紺碧のその瞳
『わたくしたちは神の子―――この国の王こそ我らの神 万人は神の為に』
毎朝子供たちは学校でそう唱えていた。
12歳の頃神の子適合者となった私はこの国の盲目の王子に瞳を提供した。
それから5年、光の閉ざされた世界に少しは慣れただろうか。
光の無い片隅で音の世界は豊かになった。
今日も王都の町を歩く。パンプキンスープとパンのいい薫りに誘われステンシルおばさんのレストランへ。
家具屋のトリスさんが作ってくれた木製の杖を、滑らかに削られた木の椅子にかけ、ゆっくりと腰を下ろす。
「ジル、今日みてほしいって方が来てるわよ」
「分かりました」
私はその女性の手に触れ、暗闇をじっと見る。彼女との1ヤードに満たないであろう距離の間に或る空間を。
すると、見えないはずの情景が浮かびだす。
「貴女は御主人を殺めるおつもりですか」
「え」
「そうなる前に一度ゆっくりお話を.....」
「やっぱり彼は裏切りを?」
私はゆっくり頷いた。
と重なる硬貨が乱暴にテーブルに置かれた音がした。
「ジル、また悪い予兆だけ?見えたのは」とステンシルさんが呆れた様子で私に言うのはいつものこと。
「.....はい。哀しいですね」
光が閉ざされてから、見えていたものが見えなくなって、見えないはずのものを見るようになったのだ。
「あ、雨」
「え?ジルは早いわ。雨足レーダーねぇ、ちょっとあんた雨くるってー」
雲が光を遮る頃、遠くで微かに空気を切るような雨音が聞こえる。
「ああ 急な雨でびしょ濡れだ.....やあジル 来てたんだね」
「はい」
彼はテレンス。みんなテリーと呼ぶ。王都の騎士らしいが、私は宮殿や騎士や王が嫌い。暗闇の世界に置かれ、何処に偽善者ぶって恨まない者がいようか。けれど、そんな感情は無論出してはいけない。
ただ彼はここで他愛もない話をしてくれる。こんな気さくな騎士は珍しい。
「ジル、それ食べたらピアノ聴きたいな」
「また、テリーは好きですね。私のあんなピアノ、みんな迷惑じゃないですか」
「君の音色は美しいよ ね?」
「好きにしなさいよ。ジルここは貴方の店同然なんだから」
「それは違います。ステンシルさん」
瞳を献上した事で、獲られた金貨を亡き母は王都で生きる商人の方々に渡したのだった。
何も恩を売りたい訳ではなかった。娘がひとりぼっちにならない様この町を守ってくれたのだと思う。
宝石屋の母はいつも、この町の商人、職人を魔法使いだと言っていた。
そんな母が真鍮を叩き、タガネを金槌で器用に使い美しい彫刻を施す姿はまるで魔法使いだった。
ピアノで名もない曲を奏でる。不思議と見えなくてもピアノだけは手が踊るように言うことを聞いてくれる。
「ジルのピアノも素敵だけど、僕はその紺碧の瞳も美しいと想うよ。ガラスみたいなサファイアと黒翡翠が混ざりあった様な深く澄んだ碧......」
テリーは毎回こうして私の義眼を褒める。美しいか奇妙かは分からないこの瞳を。
「ありがとうございます......でも見たくないものが見えてしまうこんな瞳......」
「見たくないものか.....僕はこの国の未来を見たいものに変えたいよ。
この国の王は腐っている。民にはなんにも与えず奪うだけ。ジルの瞳だって返してほしいくらいだ」
「テリー、そんな事を......王様に従える騎士が言っては.....」
「いや、いずれ内乱が起きるさ。この国に神などいない」
そして小さく囁くように続ける。
「ジルはもう一度この世界を見たいか」
