168話 そんなわけない —花音Side
「かの~ん! これやって~!」
いつもの朝の日常。
葉月がネクタイやってと渡してくる。
「……うん」
「んー? 元気ない? 体調悪い?」
「……ううん。元気だよ」
元気だよ。体調、悪くないよ。心配しなくて大丈夫だよ。
笑って、葉月からネクタイを貰ってつけてあげると「ありがとー」と笑顔を返してくれる。
その笑顔を、思わずジッと見てしまった。
「なーに?」
「……ううん、何でもないよ。じゃあ先に行くね?」
「うん、いってらっしゃーい」
今日は朝から生徒会室に行く予定だから、早めに出た。いつものように葉月は見送ってくれる。
変わらない葉月の笑顔。
だけど、葉月が手を振ってくれた時に見えたリストバンドを見て、心臓が嫌な感じで跳ね上がった。
あれからずっと、不安が付きまとっている。
リストバンドの下にあった手首が、脳にこびりついている感じ。
だけど、葉月は変わらない笑顔を向けてくれる。
大好きな笑顔を向けてくれる。
きっと違う。
ただ、そう。たまたまだよ。昔から無茶をしてたって一花ちゃんも言ってた。その時、たまたま……。
学園に行く途中、思わず足を止めてしまった。
俯いてキュッと心臓の辺りを掴む。
何で消えてくれないの。
あの時、思いついてしまったこと。
全然その考えが消えてくれない。
葉月に限ってそんなことあるわけないのに。
「おはようございます、花音ちゃん。どうしたんですか、こんなところで止まって?」
肩を叩かれて反射的に肩が跳ねた。
心臓がバクバクいってる。
叩かれた方を見ると、ユカリちゃんが首を傾げていた。
「あ……お、おはよう、ユカリちゃん」
「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」
「……そんなことないよ。大丈夫だよ」
いけない。心配させちゃう。だから無理やり笑顔を作った。
忘れよう。
ちゃんと忘れよう。
そんなこと、出来るわけがなかった。
葉月を見るたびに、一緒にリストバンドに視線がいってしまう。気になってしまう。
「花音、な~に?」
「え?」
ご飯を食べている時に不審に思ったのか、心配そうに葉月は見てきた。
葉月……。
聞いたら、答えてくれるの?
でも、もし……。
もし私が……思ったことだったら?
「花音~?」
「っ……何でも……ないよ」
聞けない。
答えが、怖い。
誤魔化すように笑みを作る。
「それより葉月、デザートにゼリー作ったの。食べる?」
「うん? うん、食べる~」
ゼリーを冷蔵庫から出してあげると、葉月はおいしそうに食べてくれた。
その笑顔は私を安心させてくれるはずなのに、今はとても不安になった。
いつものように甘えてみる。葉月はそんな私の頭をポンポンとしてくれる。
この温もりが安心するはずなのに、やっぱり不安になってくる。
聞きたい。
だけど聞くのは怖い。
しがみつくように抱きしめる。温もりが伝わってくる。
大丈夫。葉月はここにいるじゃない。
ちゃんとここにいるんだから、不安になる必要なんかないんだよ。
ないんだよ。
□ □ □
「花音、何かあったのか?」
一花ちゃんが珍しく聞いてきた。今は昼休み。ちょうど生徒会室に行くときだった。葉月は一緒じゃないの?
「どうしたの、いきなり?」
「……様子が変だって、心配しているぞ?」
誰が、とは聞かなくても分かる。葉月に心配かけている。最近、意味もなく抱きついているから。一花ちゃんも、そうだと思う。私を見る目が心配そうだ。
……一花ちゃんだったら知ってる。
あれのことを知っている。
知らないはずがない。
「花音?」
だけど。
だけど聞いていいのかな?
葉月の知らないところで、葉月の過去を聞いていいのかな?
本当は聞いてしまった方がいいって分かってる。
違うって言ってもらって、安心するのが早いのは分かっている。
分かってるけど……でも怖いんだよ。
もしかしてって思ったことが、本当の事だったらどうするの?
