148話 一花ちゃんのお兄さん? —花音Side
「え、まだ目を覚ましていない?」
「ああ、だがまあ、心配するな。直に目を覚ますさ」
次の日の放課後、舞とレイラちゃんと一緒に病院まで来たら、朝から病院に来ていた一花ちゃんの返答がこれだった。
今日は朝から大変だった。寝不足もあったけど、東海林先輩に昨日あったことを説明したり、生徒会メンバーに心配されたり。
会長のことも心配してたけど、学園の生徒たちの方が大変だった。会長の事を心配して、生徒会室に押しかけてきちゃって。包帯だらけで登校してきたから仕方ないけど、その対応で昼休みは大変だった。
ユカリちゃんやナツキちゃんにも心配をかけてしまった。朝一番で「顔色悪いですよ、大丈夫ですか!?」って言われてしまったから。葉月のことを話したら、2人ともびっくりしていたけど。
レイラちゃんに話したら顔を青褪めさせていたけど、その後すぐ一花ちゃんに電話していて、途中から何故か安心した顔をしていた。放課後に病院に行くことを話したら、自分もついていくと言ったから、今一緒にいる。
葉月のことが心配だから、東海林先輩にしばらくは生徒会を休みたいことを話したら了承してくれた。でも今は文化祭前で忙しいから、事前挨拶以外の書類仕事系はやることにしたけどね。寮でも出来るから大丈夫だと思う。
だけど病院に来て、開口一番に一花ちゃんからまだ葉月が目を覚ましていないと言われたから、実は今かなりショックを受けている。
昨日の話では、もう目を覚ましていてもおかしくないということだったのに。
「じゃあ葉月っちに会えないの、一花?」
「まあ、会うだけなら出来るが……寝てるぞ?」
それでも顔だけでも見たいよ。全員で頷いたら、一花ちゃんが「一応許可取ってくる」と言って、多分お姉さんのところに行ってしまった。
今は葉月の病室の手前にある自販機がいくつかある待合室みたいなところにいる。このフロアは他にもVIPルームがあるみたい。葉月の病室が一番奥にある。
近くの椅子に座った舞が、ふうと息をついていた。
「そんなに酷いのかな、葉月っち……」
「何を言っていますの。ただ寝坊しているだけですわよ。それに一花があんなに落ち着いているんです。葉月は本当に大丈夫ですわ」
「それならいいけどさ……」
舞は随分と責任を感じているみたい。
昨日の夜に一花ちゃんに葉月を止めるように言われていたんだけど、止められなかったらしい。というより、目を離した隙に葉月はいなくなっていたんだとか。
そういえば、葉月は何で昨日あそこに来たんだろう? あの時、葉月は『みつけた』と言っていた。だから私たちを探していたと思うんだけど、何故?
葉月の分からないことは増えていくばかりだな。
目を覚ましたら、ちゃんと話してくれるかな? 昨日の事なら一花ちゃんに聞いてもよさそうだけど。
「あのさ、ここってお手洗いどこにあるの?」
「ああ、それならこっちですわ。案内します」
舞がキョロキョロしながら聞くと、当然のように答えるレイラちゃん。このフロアの構造もよく知っている様子。昔の葉月のお見舞いとかでよくここに来ていたのかな? 葉月専用の病室だもんね。
私はここで待っていることにした。2人がこの場からいなくなって、息をついて近くの椅子に腰を下ろす。
一花ちゃん、早く来ないかな。
寝ている姿だけでも見て安心したい。
カタン。
その音で顔を上げると、知らない男性が自販機から飲み物を取っているのが視界に入ってきた。あれ、白衣? お医者さんかな。
思わず見ていると、その男性はこちらを振り返って、ニコニコした様子で笑いかけてくる。え、あれ? 知り合い、じゃないよね? 目もバッチリ合ってしまったし、どうしよう。
戸惑っていたらその人は近寄ってきて、目の前のテーブルにさっき買った缶を置いてきた。ホットココアだ。思わぬことで更に戸惑ってしまう。
えっと……これは、どうしたら?
「良かったらどうぞ?」
「え? い、いえ、でも……」
いきなり初対面の人から貰う理由がないんです! とは言えず口籠ってしまう。いや、でも本当その通りだし、どうしてくれるのか訳が分からないし。
訳が分からないから、その人とココアを見比べてしまったら、その人はクスっと目元を緩ませて笑い始めてしまった。え、え? 今のどこに笑う要素が?
