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177話 本当のあなたに —花音Side※

 


「部屋ね、私、舞と替えてもらうよ。もう申請受理されてるから」



 いつものように夕飯を食べて、食後のお茶を飲んでいる時だった。


 葉月が静かにそう私に告げた。


 今、なんて言ったの……? 部屋を替わるって言った?


 その言葉を理解するのに時間が掛かっている間、葉月が持っていたカップをテーブルに置いている姿が、やけにスローモーションに見えた。


 頭の中が真っ白になって葉月を見るけど、葉月はじっとこっちを見てくる。


「明日からは舞が花音のルームメイトだから」


 間違わないくらいハッキリと、葉月はまたそう口に出した。


「は……づき……?」

「もう舞の了承は得てるから」


 もう決定事項のように、またカップを持って中身のお茶を飲んでいた。そんな葉月を見て、これは本当の事だと実感できる。その事実がやっと浸透してきた気がする。


 どうして、いきなり……なんで……?

 ザワザワと焦燥感が心の中を支配してくる。


「ま……待って、葉月、私は――」

「待たないよ。もう寮長にも申請受理してもらったからね」


 聞く気配は全くない。私の意思は無視して、それでもう離れる気なんだ。そんなの嫌。どうして勝手に。


「……私、嫌だって言ったよね?」

「うん。でも、もう離れよう?」


 またハッキリ離れようって葉月の口から出てきて、胸が苦しくなる。


 だけど、そんなの認めたくない。


「嫌だよ……どうして……」

「もう何日眠れてないと思ってるの?」

「っ……」


 そのことを指摘されて怯んでしまう。葉月が知らないはずがなかった。この部屋で暮らしているんだから。


 つい下を俯いてしまうと、カップを置く音が聞こえて、葉月が私の横に座ってくる。手が伸びてきて両手で頬を挟まれ、無理やり顔を上げさせられた。


 すぐ近くに葉月の顔。

 その目がとても辛そうに見える。


「もう、花音が限界だよ」


 その声が切なげで、もう枯れて出ないはずの涙が込み上げてきた。


 葉月は私を心配している。

 それが否が応にも伝わってくる。


 頬に伝わる葉月の手の温もりを離したくなくて、その手をギュッと握りしめた。


 葉月は本当に離れようとしている。

 この手を離そうとしている。


「いや……いやだよ葉月……限界じゃない。私、限界じゃないよ……」


 だから縋りつくしかない。嫌だから。この手が離れるのが嫌だから。


 離したら、もうきっと会えなくなる。あの時みたいに、葉月がいない毎日を過ごすことになる。


「私、もういやなの……葉月がいなくなるの……怪我した時みたいに、この部屋に葉月がいないのが、いや」

「離れた方がいいんだよ、花音」


 葉月の答えが変わらない。

 どうすれば、葉月は替わらないって言ってくれる?


「私、大丈夫だよ……」


 そう伝えるしか出来ない。

 大丈夫だって言うしかできない。


 葉月が離れようとしているのは、私を心配してくれているからでしょ? 私があまりご飯食べれなくなったからでしょ?


 だから大丈夫だって言うしかできない。


 だけど、葉月は辛そうに目元を歪めてこっちを見てくる。


「何回、私が死ぬ夢見たの?」

「っ!?」


 思わず固まってしまった。

 どうして……知ってるの……? 夢のことは誰にも言ってない。葉月にだって言ってない。


 驚いている私を、今度は苦笑して見つめてきた。


「あんなこと、教えなきゃよかったね」


 まるで自嘲するように葉月はゆっくりと話し出す。

 その声が、とても優しかった。


「そうだよね。あんなこと言われたら、怖いよね。死ぬかもしれないって怖くなるよね。花音は優しいから、心配になるよね」

「ち、ちが――」

「違わないよ、花音。違わない」


 被せるように葉月は私の言葉を遮ってくる。葉月は……私がそう思っていることにも気づいていたの……?


 いつも葉月は黙って私を抱きしめ返してくれた。

 まるで子供をあやすように、落ち着かせるようにしてくれた。


 それは私が怖がっていることに気づいてたから?

