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君の全てが好き!

作者: 悠木 源基

 最初の構想では、ヒロインから授かったとある特殊技術を活用して、主人公が平民社会で暗躍する設定でした。

 しかし、二人の関係性を重視していたら、ヒロインが鈍すぎて、彼女が主人公への気持ちに気付くのに時間がかかり過ぎてしまい、冒険活劇?の方をカットせざるを得なくなりました。

 それで典型的な片両思いの恋愛の話になりました。読んで頂けると嬉しいです。


「フィンペシア=ロッド様、私のどこがお気に召さないのでしょうか?」

 

「気に入らないところなんてないよ。嫌いなところもないし、悪いところも何一つとしてない。

 でも好きなところもないんだ。君は平々凡々で何一つ秀でるところがなくてつまらないんだ。

 君と僕では釣り合わないと思うんだ。だから付き合う事になったら、君を傷付けると思う。だからこの結婚の話は無しにしてもらいたい。

 今ならまだ君にも瑕疵(かし)は付かないだろう? 僕は女性を傷付けたくないんだ。フェミニストだから」

 

 とロッド子爵家の息子フィンペシアが言った。

 普通格上の伯爵家との縁談は喜ぶ所だろうが、自分ならもっと上物(じょうもの)を狙える。彼女よりもっと美女で社交上手な令嬢を。そうすれば自分のスキルアップにも役に立つ……彼はそう思った。

 

「そうですか。わかりました。このお話は無かった事にしましょう。

 キール様、今のお話を聞いていらっしゃいましたよね? 両親に伝える際はご助言お願い出来ますか?」

 

 モニカ=カークスビル伯爵令嬢は隣に立っていた若者に声をかけた。

 

「わかった」

 

 地を這うような不機嫌な声を出し振り向いた若者の顔を見て、フィンペシアはサァーッと青褪めた。

 その若者はオーランド侯爵家の次男のキールで、王都学院の一つ下の後輩だった。

 学院創立以来の秀才と言われ、生徒会の役員で、学院長以下全ての教員から一目置かれている生徒だ。

 しかも濡れ羽色に輝く黒髪にエメラルドグリーンの瞳をした超美形で、そのクールビューティで女生徒達からいつも遠巻きにされている人物。

 その彼が何故このパッとしない伯爵家のホームパーティーなんかに居るんだ?!

 

「何故……?」

 

 何故?という心の声が思わず口から出てしまったフィンペシアに、キールは眉を寄せ、余計に不機嫌そうな顔をした。

 

「何故? このカークスビル伯爵家と我がオーランド侯爵家は親戚です。夫人同士が姉妹なので。これは社交界では結構有名な話なんですよ。そっくり姉妹って。でも、ご存知じゃなかったんですね。つまり私達は従兄妹同士なんですよ」

 

ー従兄妹?! 全然似てない!

 いや似てないどころか正反対だろうー

 

 フィンペシアはこう思っているだろう、とモニカは思った。

 貴族社会どころかこの国の中でも飛び抜けて美しいと言われている従兄と、醜女ではないが、一度会っただけでは絶対に顔を覚えてもらえない平々凡々地味な自分……

 

『まぁいつもの事なので私は傷付きはしません。貴方の反応は当然です。しかし、これは悪手ですよ、フィンペシア様。キールがかなり怒っていますよ』

 

 モニカは気の毒そうにフィンペシアに目をやった。

 キールのクールビューティは一見すると通常モードのようだが、その実本気で怒っているのが彼女にはわかっていた。

 

 一昨日(おととい)諸国外遊から戻ってきて、モニカに結婚話が出ていると知った時のキールの怒りは物凄かった。

 

「何故勝手に結婚の話に乗ったんだ! 俺に相談もなく! しかももう二度もデートしただと!」

 

「親の命令ですもの。断れません。それくらいわかるでしょ? デートといってもうちの薔薇園の散策と、侯爵家が経営しているカフェでお茶を飲んだだけですよ。

 それにどうせこの結婚の話もすぐになくなりますわ、いつものように。その人、デートの途中で何度か()()()に出かけたんだけど、戻って来る度に、私の顔を見分けられずに右往左往していたし…… リアン(侍女)の顔を見てようやく席に戻れたのよ」

 

 モニカはそう言ってクスクス笑った。今までも何度か他の男性とも顔合わせをしてきたが、それらが婚約まで進む事は無かった。

 モニカの顔があまりにも平々凡々過ぎて特徴がなく、しかもいつもオーソドックスで、まるで既製服のような特徴のないドレスを着ているので、彼らは彼女を見分けられなかったのだ。

 故に毎回相手が色々と粗相をし、それをリアンがモニカの両親である主に報告して、すぐ様結婚の話が消滅するのがいつものパターンだ。

 

 まあ今回の顔合わせは、相手方にたいした粗相は無かったので二度会う事になったのだが、多分フィンペシアの方から断ってくるだろうとモニカは踏んでいた。なにせ最初の顔合わせの時の、あのがっかり感と言ったら……

 

『まあ、気持ちはわかりますが、貴族は感情を隠すのが常識なので、あれはいただけないですね。

 何でもキールが入学するまでは王都学院で一番のイケメンだったそうですが、顔だけでは良縁は望めないと思うのですが……』

 

 彼に対しては最初から何の興味もなかったが、初めての顔合わせの時、モニカは彼の事をそう心配した。案の定、今の断り方は非常にお粗末過ぎる。

 フェミニストだから女性を傷付けたくない、だなんてよく言えたものだ。

 

 秀でているものが何もないとか、女性に対して普通言うか? 相手の良い所を探して褒めるのが本来紳士として当然の振る舞いだろう。

 それなのに自分と釣り合わずに気まずい思いをさせたくないなんて、一体何様のつもりだ。ナルシストにもほどがある。

 角を立てない断り方なんていくらでもあるだろうに。

 

 しかも、モニカにだけ聞こえるように囁くならまだしも、招待された家の娘の事を他人にも聞こえるようなトーンで話すなんてもう論外だ。喧嘩売るつもりか? 