「そうだよね、いきなりどうぞって言われても困るよね」
「いや……その……」
困るなんて言えるわけないから、どう返事をしようか迷っていたら、今度は向かい側の椅子にその人は座ってしまった。
「びっくりさせてしまってごめんね。でもそのココア、美味しいんだ。患者さんにも好評でね。怪しいモノなんて入っていないから、良かったら飲んで?」
「いや、あの……今は喉も乾いていませんし、それに貰う理由がありません」
「そっか。じゃあ、普段妹がお世話になっているお礼、じゃだめかな?」
妹? 誰の事?
誰の事か分からなくて目をパチパチさせたら、目の前の人は楽しそうに笑顔になっている。
あの、ニッコリされても……?
「一花の兄です。よろしくね、桜沢花音さん」
……一花ちゃんのお兄さん!?
そ、そういえば確かにお兄さんもいるみたいなこと言ってた気はするけど、でも、え、ええ? この人が?
悪いけど一花ちゃんと似ているところが……ん、あれ? よく見ると、確かに一花ちゃんの面影があるような。
「そんなにマジマジと見られると照れるなぁ」
「あっ! す、すいません……」
ジーっと凝視しちゃった。一花ちゃんとお姉さんのやり取りが特徴的だったからかな。勝手にお兄さんともあんな感じだと思って。
だけど、目の前のお兄さんはすごく穏やかそうに見える。お姉さんは……その……一花ちゃんに過激と言うかなんというか。
「いつも一花から話は聞いてたんだ。葉月ちゃんのルームメイトだって」
「は、はい」
葉月のことも知ってるんだ。それはそうか、お姉さんも葉月のこと知ってたし。
お兄さんはもう1つの缶を開けて、それを口に運んでいた。ブラックコーヒーだ。一口飲んだ後、ゆっくりまたテーブルにその缶を置いていた。
「そういえば……葉月ちゃんはコーヒー飲む時、いつもブラックだったなぁ」
それも、知ってるんだ。
ふふって笑って、お兄さんは優し気にこっちを見てきた。
「昨日は大変だったね?」
「え? あ、はい……」
「怖かったね」
……確かに怖かった。今でも少し怖い。このまま葉月が目を覚まさないんじゃないかって。
「だけど大丈夫だよ。葉月ちゃんは明日ぐらいには目を覚ますはずさ」
「明日、ですか?」
「今は無理やり眠らせてるんだ。少し経過を見たくてね」
無理やり?
経過?
一体何の?
様々な疑問が頭の中を駆け巡る。目の前のお兄さんはずっとニコニコと微笑むだけ。聞いても答えてはくれなさそう。
「縫合したところの経過だよ。葉月ちゃんは目を覚ましたら、きっとすぐ動き回るだろうからね。傷が開いちゃうんだよ」
聞いてないのに話してくれた。驚いてるとクスクスとまた笑われてしまう。
「顔に全部出ていたよ。分かりやすいね」
「っ!? す……すいません」
舞にも葉月を好きだってバレたし……そんなに私は顔に出やすいかな。
恥ずかしくなって思わず片手を頬に当てていると、お兄さんはまたコーヒーを口に入れていた。
「昨日は眠れたかい?」
「……え?」
「やっぱりあまり眠れなかったかな?」
「それは……」
正直、よく眠れてない。舞が一緒に寝てくれたけど、眼を閉じると昨日の葉月が刺されたところを思い出してしまう。
「どんなに葉月ちゃんが大丈夫だって言っても、心配になるんじゃないかい?」
見透かされてる。どうして分かるの?
