嬉しそうに一花ちゃんは笑っていた。ただ疲れているからか、目頭をそのあと抑えてたけど。


「兄さんに連絡しないと」

「先生に?」

「明日来てくれることになっててな。でももう大丈夫だろう。花音のおかげだな」


 え、私? 私は一花ちゃんの言うとおり襲っただけなんだけども。不思議に思っていたら、苦笑してまた眼鏡を掛け直していた。


「助かった」

「あの、私は何もしてないんだけど……? というより、葉月……やっぱり何かあったの? それにこの部屋、やっぱり前より物がないよね?」

「…………今はこれでいいんだ」


 困ったように笑う一花ちゃんは、何も肝心なことは教えてくれない。先生も来るってことは、葉月のことを診にくるってことだよね。私には何も連絡ないから。


 先生に診てもらわないといけないことがあるってことは……つまり葉月に何かあるってこと。


 不安そうに見てしまうと、一花ちゃんはただ苦笑していた。


「大丈夫だ。花音のおかげで、こいつは今ぐっすり寝ているからな」


 すごく安心した顔で、一花ちゃんは後ろにいる葉月を見ている。そんな一花ちゃんを見ていると、本当に大丈夫なんだなって思えてきた。心配は心配だけど。


 つい一花ちゃんの視線を追って、私も寝ている葉月を見る。さっきまで大泣きしていたとは思えないほど、静かに寝ている。


 その時、お腹の音が聞こえてきた。ん? 今のって……。


 その音の先を見ると、一花ちゃんが恥ずかしそうにお腹に手を当てていた。


「…………えっと、お腹空いた?」

「……今日は朝からまともに食べてないからな。悪い、忘れてくれ」


 顔を真っ赤にしている一花ちゃんが可愛くて、ついクスっと笑ってしまった。テーブルの上にあるお皿は葉月が食べた跡か。自分より葉月を優先させたのかな?


「待ってて、すぐ作ってくるよ」

「は……? い、いや、いい。食堂で何かを――」

「これぐらいさせて? ね?」


 結局、私に出来るのはこれぐらいだから。ちゃんと一花ちゃんの役にも立ちたいっていうのは本音なんだよ。葉月に何があったかも気になるけど、今の顔色の一花ちゃんも放っておけない。


 急いで自分の部屋に戻ると、舞たちはもう戻ってきていた。私がいなくて不思議がってたよ。


 それよりも今はと思って、キッチンルームにいって簡単にエビ入りのチャーハンを作ってしまう。その様子を見て、ユカリちゃんが何故かキラキラと目を輝かせてたけど、ごめんね。これ一花ちゃん用なんだ。


 作ったチャーハンを一花ちゃんに持って行くと、これまたさっきのユカリちゃんのように目を輝かせていた。お茶も用意していったら、さらに感謝されたよ。


 食べ終わった一花ちゃんは、そのまま自分のベッドに横たわって、そして眠ってしまった。すぐ寝始めたから驚いちゃったけど、それぐらい疲れてたってことだよね。でも布団かけないと風邪引くよ?


 そういえば、体にかける布団も見当たらない。たぶんあのクローゼットの中にあるとは思うんだけど、でも鍵がかかってる。


 仕方ないから自分達の部屋に戻って、毛布を何枚か取り出した。舞がすごく不思議そうに見てきたけど、ごめん、あとで説明するから。


 急いで戻って、寝ている一花ちゃんと葉月にかけてあげる。部屋の暖房をかけてあげれば、多分風邪引くことはないと思うけど。


 部屋の鍵はテーブルの上にさっき一花ちゃんが置いていたから、それを手に取った。いや、いくら寮の中とはいえ鍵かけないままはちょっとね、と思って。もちろん、置手紙を置いて。起きたら私が持ってるって伝えておかないと。


