187話 不合格
バルコニーに出ると、風が少し吹いていた。
もう冬だけど、でも耐えられない寒さじゃなかったよ。
痛みも味も分からなくなってるんだから、寒さも暑さも感じなくなればいいのに。まあ、寒さも暑さも感じにくいけどさ。
手摺に近づいて、腕を置く。
さすがにこの高さじゃ、私の欲は騒がないね。
空を見上げて、星を見た。
ん~……やっぱり見え辛いな。
夏に別荘行った時は綺麗に見れたのになぁ。
そういえば、
あの時願ったのにね。
花音に知らないでいてほしいって。
私の願いは叶わないように出来てるのかな。
狂ってる時からの私の願い、一向に叶ってないから。
だけど、
だけどさ、
正気に戻った時に願ったことは叶えさせてよ?
そのためにこの3年使ってきたんだから。いや、もう4年かな?
よく見えない星を見る。
中から聞こえる音楽は軽快なモノに変わっていた。
多分いっちゃんはまだ鑑賞モードだろう。
イベントはダンスだけだって言ってたから、まだ花音たちは踊っている。
ハアと呼吸すると、白い息が出てきた。
あれ? そういえば、まだ雪降ってないな。
まぁ、ここらは全然積もらないからね。
寒い地域だったら雪とか氷とか使って、何かしら考えるんだけどな。
どんなのができるかな。
氷漬け?
でもいっちゃんにすぐ止められそう。
雪山を作って雪崩を起こす?
さすがに被害が大きすぎるな。
じゃあ他には――――
「葉月……」
後ろから声が届く。
…………なんで……まだ会長と……。
「葉月…………お願い……こっち向いて?」
段々気配が近づいてくる。
ふうと息を吐いた。
顔だけ振り向くと、辛そうにこっちを見てくる花音がいる。
さっきまで笑ってたんだから、そのまま笑える場所にいればいいのに。綺麗だけど、その恰好で外は寒いでしょ。
「風邪引くよ~?」
「話が……したいの」
「それはまた今度かな~?」
「お願い……」
一歩も引く気はない感じ。
花音がここにいて、いっちゃんがこないってことはプルプルモードに入ったのかな?
…………仕方ないなぁ。
「じゃあ、中入ろ~?」
「入ったら……葉月は逃げるんじゃない? 部屋替わってから、私から逃げてるよね?」
バレてる。
「ここだと風邪引くよ~? 中入ろ~?」
「……平気」
強情。
まるで逃がさないって目で見てくる。
でも風邪引いちゃうかもしれないのは事実。
仕方ない。
上着のブレザーを脱いで振り向いたら、花音がきょとんとしていたけど、花音が中に入らないから悪いんだよ?
ハアと少し息ついて、近寄って肩に掛けてあげると、もっと目を大きく見開いてた。
「中の方が温かいのに」
「…………」
話、話ね。
部屋戻ろうって話かな。
それはする気がないんだけども。
掛けたブレザーから手を離そうとしたら、その手を握られた。
「……一緒だね」
ん?
思わず首を傾げてると、花音が苦く笑ってる。
「初めて会った時と一緒」
「そうだった?」
「あの時も今も……葉月は葉月だね」
うん? どういうこと?
「自分だって風邪引くかもしれないでしょ?」
「今の花音よりは厚着だけど?」
「それでも……やっぱり冷たいよ」
花音が握ってる私の手を自分の頬に触れさせた。
花音の方が冷たいけど……。
まあ、いいや、
それより話があるんでしょう?
「花音……それで?」
「…………」
手を外して、花音から離れると、途端に黙ってしまった。
首を傾げて、花音を見る。
花音がジッと切なそうに見てくる。
「ねぇ、葉月……私、もう大丈夫だよ?」
……うん……やっぱりその話だね。
「もうきちんと眠れる」
「……」
「もう元気」
「…………」
「もう笑える」
「…………」
花音が離れた私に近づいて、近くで顔を覗き込んできた。
「約束……守ったよ?」
胸元のシャツをギュッと握ってくる。
ジッと近くで、切なげに見てきた。
「帰ってきて?」
帰る気は……ないんだよ。
掴んでくる花音の手を握って、ゆっくり服から離していった。
「だめだよ、花音…………不合格」
だから私はこう答えるしかない。
花音は一瞬目を皿にして、眉を下げて顔を俯かせていた。
「……どうして?」
「足りないから」
「足りない?」
「もっと笑って、元気になって、夢を見ないぐらい眠れるようにならないと……戻る気はないよ」
まだ見てるでしょ、私が死ぬ夢を。
どうして知ってるのかって顔しなくてもいいよ。
舞がたまに魘されてるのを聞いてる。
前ほどじゃなくても、でもまだ夢に見てるよね?
花音もなんとなく誰に聞いたのか、察したみたい。
「……舞から聞いたの?」
「……そだね」
「ねぇ、葉月……」
「ん?」
少し花音より目線が高い私を見上げてくる。
切なそうに、泣きそうな顔で見上げてくる。
「約束…………守る気ないよね?」
そうだよ。
守る気ないよ。
だけど、ちゃんと嘘はつくよ。
花音がそれを信じなくても、
嘘をつく。
「ずっと……そうやって言うつもりなんだよね?」
「そんなことないけど?」
「そうやって、不合格って……言うんだよね?」
「ちゃんと合格って言うよ?」
「そうやって、私を離そうとするんだよね?」
「何言ってるの、花音?」
ニコニコ答える。
花音が口を噤んだ。
ギュッと目を瞑って、離そうとする私の腕を掴んでくる。
「……………………葉月は……」
ん…………?
「もう…………帰ってくる気がないんだね……」
寂し気に呟く花音の声が、
耳に、
心臓に、
脳に、
やけに響いた。
そのままジッと花音は動かない。顔を下に向けて何も言わない。
このまま外にいたんじゃ、やっぱり風邪引いちゃうな。そろそろ中に――
「でもね、葉月……」
唐突にそう言ってきたから、少し驚いちゃったよ。
……ん? だけど様子が変?
腕を掴んでいた手で、今度はゆっくり私の頬を包んでいく。
え?
「私は……また会いにくるよ」
間近に花音の顔がある。
「葉月にもう大丈夫だって伝えたいから」
あの日から近くで見れなかった、
「葉月に安心してもらいたいから」
柔らかい笑みを浮かべてて、
「会いにくるから」
それが、とても綺麗で、
「本当のあなたにまた会いたいから」
目を離せなくなって、
「だからまだ、ちゃんとそこにいてね」
縛り付けられて、どんどん近くなってきて、
頬に柔らかい感触が触れた。
へ…………?
すぐそばに花音の顔があって、熱の籠った目で見てくる。
あれ……? 今……え?
茫然としてると、花音が悪戯っぽく笑ってゆっくり離れていく。
「このブレザー今日借りるね。あとで一花ちゃんに渡しておくから」
え、いや、それはいいんだけど、あれ?
「それと、葉月が部屋に帰ってくるの諦めたわけじゃないからね?」
へ……いや、さっき、自分で帰る気ないって分かってる感じだったんじゃ? 私、結構頑張って嘘ついたんですが? シリアスモードが一気に壊れたんですが?
「何か吹っ切れた。ありがとう、葉月」
何を吹っ切れたの?!
ポッカ~ンとしてる私を置いて「またね」って言って、花音は中に戻っていった。
あ……あれ~?
何がどうなってるのか、さっぱり分かりませんよ?
そのまま茫然と立ち尽くして、いなくなった私を見つけたいっちゃんに、蹴り飛ばされたのは言うまでもない。
お読み下さり、ありがとうございます。