思わず目を見開いてしまったら、今度は苦笑していた。
「仕方ないことだと思うよ。友達が刺されて血を流しているところを見るなんて、普通はないんだから」
普通は見ない……確かにそうだと思う。だけど昨日、確かにあったことなんです。
「それは怖くなるよ。早く目が覚めてほしいと思うよね」
「はい……」
「僕もだよ。葉月ちゃんは妹みたいなものだから、早く元気になってほしいと思う」
優しい声音で話すお兄さん。落ち着く声。
ああ、そうか。確かに一花ちゃんのお兄さんだ。
この声……似てる。
「だけどね、花音さん」
「はい?」
「自分を責めちゃいけないよ」
ビクッと体が震えた。
確かに責めてる。
昨日の夜も。
今日の朝からも。
何も出来なかったから、すごく無力だと思って。
「葉月ちゃんの怪我は君のせいじゃないからね」
「……でも」
「でも?」
でも……だって……。
私が絡まれなかったら、
挨拶が終わって、すぐに帰ってたら、
葉月が刺されることなんてなかったのに。
言葉を詰まらせてしまう。だけどお兄さんは何も言わない。
「あの時……何も、出来なかったんです……」
「何を出来なかったの?」
「怖くて、震えて……本当は葉月を止められたのに……」
昨日のことを思い出して無意識に震えがくる。
お兄さんを見れなくて、下に俯いてしまった。
止めれた。
もっと私が動けていたら、ちゃんと葉月を止めれた。
カタっと小さな音が聞こえた。だけど顔を上げられない。
罪悪感でいっぱいだから。
後悔でいっぱいだから。
「止めたかったんだね、葉月ちゃんを」
頭に手を置かれると同時に、お兄さんの声が落ちてくる。
だけど、そう。
私は止めたかった。
昨日の葉月はいつもと違った。
自分から刺すように仕向けてた。
どうしてかなんて分からない。
だけど、そんな葉月を止めたかった。
様子が違うのがわかったのに、
私は怖くて止められなかった。
ポンポンとお兄さんは優しく撫でてくれる。その撫で方が昨日の一花ちゃんと重なった。
「後悔してるんだね」
「っ……はい」
「そっか。けど君は忘れてるみたいだ」
忘れてる……?
予想外のことを言われてお兄さんを見上げたら、さっきと同じく優しい笑みを浮かべていた。
「葉月ちゃんね、君のことを話す時、すごく優しい顔になるんだ」
「え……?」
「ご飯がおいしいそうだね」
ご飯……?
葉月はお兄さんにそんなことまで話してるの?
またパチパチと目を瞬かせたら、お兄さんもクスっとまた笑う。
「嬉しそうなんだよ。君のご飯がおいしいって話している時の葉月ちゃん。あんな顔、数年ぶりに見たなぁ」
「そう……なんですか?」
「そうだよ。一花もそうじゃないかな。それに熟睡したらしいね?」
それは、一花ちゃんも前に言っていたけど。
「葉月ちゃんはちょっと事情があってね。あまり眠れない体質なんだ。そんな葉月ちゃんが熟睡したって聞いて驚いたよ」
眠れない体質……?
「ご飯をおいしく食べれているのも、熟睡出来ているのも、君が葉月ちゃんにしてあげたことだ」
私が?
「何も出来なかったんじゃない。君はしてあげていたんだよ。葉月ちゃんが喜ぶことをね」
葉月が、喜ぶこと。
「確かに昨日は何も出来なかったかもしれない。だけど、葉月ちゃんにあんなに嬉しそうな顔をさせていたのは、君の力だと僕は思うよ」
私の力……?
そうなのかな。
いつも助けられてばかりで、何もしてあげられてないと思ってたけど。
「花音さん、葉月ちゃんの目が覚めたら、何をしてあげたい?」
してあげたいこと?
そんなのいっぱいある。
「オムライス……作ってあげたいです」
「ふふ、それはおいしそうだね。是非そうしてあげて。後悔よりも明日のことを考えてみて」
明日のこと、か。
何をしてあげたらいいかな。
ポンポンと、お兄さんはまた頭を優しく撫でてくれた。
不思議。
昨日の一花ちゃんと重なる。
さっきまで震えが止まらなかったのに、お兄さんの優しい手で落ち着いてくる。
「兄さん? こんなところにいたのか」
廊下の向こうから一花ちゃんが顔を出して、目を丸くさせていた。最初は似てないかもと思ったけど、うん、似てる。落ち着いてる時の一花ちゃんと、今のお兄さんはそっくり。
その一花ちゃんは、疲れ切った顔でお兄さんと私に近寄ってきた。
「全く……部屋に行ったのに、いないから探したじゃないか」
「それは悪かった。入れ違いになったかな?」
「おかげで、またあのバカ姉に捕まりそうになって大変だったんだぞ」
「涼花は一花が大好きだからね。多めに見てやってくれ」
クスクスとお兄さんは楽しそうに笑っていた。なるほど。お兄さんもちゃんと、お姉さんが一花ちゃんのこと大好きなのを知ってるんだね。当たり前か。
「それで、どうして僕を探してたんだい?」
「ああ、花音たちを――って、おい花音? 舞たちはどうした?」
「え? ああ、今はお手洗いに……」
そういえば戻ってこないな。どうしたんだろう?
さっき舞たちが向かった方を見てみるけど、一向に現れる気配がない。私の視線を追っていた一花ちゃんはハアと呆れたような息を吐いていた。
「レイラか……また迷ってるんだろ。まあいい。花音たちを葉月に会わせてやること出来るか?」
え、迷ってるの? レイラちゃんはさも知っているかのように舞を案内してたように見えたんだけど。それに一花ちゃん、どうしてお兄さんに葉月のことを聞いてるんだろう? 葉月の主治医ってお姉さんじゃ?
