186話 勇気をもらって —花音Side
「じゃあ、これで準備は大丈夫ね」
「そうだね。あとは皆で楽しむだけかな」
クリスマスパーティーの会場の控室の中、最後の確認を終えて先輩たちは満足そうだった。
もう生徒たちは会場入りしているし、トラブルというトラブルは今のところない。舞が今、最後に会場周辺に確認に行っているけれど、今のところ連絡がないから大丈夫だろう。
それとは別に、私は緊張しているんだけどね。
ふうと、今日着けてきたネックレスを手に取って眺めてみた。
葉月がプレゼントしてくれたネックレス。
あれ以来、無くさないようにと思って着けてなかった。葉月と話す時に上手く話せなかったら嫌だなと思って、勇気をもらうために着けてきた。
今日、絶対葉月と話そう。
ギュッとそのネックレスを握りしめると、隣に誰かの気配がする。ん? と思ってそちらを見ると、さっき控室に戻ってきた会長が、何故か耳を真っ赤にして顔を背けていた。どうしたんだろう?
「会長、どうしました?」
「そのドレス……誰の見立てだ?」
え、これ? これはレンタルなんだけど。東海林先輩が気を遣ってか紹介してくれたお店で借りてきた物。私にドレスを買うお財布はありませんから。
男子は制服だからちょっと羨ましい。見立てというなら舞と先輩かな。今日のメイクも髪も舞がやってくれたんだよね。相変わらず上手い。
「舞と東海林先輩ですね」
「そ、そうか……」
何で口籠ってるんだろう?
首を傾げていたら、ドア近くの東海林先輩は呆れ顔で、月見里先輩は笑いを堪えているように見える。
何だろうと思っていると、肩にポンと手を置かれた。そちらの方を次に向いたら、阿比留先輩がいて何故か困っている様子。珍しい、私に何か用かな?
「それ……似合ってる」
「え? ああ、ありがとうございます」
さらに珍しい。褒めてくれた。褒めて――くれたんだよね? どうしてそんな会長の方をチラチラ見ているんですか?
2人を交互に見ていたら「ハア……そろそろ時間よ」と東海林先輩が溜め息をついていた。あ、あれ? 舞がまだ戻ってきてないのに。
「先輩、少し待ってください。舞ももう戻ってくると思います」
「でももう時間よ? 途中で合流できるんじゃないかしら」
確かにそうかもだけど、すれ違ったらきっと、舞は私たちがいないことにあたふたすると思う。
「ちょっとそこまで見てきます」
「私たちもすぐ出るわよ?」
「すぐ戻りますから」
東海林先輩たちに一言言って控室を出た。舞が来るとしたらこっちかな?
本来向かうはずのホールに向かう通路とは逆に足を進めてみる。腕時計を見てみると、確かに予定された時間が差し迫っていた。舞ってば……あれだけこの時間までには戻ってきてって言ったのに。
ハアと少し息をついた時だった。
ドンッ!
と、廊下を曲がった先で誰かとぶつかる。
しまった。前見てなかった。
謝らないと……そう思って顔を上げると、
そこにはあの日以来、まともに見ていなかった葉月の顔。
「……葉月?」
思わず声を出して確認してしまった。葉月も葉月で目を見開いて驚いているように私を見てくる。だけどそれ以外に反応がない。
あ、あれ……? 幻とか……? 会いたすぎて、幻見てる?
「…………」
「…………」
私も口を思わず閉ざしてしまったけど、葉月も口を閉ざしている。お互い無言になってしまったけど、気まずそうに目が泳がせ始めた。
これ、幻じゃない……そうだ、今がチャンスなんじゃ?
「桜沢? 何してる、いくぞ?」
口を開きかけた時に、会長が控室の前から声を掛けてきた。
え、え? もう? 確かにすぐ出るとは言っていたけど、で、でも待ってください。私、葉月と――。
「花音?」
久しぶりに名前を呼ばれて、自然と胸が高鳴る。体も無意識に跳ねてビクッとしてしまった。
会長たちから葉月の方に視線を向き直すと、苦笑しながら私を見ている。その困った笑顔がまた切なくなる。
「行きなよ……会長待ってるよ?」
「っ……待って私っ!」
ちゃんと話したいの。
ちゃんと葉月と話したいの。
思わず手を伸ばすと、葉月はそれを避けるかのように大きく一歩下がった。
「私はいっちゃんから逃げなきゃいけないからさ~。悪いけど先いくよ?」
「まっ――!」
クルリと私に背を向けて、私の止める言葉なんて聞かずに葉月は走っていく。
待って。
逃げないで。
「どうした? 神楽坂が来たのか?」
追いかけようとした時に、また会長の声が飛んできた。つい会長の方を振り向くと、近くまで来ていて首を傾げている。
違うんです、葉月が――また葉月の方を向くと、もうその姿は見えなかった。
もう、いない。
けれど、ドクンドクンと心臓がうるさい。
さっきの葉月の声が耳から離れない。
横で会長が、私が見ている方を覗き込んでくる。
「いないぞ?」
「……そうですね」
いたのは、舞じゃなくて葉月だったから。
「とりあえず行くぞ。神楽坂もすぐ追ってくるだろ」
「……はい」
踵を返す会長。仕方ない。もうパーティーは始まる。まだ機会はあるかもしれない。
未練がましく葉月がいた道から視線を外し、会長の後を追いかけた。
見つけられるかな? 今日は全生徒が集まっているから、ホールは人で溢れている。
その中から葉月だけを見つけ――あれ? そういえば、どうして葉月は制服だったんだろう? いつものブレザーにスカートだった。
だったら見つけやすいかも。今日は女子がドレスだから、その中で制服なら目立つはず。
私、今日はちゃんと話したいの。
だから葉月、さっきみたいに逃げないで?