 

『ほら、しっかりキールに聞かれているじゃないの』

 

 怒り心頭になっているキールを横目で見ながら、モニカは心の中でため息をついた。

 キールが怒るとそれはそれは恐ろしい。何せ頭がかなり良いので、法に引っかからないやり方で相手を追い詰めるのが得意なのだ。まぁ大概の事には鷹揚でそこまで怒る事はないが、モニカが絡むと豹変する。

 

 それは幼い頃から自分が彼のアシスタントのような立場だったので、少しばかりありがたみを感じているのだろう、とモニカは思っている。

 そう。今じゃ天と地ほど差がついてしまい、立場がすっかり逆転してしまったが、幼い頃はモニカがキールの補佐をしていたのだ。

 

 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤

 

 キールは幼い頃はとても病弱な子供で、年がら年中熱を出してはベッドの中で過ごしていた。そんなキールの相手をしていたのが従妹のモニカだった。

 二人の学年は一つ違いだが、生まれ月は二つしか離れていなかった。しかも屋敷が隣並びで薔薇園で繋がっていたため、両家の行き来が自由だった。二人はまるで双子のように育てられてきたのだ。

 

 モニカは特に姉さんぶるわけでもなく、妹ぶって甘えるでもなく、普通の親友のように自然にキールに接していた。

 

「僕に気を使わないで外で遊んだら?」

 

 キールがモニカを束縛する事を気にしてこう言うと、モニカは不思議そうな顔をしてこう言った。

 

「私はキールと一緒にいるのが楽しいからここに居るんだよ。キールと本を読んだり、お話しするのが一番楽しいもの。

 それに、私の歌を聞いてくれるのもキールだけだしね。兄様達は下手くそって言って聞いてくれないのよ。母様は女の子がそんなに大きな声で歌うなんて恥ずかしいって言うし。歌うくらいならピアノを弾けって。ピアノの練習だってちゃんとしてるのに…」

 

 モニカが頰を膨らませて家族の不満を言う姿は可愛らしかった。

 モニカはカークスビル伯爵家の末娘で、上に三人の兄がいる。たった一人の女の子であるモニカを家族は溺愛していたが、何故か皆素直ではないので、モニカはそんな家族の思いには全く気付いていなかった。

 

 モニカはキールに本を読んであげたくて文字を覚え、キールに子守歌を歌ってあげたくて歌を練習し、キールに食べる事に興味を持って欲しくてお菓子の手作りをし、キールに健康になって欲しくて、食事を残さないようにいつも傍について、彼と一緒に食事をしていた。一人きりの食事ほど辛いものはないと、病気で寝込んだ時の実体験でモニカが思ったからだ。

 

 そんなモニカの献身のおかげか、キールは成長とともに段々と丈夫になっていき、十歳になった頃にはすっかり人並みになり、幼年学校へも通えるようになった。

 

 キールは次第にモニカに守られるのではなく、反対に自分がモニカを守れるような男になりたいと思うようになっていった。

 そして勉強や運動に励み、社交にも力を注ぐようになった。そして元々頭が良く才能に溢れていたキールは、あっという間に学び舎で頭角を現すようになった。すると、色々な人が彼に関わろうと寄ってきたのだ。そんな人々にキールは戸惑った。

 

 そこでキールを守るために、オーランド侯爵家とカークスビル伯爵家は包囲網を巡らし、教育し、そして敵に攻撃を仕掛けた。

 大人の男性対策は両家の当主。

 マダム対策は当主夫人のそっくり姉妹。

 学校関係者や男子生徒対策は兄や三人の従兄弟達。

 ここで困ったのは女子生徒対策だった。キールは今ではそのクールビューティで女性を簡単には近づけさせないが、幼年学校に在学当時は(はかな)い美少年で、見る者全て引き寄せるようなオーラを出していたのだ。

 一応優秀な侍従を付けていたが、彼もまだ子供なので限界がある。入学する前に対策を施せば良かったと皆が思った。

 そしてその反省がモニカに()かされ、それが巡り巡って再びキールを助ける事となった。

 

 キールに続いて翌年に幼年学校に入学したモニカは、まるで影のように学校の中を絶えず動き回って情報を入手しては、キールの侍従であるシャルに伝えた。

 

 モニカはこの国では一番多い灰色がかったブルネットヘアーで、瞳も一番ポピュラーな霞んだ水色をしている。色白でバランスの整った顔立ちは美しい部類だろうが特徴がまるでない。身長も体型もごくごく平均的……

 彼女が何処にいようが誰も気に留め無かったし、彼女がいなくても誰も気付かなかった。そこでモニカは学校内でせっせと諜報活動に励んだ。

 

 そのおかげで、キールは下らない教師や生徒達の派閥抗争に巻き込まれる事も、危険な連中から目を付けられる事も、面倒な女子生徒に絡まれる事もなく、無事に義務教育を修了する事が出来たのだった。

 

 そしてキールが十五になって王都学院に入学すると、今度は社交が必要になり、今度もまたモニカが大活躍した。

 

 幼い頃に家に籠もっていたキールは人見知りで、人と喋るのが苦手であった。しかし、幼年学校へ入ってからは、兄や従兄弟、そして侍従のシャルの特訓によって、どうにかこうにか人並みに話せるようになっていた。しかも、勉強や法律的な事柄についてはスラスラと話せるようになり、討論(ディベート)となるとむしろ誰も彼には太刀打ち出来なくなっていた。

 

 しかしそんなキールも、女性に対する苦手意識だけはなかなか克服出来ずにいた。そこで、モニカがマンツーマンで彼にレッスンしたのだ。

 王都学院に入学したら接触があると思われる女性徒を全員リサーチして、モニカがその一人一人に対する対抗策を作り上げて。

 

 モニカの顔は特徴がないと言ったが、顔立ち自体は整っている。言い換えれば化粧品で特徴を作ればどんな顔にも変えられるのだ。

 モニカの侍女のアニタとオーランド侯爵家のメイドのキミーは、かなりのオシャレ達人だった。二人とも自分自身だけではなく、よその女の子を飾り立てる事に生き甲斐を感じるタイプだった。

