139話 事前挨拶 —花音Side
「じゃあ会長、今日もよろしくお願いします」
「別に毎回言わなくていい」
肩を竦めて、会長は呆れたようにこっちを見下ろしていた。
この数日、会長と放課後に文化祭に来る保護者さんたちに事前に挨拶に伺っている。星ノ天の恒例行事なのだとか。
まあ、この学園に通っている生徒の保護者さんたちは、政財界の有名どころが多いからね。
ただ、相手方も仕事中だったりする方もいるから、これまた事前に電話で確認取ってから行ってはいる。保護者の人たちは恒例のことだから、みんな快く承諾してくれているよ。
挨拶に行くと、逆に皆様、会長に頭を下げている。さすがは鳳凰財閥っていうことかな。こうやって会長と一緒に行動していると、会長って実はすごい人なんだなって思い知らされちゃった。
会長も会長でふんぞり帰って偉そうにするわけでもなかった。丁寧にお辞儀して挨拶してたし、他にも会社関係のことなども保護者さんと話していたし。
普段のあの偉そうな態度はどこへやらと少し目を丸くしてしまったら、ものすごく不機嫌そうに「俺だって場を弁えている」と返された。
普段からきちんとしていてくれればいいのに、と思ったことは心の奥に封じ込めよう。
私はというと、会長の後ろで黙ってやり取りを見ているばかり。こういう場所での振る舞い方とかは東海林先輩には教えてもらったけど、今年は会長の補佐ということで2人で回ることになった。
直接挨拶する人ではなく、遠方に住んでいる方への電話での応対はやらせてもらえるけど、でもそれもまだ終わっていない。なので必然と、最近は夜遅くに帰ることが多くなっている。
でも葉月は私が帰ってくるまで待っててくれて、それから2人でご飯を一緒に食べているけどね。疲れて帰った時のあの笑顔は本当に反則だよ。普段慣れない大人たちとの会話や雰囲気で疲れているときに、あの笑顔を見せられたら一気に癒されてしまう。その上、ハグもあるし。1回私もそのまま寝るところだった。
文化祭が終わるまではこの生活が続く予定。放課後は電話でのやりとりや、直接行ってのご挨拶。それに学園の方での文化祭準備もある。今は本当に大忙し。
そして今日も、会長と生徒の保護者さんの父親が経営している会社に訪問して挨拶することになっている。
今日の予定は4件。近場とは行っても皆バラバラだから、車での移動も大変。その車も会長が家の車を手配してくれてるから助かってるけど。
この前、お礼を兼ねてお菓子を作って渡したら、喜んでくれた。年配の運転手さんだったから、甘さ控えめにしたけど、良かった、喜んでくれて。
順調に3件目まで挨拶を済ませて、最後の1件になった。最後の1件はクラスメイトの男子生徒のご両親。相手方の都合で夜の18時半に訪問することになっている。逆にその時間で迷惑じゃないのかと電話で確認をとったら、そちらの方が都合がいいという話だった。大変忙しい社長さんらしい。男子生徒にも何故か学園で謝られたし。
18時半か。それから会ってご挨拶して、きっと会長とまた違う話とかするだろうし、かなり帰りは遅くなっちゃうな。葉月、お腹空かせるよね、きっと。
腕時計に視線を向けていると、会長が横でコホンと咳払いをした。風邪引いたのかなと見上げると、何故か気まずそうに顔を背けている。今は車から降りて、駅の入り口に2人で予定時間を待っていた。
「会長、風邪ですか?」
「いや、そうじゃなくてだな……」
忙しなく目を彷徨わせている。一体、どうしたんだろう?……まさか、今日の今までの訪問で、何か迷惑を先方に掛けていたとか!?
「あの、会長。悪いところあったら、ちゃんと教えてくれれば助かります」
「は?」
会社のお偉いさんとか政治家さんとかに迷惑かけていたら嫌だもの。それに、一緒にいる会長が私の振る舞いで評価が下がったら申し訳ないし。
勝手にそう考えていたら、隣の会長から疲れたような溜め息が出てきた。あれ、違うの?
「なんでそうなる。俺はただ、今日は大分遅くなるから、夕飯食べてから帰らないかと、そう言おうとしただけ……で……」
「え?」
言葉の最後の方で、会長がハッとしたように目を大きくさせて、手で口を押えていた。
思わず聞き返してしまったけれども……それってつまり、どこかで帰りご飯食べようってこと?