 部屋を出る前に、葉月のベッドに腰掛けて見下ろしてみた。


 久しぶりに寝顔見たから、少し嬉しかったりする。

 そっと涙の痕が残る葉月の頬に手を添えた。


 どうして泣いたのか、

 どうしてあんなに震えていたのか、気になるけど。

 でも一花ちゃんは大丈夫だって言ってたよね。


 だから、


 今はおやすみ、葉月。


 髪を一撫でして、寝ている葉月を見下ろした。本当、容赦ない寝顔だな。なんで寝ているだけで、こんなに私の心を鷲掴(わしづか)んでくるかな。ああ、もう、キスしたくなってくる。


 きっと起きたら、また私を避けてくるんだろうな。


 だけど私、諦めないよ。

 覚悟してね、葉月。


 その葉月の寝顔を名残惜しく見ながら、一花ちゃんも起こさないように静かに部屋を出た。


 部屋に戻ると、ユカリちゃんもナツキちゃんも舞も「何してたの?」って聞いてくる。葉月に抱きつきましたなんて言えるはずないから、ちょっとねと誤魔化したよ。ごめんね、3人とも。舞には一花ちゃんたちの部屋に行ってたって後で話すつもりだけど。


 その後は4人でご飯を食べて、夜遅くまでお喋りした。だけど私は昼間の葉月のことを思い出してたよ。


 何で泣いてたのか。

 何があったのか。

 部屋に物があまりない様子も気になった。


 一花ちゃんは「今はこれでいい」って言ってたけど、結局あれはどういう意味だったんだろう? それにどうして一花ちゃんはあんなに疲れていたの?


 日に日に隈が出来てたことも、ご飯を食べた後にすぐに寝始めたのも気になる。まるで一花ちゃんも何日もよく寝ていないという感じだった。


「それで? 何があったのさ?」


 布団の中で舞が小声で聞いてきた。今日はユカリちゃんとナツキちゃんが舞のベッド使ってるから、私と舞が一緒に寝てる。


「……一花ちゃんの所。お腹空かせてたみたいだから」

「えっ!? じゃ、じゃあ葉月っちと話したの!?」

「ううん。葉月寝てたから」

「……そっか」


 かなりガッカリした感じで、舞が声を沈ませていた。舞は私と葉月が元通りになることを望んでくれているからね。


「あのさ、花音……」

「ん?」

「葉月っちとさ……一度ちゃんと話してみたら? もう2か月だよ?」

「…………そうだね」


 そういえば、クリスマスパーティーの時に話したこと言ってないや。でも葉月から不合格だって言われたこと知ったら、舞がっかりするかも。まだ言わなくていいかな。私も葉月を諦めるつもりはさらさらないから。


 ……そうだ。舞はあの2人の部屋に物がない理由、知ってるのかな?


「ねえ、舞。一花ちゃんたちの部屋って……前からあんな感じ?」

「ん、あんな?」

「今日入ってみたら、あまり物がなかったんだけど……」

「そう? 年明ける前は、一花の本とかいっぱいあったような気がしたけど? あ、葉月っちが何かしたとかじゃない?」


 何かをして、あんな状態に? 至る所に鍵をつけなきゃいけない何かって何?


 舞は今のあの部屋の様子を知らないみたい。一花ちゃんの本とかでいっぱいの部屋のことを言ってるもの。

 あの状態になったのは、最近ってことなのかな?


 考えても理由は分からなくて、結局モヤモヤしたまま眠りについたら、またあの女の子が夢に出てきて泣いていた。



 □ □ □



「じゃあ、明日学園で! 舞、あの漫画持ってきてよ?」

「分かってるって! ナツキも部活の件、先輩たちに言っといてよ!」

「花音ちゃん、じゃあ明日、お弁当交換でいいですか?」

「うん、もちろん。ユカリちゃんのお弁当楽しみにしてるね」


 次の日の昼過ぎぐらいに、ユカリちゃんとナツキちゃんを見送る。ナツキちゃんは午後から部活らしい。


「舞、部活の件ってあの?」

「そうそう! やっぱり盛り上げたいじゃん? だから参加者の件頼んだんだよ」


 舞の言う参加者とは再来週に予定しているコンテストのこと。これは舞が企画したんだよね。最後にパッと皆で盛り上がれるイベントやりたいって言いだして。でもまだ内容とか詳しく決めてないのに。「ほら、花音! 内容決めて、明日先輩たちに見てもらおうよ!」と張り切っている舞に思わず苦笑した。


 ユカリちゃんたちを見送ってドアを閉めようとした時だった。




「やあ、花音さん」




 聞き覚えのある声に思わず手を止めて、その声の方を見てしまう。


「先生?」

「こんにちは」


 ふふって笑う先生が何故か廊下に立っている。え、え? あれ? どうしてここに?