 ところが、勤め先には彼女達の活躍の場は無かった。

 当主夫人や嫡男の若奥様には可愛らしさや斬新なオシャレは必要が無かったし、唯一のお嬢様に対してはむしろその反対の作業を求められていたからである。

 

 ところがである。

 キールの女性苦手克服対策の一環として、モニカから思いがけない、とある依頼を受けたのである。二人はそれを聞いて思わず狂喜乱舞したのだった。

 

 やがてアニタとキミーはモニカと共にごくごく一般的な町娘の格好をして、時折街中に出かけるようになった。

 そしてシャルの情報を元にカフェや雑貨屋や洋服屋を訪れては、目的の人物達をさり気なく観察した。

 

「派手派手で目立ちたがりですね。原色好み」

 

「ブランド好きですね。でも似合ってないわ。ポリシーがないんでしょうか」

 

「流行の先端をいっていますね。でも正直趣味悪いです」

 

「かわいいのがお好きな方なんですね。でも、もっと大人びた服の方がお似合いなのに勿体ないです」

 

 観察した後は目的の女性が好むような洋服を古着屋で購入して帰る。一度しか着ないのに新品を買うのは勿体ない。もちろん用がすんだら欲しい人にあげてもいいし、また売りに出してもいいとモニカは思った。(結果的に欲しがる人はいなかったので、それらのドレスはまた古着屋へと回ったのだった……)

 

 モニカはまるで女優のように、要注意人物を順番に演じていった。服装や容姿を似せるだけでなく、特徴的な喋り方や仕草まで覚えて。そしてキールと色々なやり取りをして、こういうタイプの女性に対してはどう会話をすればいいか、どう切り返せばいいのかを特訓した。

 

 モニカ達三人は自分達の成り切り具合を自画自賛し、これで街中歩いても本人だと思われるわよね〜と喜色満面だったが、この訓練は体術の訓練よりもきついとキールは思った。

 思春期の彼にとってはこれは拷問以外のなにものでもなかったからだ。モニカが誰に変装しようが、キールにはモニカ以外には見えなかったし、そのどのモニカも可愛くて愛らしくてたまらなかった。

 モニカを思い切り抱きしめて、キスしたい……その欲望を必死に抑え込んで、彼は特訓に励んだのだった。

 

 そして王都学院に入学後、その特訓の成果は明確に現れ、キールはクールビューティで女性徒からはいつも遠巻きにされている人物となり、女性絡みのスキャンダルに巻き込まれる事はなかったのである。

 

 しかし、しかしである。確かに彼自身の女性問題は無くなったが、その代わりに今度は男性問題に頭を悩ます事となった。とは言えそれは、キールと男性との関係ではもちろん無く、モニカのである。

 モニカはとにかく目立たないようにしていたので、彼女自身が男に目をつけられたり、声をかけられるようになったというわけではない。それなのに、わざと彼女が若い男性と接触せざるを得なくなる状況に(おとしい)れる、とんでもなく迷惑な仕掛け人がいたのである。

 

 それは()()()()()彼女の父親であった。確かに貴族の令嬢であるモニカに縁談話がくるのは当然の事だろう。しかし、どう考えても彼女に似合う相手とは到底思えない話ばかりが持ち上がるのだ。

 しかも、どの話もすぐに立ち消え、婚約まで進まない。もちろん、婚約なんてして欲しくはないので結果オーライなのだが、どうも腑に落ちない。

 何故もっとまともな良い縁談話がこないのか… モニカがかわいそうじゃないか、いや、良い話がきてもぶち壊してやるが……

 

 キールはイライラしていたが、そのうちこの事態の背景が次第に見えてきた。この見合い話には裏がある。

 そして今回の外遊から帰国してすぐに、キールはその黒幕が自分の父親であるオーランド侯爵だと確信した。

 そもそも自分の外遊にいつも付き添ってくれるシャルがいなかった時点で気付くべきだったのだ。

 

 父親に直接詰問すればいいのだが、あの狸親父はきっとのらりくらりとかわそうとするに違いない。それが面倒で手間だったので、隣に住む叔父夫婦の元を訪ねた。

 

「叔父上、どうしてモニカに来るつまらない縁談話を何度も受けるのですか? 本気で(まと)めたいと思っている訳ではないのでしょう?」

 

「ええっ? つまらないかい?」

 

「箸にも棒にもかからない連中ばかりじゃないですか!」

 

「そりゃあ、君から見れば全ての男がそう見えるだろうけど、一応、みんなエリートで()()()()()()だったんだよ」

 

 勿体ぶった叔父のこの言葉でキールはようやく理解した。これはモニカの婚約話に見せかけた、外務部の人材選抜試験だったのだと。

 自分の父親が関与している筈だとは思っていたが、叔父夫婦までかわいい一人娘になんていう事をさせるのだ。彼らにまで怒りが湧いてきた。

 

「叔父上、何故父のためにそこまでするんですか? モニカの不名誉になって、令嬢としての評判が下がっても良いのですか?」

 

「それは大丈夫だ。モニカとの話は元々内々の話で正式なものじゃなかったし、相手方には後で箝口令(かんこうれい)が敷かれたしね。もしばれたら、どうなるかわかるよねって、侯爵が暗部の存在をちらつかせていたから、心配ないと思うよ」

 

……そりゃ完全に脅しだろう!