「い、いや、俺はただその時間辺りに腹が減るからな! お前を送ってからだとかなり遅くなるから、それだったら、一緒に食べて帰ればいいと思っただけだ!」
ものすごく不機嫌そうに顔をまた背けられてしまったけど、なんでそんな早口なんですか。思わず聞き取れなくなりそうでしたよ。
でもそっか。私を送ってから会長も家に帰るんだものね。それは確かに遅くなる。それまで我慢してくださいというのも我儘だもんね。それに会長のご厚意で送ってもらっているわけだし(生徒会で男性陣が暗い時間だからと、送ってくれることになっているとはいえ)。
「そうですよね、お腹空きますよね。会長、すいません、気づかなくて。今日は私を送らなくて大丈夫ですよ。駅も近いですし、電車で私はかえ――」
「何でそうなる!?」
食い気味に言われてしまったから、思わず目を丸くさせちゃった。いや、だって悪いと思って。それに葉月が私のご飯を待ってくれているし。
「寮で葉月が待っててくれているんですよ。帰って、葉月のご飯を作ってあげないと」
「寮には食堂があるはずだが……あいつ、お前に毎回作らせているのか?」
「誤解しないでくださいね。葉月に言われて嫌々作ってるわけじゃありませんから」
何故かジト目で見てきた会長に、思わず苦笑してしまった。
それに葉月が私のご飯をおいしいって食べてくれるの嬉しいからね。好きになる前からあのおいしそうな顔は嬉しかったし、好きになってからはもう可愛いとしか思えない。
あの頬に目一杯ご飯を入れて、モグモグしている可愛い顔を思い出してしまい、口元が緩みそうになった時に、会長がまた溜め息をついていた。
「あのな、今日これから会う人は話が長くて有名なんだ。だから思った以上に遅くなるぞ」
「え、そうなんですか?」
「あいつが待てればいいがな」
肩を竦める会長を見て、葉月がお腹を空かせてる状態を思い浮かべてしまう。あ、だめだ。トカゲとかバッタとか口に入れてそう。
最近、気づかれてないと思っていると思うけど、バッタを食べた跡があった。口の端にバッタの足がついてたもの。即歯磨きさせて、何度もうがいさせたけど。
「さっさと今日は食堂で食べさせた方がいいんじゃないか?」
「そう、ですね……」
一応作り置きのものは冷凍して冷蔵庫に入れてある。カレーだけど。そんなに遅くなるなら、今日は葉月にはそれを食べてもらった方がいいかもしれない。それに、会長も挨拶が終わるころにはお腹を空かせるみたいだし。
2人の状況を見て、変なモノを口に入れる葉月の様子を思い浮かべたら、即座に私の中で決定した。
葉月には申し訳ないけど、変なものを食べさせるよりマシ。「ちょっと葉月に連絡します」と会長に断りを入れてから、電話を掛けてみる。するとすぐに出てくれた。
「ごめん。今外に出てて、会長と一緒なんだけどね。まだ帰れそうにないから、食べて帰ることになっちゃって」
そう言ったら、何故か会長が目を大きく開いて驚いている様子。会長が言いましたよね、食べて帰ろうって?
冷蔵庫に冷凍したものがあるからと言ったら、葉月はあっさりとそれを承諾した。
『わかった~。舞にやってもらう~』
「本当にごめんね。お詫びに明日、オムライス作ってあげるからね」
『大丈夫だよ~。花音も気をつけてね~』
「うん。それじゃあ、また後でね」
電話を切ってふうと一息ついた。明日は頑張っておいしいの作らなきゃ。葉月の好きな甘めのオムライス。それに他にも何か作ってあげようかな。オムライスと合うものは――。
「いいのか?」
明日のオムライス以外の献立をつい考えてたら、会長が言い辛そうに聞いてきた。何がだろう?
「何がですか?」
「食べて帰るって言ってただろ?」
え、だって、会長だってお腹空くんでしょう? あ、違った。
「そうですよね、何を言ってたんでしょう。私は訪問が終わったら帰りますね。会長はどこかで何かを――」
「何でそうなる!?」
え、違うの? だって私を送ってからだと、会長も夕飯遅くなるし。
首を傾げていたら、会長は何故かジト目で見てくる。いや、目で訴えないでください?
