Nice boat.
戦記小説には“艦魂”というジャンルがあり、ここ“小説家になろう”でも多くの艦魂小説が投稿され、普通の戦記小説を圧倒する勢いです。それに関しては賛否両論がありますが、基本的に私は容認しております。
しかし艦魂系のお話に違和感を感じることがあり、それを小説化したのがこのお話です。
というわけで、かわいい女の子がでてくるようなお話が読みたい方はお読みになられないことをオススメします。“見えない人”視点で書きますから、女の子はいっさい登場しません。
最後になりますが、本当にいろいろな意味で“酷い”お話なので、読む場合は覚悟を決めてからにしてください。
暗い暗い夜の大洋の中で駆逐艦<M.ルイス>は戦っていた。相手は同クラスの駆逐艦で、2隻の軍艦は距離を保ちつつ並んで同航しながら主砲を撃ちあっているのである。
それはまさに互角の戦いで、双方ともかなりの命中弾を受けていた。そして新たな命中弾が<M.ルイス>を襲った。
「射撃統制装置がやられた」
「対水上レーダーはまだ使えるか?砲手に口頭で緒元を伝えろ」
CICに詰める将兵たちは艦を生き残らせようと必死になっている。
「まて」
海図台の前に立っていた男が声をあげた。
「射撃統制装置は艦橋の真上だ。艦橋はどうなっている…」
副長であるウィリアム・ハンター少佐が指摘すると同時に艦内電話のスピーカーから声が聞こえてきた。
<ダメージコントロールです。艦橋に被弾。火災はますます広がっていて…>
ハンター少佐は最後まで聞かずに出口に向かって駆け出した。
「バノン大尉。戦闘指揮を頼む」
5基の5インチ艦砲が次々と射撃を行うのを横にしてハンター少佐は艦橋へと繋がる階段を登った。艦橋では既にダメージコントロール班が到着していて修復と生存者の救出を行なっている。ハンターはその1人を掴まえた。
「艦長は?無事か?」
「はい。幸いにも軽傷で済んでいますよ」
そう言ってその水兵は艦橋の一角を指差した。そこには頭を布で押さえて床に座っている艦長のハワード中佐の姿があった。
「大丈夫ですか?」
ハワードが声をかけたその時、背後から爆発音がした。振り向くと、壁から天井にまで広がる大穴の向こうに炎上する敵艦があった。
<艦橋、こちらCIC。やりました。敵は離れていきます>
ハンターは艦長の前に跪くと、その肩を掴んで揺すった。
「艦長。敵艦を撃退しました。それでケガの方はどうですか?」
「大丈夫だ。彼女が私を救ってくれた…だから大丈夫だ」
ハワード艦長の不可解な言葉にハンターは顔を顰めた。
「あの。彼女とは?」
今度はハワードが顔色を変えた。
「君には見えないのかね?そこに居るではないか」
ハンターは着弾のショックで混乱しているのだと考えた。
「分かりました。一度、医務室に言ってドクター・バイロンに診てもらいましょう。その間、私が指揮を代行します」
そう言ってハンターは2人の水兵を呼んで医務室に艦長を連れて行くように指示した。
それからハンターは艦内電話の受話器を手に取った。
「CIC。艦橋のハンター少佐だ。艦長が負傷したので、一時的に指揮を代行する。ダメ・コン・オフィサーは居るか?」
<自分であります。シュルツ大尉です>
<M.ルイス>のダメージコントロールの責任者であるシュルツは艦の被害状況の詳細を説明した。損傷は艦の全体に及んでいて、長期間のドッグ入りは避けられそうになかった。しかも火災が発生していて消火の目処は立っていなかった。
<ポンプの調子が悪くて、思うように消火活動ができないのです。現在、修理中ですが直るかどうかはまだ分かりません>
「よし。シュルツ大尉。敵は逃げ去った。警戒に必要な最低限の乗員を残して、そちらに全てまわす。その指揮権を君に与える」