 叔父上は法務部部長ですよね?……

 

「それにデート場所は両家共有の薔薇園と侯爵家の経営するカフェだったからね。外では見られていないよ。

 ああ、カフェ? いや、あそこにいた客はみんな()()()だ。いや、正式に言えば外務部の特殊機関の職員でね、まあつまり、全員採用試験の試験官だったわけだ」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 モニカの見合い相手は全員、デート場所で一旦席を外すと、なかなか見合い相手であるモニカを見つけられなかった。人物を見分けられないようでは外交官には向かない。彼らは外国での諜報活動も行う必要があるからだ。

 

 外へ漏れないとしてもだ! つまらない男とデートさせられるなんて、やはりモニカが傷付くじゃないか! しかも嘘の結婚話……そうキールが言おうとした時、母親と良く似た顔をした叔母がこう言った。

 

「キール、大丈夫よ。今回が最後よ。もう絶対にやらせないわ。これ以上やったらさすがにモニカにばれるもの。もしばれたら、多分夫もお義兄様もお終いね。二度とあの子に笑いかけてもらえなくなるわ」

 

 叔母の言葉に叔父は真っ青になっていた。両家のたった一人の大切なお姫様に嫌われたら、多分あの二人は立ち直れないだろう。

 

「それにもう、あの子もそろそろ社交界にデビューしないといけなくなるから、いつまでも地味娘を装わせる訳にもいかないわ。だから、諸々の諜報活動も終わりにしないといけないわ。貴方もそれはわかるでしょ?」

 

 うっ、これがブーメランというやつか? 叔父夫婦を責めていたキールは自分に跳ね返ってきたその事実に黙り込んだ。

 

 キールはモニカに諜報活動なんかをさせるつもりはなかった。そう。モニカが本人の意思でキールの為に好きでやっていたのだ。とは言え、やはり無理矢理にでも止めさせれば良かったと、今更ながらにキールは後悔していた。

 モニカの優秀過ぎる諜報活動が自分の父親の目に留まってしまった為に、外交官の採用試験に利用されてしまったのだから。多分自分達がまだ気付いていないだけで、これ以外にも色々と利用されてきたのかも知れない。

 

「お義兄様には今までモニカを守って頂いたから、その恩をお返ししようと我が家も協力してきたけれど、これ以上はもう無理だわ」

 

「僕はモニカに守ってもらっていましたが、モニカが父に守られていたというのはどういう事ですか?」

 

 キールは思いがけない言葉に驚いて尋ねた。

 

「貴方が幼年学校へ入った時、それはもう大変だったでしょ。あの時、私達は皆反省したのよ。世間を甘く見ていたって。そして慌てて貴方を守る対策をとったのだけれど、それを教訓にして早めにモニカの対策を考えたわけ。

 まあ、あの子は貴方ほど目立つわけじゃないし、たかだか伯爵家の娘だから、そう人から注目されるわけがないとは思っていたわ。でもあの当時、貴方達の噂が結構出回っていたから、モニカが目を付けられて危ない目に遭ったり、嫉妬されて虐められるのじゃないかと心配になったのよ。

 そうしたら、お義兄様がモニカを守ると言って下さったのよ。モニカにはキールが色々と助けてもらったからその礼だと言って・・・」

 

「叔母上、噂って?」

 

「貴方とモニカがいずれ婚約を結ぶだろう、って噂よ。多分貴方達の仲がいい事を知っていた親戚筋から出回ったんだと思うけど。まあ、今じゃ誰もそんな事信じてはいないでしょうけどね。二人の差が広がってしまったから。

 でもあの当時はまことしやかにそう言われていたから、私達は不安になったの。そうしたらオーランド侯爵家が美容の高等技術を持つアニタを見つけてきてくれて、彼女に侍女教育を施してくれたのよ。

 そのおかげでモニカは、地味で目立たないように変装する技術を、アニタに指導してもらえたってわけ。

 それに護衛が出来る侍従まで付けて下さったわ。紹介して下さるだけでいいと言ったのだけれど。

 でもその代わりにこんな恩着せがましいことをさせられるのなら、あの時断っていれば良かったわ。本当にお義兄様は腹黒いのだから。

 こうなったら早く本当に素敵な婚約者を見つけて、今度はその方にモニカを守ってもらわないと……」

 

 もし今後も何か言ってきたら、縁を切らせてもらうわと叔母は言った。

 護衛が付くほど、モニカが危険な立場だったという事に、キールは今更だが大きなショックを受けた。まるで後ろから突然頭を殴りつけられたような気分だ。

 

「叔母上、僕のせいでモニカに不自由で危険な思いをさせて本当に申し訳ありませんでした。でも今後彼女が本来の姿を晒しても安全に生活を送れるように、絶対に僕が守ってみせます。だから、僕をモニカの婚約者にして下さい。お願いします!」

 

 キールは叔父夫婦に頭を下げた。すると居間のドアが開いて両親が入って来た。

 

「あらあ、ようやく言ったわね! いつ言い出すのかってヤキモキしたわ。ねぇ?」

 

 オーランド侯爵夫人が大仰にこう言うと、全くね、とカークスビル伯爵夫人も姉と同じように笑顔で頷いた。

 

「えっ?」

 

 意外な反応にキールが戸惑うと、夫人達は例の噂の真相について話し始めた。

 

 病弱なキールに絶えず寄り添ってくれる優しいモニカに侯爵家はとても感謝していて、彼女が息子の嫁になってくれたらと思うようになった。

 しかし、こんなに虚弱で将来まだどうなるかわからない息子と婚約させるのは心苦しいと、それを口にする事は出来なかった。ところが、身内のパーティーで寄り添う二人を見た親戚の者の誰かが、余所でその話をしてしまい、それがあっという間に世間に広まってしまった。

 それ故にモニカが幼年学校に入る際に、侯爵家は彼女を守る手伝いをさせて欲しいと申し出たのである。

 

 しかしそんな事をしてもらうわけにはいかないと恐縮する伯爵夫妻に、侯爵はこう言ったのだった。 

   

「モニカはオーランド侯爵家にとってもかわいい一人娘だと思っている。だから気にしないで欲しい。それにいずれはあの二人はきっと結婚するに違いない。そうなればモニカは自分達の娘にもなるのだから、我々が一緒に守るのは当たり前だろう?」

 

 キールは瞠目した。

 

 キールとモニカが婚約するという噂は、キールが丈夫になって幼年学校に入った頃から自然に消えて行った。眉目秀麗なキールと地味で平凡なモニカでは釣り合わないと言う事らしい。

 ふざけるな。モニカは素晴らしい女性だ。可愛らしくて、優しくて、思いやりがあって、才能に溢れていて、自分には本当に勿体ないくらいだ。彼女がいてくれたからこそ今の自分があるというのに。