「夜遅いのに一人で帰らせるわけないだろうが。東海林に何を言われるかたまったものじゃない」
「でも悪いですし。その時間にお腹空くって言ったの会長じゃないですか?」
「……お前も一緒に食べればいいだろ。終わったら付き合え」
え、会長とご飯? いや、まあ、さっきまではそう勘違いしていたけど。
つまらなそうに会長は私に背を向けて歩き出す。置いてかれる!? 慌ててその背中を追いかけるけど、会長は機嫌が悪いのか、それから目を合わせてくれなかった。
結局、会長とご飯食べて帰ることになっちゃったけど……あれ、会長の言う食べて帰るお店って、もしかしたら高いとこ? え、え、それだと困る。今日は持ち合わせがほとんどないよ!?
会長とクラスメイトの男子の父親が会話している横で、1人青褪めていた。
□ □ □
「なんだ、その顔は? まずかったか?」
「い、いえ。ご馳走になってしまって、申し訳なかったなと思いまして」
結局、挨拶が終わって連れられていったお店は、やっぱり高級そうなレストランだった。鳳凰グループの系列のお店らしい。
とてもじゃないけど払えない金額だったよ……なんで1つのお皿で5000円もするの!? あまりにも高くて味なんて全然分からなかったよ! 会長が全部払ってくれたけど(やっぱりカードで)。申し訳なさすぎる。
そんな私に肩を竦ませる会長。呆れてるよ。こんなのも払えないのかってことですね、はい、すいません。
「気にするな。女に払わせる馬鹿じゃない」
「いえ、馬鹿とかそういうことじゃなく」
「大抵の女はこれで喜ぶが……本当、お前は面倒くさい」
「はい?」
申し訳なさそうにしていると、舌打ちしている会長の姿があった。なんでそんなに不機嫌なんですか。いえ、私が払えないからですね。ものすごく居た堪れない。
「とにかく駅まで戻るぞ。そこに迎えがくる」
しかも送ってくれるから、余計居た堪れない。何から何まで会長にお世話されっぱなし。ちゃんと後でお礼しなきゃなぁ。
ハアと、会長に気づかれないように息をついた時だった。
ドン
と、前を歩く会長にぶつかる誰かの肩。
「あ?」
ぶつかってきた人に会長が顔を向けた。今の会長はすこぶる機嫌が悪そうなのに。
だけど、そのぶつかってきたお兄さんは会長を睨んでいる。
「いってぇ。おい、どこ見て歩いてる、ぁあ?!」
「はあ? ぶつかってきたのはてめえだろうが」
ちょちょちょちょっと、会長!? 何を喧嘩売ってるんですか!?
慌てて会長の腕の服を引っ張って、ぶつかってきたお兄さんを見てみた。大分ガラが悪そうだ。彼の後ろには友人なのか数人立っていた。こういう人たちと話したことがなかったから、少しヒヤッとしてしまう。
「すいません、ぶつかってしまって」
「おい、俺は何も悪くね――」
「ぶつかってしまったのは事実なんですから、会長も謝ってください」
会長の言葉を遮るように言葉を重ねる。会長は渋い顔をしていたけど、こういう人達は関わらない方が無難だ。謝ってすぐ立ち去ってしまった方がいいと思う。
そんな私たちの様子を見て、彼らは笑い始めた。
「ぶはは! こいつ、女に謝らせてるぜ!」
「しかもこの制服、星ノ天じゃね!?」
「おお、あのお金持ちの坊ちゃんたちが集まってるところか!? こりゃいい! 金持ちの坊ちゃんは女に守られるひ弱ってことだな!」
「「ぎゃはは」」と彼らは笑う。そんな彼らに会長がさっきより不機嫌になるのがわかった。だけどダメです、会長。抑えてください。
「本当にすいませんでした。それじゃあ」
とにかくここを離れようと彼らに謝ってから、会長の腕を引っ張って連れて行こうとすると、会長が私の手を払ってしまった。
思わず会長を見ると、顔をしかめて私を見てる。その横で、会長とぶつかったお兄さんが、唐突に自分の肩を押さえ始めた。
「おお、マジ痛って~! これ折れたんじゃね!?」
周りのお兄さんたちはニヤニヤしながら彼を見始める。わざとらしすぎる。
周りの通行人たちは関わりたくないのか、私たちを遠巻きにして知らん顔。彼らが私たちのことを星ノ天の生徒だって分かって、お金を強請る気なのが周りにもバレバレ。
