155話 文化祭
「じゃあ、行ってくるが……葉月、いいか、ちゃんと大人しくしておけよ」
「やだな~いっちゃん。さすがにここじゃ何もできないよ~」
「それもそうなんだがな……」
「大丈夫だって、いっちゃん。さっき飛んできたカマキリで遊んでおくだけだから」
「そんなものを病室に入れるな!?」
「知らないうちに入ってきたから問題ないよね?」
「ありまくりだわ!? どこにいる!?」
「あ、いっちゃんの肩に止まった」
いっちゃんが途端に黙ってしまって、ソロソロと窓にいって一気に自分の肩を手で払っていたよ。カマキリさん、飛んでっちゃったな~。ちぇ~、今日はカマキリさんと遊ぶ予定だったのに。
それを見ていた先生が、プッと吹き出して大笑いしてた。
「兄さん! 笑い事じゃないんだが!」
「ふ……ふふ。いや、すまないね、一花。カマキリならいいかと思って僕が許可出したんだよ。でもまさか、放し飼いにするとは思ってなくてね。僕が迂闊だったね」
「兄さん、甘いぞ。こいつは基本放し飼いだ。タランチュラだって籠から出してたんだからな」
「やだな~いっちゃん。あれはタランチュラ君が勝手に出てたんだよ?」
「やかましいわ!? そもそも虫かごの蓋を取ってたくせに何を言う!?」
「え、タランチュラ君が息苦しいかと思って」
「そこに気を遣えるなら、もっと周りに気を遣え!?」
「ハハハっ! ご、ごめ……! もう僕は無理だっ!! アハハッ!!」
「だから兄さん! 笑い事じゃないんだぞ!?」
先生の笑いのツボがよく分からない今日この頃。
今日は文化祭だ。
いっちゃんは私が入院してからは学園に行く前に、朝早く私の様子を見に来ている。今日もそう。今からいっちゃんは文化祭のイベントを見に行くのだ。
ひとしきり笑った先生が目に涙を浮かべながら、いっちゃんの頭を撫でていた。
「一花、大丈夫だから行ってきなさい。葉月ちゃんは僕たちに任せてね。折角の文化祭だ。一花だけでも楽しんできなさい」
「そうだよ、いっちゃん。楽しんでおいで~」
「うぐ……兄さんにそう言われるとな……おい、葉月。何かしたら、花音に玉ねぎ持ってきてもらうからな」
「寝てます!」
「よし、これなら安心だな。じゃあ兄さん、行ってくる」
「ああ、行っておいで」
そう言っていっちゃんは駆け足で病室を出ていった。
むー。いっちゃんのそれは本当に卑怯だよ。花音が喜んで玉ねぎ切っちゃうじゃないか。
私が頬を膨らませていると、それを見て先生が苦笑していた。
「葉月ちゃんがそんなに玉ねぎ駄目だなんて知らなかったよ」
「生の玉ねぎ、花音に出されて初めて食べたもん」
「今まで食べてこなかったのかい?」
「ん~。中等部ではお肉と卵しか食べてなかったからね~」
「そうだったんだ――――葉月ちゃん……包帯変えようか」
先生にそう言われて腕を見てみたら、血が滲んでいた。うぇ~、また傷開いたの~。むー……カマキリさん追いかけたからかな~。
先生が縫い直して、包帯を巻いてくれる。これがあるから、退院が伸びるんだよね~。自分で気づけないんだよ、痛くないから。
巻き終わった先生がちょっと悲しそうに見てきた。ん、何?
「ごめんね、葉月ちゃん。本当は君も文化祭行きたかったよね」
「ん~? 別に~?」
「そう?」
「どうせいっちゃんにロープで縛られるもん」
「そうなんだ」
そう言って先生は、いっちゃんと同じように私の頭を撫でてくる。基本的には先生はいい人なんだよね。そこは嫌いじゃないけど。あの世間話するときはやっぱりめんど~。
「……葉月ちゃん」
ん、今度は何?
先生が少し言い辛そうにして、ちょっと目を泳がせた。
「先生?」
「あのね……実は沙羅さんと魁人が……」
「いやだよ?」
言い終わる前に遮った。
だめだよ、先生。これはあの時の約束なんだよ。もう3人とは会わないって、約束したんだよ。
遮ったら、先生が仕方なさそうにふうと息をついた。
「僕から言っておくよ。それはいいよね?」
「……うん」
それは別にいいよ。いっちゃんだって、そうしてるしね。
頷くと先生が苦笑して、また頭を撫でてくれる。花音とは違うちょっとゴツゴツした手だなって思った。
「でしたら、わたくしなら大丈夫ですね」
へ? この声……。
バッと声がした方に振り向くと、至近距離でメイド長の顔があった。
「ぅわっ!!?」っと椅子から転げそうになった私をとっさに先生が支えてくれる。先生もすごく驚いた顔でメイド長見てるよ!
ってか、なんでいるの!? そしていつの間に!? 扉開いてませんけど!? はっ……いつのまにか窓が開いてる! なんで!? 中からは鍵使わないと開けられないし、外に鍵穴なんてついてなかったんだけど!?