 悔しくて腹立たしくてたまらなかった。しかし、両親や兄達はちゃんとわかってくれていたんだなと、その事は嬉しかった。ただ・・・

 

「父上、息子の嫁にと考えている娘に、よく他の男との結婚話なんか持って来れましたね? いくら秘密裏に行われる、国家機密の重要な職員採用試験の為とはいえ。信じられないですよ」

 

 キールが冷たい視線を向けると、父親のオーランド侯爵は悪びれる様子もなくこう言った。

 

「いや、これはね、モニカの外交部の採用試験も兼ねていたんだよ。彼女からいずれ卒業したら、外務部の諜報部門に入りたいって相談されていたからさ。もちろん彼女は文句無しの合格だよ!」

 

「父上!!」

 

 カークスビル伯爵家の屋敷中にキールの怒声が響き渡ったのだった。

 

 

 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤

 

 

「フィンペシア=ロッド先輩、モニカには私がいますからご心配なく。それに先輩にはモニカよりももっと、()()()()()()()()()がいるみたいですから、どうかその方とお幸せに!」

 

 キールは薄笑いを浮かべながらフィンペシアにそう言うと、モニカの手を取って踊り始めた。幼い頃からずっとペアを組んでいる二人のダンスはピッタリ息が合っていて素晴らしいものだった。

 

「ねぇモニカ、君は外交官志望だったの? 今まで聞いた事がなかったんだけど」

 

「あら、伯父様から聞いたの? でも特別になりたいって訳でもないのよ。ただ、キールが伯父様のような外交のお仕事に就きたがっていると聞いたから、そのお手伝いが出来るように、今のうちから勉強しておこうと思って相談しただけなのよ?」

 

 キールの問に、モニカは事も無げにそう言った。

 

「親父の奴、僕の意思を無視して自分の跡を継がせるつもりなんだな。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』のつもりか!」

 

 キールがこう小さく呟くと、モニカがキョトンとした顔をした。

 可愛い。可愛すぎる。

 

 ねぇモニカ。君は僕の事を大事な親友だと思っているみたいだけど、本当にただの友達の為に君はいつもあんなに頑張れるの? それを一度よく考えてみて欲しいな。

 

 キールはモニカと踊りながら、これから彼女との婚約話をどう進めるかの算段を頭の中で色々とシミュレーションしたのだった。

 

 

 そしてカークスビル伯爵家のホームパーティーが開かれた数日後、世界中にセンセーショナルなニュースが流れた。

 長年に渡って世界中を荒らし回っていた窃盗団が一網打尽になり、各国にあったアジトもほとんど摘発されたという。これによって各国で紛失していた貴重な美術品や宝玉、各王家の秘蔵品なども大量に見つかったという。

 

 実はこの窃盗団の頭の逮捕のきっかけを作ったのは、なんとキールだった。

 外務大臣であるオーランド侯爵が外遊に行く時はいつも夫人を伴っていたのだが、今回は出発前日に夫人が高熱を出した為に、代わりに学院が夏期休暇中だったキールが同行したのだ。キールの兄は内務部勤務だったので。

 

 二番目の訪問先ではその国の第二王子の結婚式に参列した。その披露宴の席で国王が長年行方不明となっていた国宝の壺が、とある商人のおかげで見つかったと、嬉しそうに来賓に向かって話をした。

 その商人を見た時、キールはその男が容姿を作っている事に気が付いた。そしてその男の隙のない動きと、まるで狩りでもするかのような鋭い視線に、彼が商人なんかではない事を見破った。

 

 キールはまだ十六歳だったが、これまで自分の身を守る為に人を観察し、見抜く訓練をずっとしてきたのである。彼はそれを父親に告げた。

 そしてキールの父親であるオーランド侯爵が、以前から懇意にしているその訪問国の宰相に、そっとそれを耳打ちした。その宰相は他国にも名を馳せている程優れた宰相であったので、すぐに行動を起こした。

 疑うそぶりを見せずに商人を自由に行動させながら、密かに彼らの監視を続け、その間に国宝だというその壺を鑑定してもらった。その結果、案の定それは紛い物だった・・・

 

 宰相の命で秘密裏に盗賊団の頭を捕らえると、その盗賊団のアジトを調べ上げ、各国に通達して、逃げられないように一斉に摘発したのだった。

 

 各国はその宰相を褒め称え、感謝の言葉を述べた。ところがその宰相は名誉を独り占めする事なく、この盗賊団摘発の立役者が、他国の外務省関係者だという事をばらしてしまった。

 本来外交官が世界中に素顔や身元が晒される事は喜ばしい事ではない。仕事上不利益になるからだ。

 しかし諜報活動をする者は最初から素顔を隠している。そしてキールも父親の外遊に付き添う場合は、モニカ秘伝の変装技術で全くの別人になっていたし、経歴も作っていたので、そこは問題がなかった。

 ちなみにキールがそれまで変装していたのは、諜報活動の為ではなく、他国の王族や高位貴族の女性の目を欺く為だったのだが。

 

 こうして国内外で高い評価を得たキールは、国王に謁見する事となった。さすがに国王には、その優秀な外務部の職員の正体が知られてしまっていたからである。

 しかしこの時キールは、本心では国王なんかに会いたくはなかった。自信過剰ではなく、自分がこの国に必要な駒として見なされた事を冷静に判断していたからだ。

 もしそうでなければ、まだ学生でしかも嫡男でもない自分が宮廷に呼ばれる訳がない。そして自分を手放さない為に彼らがどう出るか…

 

 冗談じゃない。相手の思う壺になんか絶対になってやるものか! 

