145話 失う恐怖を知ってしまった —花音Side※
前話の花音視点です。流血シーンあります。ご注意ください。
苦手な方は無理をせず、次話まで飛んでください。
ドンッ!
彼らの奥から現れた影が、葉月の頭を掴んでそのまま地面に押し倒した。あまりにも一瞬のことで、動こうとした体が止まってしまう。
バタバタと葉月はその腕を離そうとしているけど、葉月の頭を掴んだその人は一向に動かない。かなり荒い呼吸をしていた。
だけどその人物を見て、私は心底安堵してしまう。
「このっ! ハァっハアっ! 馬鹿野郎がっ!!!」
一花ちゃん。
一花ちゃんが来てくれた。
緊張と恐怖と不安でグチャグチャだったのに、一花ちゃんの姿を見て、一気に安堵がやってくる。
「い、今だ! 逃げるぞ!」
葉月に標的にされそうになっていた彼らが逃げようとしている。だけど、その奥からどんどんと人がやってきた。「な、何だ、お前ら!?」「は、離せ!」と彼らを捕まえている。だ、誰だろう? 皆、黒い服を着ている大人たちみたいなんだけど。
「うっ……! うう~!!! 邪魔しないで~!!!」
「ハァっ! ハアっ! 暴れるな!!! 落ち着け!!!」
葉月は一花ちゃんの腕から逃げようとしていた。
バタバタと足をバタつかせているけど、一花ちゃんは腕を頭から離そうとしていない。完全に葉月を抑え込んでいる。
「おい! そいつら全員逃がすな!!」
1人、別のところから逃げようとしているリーダー格の男を、一花ちゃんに指示された男の人が捕まえていた。あっというまに彼らは全員、大人たちに捕まえられている。
「花音! 会長! 無事か!?」
私たちにも気づいた一花ちゃんが、こっちに視線をくれた。一花ちゃんが来てくれた安堵からか、体の震えは少し止まっていた。
私のことより、一花ちゃん。
若干フラつきながら、葉月と一花ちゃんの方に近寄った。会長も何とか立ち上がったみたい。
「い、一花ちゃん! 葉月、葉月がっ!!」
「東雲っ……! 小鳥遊を病院へっ!」
「わかってるっ……」
悔しそうに、一花ちゃんは手で抑え込んだまま葉月の方を見下ろしている。葉月はずっとバタバタと一花ちゃんの体の下で暴れていた。
そんな葉月の片方の手を無理やり握った。離そうともがいて、血を流しながらその腕を振り回そうとしていたから。
だめだよっ……血がどんどん溢れてきちゃうっ……!
「葉月!! 落ち着けっ!!」
一際大きい声で葉月の名前を呼んだ一花ちゃんに、葉月が体をビクッと震わせたのがわかった。
聞こえてる……? 私と会長の声は聞こえてなかったようなのに。
「声をちゃんと聴け!! あたしの声を聴け!!」
聞こえているみたいで、葉月が暴れるのをピタッと止めた。
「……そうだ……落ち着いて……ちゃんと声を聴け……」
葉月が暴れるのを止めたのを見て、一花ちゃんの声音が一気に優しくなった。その声をちゃんと葉月は聞いているみたい。一花ちゃんは葉月の腕の怪我にも気づいているはずなのに、そっちには一切触れてこない。
「……あたしの声が、分かるか?」
一花ちゃんの問いかけに、葉月は何も言わない。
厳しい表情で一花ちゃんは葉月を見下ろしている。まるで何かを警戒しているみたいに見えた。
私も会長も、2人のそのやり取りを固唾を飲んで見守ってしまう。邪魔をしてはいけない気がしたから。
「ここが現実だ、葉月」
現実……?
一花ちゃんが言っている意味はやっぱり分からない。
これは2人の間でしか分からない事だ。
「お前がいるのは……ここだ……」
だけどそのことを、今の一花ちゃんには聞けない。
苦しそうで、葉月を心配しているのが伝わってきた。
「葉月っ……」
葉月。
一花ちゃん、苦しそうだよ?
どうして何も言わないの?
特別だって、言ってたよね?
大人しくなった葉月は、だけど何も言わない。
葉月の腕からはまだ血が流れている。その下の地面に血が広がっていく。
このままじゃ葉月が……。
「……いっちゃ……?」
やっと声を出した葉月に、一花ちゃんがふうと息をついた。だけどその声を聴いて、私も少し安心する。
さっきと違う、冷たい声じゃなかった。
「……そうだ、あたしだ」
「……いっちゃん……の……声……」
「ああ」
どこか探るように、一花ちゃんは葉月に確認を取っているみたいに見えた。
「葉月……お前は今、どこにいる……?」
恐る恐るといった感じで、一花ちゃんは葉月に問いかけている。
「……ここにいるよ……いっちゃん」
その言葉を聞いて、やっと一花ちゃんはゆっくり葉月の顔から手を離していった。辛そうにしながら。
どけられて見えた葉月の顔は、さっきとはまるで違う、いつもの葉月の笑顔だった。
「本当に……馬鹿野郎だ、お前は……」
「へへ……」と葉月は一花ちゃんに笑いかけている。
さっきの冷たい声でも、どこか失望しているような表情でもない。
いつもの葉月がそこにいた。
それを見て、一気に涙が溢れてくる。
頬を伝っていくのが分かる。
私じゃ止められなかったけど、一花ちゃんが止めてくれた。
あの葉月を止めてくれた。
「もう車も来る。いいか、あとで説教覚悟しておけよ」
「へへ……やだ~……」
葉月の腕を止血した一花ちゃんが、その場を立って周りにいた大人たちに声を掛けにいってしまった。このまま病院に連れて行ってくれる気だ。その様子を見てから、改めて葉月を見下ろした。
「葉月っ……!」
見下ろした葉月は何故か目を丸くしてから、ふふっていつものように微笑んでくれた。握っていた手を握り返してくれる。
やっと、こっち見た。
私の声も今は届いてる。よかった。
安心からか、涙は次から次へと溢れてきた。
「花音~……泣かないで~……?」
「葉月……なんでこんな……危ない事しちゃだめだって……言ったでしょ……」
あんな、
自分にナイフを向けさせるなんて。
私に、一花ちゃんみたいに、葉月を止められる方法があれば良かったのに。
葉月の温もりをもっと感じたくて、強くその手を握りしめた。
「大丈夫だよ~……」
へにゃりと、いつものように葉月は笑ってくれる。きっと私を安心させるため。いつも葉月はそうだから。
けれど、伝わってくる温もりが、まだまだ心細い。
若干葉月の顔が青くなっているような気がする。
さっき止血したところは、もう布が血で滲んでしまっていた。
「これぐらい……平気だから……」
「葉月……?」
段々声が弱くなっていく。
瞼ももう閉じられようとしていた。
うそ、うそうそ。
血を流しすぎたんじゃ……!?