<ありがとうございます。かならず港に皆を連れて帰りますよ>
電話は切れた。
マッケルシー二等水兵は負傷者した仲間に肩を貸して医務室に連れて行く途中であった。彼は他の仲間たちとともに消火活動に参加したかったが、先任の下士官であるケンパー1等兵曹から負傷者を無理やり押し付けられて医務室行きとなった。さらにケンパーには負傷者に付き添って一緒に戻ってくるように命じられていた。その時の仲間たちの態度が妙に感じたが、マッケルシーはそれを深くは考えなかった。
医務室では軍医のバイロン大尉が負傷者の大群の中に溺れていた。
「ドクター・バイロン!負傷者です!」
マッケルシー二等水兵は混乱の中でも聞こえるように大声で叫んだ。バイロンは振り向いてマッケルシーに担がれた水兵を見た。そして周りを見回して誰も居ない空いている床を見つけるとそこを指差した。
「そこに寝かせるんだ」
バイロンはそれだけ言うと、2人に背を向けた。
「診てくださいよ!」
マッケルシーがその背中に向かって叫ぶと、バイロンは振り向いてまた2人を見た。
「水兵。患者は他に居るんだ。それにその患者はそれほど危険な状況では無いが回復に時間がかかる。私は傷の浅い者から治療して、すぐに戦列復帰させなくてはならんのだ」
バイロンは残念そうに言った後、別の患者のところへと向かった。
マッケルシーは負傷者をバイロンの指示通りに寝かせると、バイロンの後を追った。
医務室の奥ではバイロンが椅子に座っている患者を診ていた。消毒液を染み込ませたガーゼをピンセットで掴み、患者の頭の傷に消毒を塗っていた。マッケルシーはバイロンに文句の1つでも言ってやろうと思ったが断念した。バイロンの診ている相手は艦長であった。
マッケルシーは仲間のところへと戻った。彼は床の上で傷口を手で押さえて呻き声をあげていた。看護兵たちが忙しそうに負傷者の間を行き来しているが、彼の仲間を診ている者は居ない。マッケルシーはその前に立ち尽くして、なにもできなかった。それに苦しむ仲間を見つづけるのは辛かった。
「ここでやれることなんて1つもない。なにかをすべきとしたら…」
兵曹殿には目の前で苦しむ仲間に付き添って一緒に戻って来いと命令されている。だが、マッケルシーには適切な命令とはとても思えなかった。彼は意を決した。
「すみません。私は戻ります。みんなががんばっているのに私だけここで待っているなんてできません。戻ります」
それを聞いた負傷兵の顔色が変わった。
「待て。待つんだ、マッケルシー」
「すみません。兵曹からは貴方に付き添うように言われましたが、できません。心細いのは分かります。でも貴方だってみんなが危険な状況に遭っているのに、1人だけ逃げるなんてできないでしょう。私だってできません。だから戻ります」
そう言ってマッケルシーは負傷兵に背中を向けた。
「待て。違うんだ。マッケルシー。違うんだ」
負傷兵は必死にマッケルシーを呼び止めたが、傷の痛みに耐えながら搾り出したか細い声がマッケルシーの耳に届く事は無かった。
マッケルシーは自らの仕事場である電気制御室に向かった。そこは艦内で使用するあらゆる電力の調整を行なう部署で、今は消火活動の最前線になっている。相変わらずポンプは止まったままでホースによる消火ができないので、水兵たちは火の壁に向かってバケツリレーで水をかけていたが焼け石に水であった。そこへマッケルシーが戻ってきた。部署のケンパー1等兵曹はマッケルシーが戻ってくるのを見て驚き、そして怒った。
「マッケルシー!どういうつもりだ。私は負傷者に付き添い一緒に戻って来いと命令したんだ。命令違反は重罪だぞ!」
だがマッケルシーが動じる様子は無い。