それに、葉月は知らなくていいよって言ってたの。
知らなくていいって、
そのままでいいって、
そう言ってたんだよ。
「大丈夫だよ、一花ちゃん。何でもないよ」
「そうか? 本当に?」
「本当だよ。ごめんね、生徒会室にいかなきゃ」
「……何かあったら、すぐに言えよ?」
「ふふ、うん。わかった。心配してくれてありがとう」
ごめんね、一花ちゃん。
だけど聞くことはできない。
安心したいよ。一花ちゃんの言う事だったら信じられるよ。
気になるよ。あれのこと、気になるよ。
それ以上に、今は怖い。
聞くのが、怖い。
だけど、私の様子がおかしいと気づいているのは、葉月や一花ちゃんだけじゃなかった。
生徒会室に着くと誰もいなかった。先輩たち、まだ来てないみたい。先に目を通しておこう。
棚から確認する書類を出していると、扉が開く音が聞こえた。
「早いわね。もう来てたの?」
「いえ、私もさっき来たばかりですよ」
入ってきたのは東海林先輩。手には何枚かの書類を抱えている。きっと先生たちから受け取ったモノかな。
「お茶淹れますね」と手に取っていた書類をテーブルに置いてから、ポッドのそばに歩み寄る。紅茶でいいよね? 東海林先輩もいつも座るソファの方に向かったみたい。
「ちょうどよかったわ。少しあなたも座って?」
「え?」
座った東海林先輩に呼ばれた。どうしたんだろう? 真剣な顔つきだから、何かあったのかも。
お茶を淹れるのをやめて隣に座ると、ジッと見てくる。
「どうしたんですか? もしかして、パーティー会場が月宮学園と被ったとか?」
「大丈夫よ。確認したら、日にちはズレていたから」
それならよかったけど、ならどうして溜め息をついてるんだろう?
「それより、何かあったんじゃない?」
「え?」
「最近、酷い顔よ。自覚ある?」
……そんなに酷い顔?
思わず自分の頬に手を当てると、東海林先輩がまた溜め息をついている。
「ないみたいね」
「……元気ですよ?」
「そうは見えないけど?」
呆れた様子で頬杖をつきながら見てくる。東海林先輩にこうやって見られるの初めてかも。
「それにあなたの友達も心配しているわよ? 同じクラスの子」
「え?」
「寮で相談されたわ。花音ちゃんの様子がおかしいってね。生徒会で何をさせているんですかって、いらぬ疑いをかけられたわよ」
同じ寮――ユカリちゃん? ユカリちゃんが心配しているってことはナツキちゃんも……舞も心配してる。
「私たちももちろん気づいていたけど、あなたが普通にしようとするから聞かない方がいいかとも思ったのよ。けどさすがに無理ね。ちゃんと寝ているの?」
……寝ている、と思うけど。
葉月の寝顔見ている時間、増えたぐらいで。
最近の夜のことを思い出していたら、先輩がポンポンと頭を撫でてきた。
「あなたが普段しっかりしているから、私たちも頼りすぎちゃっているところはあるわね。だけど頼っていいのよ? 勉強きつい? それとも他の心配ごとがあるのかしら?」
「……大丈夫ですよ、私?」
「大丈夫そうじゃないわよ。今にも泣きそうで、不安そうに見えるわよ?」
不安そうと言われて、ビクっと体が反応してしまった。見透かされている。
そうだった。私は分かりやすいらしい。顔に出やすいって言われているものね。だからユカリちゃんたちも、葉月と一花ちゃんも心配しているんだから。
思わず言葉に詰まってしまうと、東海林先輩が「図星ね」とまた優しく撫でてくれた。
「話すことで楽になることもあるわよ? ちゃんと聞いてあげるし、誰にも言わないから」
優しい声に縋りたくなる。
だけど、だけど先輩。怖いんです。知るのが怖い。
……先輩だったら、どうするのかな?
ふと、そんなことを思った。
もし先輩が誰か知り合いの過去を知りたくなった時、だけどその過去を知ったら取り返しがつかなくなるんじゃないかって思った時、先輩は聞くのかな?