一刻も早く立ち去りたいと思っていたら、呆れるように彼を見ていた会長は、いきなり財布を取り出して、何枚かのお金を彼らに渡していた。
「これが目当てだろ。さっさと行けよ」
お金を渡して、クルっと背中を向けた会長は私の手をいきなり引っ張ってきた。確かに、これで丸く収まるかもしれないけど、でもこんなやり方じゃ。
「おいおい、ちょ~っと待てって」
立ち去ろうとする会長の肩に手を置いて、私たちの足を止めさせる彼ら。あっという間に囲まれた。正直怖い。
「何だ、まだ足りないっていうのか? お前らには大金だと思ったがな」
「お~お~お偉いこって。でも全然足りねぇなぁ。治療費にもなんねぇぞ、こんなの」
下卑た笑いを浮かべながら、男たちは私たちを取り囲む。会長が渡したのは結構な札束だ。やっぱり味をしめて、もっと強請ろうとしているんだ。どうしよう。
対する会長は、そんな彼らを見て呆れているようだった。
「それで満足していればいいものを。これ以上はお前らが痛い目見るぞ。俺を誰だと思ってやがる」
「ぶはは! 俺を誰だと思ってやがるぅ~!? そんなこと言うやつがリアルにいた方が驚きだわ!」
「行くぞ。こんなやつらに構ってられないからな」
まだ絡んできそうなガラの悪い人たちを無視して、会長は私の腕を引っ張っていこうとしたけど、でもその人たちは私たちを行かせないように、やっぱり前に立ち塞がってきた。
「邪魔だ、どけ」
「本当に偉そうな兄ちゃんだな。払うもん払ってくれたら、俺たちだってさっさとどくんだけどよ?」
「さっきので十分だろう。お前らみたいな低俗なやつらが一生お目にかかれない金額だろうが」
「さっきから俺らのこと『こんなやつら』とか『低俗』だとか好き勝手言ってくれるじゃねえか。金持ちなのがそんなに偉いのか、ああ!?」
一番のリーダー各みたいな人が段々とイライラしてきてるのが伝わってきた。
どうすればいいんだろう。このままじゃ、この人たちは一向に私たちを通してくれなさそうなんだけど。
周りにいる人は相変わらずニヤニヤしていた。
「あーあー、かっくんをあまり怒らせない方がいいぜ、坊ちゃん?」
「ここらじゃ強いので有名なんだぞ?」
「ふん、そんなの知るか。強いと言っても底辺の連中の中でだろ。実力何てたかが知れてる」
会長!? なんでそんな喧嘩を売るような一言を言うんですか!?
思わず会長の方をぎょっと見上げてしまったけど、やっぱりというか、ガラの悪い人達もその一言が気に障ったみたいで、雰囲気を変えてきた。
「だったら、金持ちの坊ちゃんの実力とやらを見せてくれよ。そしたら俺らも引き下がるからよ」
「何でそんなことをしなければならない。さっさとどけ。お前らみたいなのに構ってる暇はこちらにはないんでな」
「いいから、ちょっとこっち来い。一緒にいる彼女をめちゃくちゃにしてもいいんだぜ?」
こっちに視線を巡らせられて、一瞬ビクッと体が震えてしまう。会長はそれに気づいたのか、その視線から庇うように前に立ってくれたけど、このままじゃ会長とこの人たちが喧嘩することになってしまう。
私を理由にするなんて卑怯だよ。完全に私が会長の枷になっている気がする。
どうやってこの場から逃げよう? いっそのこと、もう走り出して駅まで行く? 駅前には交番もあったはずだし。
「会長、駅まで一気に走りましょ……」
「おいおい、そんなことさせるわけないっしょ~?」
「桜沢!」
いつのまにか後ろに1人いて、会長が掴んでいる腕とは逆の腕を掴まれてしまった。それに気づいた会長がとっさに私を引っ張って、その腕を剥がしてくれる。た、助かった。
だけど、もう完全にこの人たちは私たちを逃がす気がないみたい。
『かっくん』と呼ばれたリーダー格みたいな人が会長の肩に腕を回してきて、会長が睨みつけるように彼を見ていた。
「さあ、お楽しみといこうぜ、坊ちゃん?」
もう逃げられない。
そんな気がした。
一瞬、思い浮かんだのは葉月の顔。
いつも助けてくれるから。
だけど、葉月がここに来るわけもない。
来ても葉月が危ないだけ。
会長と一緒に、彼らに無理やり路地裏の方に連れられていってしまった。
お読み下さり、ありがとうございます。