「確かに私は命令を違反しました。でもみんなが危険な目に遭っているのに1人だけ安全な場所に居るなんてできません」
マッケルシーは確固たる決意を述べたのに対して、周りの水兵たちは感心するわけでもなく呆れるわけでもなく、ただ困ったような表情をするだけであった。
「いいから医務室に戻れ。お前は若いんだ。死なせるわけにはいかない」
だがケンパーの言葉にマッケルシーは納得しなかった。
「確かに私は1ヶ月前に乗り込んだばかりで、みんなの中では一番の若造ですが、でも<M.ルイス>の一員なんです。1人だけ除け者なんて嫌です!」
あくまでもここに留まると主張するマッケルシー。その様子を見ていた水兵の1人が遂に業を煮やして叫んだ。
「いい加減にしろ。俺たちはお前を無事に港に送り届けなくちゃいけないんだ」
その言葉を聞いて近くにいた水兵や下士官たちが表情を変えた。
「マッキンタイア一等水兵!口を慎め!」
ケンパーは咄嗟に収拾を図ったが、遅かった。
「港に送り届けるってどういうことですか?次に寄港したら私は艦から降ろされるってことですか?どうなんですか?説明してください!」
ケンパーは詰め寄ってくるマッケルシーに対して何も言えなかった。
「なんの騒ぎだ!」
そこへハンター少佐の一行がやってきた。ハンターは後ろにシュルツ大尉と艦の最先任兵曹であるグラント一等兵曹が付き従っている。
「副長!命令違反です。マッケルシー二等水兵が私の命令を無視したのです」
「マッケルシー?」
ケンパーの言葉にハンターは眉を顰めた。マッケルシーの名には聞き覚えがあった。
「あのマッケルシー二等水兵か?」
「はい。その通りです」
マッケルシーはハンター副長とケンパーの会話を聞いてますます疑念を深めた。
「副長!あのマッケルシ―とはどういう意味なんですか?私になにか問題があるというのですか?」
ハンターはマッケルシーの問いかけを一切無視した。
「マッケルシー二等水兵、ただちに任務に戻れ。さもないと軍法会議にかけて銃殺するぞ!」
副長の強い口調にマッケルシーは引き下がざるをえなかった。ハンターは視線を目の前の火災に向けた。
「ケンパー兵曹。消火の方は進んでいないようだな」
「消火用ホースが使えないもので。修理の方はどうですか?」
ケンパーの質問にはグラントが答えた。
「今のところ修理の見込みがない。完全にイカレちまっているんだ」
それを聞いてケンパーの顔がみるみる蒼くなった。
「副長。消火ホースが使えないのでは消し止められません。もし弾薬庫が誘爆したら長くは持ちませんよ」
「退艦を検討しなくちゃいけないな。艦長に報告をしなくては。まだ医務室か?」
「その筈です」
ハンターの一行はケンパーらに背を向けた。
「副長、マッケルシーを連れて行ってくださいませんか?」
ハンターは背中に向けられたケンパーの言葉にマッケルシーを手招きすることで応じた。
医務室に向かうハンター一行に混じってマッケルシーは不満と不信を積もらせていた。意を決して彼は副長に真相を尋ねる事にした。
「副長、いったい何があったのですか?」
返ってきたのは素っ気無い返事であった。
「何って?なんだ?」
「皆さん、私になにかを隠しているでしょう?もう隠すのはやめてください」
しかし周りの人間はマッケルシーから目を逸らして答えようとしない。ハンター副長だけは、副長としての責任か、なにかを答えようとしている。
「君の気のせいだ。なにもありはしないさ」
「やめて下さい!私は確かに水兵としては半人前かもしれませんが、なにも分からない子どもではありません。いったい、なにが起きているのか教えてください。こんな状況では任務を遂行できません」
ハンターまでもがマッケルシーから目を逸らして、頭を掻き始めた。これは彼の悩んでいる時の仕種である。