ホールの手前で舞が合流した。何でも葉月のことを一花ちゃんたちと捕まえていたらしい。
「それで小鳥遊さんは?」
「ちゃ~んと一花に捕縛されましたよ。あれならパーティー中に何かすることは出来ないと思うけど……何せ葉月っちだからな~」
舞も疲れたような溜め息をついていたけど、東海林先輩も眉間に指を置いて疲れ切っていた。「まあ、東雲さんに任せるしかないわね」とホールに続く扉に向き直っている。
「今は小鳥遊さんのことは忘れて、パーティーを始めましょう。生徒たちも待ち侘びてるでしょうから」
最初に私たち生徒会が代表でダンスを踊ることになっている。どうしよう……今更緊張してきた。
胸に手を置いてたら、隣の会長がコホンとわざとらしく咳払いしていた。え、会長も緊張してるとか?
「あまり緊張するな。いつも通りにやればいい」
耳を真っ赤にさせながら、珍しく素直に励ましてくれた。その気持ちが伝わってきて、少し安心した自分がいる。思わずクスっと笑ってしまった。
「……そうですね。ではいつもどおり、会長の足を踏みますね」
「それは気をつけろよ」
「善処します」
会長に冗談を言っていたら、扉が開かれた。そうですね、練習通りにやれば何も問題ないはず。
ホールの中へ入っていくと、生徒たちがダンスする場を囲むように、入ってきた私たちに注目していた。横には今日頼んだオーケストラの人たち。
「お待たせしました、皆様」
東海林先輩がマイクを持って挨拶し始めた。というより、皆が東海林先輩に見惚れている気がする。ドレスアップしていつもより綺麗だから、当然といえば当然かな。
周りの生徒達を見ながら、今日来てくれたことへの感謝を伝えて、今度は会長がそのマイクを受け取っていた。
「今日はクリスマスだ。小難しい勉強とか部活の成績とか何も気にする必要はない。だから羽目を外して楽しんでいけ」
その会長の言葉で皆からワアって歓声が上がる。今の言葉でどうして歓声があがるのかは分からなかったけど、皆が楽しそうだからいっか。
曲が流れてきて、私たち生徒会メンバーもそれぞれのパートナーと向かい合って手を取った。1、2、3と曲に合わせてリズムを取りながら足を動かし始める。するとまた周りからは声があがる。主に女子生徒の黄色い声だけど。
「お前もこういうパーティーは初めてだろ? せいぜい楽しめ」
間違えないように集中していたら、目の前の会長がまた偉そうな口ぶりで話しかけてきた。本当、この人はどうしてこういう言い方しかしないかな。お母様の件で少しは変わったのかなと思ってたんだけども。
「その偉そうな口調、全然変わりませんね?」
「元からだからな。無理だ」
「なるほど。3つ子の魂、百までって言いますからね」
「誰が3歳児からこの口調だって言った」
「違うんですか?」
てっきり子供の時からだと思ってました。踊りながら会長は「んなわけあるか」と呆れた目をしている。
「あの人が俺の教育をし始めた時ぐらいからだ。それまでは俺だって自分のことを“僕”って呼んでいたからな」
僕っ!? に、似合わない!
