117話 まだまだ知らないことだらけ —花音Side※
「ほら。礼音も詩音も、お姉ちゃんたちにお礼言おうね?」
「ありあとー……」
「あ、ありがとうございました」
「あっはっは! どういたしまして!」
「もう勝手に抜け出したらダメですわよ?」
夏休み最終日。詩音と礼音が寂しくて家を抜け出して、いきなり寮にやってきた。
はぁ、びっくりしたよ。まさか家から飛び出してくると思わなかったから。この前帰った時に遊び足りなかったみたい。その理由は可愛いけど、さすがに5歳と10歳の子供だけでこんな遠くに来るのは心配だから。
そんな2人を見かねてか、葉月たちが皆で一緒に遊んでくれた。ちょうどレイラちゃんも旅行から帰ってきて、お土産渡してくれていたところに、この子たちがやってきたんだよね。皆に気を遣わせちゃったよ。
お母さんに連絡したらさすがに怒ってたから、2人とも帰ったら覚悟するように。
「ああ、来たみたい……だ……」
1台の車が近くにやってきて止まり、人が降りてきた。一花ちゃんが車を手配してくれたんだよね。ここまでお世話になるなんて申し訳ない。一花ちゃんと葉月が2人して降りてきた人を見て、口を開けていた。
「申し訳ありません。予定よりも遅れてしまったようですね」
「い、いえ」
降りてきたのは鴻城家のメイド長さん。相変わらず無表情。そして綺麗にお辞儀してくれるから、つられてこっちもお辞儀してしまう。い、一花ちゃん? わざわざメイド長さんに頼んだの? あ、でも驚いてるから違うのかも。
「詩音様に礼音様ですね。こちらにお乗りください」
何でもないかのように、詩音と礼音に目を合わせて、乗っていたもう1人の人が後部座席へのドアを開けてくれる。
礼音はもう寝そう。カックンカックンと首を漕がしている。とてもはしゃいでたから疲れたんだね。家に着いたらちゃんとお礼言えるかな。
「詩音、礼音。2人ともちゃんと家に着いたら、この人たちにお礼言うんだよ?」
「んー……」
「分かってるよ、お姉ちゃん……ふぁ」
乗り込んだ2人に声を掛けると、何とも気の抜けた返事が返ってきた。大丈夫かな? わざわざ2人のために送ってくれるんだからね?……ダメかも。もう礼音は即寝てしまうし、詩音も目を閉じちゃったよ。
ハアと思わず溜め息をついて、メイド長さんの方に振り返る。
「すいません……」
「大丈夫ですよ。ご心配には及びません。では花音様。お2人は必ずご自宅までお届けしますので」
「は、はい。よろしくお願いします」
深くまたお辞儀されてしまった。本当に申し訳なさすぎる。鴻城家の方に何かお礼を送らないと。お母さんに相談してみよう。
あれ、葉月と一花ちゃんが、今度はジト目でメイド長さんを見ているけど、何でだろう?
「何でメイド長がまた来たの……?」
「何を言っているのです、葉月お嬢様? たまたまですよ?」
「たまたま……なのか……?」
「ええ。一花お嬢様。実は沙羅様への用事でたまたまこちらに来ていましてね。そうしたら、一花お嬢様からの連絡がたまたま入りまして。だから、たまたまです」
そうなんだ。こっちに用事があったついでに来てくれたんだ。
「まあ、全部嘘ですけどね」
「「嘘!?」」
見事に葉月と一花ちゃんの声がハモッた。ものすごく珍しい。特に葉月がこんなに驚いている姿初めて見るなぁ。しれっと嘘だって言うメイド長さんもすごいけど。
「用事があったのは、花音様にでしたので」
「え? 私ですか?」
「ええ、こちらを。あの時のハーブティーです」
「あ、わざわざありがとうございます」
わざわざ持ってきてくれたんだ。葉月の言うとおりに、一花ちゃんに花火の後に頼んでみたんだよね。そうしたら連絡してくれて、送ってくることになったっていうのは聞いたんだけど。
「こちらが美味しく飲むための順番と分量ですので。葉月お嬢様には少しぬるめにして出してあげてください」
ぬるめに? ハーブティーの葉っぱからメイド長さんの方に視線を戻すと、どこか優し気に目元が緩んだ気がした。
「それが一番安心するはずですよ」
「あ、はい。分かりました」
そうなんだ……知らなかった。いつも紅茶淹れても、それでおいしいって言ってくれてたから気づかなかった。
それからメイド長さんは葉月と一花ちゃんに一言言って、車に乗り込んで行ってしまった。メイド長さんが運転してくれるんだ。凄いなぁ。
そんなメイド長さんを2人はすごく疲れたように見送ってたけど。
□ □ □
夜になって、お母さんから連絡が来た。無事に詩音も礼音も家に着いたらしい。
お礼ちゃんとしときたいって話したら、お母さんも同じだったみたい。メイド長さんに近い内に何か送りますって言ったら、何故かカレーのレシピを教えてほしいって言われたんだって。それがお礼になるからだとか。
そんなのでいいのかなぁ、と思ったら、一花ちゃんにそれで大丈夫だと言われてしまった。何故か目を逸らされたんだけど、本当に?