 国の役に立ったその礼がこちらの不利益だなんて、そんな理不尽許してなるものか。

 巨大な相手に勝つためには先手必勝だ。遠慮はしない。

 

 

 父親と共に王城に呼ばれたキールは、この度の盗賊団の壊滅と属するの捕縛に大きく貢献したとして、陛下にお褒めの言葉を頂いた。そして褒美を取らすが何がいいかと尋ねられた。

 この国にあったアジトも摘発されて、王宮博物館から盗難にあっていた貴重な国宝や、高価な宝玉類も多数元に戻り、陛下はとても機嫌良くしていた。

 

 そこでキールは完璧な礼をした後で、物怖じせずこう言った。

 

「私は本当に大した事はしておりません。がしかし、もしこの国に少しでも貢献できたのでしたら、国民の一人として嬉しく思います。

 そして好きな褒美を下さるというのでしたら、それは品ではなく、私の結婚を陛下に認可して頂けたらありがたく存じます」


 国王は瞠目し、一瞬戸惑う表情をしたが、慌てて顔を作った。

 

「そなたには結婚を望む相手がいるのかね?」

 

「はい。まだ正式に婚約はしておりませんが、幼き頃より私を支えてくれた相手であり、今回手柄を立てられたのも、その彼女のおかげです。両家の家族も私達の結婚を望んでおります」

 

 キールがこう答えると、陛下は何故かため息をついた後で、

 

「あい、わかった。

 来月の王宮パーティーに、そなたと婚約者を招待しよう。そこでそなた達の婚約を余が発表しよう」

 

 と言った。

 キールは恭しく頭を下げて礼を述べたのだった。

 

 オーランド侯爵は城からの帰り道、馬車の中で機嫌よく笑った。

 

「キール、さすが、私が後継者と認めた息子だ。してやったな。さっきの陛下の顔を見たか?  

 褒美だと言いながら、見てくれだけがいい、甘やかされた我儘姫なんかを押し付けられたら、こっちはたまったもんじゃない。不良債権なんかいらんわ。なぁ?」

 

「父上、不敬罪で捕まりますよ」

 

 一応そう父親を窘めながらも、キールは父親と同じ思いだった。もし無理矢理に王女を押し付けられそうになったら、モニカを連れて他国へ逃げようかと本気で思っていたので、取りあえずホッとした。

 とはいえ、キールはオーランド侯爵を睨み付けながら、こう言うのも忘れなかった。

 

「父上、何度も言っていますが、僕は外務省に勤めるとはまだ決めていませんよ」

 

 しかし、父親は息子の話など全く聞いてはいなかった。

 

 

 

 そしてキールが王城に呼ばれていた頃、モニカは秋薔薇がチラホラと咲き始めた薔薇園の中で右往左往していた。気持ちが落ち着かずに、居ても立っても居られなかった。

 それはお茶の時間に兄達がしていた会話が原因だった。

 

「キールの奴やったな! 褒美って第二王女との婚約だぜ、きっと」

 

「ああ、第二王女がキールに夢中だって有名だったもんな。しかし、王家じゃ、隣国の第三王子から婚約の申込みがあって、王女の望みを叶えてやれないって、困ってたんだろう? しかし今回の事で隣国に恩を売った上に、姫の相手が今回の功労者となったら、隣国も諦めざるを得ないだろうからな」

 

「だけど、それも変な話じゃないか? 功労者であるキールの希望はどうなるんだよ。別にあいつが第二王女との結婚を望んでいるわけじゃないだろう? あんな我儘姫をもらっても、いい事ないじゃないか。

 侯爵家は兄貴が継ぐから、キールは伯父上が持っているもう一つの子爵位を継ぐのだろう? 子爵位くらいじゃ姫様の満足する贅沢はさせてやれないんじゃないか? 不満ばっかり言われて、キールがうんざりする未来が見えるぜ」

 

「陛下が山程の持参金を持たせてくれるんじゃないか? ほら、第二王女は寵姫が産んだ姫で、陛下が溺愛してるって話だし。

 それじゃなかったら、伯爵位くらい貰えるかもよ。キールのおかげで国宝が五つと、金銀財宝を取り返せたんだからな」

 

「なるほど。それはあるかもな」

 

 確かに学院でもキールが第二姫と婚約するのではないかという噂がいつの間にか流れていた。

 モニカはそんな事があるわけないと高を括っていたが、三人の兄達の話を聞いてそれが既定路線のように思えて動揺した。

 

 どうしよう。キールが第二王女の婚約者に選ばれてしまったら。

 あんな我儘で自分本位の女性と結婚させられたら、キールの繊細な神経がもたないわ。きっと心身共に疲れ果ててまた体調を崩してしまう。そしてせっかく天が与えて下さったたくさんの能力も、発揮出来なくなってしまうわ。

 今までキールに相応しくない方々からせっかく彼を守ってきたのに、よりによってあんな最低な女に取られるなんて…… どうして?

 キールは今までずっと頑張ってきたのに、その褒美があの王女との結婚だなんておかしいわ。理不尽だわ。許せないわ。

 

 第二王女はモニカの王都学院の同級生だったので、彼女の人柄はよくわかっていた。

 学園の中では皆平等。身分の上下は一切無しが暗黙のルールであったのに、王女は宮廷同様に学院内で振る舞った。

 自分が許しを与えた者にしか喋らせなかったし、気に入った者としか交流をもたなかった。下位の貴族などは相手にもせず、自分の思い通りにならない事があるとすぐに癇癪を起こした。

 モニカはこの王女の行動パターンを調べ上げ、出来るだけキールと接触しないように、今までとても苦労してきたのである。それが全て水泡に帰してしまうのだろうか……

 

 モニカが珍しく苛つき、動揺し、悲しむ様子を、兄達は顔には出さなかったが、心の中でニヤニヤしながら眺めていた。

 

 侯爵家に到着したので、キールが馬車から降り立つと、薔薇園の方からモニカが走ってくるのが見えた。

 彼女は運動神経が良く、足も速いが、母親と伯母から厳しい淑女教育を受けているので、ドレスのままで庭を走るなんて、今までした事はなかった。

 そして彼女の後ろから侍女のアニタも酷く驚いた顔で、必死に後を追って駆けてくるのが見えた。

 何かあったのか! キールは一瞬ヒヤッとした。そして彼の目の前までやって来た彼女の様子をじっくり観察した。

 彼女は真っ青な顔をして、酷く不安そうな、怯えたような顔をしていた。そんなモニカの顔を今までキールは見た事が無かった。

 