思わずプッと吹き出してしまった。踊っている最中だから手で口を抑えることもできない。だけど……会長が“僕”って……笑ってしまいますよ、そんなの。
「……それでいい」
「え?」
見上げると、どこか安心した顔をした会長が私を見下ろしている。笑ってたけど、その顔に一瞬呆けてしまった。
「お前はそうやって笑ってろ」
「……何ですか、いきなり?」
「最近まではずっと死にそうな顔をしてたからな」
……そうですね。それは私でも自覚ありますから。
「ご心配おかけして、すいません。だけど、もう大丈夫ですから」
「どうだかな。さっきも思い詰めた顔をしていたぞ?」
うっ――と思わず言葉が詰まってしまう。
それは、あの……葉月のことで少し緊張していたから。
そんな私を見て、ニヤリと口元を笑みに変えている会長。
「お前は本当に顔に出やすいな」
「気をつけては……いるんですけどね」
「しかも予想外のことで怒ったり笑ったり泣いたりと……本当狂わされる。まあ、見ていて飽きないが」
「……私の反応で楽しんでます?」
「そうとも言うな」
思わず会長の足を踏みつけてやろうかと思いましたが? 人がいっぱいいっぱいになっているのを見て楽しんでいるとか、タチが悪い。
にっこり笑って会長を見上げると、クックっと笑いを零している。「今は怒ってるだろ?」って怒りますよ、それは。
「でもそっちの方がいいぞ?」
「怒っているのがですか?」
「違う。思い詰めているよりは、こっちの方がいいってことだ」
それは……まあ、そうだろうけど。
「あまり心配させるな」
思いの外、真剣な声でそう言われた。
……すごく心配させていたから。先輩たちにも、舞たちにも。夢を見るようになって、苦しくて辛くて、不安で怖くて、自分のことだけしか考えられなくなっていた。
「何かあったら俺たちを頼れ。前にお前が言ったことだぞ」
「え?」
「お前も人のこと言えないだろ。人には頼れって言って、自分の時は頼らないとか。お前だって甘えるのが下手だってことだ」
会長に言われてしまった。少しショック。そ、そっか。私もそうだったのか。頼るとか確かにしてなかったかも。
「お前が笑えるように、俺たちだって力を貸すってことだ。ちゃんと覚えておけ」
命令口調でそう言う会長。
言い方はぶっきらぼうだけど、だけど私のことを想ってくれているのは分かる。
本当、優しいな。会長だけじゃなく、みんな。頼らない私を見守ってくれている。黙って支えてくれている。
「心強いです」
そう思って、自然と口にしていた。
胸の奥が温かくなってくる。
「今度何かあったら、ちゃんと会長たちを頼りますね」
「つまりは、最近の死にそうな顔をしていたのは何かあったわけだな?」
「そういう揚げ足取るとか、会長って本当はモテませんよね?」
「お前の目は節穴か? 今も周りでうるさいだろうが」
確かにうるさい。でも、葉月のことを言うわけにはいかないからね。クスって笑って、また足を動かす。
さっきまで緊張してたのが嘘みたいに、足取りは軽くなっていた。今の会長の不器用な励ましで、大分緊張がほぐれたみたい。
今から葉月とちゃんと話す。
逃げられないかとか、どう話そうってグルグル考えていた。
「ありがとうございます……会長」
「……?」
いきなりお礼を言った私に、会長は今にも「は?」と聞き返してきそうな顔をしてきた。その顔がおかしくてまた笑ってしまう。
だけど、勇気をもらったんです。
実は緊張して足が竦んでいたんですよ。
曲がもうすぐ終わるころ、会長の肩越しに見慣れた髪が生徒の間から視界に入ってきた。
本当は、あと2曲は踊るはずだったけど、今を逃したら、きっと捕まえられないだろうな。
曲が終わって、一旦お互いにお辞儀をする。
顔を上げて、私はさっき見かけた方に振り向いた。
「桜沢?」
「すいません、会長。私、少し離れます」
驚いている会長に謝って、人垣の方に自分の身を忍ばせた。後ろからは女の子たちが会長に詰め寄っている声が聞こえてくる。「は? おい!?」という会長の戸惑っている声が聞こえてきて、心の中でごめんなさいってまた謝った。
さっきの、葉月の髪だった。
だけど、どこへ?
キョロキョロしながら周りを見渡すと、何故か壁際で一花ちゃんが顔を覆ってプルプルしながら震えている。え、あれ? 大丈夫、一花ちゃん?
少しその一花ちゃんが心配になったけど、葉月が近くにいないことに気づく。
今ならきっと、2人きりで話せる。
そう思って、心配だったけど先に葉月を探すことにする。さっきあっちの方に行ったように見えた。視線の先はバルコニーがある方。
他の生徒たちの波に逆らって、そちらに足を進めていった。コツコツとヒールの音がやけに自分の耳に響いてくる。
バルコニーに続く窓越しに、葉月の後ろ姿が見えた。
やっぱり、緊張するな。さっきとは違うテンポのいい曲が流れ始めて、その曲に合わせるかのように心臓の鼓動も早くなっていった。
ふう、と外に出る前に胸に手を置いて深呼吸する。
静かにバルコニーに続くドアを開けた。冷たい空気が体を刺激してきて、少し身震いしてしまう。やっぱり冬にこの恰好では寒い。
だけど今を逃したら、葉月はずっと私から逃げて、話す機会がこないかもしれない。
ヒールの音で葉月が逃げないように、ゆっくりとその後ろ姿に近づいていった。
空を見ている。
ここからだと夜空が見える。
本当に好きなんだね。
だけどね。
ちゃんと、
ちゃんと話そう?
「葉月……」
声が少し震えた。
けれど、近づく足は止めない。
葉月は私の呼びかけに気づいたのか、手すりに寄り掛かっていた体をゆっくり起こしていた。
「葉月……お願い…………こっち向いて?」
ちゃんと、顔見て話したいの。
お願いだから。
ゆっくりと白い息を吐きながら、顔だけを私の方に振り向かせてくれた。
その顔を見て、
やっぱりギュッと胸が締め付けられて、
私、やっぱり葉月が好きなんだなぁって思ったよ。
お読み下さり、ありがとうございます。