「......見られるなら。でもこうして話し相手がいて幸せです。それに、私は一度テリーのお姿を見てみたいのです」と、私の頬は少し赤らんだでしょうか。
ふと私の手の甲を雨粒が弾く
「雨漏り?」
彼はそっと私の手を持ってその雨粒を拭った。
それはとてもしなやかで長い指先のようだった。
「ジル、その良からぬ未来が見える呪いはどうすれば解けるだろう、辛くはないか」
「呪い?.....たしかに呪いかもしれません。ご存知ですか?薬指のリングの意味」
「薬指?......愛のしるし?」
「ふふ 女性の魔性を封じ込めるためにつけるそうです。私のこれも魔なら、リングで封じられますか」
「じゃ愛する人に貰わなければね」
「ええ」
ある日ステンシルおばさんの店でちょっとした騒ぎがあった。
騎士団と思われる男達が酔っ払っていた。
「ここだって王のもんだろっ誰が払うか」
「ハハハハハ そこの神の子だか呪いの子だかが報酬の金貨振りまいたってな。」
「なんならその首飾りも貰おうか」
「やめてください、これは母の.....」
「その子になんかしたら私が生かしちゃおかないよっ」
とステンシルおばさんが叫んだ。
私の元の瞳は深紫だった。亡き母はいつも私の目が義眼になって以来ジルの瞳の代わりにとアメジストの首飾りを身に着けていた。私の胸で今光っているだろう銀枠の首飾り。
「あー何の騒ぎかな。」とやって来たのはテリーだった。「どこの配属だ?」と言われ急にタジタジになった男達はすぐ去った。
「ありがとう。ああ、びっくりした。ちょっとみんなも少しは助けなさいよっ」
とステンシルおばさんは店にいた他の客に怒る。
「ジル大丈夫か?」
「はい。見えないのはやっぱり不憫です。誰も助けられない」
「自分の心配をしろ。知らないだろうが君は可愛いんだよ」なんて冗談を言って彼は去った。
そんな日々が過ぎ去り季節が移り変わる頃、私の瞳に適合者が現れたとの知らせが届いた。片目だけ、適合者が亡くなったが故なのか。まさか生きている者が庶民に提供するはずはない。
「ジルに適合し提供する者には謝礼をすると何処ぞの貴族が発表したらしい」と王都では噂が出回った。
私はその話を受けたのだ。というより断る権限もない。片目ならきっと適合者もまだ救われる。きっと貧しさ故に名乗り出た民達から適合した人がいたのだろう。
「テリー、これで私貴方の顔が見れるかも。楽しみです」
「楽しみなほどの顔じゃないよ」と笑った暖かい声。私が一番に見たいのは、空の青さより、月の輝きより彼の優しく美しいであろう顔。澄んだあの声から勝手に想像を膨らましているのかも知れない。
手術は無事に終わり、幾日か経ち眼帯を取る日。
微かな光を感じる、きっと見えるそう胸は高鳴った。
白い靄のような中にたしかに、見えた。懐かしいこの世界の何でも無いような物がぼんやりと。床の木目に焦点を合わせてみる。
鏡を渡される。少し重たい鏡、その彫られた枠の模様を眺めるだけでもまるで、絵画を見たかの如く見入ってしまう。しかし、やはり鏡に自分の顔を写すも目を開けられない。怖い......。
意を決して見た顔、大人びた女がそこにはいた。見慣れた子供の頃とは少し違う。そして紺碧の瞳の反対側 左目はかつての瞳と同じ深紫.......。
この瞳の色は私だけだった訳ではない。
ましてや適合者なら色も一緒なのかもしれない。
そして紺碧の瞳、テリーが言った通りとても美しい色をしている。吸い込まれそうな深海のよう。
それから
私は宝石屋として、彫金を試行錯誤しながら練習しステンシルさんの店に通うもテリーには会えなかった。