「先輩は……」
「ん?」
「もし、先輩の大事な人に秘密があったら……どうしますか?」
「秘密……ねぇ」
「その秘密が……取り返しがつかないことだったら……どうしますか?」
「それが、あなたが最近悩んでいること?」
聞いているのに聞き返されてしまった。苦笑して私の頭から手を離して、ソファの背凭れに体を預けている。
「そうね。私だったら、ちゃんと問いただすかしら」
「……取り返しがつかないのに?」
「ちゃんと理由を聞くわ。なんで秘密にしていたんだって。知らないと、取り返しがつかないかどうかも分からないじゃない」
確かに、そうかもしれないけど。
「怖く、ないんですか?」
「あなたは怖いわけね。そういうことか。だから聞くかどうか迷っていて、でも怖いから聞けない」
「っ……」
返事ができない。その通りだから。
「それは不安が募って当然だと思うわよ? だって肝心の答えを聞かないで、勝手に自分で想像するしかないものね。私だったらさっさと聞いてしまうけど」
「知ってほしくない秘密なのに?」
「でも知ってしまった。あなた自身は確かめたくならないの?」
「それは……」
知りたいと思うけど……でも……。
「大事な人だって言っていたわね。それだったら、私は尚更聞くわ。大事な人のことは知っておきたいもの」
知っておきたい。
葉月の事を、ちゃんと知りたい。
「私だったら踏み込むわ。どんな秘密を抱えてるのか、どんなことを悩んでるのか。踏み込まないと何も分からないままだから」
そう……何も分かっていない。結局、何も分かっていない。
「知っていれば、その人にしてあげられることが増えるかもしれないしね」
「してあげられること……ですか?」
過去を知っていればしてあげられること……?
葉月に、してあげられること。
東海林先輩がクスクスと笑い出したから、つい目をパチパチと瞬いてしまった。
「不安は解消すればスッキリするわよ?」
「それはそうですけど」
「そんなに怖い? 相手を知るのが」
「……離れていきそうで」
「だけど、このままだとあなたはずっと不安なままなんじゃない?」
……きっとそう。
「何の秘密を知ってしまったかまでは聞かないけど、時には踏み込むことも必要だと思うわ。私自身そうだった」
「先輩が?」
「そうよ。私だって怖かったわよ、知るのが。だけど聞いてスッキリしたし、今ではそれを理解してあげた上で、サポートできることが嬉しいわ」
それは先輩の大事な人のこと? 先輩にもそういう人がいるってこと?
「知りたいって思う気持ちは、自然なことよ。それが大事な人のことであれば尚更ね。それを知るのが怖いっていうのもそう。だけど、そう言っていたら何も進まない」
体を起こして、先輩はいつもの綺麗な微笑みを浮かべている。
「踏み込むのは勇気が必要。けど、その先に進むことは出来ると私は思うわ。もしそれが失敗したら、その時は思い切り泣けばいいのよ。それにあなたがそれで傷つくなら、私たちが何とかしてあげるし。可愛い後輩を泣かせたんだからね」
「そんなことしたら、先輩たちが悪者じゃないですか」
「可愛い女の子を泣かせる方が悪者よ。知らなかった?」
おかしそうに笑っている先輩に釣られて、私も少し笑ってしまった。
本当、東海林先輩は頼れる先輩ですよ。少し体が軽くなった気がします。
そのあと会長たちも入ってきたから、その話は切り上げた。あの、会長たち? なんで皆して目を逸らすんでしょうか? 私、何かしました? そんな先輩たちに、何故か東海林先輩がため息をついていたのが、少し不思議だった。
帰り道、東海林先輩の言葉を思い返していた。
確かに踏み込まないと何も進まない。
葉月、私やっぱり知りたいよ。
怖いけど、知るのは怖いけど、ちゃんと知りたい。
ちゃんと葉月の口から聞きたい。
これでもし、私の思い浮かんだことじゃなければ、それが一番安心するから。
今まで、踏み込んでこなかった色々な事。
あの時、どうして葉月があの男の人たちを煽ったのか。
どうしてナイフを避けなかったのか。
どうして一花ちゃんが過保護なのか。
レイラちゃんと何があったのか。
夜中に飲んでいる薬は何なのか。
鴻城の人たちをどうして避けるのか。
ちゃんと、葉月の口から聞きたいよ。
勇気が必要。
先輩、本当にその通りです。
怯えている自分がいるんです。
怖くて足も竦みそうなんです。
だけど、ちゃんと葉月とのことを先に進めたいから、勇気をください。
寮の自分たちの部屋の前で深呼吸する。
緊張で体が強張っている。
ドアを開けて、奥の部屋に向かっていった。そのドアも開けると、変わらない笑顔で迎えてくれる。
「おかえり~花音~」
「……ただいま、葉月。今ご飯作るね」
無邪気な葉月。
その笑顔が大好きだよ。
だけど私、決めたんだ。
その笑顔の裏にあること、ちゃんと知りたい。
教えてほしい。
踏み込むよ。
今まで避けてきた、葉月の過去に。
お読み下さり、ありがとうございます。