 キールは慌ててモニカの肩に手を置いて、彼女の顔を見つめながら尋ねた。

 

「どうしたんだい? 何かあったのかい?」

 

「えっ?」

 

「顔色が悪いよ。具合が悪いのかい?」

 

 モニカはブルブルと激しく頭を振った。そんな仕草も彼女らしくない。キールは眉間に皺を寄せて語気を強めた。

 

「モニカ、一体どうしたの? 何があったの? 僕には言えない事?」

 

「違う。私は、な、何にも無い。何かあったのはキ、キールの方でしょ。だ、第二王女殿下との婚約は決まったの?」

 

 モニカはどもりながら、モゴモゴとこう言ったので、キールは目を見開いた。何故モニカが第二王女との事を心配しているのかが不思議だった。実際に王宮では王女の話なんかは一切出なかったし。

 いや、意図的にキールが出させなかった。何故なら名前が出たら面倒な事になるのがわかっていたからだ。名前さえ出なければ、王族のプライドを傷付ける事もないのだから……

 

 ふと伯爵家の二階の窓を見ると、従兄弟達がニヤニヤしながら手を振っている事に気が付いて、なるほどとキールはこの事態を察した。

 

 冷静沈着というより、いつもおおらかで穏やかなモニカが自分を心配して慌てふためいている姿に、キールは心の中で歓喜していた。彼女には申し訳ないけれど。

 モニカが王女との事を心配してくれている。それが嫉妬なのかどうかはまだわからないが、それでも自分の事でこんなにも動揺してくれる事が嬉しかった。

 

「中で話したらいいんじゃないのか?」

 

 オーランド侯爵の言葉に二人は頷いたのだった。

 

 そしてキールから、王女との結婚話などは一切出なかったと聞かされたモニカはようやくホッとした。

 しかし、その後、キールの頼みを聞いたモニカは愕然とした。そして、生まれて初めて彼女の心が悲鳴を上げた。

 なんとキールはモニカにこう言ったのだ。

 

「来月の王宮の舞踏会に招待されたので、タキシードを作りたいんだ。明日いつもの店に一緒に行って、見立ててくれないかい?」

 

 侯爵家と伯爵家は同じ仕立て屋を利用していた。そしてキールが服を新調する時は、いつもモニカがついて行ってアドバイスをしているので、もちろん、と彼女は頷いた。

 するとその頼み事に続いて、キールはこう言ったのだ。

 

「それとね、舞踏会に行く時、恋人をエスコートするつもりなんだ。だから、その恋人にドレスをプレゼントしたいんだけど、女性のドレスの事はサッパリわからないから、それもモニカにアドバイスを貰えたら嬉しいんだけど。モニカの衣装センスは抜群だから。いい?」

 

……恋人って誰?

……いつの間に恋人を作っていたの?

……何故今までそれを私に黙っていたの?

……私達は親友だよね? それなのに何故教えてくれなかったの?

 

 モニカの頭の中で、まるで金属がガンガンと棒で打ち付けられているような音がした。

 

 

 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤

 

 

 王宮の舞踏会の前日、侯爵家のメイドのキミーがモニカを呼びに来た。衣装が届いたので、最後のチェックをお願いしたいと。

 何でそこまで自分がしなくてはいけないのか、正直情けない気持ちになったモニカだったが、依頼を引き受けた以上は最後までやり貫くべきだろう。

 未だに恋人も紹介してもらえない自分の存在なんて、友人どころか、既に単なる幼馴染み、いや単なる従妹に過ぎないのかもしれない。それでもキールには嫌われたくないと思ってしまう。

 もし彼に嫌われたら、自分がどうなってしまうのか、正直モニカはわからなかった。

 

 この一月ほどモニカは苦しくて苦しくて仕方が無かった。誰かに相談したかったが、友人達にキールの話をするのは憚られた。彼はこの学院で一番の有名人であり人気者なのだ。しかも国からも期待されている将来有望な人物だ。そんな彼に迷惑をかける可能性がある事は絶対にしたくはなかった。

 

 そこでキールの次に長い付合いのアニタに、モニカはキールとの関係について相談をした。すると、アニタは優しい顔でこう言った。

 

「お嬢様、いつまでも逃げていてはいけませんよ。もうそろそろご自分の心に聞いてみて下さいよ。お嬢様がキール様をどう思っているのか? そしてこれからどうなさりたいのか?」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 モニカは両手を胸の前で組むと、目を瞑った。そしてキールの姿を思い浮かべた。それは一般的なクールビューティの作られた笑顔ではなく、モニカの前だけで見せる頼りなげにはにかむ顔、そして優しい笑顔……

 自分はキールのそんな笑顔が見たくて、彼のその笑顔を独占したくて彼のアシスタントをしていたんだ。

 

『そうか、私、キールが好きだったんだ。馬鹿だなあ、今頃になってそんな大事な事に気付くなんて』

 

 モニカはアニタの前で初めて声を出して泣いたのだった。

 

 侯爵家のサロンでモニカを待っていたキールは、既に仕上がったばかりのタキシードに着替えていて、その姿はとても素敵だった。

 王宮の舞踏会ならば、成人していれば燕尾服を着るのが正装なのだろうが、彼はまだ十六歳なので、伯母のアドバイスでタキシードを選んだ。

 華やかで美しいキールには、却ってシンプルなデザインの方が似合うとモニカは進言したのだが、やはりそれは正解だった。形はオーソドックスだったが、生地は最高級の物を選んだので、光沢があって、とても綺麗で、キールをさらに引き立てていた。

 

 キールの服選びはこれで最後にしようとモニカは思った。そして、キールの最後になるであろうお願い事もはっきりと断ろうと決心した。

 

「私にそのドレスは着れないわ。だって、そのドレスはキールの恋人の為のものでしょう。それならちゃんと本人に試し着をしてもらうべきだわ」

 

 モニカは決死の覚悟でそう断ったのに、それを聞いたキールは、嬉しそうに、そして恥ずかしそうにこう言った。

 

