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東の森の中にある家から、伊織とタジアムを乗せた箒は真上に飛んだ。こうすれば森の中にいる危険な獣に遭遇することもない。
「今日はよく晴れているから見晴らしがいいね~」
『うむ、爽快だな』
タジアムも同意してくれたので、伊織は笑顔のままさらに言葉を紡いだ。
「風の抵抗をなくして、一気にいく? それともゆっくり旅を楽しもうか」
タジアムに尋ねてみたが即答された。
『一気だな。昼は弁当があるが、夜の用意はしておらぬのだろう? ならば早く家に帰りたい』
また家の上空にいる状態なのに、早くも帰ることを考えているとは。
(ちょっと餌付け、やり過ぎたかな……?)
少々後悔する伊織だった。
遥か遠くに見える街は、今日も賑やかそうだ。久し振りに人と会えると思えば、嬉しさもあり緊張もありで心臓がヤバいくらい高鳴っている。
「じゃあ、いくよ~」
タジアムは伊織の肩から箒の先へと飛び移り、前方を見据えるように座る。
「特等席だね」
風の抵抗をなくす魔法をかけて最初はゆっくり飛び、慣れてくると徐々に加速した。
「見えてるからすぐに着くだろうね。歩くと野宿とかしないと駄目な距離だよ」
『少し離れた場所で降りた方がいいぞ』
それには賛成だ。風の抵抗をなくしたとはいえ、少し身だしなみを確認してから人に会いたい。
伊織の視線の横にキラキラした光が追いかけてくる。
『青の魔女、どこ行く?』
『楽しいことする?』
風の精霊たちだ。久し振りに彼女たちを見た。
「うん。あの街に行くの」
伊織は前方に見える街を指さした。
風の精霊が前を見て、はしゃいだ声を出す。
『グリーンライト、行く?』
「グリーンライト?」
『あの街の名だな。辺境伯の名がそのまま街の名になる』
タジアムの補助のような説明に、伊織は無言で頷いた。
ではあれは国ではなく街なのか。街にしては、もの凄く大きいように見える。グリーンライト辺境伯が治める領地ということか。
ならばウィドマーク王国はかなり巨大な国と言えるのだろうなと、伊織は思った。
『私も行きたい』
『行きたい』
『一緒、いい?』
風の精霊たちに問われるが、伊織は悩む。彼女たちは果たして人間にも見えるのだろうか? それとも姿を自分たちの意志で見せたり隠したりできるのか?
「タジアム……どうしようか」
『うむ。精霊は普通の人間には見えぬ。だがごく稀に声が聞こえたり姿が見えたりする者もいるようだ。だが余程の魔力の持ち主ではない限りは見えぬだろう。そう心配はいらぬ』
これは連れて行っても大丈夫と受け止めてもいいのか。
(ま、どうにかなるか)
伊織はそう考えて頷いた。
「いいよ」
『キャハハハ』
『楽しい』
『ありがとう』
風の精霊たちが伊織の周りに集まる。少し多い数に伊織は顔を引き攣らせたが、大丈夫と言った手前いまさらどうしようもない。
(ま……、どうにかなるか?)
見える人が現れないことを祈ろう。
一時間ほど飛んで高い城壁が目の前に迫ってきた頃、ゆっくり道へと降りた。外壁まで三百メートルほど手前だ。
「タジアム、どこか変なところない?」
『家を出る前にも確認していただろう? 一時間では変わりようもない』
辛辣な言葉を発しながらも、タジアムは一応ちらりと視線をこちらに向けて確認してくれる。
『大丈夫』
『可愛い』
風の精霊たちは素直に応えてくれる。
大丈夫だと声を出そうとしていたタジアムが、少しばかり顔を顰めた。先に言われて少々ご立腹のようだ。
伊織が小さなタジアムの頭を指先で撫でてやると、プイッとそっぽを向く。だが肩に飛び乗ってきたので、機嫌は少し直ったようだ。
伊織たちはゆっくりと門へと歩き出した。手には乗ってきた大きな箒を持って。
東から歩いてくる伊織を門番が目視した。
「え……、東から?」
一人の門番が驚愕したような声を出すと、皆が道を歩いてくる伊織を注視する。
「……ねぇ、何か見られてない?」
『見られているな』
「そ、そうだよね」
思わず伊織は立ち止まってしまった。
何故見られているのか伊織にもタジアムにもわからない。風の精霊に視線を向けても、皆『キャラキャラ』と笑っているだけだ。
少しばかり不安は残るが、ここに居ても仕方がない。なので、ゆっくりと再び歩き始めた。
門から延びる道は三つ。伊織が歩く東、その他に北と南。多くの人は南から伸びる道からきているようだ。
だから列ができているのも、自然と人が多い南へと延びている。
「何で並んでいるのかな? あ……もしかして中に入るのに身分証とかいる? 私、持ってないよね?」
タジアムも風の精霊も伊織の疑問には応えてくれない。というか、この場にいる誰もがその答えを持っていなかったのだ。
「もしかしたら領内に入るのにもお金とかいるんじゃない? そ、それは考えてなかった……」
愕然とした声を出す伊織だったが、門のすぐ側まで着いてしまった。
「お譲ちゃん、一人で東からきたのかい?」
門番の人が伊織に声をかけた。
「あ、はい」
「…………」
門番は怪訝そうな顔で伊織を見る。
「見た目は人間だが、もしや……魔物か?」
「馬鹿か、そんな訳あるか」
パンと後ろから頭を叩かれて、門番が頭を抱えて蹲る。しばらくして立ち直った門番が顔を上げて叫んだ。
「隊長っ! 痛いじゃないですかっ」
「こんなに可愛らしい子を魔物と一緒にするからだ」
それにしても彼らの身長が高いのが気になる。今の伊織は十五歳。少女ともいえるし大人ともいえる微妙な年頃だ。
生きる世界が変わってしまったので、この世界というかこの国の成人年齢もわからない。
今の伊織の身長は百五十センチ以上はあると思う。でも百五十五センチはないと思うのだ。日本でも十五歳で百五十五センチ以下は小さい方かもしれない。いや、標準なのか?
女の子の成長は早く止まるというし、実際伊織も日本では十二、三歳で身長は止まってしまった。ちなみに前世では百六十センチ身長はあった。
(百九十センチはあるんじゃないかな……)
目の前でやり取りする門番をじっと見上げていた。
自分たちを黙って見ている伊織に気付き、隊長と呼ばれた男性がにこりと笑む。
伊織もそれにつられるように微笑みを浮かべた。
「見ない顔だけど、初めて街にはくるの? それとも違う門から入ったことはある?」
「は、初めて来ました。もしかして身分証明書とかいりますか? 何も持ってないのですけど……」
横に伸びた列を気にしながら伊織は質問に応えた。
皆ただ列をなしていることが退屈なのだろう。伊織たちのやり取りを、もの珍しそうに見ている。
「そうか、初めてか。身分証はギルドに行けば発行してくれるよ。それがあれば次回からは手続きなしで入れるけど、今回は初めてだから仮の入領書が必要なんだ。その……お金がいるけど、どれくらい持っている?」
伊織の恰好を見て、それほどお金を持っているとは思わなかったのだろう。門番がすまなさそうな声を出した。
「お、お金……」
持っていない。どうすればいいのか。
「ちょっと、中で話そうか」
「えっ!?」
伊織は腕を掴まれて壁の中にある小部屋へと連行されるのだった。