190話 ちゃんとおかしい
あれはどういうこと?
『本当のあなたにまた会いたいから』
あれはどういう意味?
『だからちゃんとそこにいてね』
そして最後のあれは何!?
頬に残る、柔らかい唇の感触。
クリスマスパーティーの時の花音の事を思い出すけど、さっぱり意味が分かりません!!
落ち着け……落ち着こう。1つ1つ考えようじゃないか。
まず、『本当のあなたに会いたいから』ってところから考えよう。
あれ聞いた時に、いや、私ここにいますけど? って思っちゃったんだけども。あれか? 部屋替わる時に見せた私のことか? あの欲が全くない時の私のことかな?
いや、本当の私は本当の私なんだけども。本当の私といえば、欲全開の私の方であって、でもどっちも本当の私であって、なんか混乱してきたな。パス! 次!
『だからちゃんとそこにいてね』って言葉ね。
あれは、どういう意味? え、欲出すなって注意? 禁止? 思い当たるのは、いっちゃんと先生の確認だよね。“こっち側”と“そっち側”でどっちにいるかって確認。
でも、それは花音には話していないわけで。先生が喋った? いや、先生は医者よ? 患者の守秘義務があるでしょうよ。じゃあ、やっぱり何かをするなって意味? 無理! 出来たら狂いません! 次!
次って……。
いや、実はこれが全く意味わからないんだよね~。
何故に花音はほっぺにチューしてきたの? いや、柔らかかったけども。
たださ~……思ったんだけども……。
会長にやるべきじゃない!?
何で、私にしてきたわけ!?
はっ! ま……まさか……
部屋に戻る気がないのにあるよ~って言った、嘘の仕返しか?
めっちゃ気づいてたもんね?
そのあと、諦める気ないってひっくり返されたけども。
でも、私もいっちゃんのほっぺにチューして悔しがる顔を見る時あるもんな~。やってやったぜ感があるんだよ、あれ。
これは一番の最有力か……? うん、これが一番しっくりくるな! よし、納得!
それとな~……また会いにくるか。
それは困る! 非常に困る! 離れた意味がありません!
そもそも離れたのは、花音にもしかしたら死ぬかもねって恐怖を忘れさせる為なんですけども! 会いにきたら、部屋替わった意味も、離れた意味もないんですけども!
ぐぅぅぅぅ~~~! どうすれば~~~!!
ドスッ!! 「うぐっ!!」
「……お前はあれか? そんなに自分の体で床掃除をしたいのか?」
いっちゃんに背中を踏みつけられました。というか、何を言ってるの? 掃除はあまり興味ないんだけどな?
「その不思議そうな顔をやめろ」
「でも、いっちゃん。私は掃除に興味はあまりないんだよ?」
「さっきから部屋中を転げ回っておいて何を言う?!」
なんと!? めっちゃ無意識! はっ……まさかまた現実と夢がごっちゃに!?
「いっちゃん!」
「なんだ?」
あ、大丈夫だ。この冷たいいっちゃんは現実ですね。
「呼んでおいて、何も無しか?」
「大丈夫だったから、いいや」
「自分本位すぎるわ!?」
理不尽! いっちゃんだって、この前のクリスマスパーティーで自分が安心してイベント見たいからって、私にドレス着せようとしたくせに! って、ん? なんでそんな見てくるの?
「……何かお前変だな?」
「いつもだよ?」
「そっちの変じゃない。大分キてると思ってたんだが……今さっき転げ回ってたしな。でもなんか……いつもは欲全開って感じなんだが、その感じがないな……お前今ここにいるよな?」
「やだなぁ、いっちゃ――」
あ、れ……?
いる…………よね?
あれ……?
おかしい?
私、おかしい……よね?
あれ……?
「葉月?」
……あ、いっちゃん。
あ、大丈夫……分かる。
だっていっちゃんがいる。
いっちゃんが、
『つかまえた~』
え…………?