 あ……そういえば昨日、一花ちゃんが来るって言ってたような。


 目を丸くしている私をおかしそうに見てくる先生に、奥にいた舞が気づいたようで声を掛けた。


「あれ……? どこかで?」

「やあ、舞さん。久しぶりだね。君とは、葉月ちゃんが入院した時以来かな?」

「そうだ! 一花のお兄さん! え、でも何でここに? ここ女子寮なんだけど」

「そこはほら、保護者の特権だよ。今日は一花に用があってきたんだ。だけどその前に――」


 チラッと私の方を見てくる先生。え、私?


「ちょっと花音さんに聞きたいことがあってね。今いいかい?」


 先生が聞きたい事?

 何だろうと思い、部屋の中――はまだ散らかっているから、談話室の方で話を聞くことにした。舞、片付けやらせてごめんね。あとで好きなデザート作ってあげるから。



 一応部屋でお茶を淹れて、談話室に先に行っていた先生に渡すと嬉しそうに飲み始める。昨日作ったクッキー持って来ればよかったなと思ったけど、先生がゆっくりと口を開いた。


「ごめんね、せっかくの冬休みを邪魔しちゃって」

「え? いえ、大丈夫です」


 何を聞かれるかなと思ってたんだけど、いきなりそんなこと言われると拍子抜けしてしまいます。


 でもきっと、先生の聞きたい事って昨日の葉月の事じゃないのかな? 今日葉月を診にくる予定だったみたいだし、それに確かに昨日の葉月は様子が変だった。


「……葉月のことですか?」


 だから先に聞いてみると、先生は困ったように笑っている。


 やっぱり。


「昨日、葉月ちゃんが君を困らせたみたいだね?」

「いえ、困ったわけでは……」

「一花から連絡来てね。葉月ちゃんが君の腕の中で眠っていた、と」


 そ、そうなんだけど……その言い方はどうなんだろう? 一花ちゃん、そんな風に先生に言ったの?


「すごく安心していたよ。僕からもお礼を言うね。ありがとう」

「お礼なんて……」


 ただ無理やり抱きしめただけなんです! お礼を言われることしてないんです!


 と言いたいけど……そんなこと言って、先生から変な目で見られるの嫌だな。いや、私が自分でやったことだから自業自得なんだけど。


 ……それにしても、一花ちゃんも「助かった」って言ってたし、先生もお礼を言うなんて。葉月が眠ることって、2人にとってそんなに重要なことなのかな? 前に先生は、葉月が眠られない体質だとは言ってたけど。


「あの……先生?」

「何かな?」

「そんなに、葉月が寝るのは大事(おおごと)なんですか?」


 前々から思っていたこと。一花ちゃんの様子もそうだし、思い返すと、如月さんも眠っている葉月を見て泣きそうになっていたこともある。


 寝顔が可愛いから、私はそれを見れて嬉しいってそれだけだったんだけど、ここまでくると理由を知りたくなっちゃうよ。


「……睡眠は人間にとっては大事なことだよ? 葉月ちゃんだけに限らず、皆にとっては重要なことさ。それに君だって寝られなくなって、大変だっただろう?」

「それは、そうですけど……」


 だけど先生と一花ちゃんの様子を見ると、それだけじゃない気がするのは気のせいですか? 確かに寝られなくなると、体調管理も難しいけど。


 納得していないのがわかったのか、先生は困ったように笑っていた。


「確かに気になるよね。でも、大きく言えばそういうことだよ。だから僕も一花も心配してるんだ」

「……そうですか?」

「そうだよ。葉月ちゃんがグッスリ眠れれば、それに越したことはないんだけどね」


 含みのある言い方。余計気になってしまう。けれど先生はその話はもうしないのか、別のことを聞いてきた。


「それより花音さん。昨日、葉月ちゃんと会って何か感じたかい?」


 感じた? うーん、それよりも……。


「様子が……おかしかったです」

「どうおかしかったかな? 教えてくれる?」


 いきなり先生の声が緊張しているように感じた。え、どうして? 思わず目を瞬いて見てしまう。


 目の前の先生の口元は穏やかだけど、少し厳しい目をしていた。この目、一花ちゃんにそっくり。でもどうして?