「よし。いいだろう。仕方ない、教えてやろう。君の兄が死んだんだ」
マッケルシーの顔が蒼くなった。
「私には3人の兄が居ます。どの兄が?」
マッケルシーの問いにハンターは一度深呼吸をしてから答えた。
「全員だ。軍の規定では兄弟を全て失った者はただちに前線から本国に戻されることになっている。だから次に寄港した時には君を艦から降ろさなきゃならない」
それを聞いたマッケルシーはなにかを言おうとしたが、なんの言葉も出てこなかった。その様子を見てハンターは話を続けた。
「実に残念だよ。兄弟を失うのは大変辛かろう。それは君の親御さんだって同じだ。だから君は艦を降りて親御さんたちを安心させるんだ」
マッケルシーは顔を手で押さえたまま黙り込んでいる。
医務室に着くと艦長はすでに居なかった。
「ドクター・バイロン。艦長はどんな様子だったんだ?」
「傷は大したことはありません。ですが、どうも精神的に参っているようです」
「精神的に参っている?」
ハンターは艦橋で艦長が呟いた言葉を思い出した。
「“彼女”の話をしているのかね?」
「えぇ。名前はメアリーと言うそうです」
それを聞いた一人の水兵が言った。
「艦長の奥さんですか?」
ハンターは首を横に振った。
「艦長の奥さんの名前はシンシアだ。娘はオリヴィア。誰だろうメアリーって」
するとグラント兵曹が何かに気づいたらしい。
「もしかして、この艦のことでは?」
その場に居たみんながハッとした。<M.ルイス>、正式にはメアリー・ルイスと言う。
「それで艦長はどこに?」
ハンターの質問に答えられる者はいなかった。
ハンターの一行が医務室を出ると、外ではシュルツ大尉が待っていた。
「少佐。ポンプが直りません。このままでは弾薬庫に誘爆するのは時間の問題です」
その言葉にハンターの顔は一気に青ざめた。
「どうしようもないのか?」
「努力はしますが、見込みはあまりありません」
一行の空気が重くなったのを誰もが感じ取れた。海軍に入隊したときも、戦争が始まったときも、覚悟はしたつもりではあったが、いざ自分たちの艦が沈むというのは辛いものである。
「とにかく艦長に報告だ。どこに居る?」
医務室に残ったマッケルシーは命令通りに負傷兵の傍に座っていた。彼は相変わらず放置されていた。
「私はどうすればいいんでしょうね」
鎮静剤を打たれたのか眠りについている同僚に向かってマッケルシーはぼやいた。そして思った。このままではいけない。
またバイロンの姿が見えた。
「ドクター・バイロン!」
「また君か。彼の治療は後回しだと言っているだろう」
「違います。私になにか手伝わせてください。仲間たちが大変な思いをしているというのに、なにもしないわけにはいかないんです」
バイロンは少し考えてから結論を出した。
「よし手伝え」
マッケルシーはバイロンの後についていった。
ハンターらは艦長室に向かっていた。扉の向こうから艦長の声が漏れてきた。
「大丈夫だ、乗組員たちが必ず何とかしてくれるよ。沈むことはありえない」
誰かと話をしているようであった。
「誰がいるんだ?」
ハンターの問いに艦長自身が答えた。
「だからメアリー。なにも心配することはないんだ」
“メアリー”という名前に艦長室の前に集まった全員が顔を顰めた。
「だからメアリーって誰だ」
誰かが呟いた。
「正体を突き止めるか」
ハンターはドアをノックした。
「艦長。ハンターです。入りますよ」
返事を待たずに部屋に突入したハンター一行は、椅子に座るハワード艦長以外に誰も居ないことを確認した。
「どうした?ハンター。なにがあった?」
ハワード艦長は何事もなかったように尋ねた。
「艦長。誰と話していたのですか?」
ハンターの問いにハワードは顔色を変えて驚いた。