 安心させようとしてくれていた?


 知らずに流れていた涙を、葉月が親指で拭い取ってくれる。


 その手が優しくて、どこまでも優しくて、

 次から次へと零れてきた。


「今から冗談でしたって言ったら、花音信じてくれる?」

「っ……葉月」

「無理だよね。それもそっか、そうだよね。もうこの傷も見ちゃったしね」

「葉月っ……!」


 自分を責めてるの……?

 私に話したからだって、そう思っているの……?


 違うのに。

 私が知りたいって言ったからなのに。私が弱いせいなのに。勝手に私が怖がっているだけなのに。


 違うと伝えたくて、必死に首を振る。だけど伝わっていない。


 違うよ、葉月。

 葉月のせいじゃないんだよ。


 言葉が出てこなくて、もどかしい思いをしていたら、



 コツンと額を合わせてきた。



 葉月の綺麗な顔が目と鼻先にある。

 穏やかに微笑んで、優し気な瞳で私を見ている。


 こ……れ……この、表情……見たこと、ある。




「だから離れよう、花音」




 その優しい声に聞き入ってしまう。


 ――そうだ。夏祭り。


 あの時、葉月は今と同じ表情を一花ちゃんに向けていた。


 ずっと見ていたい、聞いていたい。

 離れたくない気持ちは変わらないのに……どうしてだろう。


 ストンと葉月の声が私の中に入ってきた。


「明日、いっちゃんと一緒に先生のところに行っておいで」

「はづ……き……?」


 先生……?


「花音も会ったことある先生だよ。私の主治医だから。カウンセリング、受けてきて」


 カウンセリング……?

 葉月の主治医ってことは、一花ちゃんのお兄さんのこと……?


「私から離れれば、もう花音が悪夢を見ることもなくなると思うから」


 もう葉月のあの姿を見なくて済む……?


 だけど、離れたら、不安で怖くて仕方なくなるんだよ?


 そう言いたいのに、何も言葉が出てこない。


 だって、



 目の前の葉月から目が離せないから。



 見たことないくらい綺麗で、


 胸の奥が温かくなるような、微笑みを浮かべてくれてるから。



「花音…………私、ちゃんとここにいるよ」



 ここにいる。


「離れても、ちゃんとここにいるよ。だから大丈夫」


 離れても、葉月はちゃんといる?


「分からないと思うけど、大丈夫なんだよ。ここにいるから。いっちゃんに聞けば分かるよ」


 大丈夫というその言葉が、今はやけに信じられる。



「今は花音をね、眠れるようにしてあげたい。私に構わず、前みたいに笑ってほしい」



 葉月が頬を撫でてくる。本当にそう思って心配してくるのが、その手の温もりから伝わってくる気がした。


 温かい。ちゃんと葉月は今ここにいる。

 それがすごく嬉しくなる。

 安心してくる。


 目の前の葉月の頬にソッと触れてみた。目元を細めて、ただ穏やかに微笑んで私を見てきた。その温かさも手から伝わってきて、最近の不安がなくなっていく。


 つい撫でてみると、葉月はその手に自分の頬を擦り寄らせてくれる。


 ちゃんと、今、葉月はいるんだ。

 死んでなんかない。


 ちゃんと、ここにいてくれることが実感できる。


「花音、これ以上、一緒は無理だよ」


 葉月が私から離れようとしているのは、自分が離れれば私が夢を見なくなるって信じてるから?


「これ以上は花音、壊れちゃうから」

「…………そんなことない」


 そんなことない……だって今、すごく安心するよ?

 壊れちゃうって葉月は思っているの?

 自分がそばにいて、私が壊れるって、そう思ってるの?


「花音」


 懇願に近い声に聞こえた。

 心配してくれているのは分かるよ。

 だけど、葉月……。


「…………離れたくないよ、葉月」

「じゃあ、証明して?」

「証……明……?」


 ……証明? 何を?