ある日、ガラスに昆虫を閉じ込めて作るオブジェに人気が高まり私は幼馴染のマルクに虫の標本を持ってきてもらった。
「蝶と蜘蛛はここに、ねえカタツムリとか黄金虫は要らなかった?」
「うん.....あ 黄金虫いいかもね」
「はははやっぱりか。あっそういえば今度王子の婚約発表があるんだって」
「婚約?」
「ご令嬢から選ばれしお妃様のお披露目だね。ジルは見に行く?」
「私は、行かない」
「そっか。ジル!貰い手が居なかったらいつでもこの俺が婚約者として迎えよう」
「マルクなら沢山婚約者候補がいるでしょ」
と、そこへ王子の使いという女性がやって来た。
「此度のご婚約に是非ともジルさんの宝石を妃となる者に贈呈したいとジョシュア王子がおっしゃいました故」
「え、うちのですか.....」
「店一番の品を持ち、婚約発表の日、宮殿へ参りなさい」
恩返しのつもりだろうか。
出来の悪いものを渡せば母の顔に泥を塗る。
精一杯良いものを用意しようと私は毎日作業台に向かった。
婚約発表当日
「ジル!出来た?ステンシルさんも行くって〜」
「うん」
私は何度も石に傷をつけてしまい、結局一番の出来はサファイアルビー、青いルビーのブローチだった。
ベルベットの巾着で丁寧に包み店を出る。
「さっ行きましょう。楽しみね。」
王子が民衆の前に立つのは初めて、宝石を渡すなら近くで王子の瞳となった、かつての自分の瞳を見られるかと。少しは見てみたい気がした。
宮殿へ着くと沢山の民が門で溢れかえっていた。
唐草模様の黒い鉄柵の門が開き中へと進む。
広場へ行くと白い壁、宮殿の踊り場が見えた。きっとあそこに王子と婚約者が立つのだろう。
私はいつ宝石を渡すのだろうかと、キョロキョロする。
誰も取りにも来ない。前に行くべきか。
「本日はジョシュア王子の婚約発表にお集まりいただきありがたき幸せであります」と誰かの挨拶が始まった。
「それでは、ジョシュア王子」と皆が拍手をする。
私達の横に護衛の兵と、店に来た女性が居た。
「ジルさん急ぎましょう」
「あ、はい」
私は宝石を持ち手を取られ走る、王子のすぐ後ろに案内された。緊張で少し足がすくむ。
とにかく今は宝石をしっかり渡すのみ。
白に金糸の刺繍が施された美しい衣に揺れる肩あたりまである黄金の髪を後から眺めていた。
その可憐な後ろ姿が自分とは違う世界のオーラを纏っている。私なんて瞳を献上して当たり前の平民だ。と背中ひとつで悟らされたのだった。
「それでは婚約者の発表です」
誰かがポンと私の背中を押した。
私はそのまま王子に近づく。
すると王子は私の手を取り、そのまま壇上へ。
「私の婚約者はこちらのジルです。神の子などと言われ私に瞳を差し出した少女。
改めてジルを訪ねた私は、心も姿も美しき彼女に心を奪われました。どうかジル、私の妃になってはくれませんか?」
私はベルベットの巾着をくちゃくちゃに丸め握っていた。
その声は紛れもなくテリー。
そして真っ直ぐ私を見つめる凛とした王子の瞳に目が離せなくなった。彼の右目は深紫、左目は紺碧に輝いていた。
驚く私の口からは何一つ吐き出せないでいた。
しかしその直後私達は十数本の槍に囲まれる。
「その宝石商が婚約者など、断じて認めん。何を考えておる。その娘は呪われておる、呪いの予言者だろう」
と王様のお出ましであった。
「父上、呪いの予言者は私の生まれ持ったこの瞳です」
彼のそのしなやかで長い優しい手が私の背を力強く抱き寄せた。
「ごめんジル 君の光を奪ったのはこの僕だ」
「テリー......あなたが奪ったのは私の心です」