「誰とだって?ハンター。お前が彼女を見ることができないのは分かったが、他の者も見えないのか?みんな見えないのか?」
無論、他の者たちも困惑するばかりで、艦長に同意する者は1人も居ない。
「だから彼女とは何なんですか?」
ハンターがさらに問い詰める。だが、その言葉は艦長の逆鱗に触れた。
「何だ、とはなんだ!それが共に戦う者に対する言い草か!」
「共に戦う者ですって?」
「その通りだ。この艦だ!」
艦長の宣言は周りにいた全ての人間を驚かした。
「冗談はよしてください。艦と会話をしたというのですか?」
誰もが艦長が副長の問いを否定することを願ったが、それは叶えられなかった。
「その通りだ。彼女の分身のようなものだ。可憐な少女の姿で今、私の隣に立っている」
次の瞬間、艦長室は真っ暗闇に包まれた。
小さな爆発音が聞こえた後、艦内の電灯が全て消えた。医務室も然りで、懐中電灯の灯りを便りに治療を続けていた。そこへケンパー兵曹ら電気制御室の面々とシュルツ大尉が運ばれてきた。
「ケンパー兵曹!」
真っ先にマッケルシーがケンパーに飛びついた。続いてバイロン軍医もやって来た。
「なにがあったんだ?突然、暗くなって」
「電源がやられたんだ。予備も戦闘中に損傷しているから、復旧には時間がかかる。そんな時間は無いがな」
マッケルシーとバイロンは最後の一言が気にかかった。
「それはどういう意味だ?」
バイロンに答えたのは、後から運ばれてきたシュルツ大尉であった。
「火の勢いを止められない。ポンプも直らないし、残念ながら誘爆は避けられない。もう見込みがないんだ。ドクター・バイロン。至急、脱出の準備を。それと艦長に総員退艦を命じるように伝えて欲しい」
その言葉の意味は明白であった。艦は助からない。沈没する。こうなってしまえば1人でも多くの乗員を生存させるのが最重要の任務である。
「よし。シュルツ大尉。すぐに脱出の準備を始めよう。艦内電話もダメか。伝令を送らねば」
バイロンは隣に立つマッケルシーを見つめた。
「水兵。ただちに艦長室に行け。副長達がそこへ向かった。艦長もそこに居るだろう。シュルツ大尉の言葉を伝えるんだ」
「アイアイサー」
バイロンはさらに別の看護兵数名を伝令に指名し、CIC他各部署に報せるように命じた。
艦長室では電気が止まり、幾つかの懐中電灯に灯りを頼っている為、余計に不気味な情況になっていた。
「艦内電話もやられたみたいです。本格的にヤバイかもしれませんね」
グラント兵曹が艦内電話の受話器を元に戻しながら言った。その言葉に強く反応する者が居た。
「ヤバイとはどういう意味だ!」
「艦長、落ち着いてください」
立ち上がって怒鳴る艦長の前にハンターが立ち塞がる。しかし艦長が気を静める気配はない。
「この艦が沈むというのか?そんなことはあってはならん!彼女を見捨てるなんてあってはならん」
そしてそんなところへマッケルシーが駆けつけた。
「艦長!副長!おられますか?」
「マッケルシー!こんなところで何をしている!」
ハンターは再び目の前に現れたマッケルシーに驚いていた。
「ドクター・バイロンの命令で伝令を!シュルツ大尉が負傷されました。消火作業が進まず艦にもう見込みがないと。それで総員退艦を命じるように伝えてほしいと」
その場に居た者は全員が凍りついた。マッケルシーを通じてとは言え、ダメージコントロールの責任者が最悪の事態を回避できないと明言したのである。
「ふざけるな!そんなことは認めないぞ!」
艦長がまた怒鳴った。
「マッケルシー。それは確かか?」
ハンターは艦長を無視して尋ねた。
「えぇ。シュルツ大尉はドクター・バイロンの治療を受けています。彼の口から直接聞きました」