「葉月? 葉月っ?! 一花ちゃん!!」
完全に瞼を閉じた葉月は返事をしない。
恐怖がまた襲い掛かってくる。
慌てて一花ちゃんを呼んだら、すぐに担架と一緒に来てくれた。
「ちっ、馬鹿野郎が。急いで運べ。輸血は?」
「準備しております」
「とにかく病院まで持たせろ。あっちにはもう姉さんたちが準備してくれているはずだ」
「はっ」
一緒に来た大人に指示を出す一花ちゃん。葉月が担架に乗せられていく光景に、不安が押し寄せてきた。
大丈夫、だよね? 葉月、大丈夫だよね?
このまま……このまま目が覚めないなんてこと、ないよね?
ポンと肩に手を置かれて、思わずビクッと体が跳ねる。
見ると、一花ちゃんが心配そうに私を見上げてきていた。
「い……一花ちゃん……葉月、葉月は大丈夫だよね?」
「大丈夫だ。こんなのは前にもしょっちゅうあったからな。たかがあれだけの出血じゃ死なん。貧血起こしたもんだと思え」
あれだけ……あれだけって……だってひどい量だったよ。服も真っ赤で……。
「花音、ひとまず一緒にこい。そんな格好だと舞まで心配するぞ。会長は歩けるか? 向こうに着いたら治療させるから、それまで我慢してくれ。見たところ打撲で済んでいるようだが」
「……平気だ」
会長も辛そうに立っていた。それはそうだろう。あれだけの暴行を加えられたんだから。
私はお母さんが買ってくれた制服に、葉月の血がべったりとついている状態だった。
「誰か会長に手を貸してやれ。花音はあたしとこい」
一花ちゃんが無理やり手を引っ張ってくる。会長は別の車に乗せられていた。葉月は先にもう病院に向かってしまったらしい。
「花音、まずは上着を脱げ。クリーニングに出しておくから」
「……」
「病院着いたらシャワーを浴びた方がいいな。着替えも用意させておこう」
気を遣ってくれる一花ちゃんが、次から次へと今からやることを挙げていく。
だけど、私はやっと実感してきて。
また震えがやってきて。
最後に目を閉じた葉月が思い浮かんで。
もう会えないんじゃないかって、
怖くて。
ポンと頭に手を置かれた。
「大丈夫だと言っただろう」
「……でも」
「あいつはしぶとい。川から落ちても平気なやつなんだぞ。腕を刺されたぐらいで死ぬわけないだろう。それに、そこまで刺されてから時間は経っていないはずだがな」
「だって……あんなに……」
「姉さんたちが執刀する。あの姉は普段はバカだがな、ああ見えて腕は確実なんだ、ああ見えて。傷も残らないだろうさ」
念押しするように言わなくても。
ポンポンと、一花ちゃんはまるであやすように頭を撫でてくれた。
自然とその優しさにまた涙が出てくる。たまらず両手で顔を覆った。
「っ……私……止められなかった……」
「あいつを止められるのは限られた人間だけだ。花音が悪いんじゃない」
「声も……届かなかったっ……」
「あの時のあいつは声が届かない状態だったんだ。花音だけじゃなく、他の人間の声も届いてないだろうさ」
「何もっ……何も出来なかったっ……」
「十分してくれている。今回のは、あたしがあいつを先に止められなかったのが悪かったんだ。だから、自分を責めるなよ」
優しく、どこまでも優しく、一花ちゃんは私の頭を撫でてくれた。
だけど涙は止まらない。
怖くて、
震えて、
見ることしか出来なかった。
危ないことをしようとしている葉月を止めることを出来なかった。
自分にナイフを向けさせる葉月を眺めていることしか出来なかった。
会長にだって守られているだけで、何も出来なかった。
理不尽な暴力に何もすることが出来なかった。
失うかもしれないなんて思ってなかった。
あの笑顔を見れなくなるかもしれないなんて、思っていなかった。
あの時、会長とのご飯を断っていたら、あの人たちに絡まれなくて済んだかもしれない。
あの時、震える体を無理やり動かしていたら、葉月をあのナイフから助けられたかもしれない。
後悔だけが私の心を渦巻いていて、気持ちが悪くなってくる。
涙が止まらない私を、病院に着くまで一花ちゃんは静かに頭を撫でてくれた。
お読み下さり、ありがとうございます。