「何でもいいよ。気になったことがあれば教えてほしいんだ」

「……理由を聞いても?」

「僕は主治医だから、かな」


 そう言われると、それ以上聞けなくなる。

 きっと、葉月の顔色が悪かったのも関係しているのかな? 葉月に何かがあったのは間違いないと思うから……それ関係かも。


 気になったこと……。


「えっと……震えてました」

「そう。他には?」

「あといきなり泣いて……驚きましたね」

「……そっか」


 私が昨日の葉月の様子を伝えると、先生は明らかにホッと安堵の息を吐いていた。昨日の一花ちゃんもそうだったな。


 それにしても、きっと今のも一花ちゃんから聞いてたんじゃないのかな? 一花ちゃんは泣いてたって言ったら驚いてたけど、今の先生は全く驚いてないもの。


「じゃあ、最後に1つだけ聞きたいんだ」


 思ったよりも深刻そうな低い声で先生が続けて、逆にこっちが身構えてしまう。な、なんだろう?




「彼女はその時、笑ってたかい?」




 ――――笑ってた?

 え、笑ってはいなかったけど。


 思わぬことを聞かれて戸惑ってしまう。


「いえ、どちらかというと、苦しそう……でしたよ?」


 先生のいつもとは違う緊張感のある雰囲気に戸惑いつつ、たどたどしく答えてしまったけど……うん、辛そうだった。昨日の葉月は顔色も悪かったし、汗もかいてた。苦しそうで、そして泣きだしたから、余計私も混乱したんだもの。


「…………そう。そっか、わかった。ありがとう」


 心底安心したように、先生の緊張がほどけていくのがわかった。いつもの穏やかな笑みを浮かべている。


 まるで葉月がその時笑っていたら大変なことだったみたい。でも、どうして?


「先生……葉月に何かあったんですか?」


 先生は一花ちゃんみたいに困ったように笑っていた。やっぱり私には教えられないってことなのかな。


「花音さん、誤解しないでほしい」

「え?」


 不安そうにしたのがわかったのか、いつもの優しい声音で先生は言葉を続ける。


 誤解?


「葉月ちゃんはね、大丈夫。ちゃんといるからね」


 ちゃんといる。

 それはずっと不安に思っていること。


 前みたいにそればっかりにはならないけど、でもやっぱり不安になることはある。

 葉月がまた死のうとするんじゃないかって。


 ……でも待って。

 どうして先生は今それを言うの?


 それは、つまり。


「……先生。葉月は…………死のうとしているんですか?」


 思わず浮かんだその不安を先生にぶつけると、先生は苦笑しながらゆっくりと首を振った。


 違うということ? 首を振ってくれたことで少し安心したけど、じゃあどうして?



「葉月ちゃんはちゃんといるよ」



 いつもの穏やかな顔で先生はそう言って、一花ちゃんの部屋に行ってしまった。


 ちゃんといる?

 どうして念押しをするように言ってきたんだろう?


 よく分からないまま、部屋に戻ると何故か先生が部屋の前で右往左往していた。あ、あれ? どうしたの――ってそうだよ。一花ちゃんたちの部屋の鍵、昨日から持ったままだった。一花ちゃん、まだ鍵を取りにきてないみたいだね。


 先生にその鍵を渡すと、お礼を言って中に入っていったよ。


 大丈夫なのかな。大丈夫だよね?




 先生が何故葉月が笑っていたかを聞いてきたのか、

 何を警戒してたのか、


 先生の言う“笑っていた”の意味を知るのは、



 少し先の話。

お読み下さり、ありがとうございます。

次話から9章になります。

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