「シュルツ大尉がそう言ったならば、無視するわけにはいかない。艦長。総員退艦を命じましょう」
だが艦長はハンターの提案を受け入れる気などまったくなかった。
「ダメだ!認めないぞ!なんとしても艦を守るんだ!」
「ダメージコントロールオフィサーが無理だと宣言しているんです。今は乗員を守る事を考えてください」
ハンターは必死に説得するがまるで通じない。艦長は他の者には見えないメアリーに完全に心を奪われているようであった。
「いいか!彼女はお前達が不甲斐ないからこんなに傷ついて苦しんでいるんだ。それを見捨てろというのか!お前は狂っている!彼女はずっと戦っていたんだ。敵の銃火の前に立って。ずっと戦っていたんだ!それなのに見捨てるのか!」
「艦長。戦っているのは乗員です。貴方の部下の将兵です。いい加減にしてください!」
まるで治まらない艦長の不可解な発言に部下達も不安を高めていた。そして遂に1人の水兵が漏らした。
「畜生。サイレーンだ。サイレーンの仕業だ」
「落ち着け。ログリィ。無駄口をたたくな」
ハンターは神話に登場する海の怪物を引き合いにだす水兵を宥めようとした無理であった。
「サイレーンが俺たちを海に引きずり込むために艦長を惑わしているんだ!おしまいだ!」
「口を慎めログリィ!いいかげんにしないと海に突き落としてやるぞ!」
ハンターが怒鳴りつけるとログリィはようやく口を噤んだ。それを確認すると再び艦長に目を向けた。
「貴方もいいかげんにしてください。指揮官がしっかりしないから兵が不安になるのです」
「私はしっかりしているぞ。しっかりしていないのはお前達が。海軍軍人が船を捨てるなどできるものか!」
相変わらず会話がかみ合わない。ハンターは決断した。
「仕方ありません。貴方から指揮権を剥奪します。艦長は精神不安定により指揮能力を失ったと判断し、副長である私の権限で解任します」
ハンターの言葉に今度は艦長が目を丸くした。
「お前は本気で言っているのか?」
その時、爆発音とともに船体が大きく揺れた。
斧を片手にロースマン二等兵曹が艦長室を訪れた。彼はいままでダメージコントロールチームの一員として、艦を救うことに力を注いでいたが、それが無理だと悟っていた。そしてそれを確信させた出来事について報告するために艦長室にやってきた。
ノックもせずに艦長室に押し入ると、艦長に加えてハンターとその一行たちは待ち構えていた。
「副長!ここにいらしたのですか?」
「ロースマンか。何事だ?」
ハンターはさきほど揺れた時に怪我をしたのか、頭を手で押さえていた。
「弾薬庫の1つに誘爆しました。隔壁が裂け、浸水がさらに広がっています。このままでは長く持ちません。ただちに脱出を!」
「いよいよ、くる時がきたか。よし甲板集合、総員退艦準備だ。全部署に通達しろ!」
ハンターが命令を下すが、艦長が間に入った。
「そんなものは認めないぞ。今こそ全力で彼女を救う時なのだ!」
艦長の不可思議な台詞にロースマンは目を丸くした。
「彼女?」
「お前にも見えないのか!この艦の乗員たちはふざけた奴ばかりだ!自分の乗る艦の姿も見ることができないロクデナシばかりだ!あぁ、なんたることだ。いつから我が海軍はこんな腑抜けばかりになってしまったんだ」
艦長はその場に跪くと、彼の前に居る見えない“何か”を撫で始めた。
「あぁ、お前はなんと可哀想な子なんだ。1人でこんなに、こんなに傷ついてまでがんばっているというのに…みんなお前を見捨てて逃げようとしているんだ。なんという酷い奴らだ。人でなしどもだ!」
艦長の言葉に、その場に居る者みんなの心でなにかが膨らみつつあった。なにしろ目の前で艦長が、信頼すべき艦長が、みんなの模範たるべき艦長が、公然と部下たちを罵倒しているのだ。ある者は指揮官の乱心を嘆き、ある者は憎しみの炎が激しく燃え始めた。