「そう、これは僕の最愛の人の為に、最愛の人の希望通りに作った最高のドレスなんだよ。だから君に着てもらいたいんだ。だって、君が僕の最愛なのだから。

 モニカ、このドレスを着て、明日の舞踏会に僕の婚約者として出席して欲しい。僕のお願いをきいてくれるかい?」

 

 モニカがこの世で一番好きな、モニカの前だけで見せる頼りなげな、はにかむような、優しい笑顔でキールは微笑んだ。

 モニカは少しの間呆然とその笑顔を見ていたが、やがて何度も何度も大きく頷いてから、思い切りキールの胸に飛び込んだのだった。

 

 そしてその翌日、タキシード姿のキールは、色はパールホワイトとおとなしめではあるが、パフ袖のかわいらしくも上品なイブニングドレス姿のモニカをエスコートして、王宮の広間に現れた。

 あまりにも美しくて初々しいカップルに、その場にいた全員が注目し、ざわついた。

 

 不本意ながら命令で仕方なく、毎日モニカをわざと平凡な地味顔に仕上げていたアニタは、今日から思い切り最高のメイクが出来ると、朝からとても機嫌が良く、本番の出来は最高だった。

 元々モニカの素顔はとても整っていて美しいのだ。そしてそれにほんの少し手を加えるだけで、見違えるような絶世の美女になるのだ。

 

 あのオーランド侯爵のご子息がエスコートしている美しい淑女は一体誰なんだ? 見たことがないぞ。

 デビュタント前か?

 それとも他国から連れてきたお姫様か? 

 

 みんなは好き勝手に予想をしたが、それらの予想はどれも外れてしまった。

 国王陛下から、オーランド侯爵家のキールとカークスビル伯爵家のモニカが婚約したと発表されると、広間には驚きの声があがった。

 

「あのお二人がまだ幼い頃から結婚する予定になっていた、という噂は本当だったんだな」

 

「だからキール殿は女性を近づけなかったんだな」

 

「あんなに綺麗で素敵な婚約者がいたら、そりゃ他の娘によそ見はしないだろう」

 

「それにしても本当にお綺麗なお嬢様ね。よく今まで誤魔化してこられたわね」

 

「そりゃ、あのご令嬢が本来の姿でいたら、心配で心配で仕方なかったでしょうよ、侯爵家も伯爵家も……」

 

「それはそうですわね!」

 

 ざわつく広間の中でファーストダンスを踊りながら、モニカはキールにこう尋ねた。

 

「ねえ、キールは私のどこが好きなの?」

 

「全部!」

 

 そう答えた婚約者を、モニカは胡散臭そうに見た。

 全部と一応言っておけばいいだろうと思っているんでしょ。面倒くさいと思っているんだわ、きっと。

 でもまあ、好きと言ってくれるのならまだいいかも。嫌いじゃない!よりは遥かにいいものね。

 

 モニカが何を考えているのか察したキールは、少し不機嫌そうな顔をして、

 

「フィンペシア=ロッドの台詞と比較しないで!

 あんな奴と違って、僕は本当に君の全てが好きなんだから!」

 

 まずそう言ってから、キールはモニカの耳元でこう囁いたのだった。

 

……あいつは君の素晴らしさに何一つ気付けなかった愚か者だ……

 君の髪がどんなに柔らかくて手触りがいいか……

 君の瞳がどんなに光り輝いているか……

 君の口がどんなに優しくて思いやりのある言葉を紡いでくれるのか……

 君の歌声がいかに人の心を癒やしてくれるのか……

 君の頬がいかに滑らかなのか……

 君の手がいかに温かいのか……

 

 だけど僕はそれを全部知ってるよ……

 そして君がそんな自分の良さや、僕を愛している事になかなか気付かないくらい、自分の事に対してだけ鈍感な事も……

 だけどね、

 僕はそんな君の全てが好きなんだ……

 


 諸国外遊から戻ってきたキールは、モニカのお見合い話を聞いて激怒した。そしてすぐに相手の男を調べようとした。

 しかし、その時点で既にその男の調べはほとんどついていた。キールの外遊には付かなかった侍従のシャルが早々と動いていたからだ。偶然にモニカの見合い話を知って、国に残ったらしい。

 出来る侍従である。主にとっては外交の成果より、片思いの相手の方が大切だと言うことを把握しているのだから。

 

 フィンペシア=ロッドはモニカと見合いする前から、彼女とは別の、華やな美女である伯爵令嬢に熱をあげていた。そして何度かのアプローチの末、ようやく彼女に受け入れてもらった。フィンペシアは幸せ一杯の中で、モニカとの話を断ったのである。

 しかし彼の幸せな期間はそう長くなかった。何故ならこの見合い話は息子が外交官希望だという事を知った父親が、外務大臣であるオーランド侯爵の親類であるカークスビル伯爵に、頭を床に擦りつけて頼み込んた見合い話だったからである。

 それを父親に相談もせず、失礼な言葉で見合い話を断ったのだから、父親は怒り狂った。

 しかも、彼の恋人の父親が、例の強盗団に関与していた罪で伯爵位を取り上げられ、財産没収され、その上投獄されてしまったのだ。

 娘自身は事件に関与していなかったし、フィンペシアは彼女とはまだ婚約していなかったので、特に罪に問われた訳ではないが、彼の信用は地に落ちた。

 

 その後彼は何度もモニカに接触しようとしたが、シャルや他の護衛達に妨害されて、その目的が叶う事はなかった。いやそれどころか、侯爵家や伯爵に余計に睨まれる事となり、彼の官吏への道は完全に閉ざされたのだった。

 

 しかし仕事は他にいくらでもある。それに、彼の理想通りの華やかな彼女は、彼にべったりとくっついて、彼から離れる事はなかったので、きっと彼も幸せになるに違いない。


★(設定変更のお詫びです……)

 母親同士が双子の場合、血が濃すぎるとご指摘を受けましたので、普通の姉妹と変更する事にしました。認識が足りず、申し訳ありません。


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