メイド長はゆっくりと体を起こして、私と先生を見下ろしていた。
「お久しぶりですね、優一様」
「そ、そうだね……でもどうしてあなたが?」
「一花お嬢様の代わりですが、何か?」
「い……一花からは何も聞いてないけれど……」
「勝手に来ましたので」
いや! いやいやいや! 勝手に来ないで!? 先生もさすがに呆けてるよ!?
だけど、メイド長はシレッとした様子で、入ってきたと思われる窓の方に視線を向けた。
「優一様。恐れながら、あの窓の鍵は旧式でございますね。取り換えることを推奨します。たかがメイドに突破されるとは、ここの防犯はどうなっているのです?」
「え……そ、そうだったかな。すぐに見直すよ」
「葉月お嬢様に何かあったら、どうするおつもりで?」
「す……すまない」
メイド長ぉぉ!? ここ7階! 外から侵入できるメイドがおかしいんだよ!? 先生が圧倒されてるから!
その無表情で見下ろさないであげて!? 慣れてるの、鴻城の人たちといっちゃんと叔母さんとお兄ちゃんぐらいだから!!
「それで、葉月お嬢様」
「ふぇ?」
「あなたの言う約束は沙羅様と魁人様、それに旦那様が該当されますね」
「そ……そだね~」
「では、今日はわたくしがお嬢様のお世話をいたします。よろしいですね?」
な、なんで!? いらないよ!? 帰っておじいちゃんのお世話をしなよ! 先生も看護師さんもいるから、さすがに大丈夫だよ!!?
ひいっ! いきなり間近に顔寄せないで!
「……旦那様に安心してもらうためです」
――それ言うのは反則かなぁ……はぁ……。
「わかったよ~……今日だけね~……いっちゃん来たら帰ってよ~?」
「ええ、それは承知の上ですから。ではお茶をお持ちします。優一様もお飲みになりますか?」
「いや、僕はいいよ。戻らないといけないからね。じゃ、じゃあ葉月ちゃん。また来るから」
逃げた! 先生が逃げた! メイド長から逃げた! 卑怯! 知ってるんだからね、先生がメイド長苦手だっていうのは!
先生はもうそれは早い歩行で病室から出て行ってしまった。さすがに私もいきなりのメイド長の出現で一気に疲れたから、ベッドに戻ったよ。今なら寝れる気がするくらいに疲れたよ……。
ベッドでグダって横たわってると、メイド長が淹れたお茶を持ってきてくれる。
「いけません、葉月お嬢様。その寝方だとまた傷が開きますよ。ちょっと失礼」
そう言うと、メイド長が私の体を少し持ち上げて、下にクッションをいい具合に入れて調整してくれて、身体を起こしても楽な姿勢にしてくれた。もういいや……好きにすればいいよ。
「では、お茶をどうぞ」
「……はい」
自然と敬語になってしまった私は、メイド長からハーブティーを受け取って一口飲む。
はぁ……やっぱりこれホッとする。今は余計ホッとする。あ、そういえば。
「メイド長……これ、花音がもう少ないって言ってた」
「そうですか。分かりました、すぐ手配して送らせましょう」
あ、今回は自分で持ってこないんだ。いや、それでいいんだけどね。
また一口飲んで、ゆっくり飲み込む。ほどよい暖かさが喉を通っていくのがわかった。
ん? 視線……なんか前にもあったな。
顔を上げると、やっぱりメイド長が見ていた。
「……えっと……何?」
「いえ……安心していただけですよ。さすがに今回はナイフで刺されたと聞いて、心配してましたので」
「……大丈夫だよ、これぐらい」
「だとしても……です」
……そうだね。心配、するよね。
「……いっちゃんが止めてくれたから、大丈夫だよ」
「そうですか。それは良かったです。ああ、あなたに倒された護衛は、今叩き直しているところですからご安心を」
「あっそう」
「一花お嬢様がいないときに逆に倒されるとは……前々から思っていましたが、本当に不甲斐ない者たちばかりです。今回を機に、全員叩き直そうという話になりましたので」
あ、なんか罪悪感が……ごめん、監視の人たち。でもまた、同じことあったら同じようにするけど。
「……いっちゃんしか無理だよ?」
「それでも、一花お嬢様が着くまで時間を稼げばよかったものを……。これはやはり、わたくし自ら特訓するしかありませんね、ふむ……」
あ、ごめん、監視の人たち。悪化したかも。でも、私このメイド長止められないや。なんか幻の悲鳴が聞こえてきた気がしたけど、気のせいだね。
そんなことを考えていたら、頭に今度はメイド長の手が乗ってきた。うん?
「……無理だとは承知の上ですが」
「………………何?」
「あまり心配させないでください、葉月お嬢様」
「………………」
メイド長がゆっくり撫でてくる。
少し遠慮がちなその手が、とても優しく感じる。
「皆……あなたの事を大事に思ってますよ」
……知ってるよ。
皆が大事に思ってくれてること、
ちゃんと知ってるよ。
でも……止められないんだよ。
もう、おかしくなったんだよ。
ハーブティーを飲んでから、珍しく眠気がやってきた。
「……ちょっと……寝る」
「そうですか。いいことです」
クッションを崩して、横になる。
横になった私に、メイド長がやさしく布団をかけてくれた。
「おやすみなさい、お嬢様。いい夢を」
メイド長が来た疲れなのか、
ハーブティーを飲んで安心したからか、
それともメイド長の手が優しかったからか。
花音の温もりがないのに、意識が落ちていった。
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