顔の横から手が伸びてきて、後ろから抱きつかれた。
『えへへ~』
耳元で無邪気に笑う女の子。
なん……で……。
『きて~?』
ゾワっと脳が支配される感覚。
声が、
耳に、脳に、
響き渡る。
思考が ト マ ル
「葉月! 馬鹿が! 落ち着け!」
ハッ! ハッ! ハッ!
「落ち着けっ……! ちゃんと意識しろ!」
ハッ! ハッ! ハッ!
『こっちきてぇぇ!!』
耳元で私を呼んでくる。声が響く。
でも、体が、動かない。
「っ――こっちを、見ろ!」
だ……れ……?
「っ……ゆっくり……ゆっくり呼吸しろ……あたしだ」
ハア……ハア……ハア……。
「誰かの声じゃない……あたしの声だ、葉月」
こえ……声……。
「その声は幻だ。誰も何も言っていない」
段々焦点が合ってくる。
「誰もお前を呼んでないぞ……葉月」
段々輪郭が見えてくる。ハア……ハア……と自分の呼吸の音が耳に聞こえてくる。
いっちゃん。
いっちゃんだ。
いっちゃんが私に馬乗りになって胸倉を掴んでた。
「いっちゃ……」
「……そうだ」
いっちゃんがいつもの確認の目を見せる。
『こっちきて~!』
だけど、耳元で女の子の声が聞こえる。
「今どこにいる、葉月?」
「……呼んでる……いっちゃん……」
「違う、それは幻だ。意識しろ。どこにいる?」
「声が…………」
「それは幻だ。ちゃんと、ちゃんと意識しろ。どこだ?」
どこ……どこ? ここは、どこ……?
目をギュッと瞑る。
違う……違う違う。
いっちゃんがいる。
いっちゃんがここにいる。
つまりここは“そっち側”だ。
“こっち側”に今いない!
思考が、戻ってくる。
自覚――できる。
目を開けると、いっちゃんが心配そうに見ていた。
「ここにいるよ……いっちゃん」
額に汗を浮かべて、いっちゃんがゆっくり息をついた。
まだ息が苦しい。ハアハアと自分の息遣いが聞こえる。
さっきの女の子の声がもう聞こえない。
なんでいきなり……出てきたんだろう。
自分でも分からない。
ただ、はっきりと“こっち側”に引き摺り込まれた感覚はある。
一気に夢と現実がごっちゃになった。
「葉月、おい、大丈夫か?」
「いっちゃん……私……」
私、ちゃんとおかしいよね?
「葉月?」
「いっちゃん、ねえ、私おかしいよね?」
「落ち着け……お前まだ……」
「おかしいって言って? おかしいって……」
縋るように、いっちゃんの腕にしがみつく。
おかしいのが分からなければ、
自分で分からなければ、
自分で自覚しないと、
また狂って、閉じ込められる。
欲に塗れて、何度も何度も繰り返す。
そうなると、あの時決めたことが出来なくなる。
ずっと……ずっとずっと試してきたことが出来なくなる。
全ての準備は整っている。
あとは時間。
時間が過ぎるのを待つだけ。
今狂うわけにはいかない。
だから、いっちゃん。
「答えて……いっちゃん」
いっちゃんが眉を寄せて、険しい顔で見てきた。
だけど、苦しそうに歯を食いしばって、目をギュッと瞑った。
「…………そうだな」
いっちゃんがそう言ってくれたことで、一気に安心感に包まれた。
いっちゃんがそう言うなら信じられる。
私はまだちゃんとおかしい。
よかった。
よかった。
よかったよかった。
そこでやっと、私がここにいることを実感できて、
『本当のあなたにまた会いたいから』
花音の声が蘇った。
花音。
おかしいのが私なんだよ。
おかしくないのは私じゃないんだよ。
あれは名残。
欲が無かったころの私。
本当の私は欲に溺れることを望んでいるんだよ。
ねぇ花音。
もう会いに来ないで?
このまま離れて?
会長のところにいてね。
そして、
そのまま幸せになって。
それから毎日昔の自分が現れて、いっちゃんの監視が厳しくなった。
お読み下さり、ありがとうございます。