そんな風に考えてたら、お兄さんの方が苦笑して困っている表情になっている。どうして?
「すまない。今日は控えてくれないか? 会わせてあげたい気持ちはあるんだけど……もう少し様子を見たいんだ」
「……そうか。まあ、仕方ないか。兄さん、分かっていると思うけど……」
「もちろん、分かっているよ。一花も無理をしないようにね」
ポンポンと、今度はお兄さんの手は一花ちゃんの頭の上に置かれていた。複雑そうな表情をする一花ちゃんが気になったけど、あれ、あの、今のお兄さんの言葉って……もしかして今日、葉月に会えないのかな?
その予感は的中したようで、一花ちゃんは申し訳なさそうに私に向き直ってくれた。
「悪いな、花音……そういうことになった。明日まで我慢してくれないか?」
やっぱり。
「そっか……」
「悪いな」
「ごめんね、花音さんも」
「いえ」
会えないのは仕方ない……会って安心したいのはしたいけど。
それよりも少し気になる。何でお姉さんじゃなくて、お兄さんに許可を取ってるんだろう?
「あの、一花ちゃん? お姉さんに聞かないの?」
「姉に? 何をだ?」
すごくきょとんとした顔をされてしまった。まるで何を言っているんだと言われてるみたい。私の方がきょとんとしてしまうんだけどな。
一花ちゃんと一緒に首を傾げていたら、隣のお兄さんがおかしそうに笑いだす。
「言ってなかったけど、僕が葉月ちゃんの主治医なんだ」
「え!?」
お兄さんの方が!? でも昨日はお姉さんが手術してたような……。
「昨日も僕は中にいたよ。涼花に助手に入ってもらってね」
昨日の話しぶりからだと、お姉さんが全部手術やり遂げましたよ、みたいな感じだったのに!
驚いていたら一花ちゃんが肩を竦めているけど、でも一花ちゃんだって、お姉さんの話しかしてなかったよね!?
「あのバカ姉と兄さんが一緒の手術だと成功率は格段に上がるからな。でも兄さんの方が腕はいいぞ?」
「一花にそう言ってもらえるのは光栄だな。涼花に言っておこう。悔しがるだろうなぁ」
楽しそうに話すお兄さん。そしてあの薬を作っているお姉さんよりお兄さんの方が優秀なんだ……一花ちゃんも勉強も出来るし、体術もすごいし。東雲兄妹、優秀すぎる。
その後すぐに舞とレイラちゃんが戻ってきた。一花ちゃんの言ったとおり、レイラちゃんが道に迷っていたらしい。結局1階まで行っていたとか。
舞が「レイラを信じたあたしがバカだった」って嘆いていた。レイラちゃんはレイラちゃんで「昔と造りが変わってたんですのよ!」と顔を真っ赤にしながら叫んでいるのを、一花ちゃんが心底呆れたように見ていたよ。
舞とレイラちゃんにも今日は葉月に会えないことを伝えたら、2人ともガッカリしたように肩を落としていた。私も会いたかったんだけどね。
だけど不思議と、病院に来る前より緊張が解けたような気がする。
お兄さんと話したおかげかな?
お兄さんの言ったように、後悔よりも明日から葉月に何をしてあげようかって考えてる。
心が軽くなった気がした。
「兄さんは心理学も学んでいるからな」
帰りの車で一花ちゃんがそう言っていた。
心理学か。確かにお兄さんは落ち着く雰囲気を持っていたし、話しやすかった。
寮に帰っても一花ちゃんは傍にいてくれた。舞も一緒に。1人でいるよりは気が紛れた気がする。やっぱり葉月がいないのが寂しいから。
東海林先輩も部屋に来てくれて、その日は4人でご飯を食べた。
「生徒会の方は心配しなくて大丈夫よ」って言ってくれたのがすごく助かった。今はそっちにあまり気を回せないから。
だけどやれることはやろう。ただでさえ会長にも迷惑をかけちゃったから。
明日はやっと目が覚めてる葉月に会えると思う。
笑った顔が見たいな。
ああ、そうだ。着替えも持っていってあげないと。
そういえば、近所の八百屋さんのりんご美味しそうだった。それを持って行ってあげようかな。
昨日からずっと葉月の血塗れの姿を思い出していたのに、今日はいつもの葉月の笑顔を思い出して眠りについた。
お読み下さり、ありがとうございます。