「離れて、眠って、元気になって、笑って……それが出来るようになったら、ルームメイトに戻ろう?」


 元気になって、笑えるようになったら……ルームメイトに戻る?


 ……本当に戻ってくる?


 葉月は、離れたらきっと私と会わない気がする。

 自分が離れれば、私が元気になると思っているようだから。


「それが出来たら、この部屋に戻ってくるよ」

「……出来たら?」

「そう。出来たら」


 本当に本当に戻ってくる?


 目を細めてずっと穏やかに微笑んでくる葉月。

 その瞳は信じてって訴えている気もする。


「それなら、花音もいいでしょ?」


 本当はよくはないよ。


「ね、そうしよう?」


 ……確かに、このままだとずっと葉月に心配かけてしまうことになる。辛そうな顔を見ることになる。


 私が眠れないから。

 あまり食べなくなったから。

 ……あまり笑わなくなったから。


 葉月にずっと心配をかけてしまう。


 皆もそう。一花ちゃんや舞、ユカリちゃん、ナツキちゃんも先輩たちも皆心配している。最近はずっと泣いてばかりの自分がいるから。


 しっかりしなきゃいけないと、ちゃんと思ってる。


 目の前の葉月をジッと見つめた。


 葉月の離れるという考えはもう変わらない。

 私が嫌だと言い続けても、きっと明日の朝にはいなくなってる。そんな気がする。


 元気になれば、

 ちゃんと眠れるようになれば、


 ちゃんと笑えるようになれば、



 葉月は戻ってくれるかもしれない。



 だけど、葉月はやっぱり戻ってきてくれないかもしれないと同時に思ってしまう。

 このまま離れていく可能性だって十分あるんだから。


 視線を合わせていると、全部見透かされているようで、少し逸らした。


 離れたくない自分と、でもこのままではいけないと考える自分。



 離れなくても……きっと葉月は心配そうにしてくる。


 葉月に辛そうな顔してほしくない。



 やっぱり私は葉月の笑顔を見たいから。



 葉月の笑顔が好きだから。



 ちゃんと元気になれば、葉月は戻ってきてくれるって言ってくれた。


 ちゃんと笑えるようになれば、この部屋に戻ってくるってそう言った。


 だから。



「……わかった」



 信じてみる。


 私がそう言うと、葉月も明らかにホッとしたように息をついたのがわかった。


 それに、完全に会えなくなるわけじゃない。

 舞との交換なんだから、葉月に会いたくなったら向いの部屋に行けば会える。

 学園でも会える。

 葉月が学園に来なくなるわけじゃないんだから。


 必死で言い聞かせた。すぐに、やっぱり嫌だっていう思いが出てきたから。


 ギュッとそのまま葉月の首に腕を回してしがみつく。


 明日から、こうやって抱きしめることも出来なくなるかもしれない。

 こうやって温もりを感じることができなくなるかもしれない。


 葉月はそんな私を抱きしめ返してくれた。

 その温もりが今日は本当に安心できて嬉しくなる。


 我儘言っていいかな……?

 一緒の部屋じゃなきゃ出来ない事。


「今日……一緒に寝て?」


 今日は寝れる気がする。

 この温もりを感じて寝たい。


「いいよ」


 すぐにその答えが返ってきて、安心する。

 ふふって耳元で笑う声がくすぐったい。


 くすぐったいけど、胸の奥があったかい。


 その日の夜、甘えるように葉月に擦り寄ると、葉月もおかしそうに笑っていた。

 手を握ってくれて、もう片方の手で私の頭を撫でてくれる。


 その手がやっぱり心地よくて、


 だんだん眠気がやってきて、


 ひどく安心して、



 あの日以来見ていた悪夢を、その日は見ることなく眠ることが出来た。



 葉月。

 私、ちゃんと元気になるから。

 ご飯も食べて、

 笑えるようになるから。


 だから、



 また笑顔を見せて?



 さっき見た、本当のあなたの、笑顔を見せてね……。


お読み下さり、ありがとうございます。

これにて7章終わります。次話から8章になります。

タイトル崩壊しておりますが、最終章にて回収いたします。

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