一花ちゃんと舞が自分の部屋に戻って一息つく。葉月はゴロゴロしながら携帯ゲームで遊んでたけど。あ、そうだ。
「葉月、早速あのハーブティー飲もうか?」
「ん~」
キッチンに向かって、早速茶葉が入っている袋を取り出す。ああ、そうだ。一緒に紙を渡されたんだった。
そこにはビッシリと淹れ方が書かれていた。あ、一花ちゃん用も書いてる。今度淹れてあげよう。えっと、こっちが葉月用か。
書かれたとおりに淹れてみる。これでいいのかな? 葉月に飲んでみてもらえば分かるかな。
「ありがと~」
「どういたしまして」
部屋に持っていったら、ニコーって笑ってお礼を言ってくれる葉月。その笑顔に思わず持ってたカップを落としそうになっちゃったよ。本当、心臓に悪い。
書かれたとおりの淹れ方で淹れたけど、どうかな? と思って、そのハーブティーを口につけた葉月を見ると、
とても気が緩んでいるような、安心しているような表情をしていた。
こんな顔も、するんだ。
思わず目を丸くしちゃったけど、同時にすごく嬉しくなった。
そっか、これが葉月の安心した顔か。
これが、メイド長さんが知っている葉月の姿なのかな。
知らない葉月を知れて、心があったかくなるのを感じる。思わずふふって笑ってたら、首を傾げて見てきたけど。
ごめん。だって、知れて嬉しいんだよ。
「どしたの~?」
「何でもないよ」
訳が分からなそうな葉月を置いといて、私もそのハーブティーを一口飲む。これ本当においしい。あれ、結局何の葉っぱか聞かなかったな。今度機会があったら聞いてみよう。
□ □ □ □
深夜、ふと何かの音で目が覚めた。
あ、れ……今何時……?
うっすら瞼を上げると、まだ暗い。
もしかして……また葉月が何か飲んでいるとか?
「……っ……ふ……」
声が聞こえる。
葉月の声……?
ゆっくり起き上がって、反対のベッドの方を見てみた。暗いから見えにくい。私もまだ寝ぼけているからボーっとしてしまう。サイドテーブルの携帯を取ってみる。時刻はまだ深夜3時。
「……く……はっぁ……」
やっぱり、葉月の声。
パチパチと目を瞬かせて、だんだん視界が暗さに慣れてきた。ベッドから出て、静かに葉月のベッドに近寄ってみる。ベッドにはいるみたい。暑いからタオルケットを体にかけているだけ。それが動いているように見えた。
「葉月……?」
近寄って見下ろしてみると、苦しそうに眉を寄せて呻いている葉月の姿。
魘されてる?
苦しそう。
苦しそうに呼吸している。荒くなって「ハア、ハア!」と息をしていた。
ぐ、具合悪いのかな?
起こした方がいいかも。
とてもじゃないけど、こんな苦しそうだったら見てられない。
えっ……?!
手を伸ばそうとした時、不意にグイっとその手を掴まれて体が反転する。いきなりの事で思わず小さく声をあげた。自然とベッドの上に体が沈む。
え、え?
目の前には葉月の顔。
いつかの葉月の悪戯の時みたいに押し倒された形になった。
自然と心臓が跳ね上がる。
けど、辛そう。
虚ろな目で息を荒くして、こっちを見てきた。
額には汗が浮かんでいる。
「ごめん……葉月、魘されてるみたい……だったから……」
何とか言葉を絞り出したけど、ち、近い……顔近い。
ドクンドクンと自分の胸の奥の鼓動が耳に響いてきた。
「ハア……! ハア……!」
目の前の葉月の返事がない。
ただ苦しそうに息を荒くして、視線だけを左右に動かしていた。
そんな葉月を見て、少し我に返った。
心配になる。
一体、どうしたの?