そして、マッケルシーの心の中で膨らむ“何か”が破裂した。
「ふざけるな…」
それは本当にか細い声で、この騒ぎの中で誰も聞き取りことができなかった。
「みんな、必死にがんばっていたのに…」
マッケルシーの目はロースマンの持つ斧を捕らえた。
「ふざけるな!」
今度は騒乱の中で響く大きな声であった。みんながマッケルシーに気づいた頃には既に彼はロースマンの斧を奪い取っていた。
「よせ!」
マッケルシーの前に立ち塞がったのは実質的にはそのハンターの叫び声だけであった。突然の事に誰も動けなかった。
艦長の前に立ったマッケルシーは渾身の力を込めて斧を振り下ろした。なにかが潰れる鈍い音ともに艦長の身体が崩れた。マッケルシーはさらにもう一回、斧を振り下ろした。胸にあたり、傷口から血が噴出した。返り血でマッケルシーは真っ赤になっていた。そしてもう一回斧を振り下ろそうとするマッケルシ―をようやく周りの者が取り押さえた。ロースマンが真っ赤になった斧を取り戻し、マッケルシ―は床に押さえつけられた。
その一部始終を傍観していたハンターは艦長のもとに駆け寄った。流れ出た血が水溜りになっていた。顔は潰れ、家族でも判別はできそうにない。ドクター・バイロンに診てもらう必要もなかった。死んでいる。
「艦長は敵艦との交戦中に名誉の戦死を遂げた」
自然にその言葉が出た。
「艦長は敵艦との交戦中に名誉の戦死を遂げた」
その言葉に唖然としている他の者たちに同じ言葉を繰り返す。
「いいな?」
副長の意図を理解したかどうかは定かではないが、他の者たちは頷いた。
「よし。これより脱出を開始する。総員退艦だ」
30分後、生き残った者たちは救命ボートの上にいた。彼らは<M.ルイス>から距離をとって離れようとしていた。は屈強な水兵2人に挟まれて拘束されているマッケルシ―は茫然自失といた状態で、一言も話をしなかった。
<M.ルイス>は艦の全体に火がまわり、真っ赤になっていた。
「結局、艦長はなにを見たんでしょうな」
バイロンは隣に座る頭に包帯を巻いたハンターに話しかけた。
「さぁ。私にはわかりません。ただ1つ言えることがあります」
ハンターは首を横に振りながら応えた。
「艦長は乗員が見えていませんでした」
いよいよ全体に火がまわった<M.ルイス>。残りの弾薬庫も誘爆したのか、何度も爆発を起こして瞬く間に海中に消えていった。
<M.ルイス>の生存者たちは三日後に友軍に救出された。艦長の死因については、ただ“戦闘中に戦死”とだけ記録されている。
副長のウィリアム・ハンター少佐は艦隊が用意した艦長職の地位を辞退し、その後は陸上でデスクワークに従事した。その後、彼が軍艦に戻る事はなかった。
生き残った乗員たちは、それぞれ別の艦に配属されて残りの戦争を戦った。
マッケルシー二等水兵は一切の責任を問われることなく、軍の規定に従い除隊し、家族の待つ家に帰った。
寄せられた感想を読みましたが、どうも艦長に注目が集まって、私の意図というものがどうもうまく伝わっていないように思います。自分の能力不足を思い知らされるわけですが、しかし永久氏のようにショックを受けた方もおられる以上、その点については明確にする必要があると思いまして後書きを書かせていただきます。
私の思った疑問とは「艦魂というある種のスーパーヒロインのような存在のために実際に船に乗り込んで戦い死んでいる将兵たちがぼやかされていない?」という点です。
「艦長。戦っているのは乗員です。貴方の部下の将兵です。いい加減にしてください!」
「艦長は乗員が見えていませんでした」
私はハンターのこの台詞でそれを表したつもりでしたが、どうも不足であったようです。申し訳御座いません。