どうして、そんな苦しそうなの?
「はづ……き……?」
問いかけても返事がない。ただ「ハアハア」と苦しそうに息をしている。
「葉月……大丈夫……?」
聞こえてないの?
どうしてそんなに辛そうなの?
虚ろな目をしている。
こっちを見ていない。
ただ苦しそうに息を荒げるだけ。
寝ぼけてる……とかじゃない……?
「葉月……? 聞こえてる……?」
何とかしてあげたい。
目の前の苦しそうな葉月を何とかしてあげたい。
けど、どうしたらいいのか分からなくて。
ただ、胸がギュッと締め付けられるだけで。
どうしようと思っていたら、ゆっくりと葉月が私の体の上に倒れ込んできた。静かに葉月の体の重さが、私の上にのしかかってくる。
「葉月……?」
やっぱり聞こえてないみたいで、返事がない。
ど、どう……しよう……。
葉月の鼓動が伝わってきて、落ち着いてきていた鼓動が早さを取り戻していった。
「えっ……!?」
思わず体がビクッと震えてしまう。
ソッと腰辺りにあった葉月の腕が背中に回されてきた。
え、ええ!?
こ、ここで!? 今!?
やっぱり寝ぼけてる!?
あ、でも……段々呼吸が落ち着いてきてるみたい。
さっきより荒くない。
「葉月……聞こえてないの……?」
すぐ隣にある葉月に再度声を掛けてみても、返事はない。
息が耳に当たってくすぐったくて、ゾクッとまた自然と体が震えた。
どどどうしよう。
で、でも……返事ないし。
やっぱり寝ぼけているのかな?
さっきより息も荒くないし。
何よりハグされると思ってないから、さっきから本当に心臓張り裂けそう。
葉月の香り。
葉月の温もり。
それに包まれるだけで、胸はこれ以上なく熱くなっている。
だけど、離したくなくて。
自然と自分の腕が葉月の背中に回っていく。
こんな幸せ、知らなかった。
こんなに嬉しいことなんて知らなかった。
前の自分、どうかしてる。
よく普通に葉月にハグしてたね、褒めたいぐらい。
好きな人の温もりが、こんなに幸せなことだったなんて。
ギュッと思わず葉月の体を抱きしめる。
心臓はさっきからバクバク状態。
耳にすごく響いてくる。
きっと葉月に伝わってる。
顔だって絶対赤くなってる。
だってすごく熱いもの。
必死に落ち着かせようとしても無理。
けど、離したくなくて、
まだこの温もりを感じていたくて、
さっきより強く抱きしめてしまう。
しばらくすると、耳元で寝息が聞こえてきた。
……え、寝たの?
私の背中に回された腕が緩まっている。
つられて私も自分の腕を緩めると、葉月の体が静かに横にズレていった。自然と顔が見える。
寝てる……。
それはもうさっきまでの苦しそうな顔と正反対で、あどけない寝顔になっている。
やっぱり……寝ぼけてた、のかな。
至近距離のその寝顔は反則だけど、でも少し安心した。あんな辛そうなの、見たくなかったから。
そっと片手でその寝顔に触れてみる。やっぱり汗ばんでいた。
「葉月……」
どんな夢見てたの?
怖い夢?
もう怖くない?
頬に手を添えると、スリッとその手に頬ずりしてくる。柔らかさが、伝わってくる。
そ……それ、反則。
可愛いすぎる。
ハア……と小さく息を吐いて整えてみた。全く意味なかったけど。
どうしよう……起きようか? 葉月も寝たみたいだし。
ここにいると、心臓の病気じゃないかって思うぐらい持たない気がする。
こんな可愛い寝顔を至近距離とか、鷲掴みされっぱなしだもの。そう思って起きようとしたけど……。
あ、これ無理。
緩まったとはいえ、葉月の手がしっかり私の背中の服掴んでる。
起こすのも――いや、だめ。折角寝たみたいなのに。
それに。
ドクンドクンとうるさい音を耳の奥に響かせながら、目の前の寝ている葉月を見つめた。
もう少し。
もう少しだけ。
この温もりに包まれていたい。
この香りに包まれていたい。
キュッと自然と葉月の背中に回している自分の腕に力が入って、体が密着する。
好き。
好きだよ、葉月。
静かに目を閉じた。
温もりと香りに酔いしれる。
知らないうちに眠りに落ちていった。
お読み下さり、ありがとうございます。




