49話 最後だから。
「……秋ちゃん……」
「こんばんは、ハル君」
不意打ちだった。
目の前に佇むのは、俺の彼女じゃない。
同じ着物姿だというのに、冬香とはまた違って印象を覚えさせてくれる美少女だった。
「今、ハル君一人なの?」
静かに問うてきながら、秋ちゃんはこちらへと歩み寄ってくる。
俺は顔をそむけるようにして、首を小さく横へ振った。
「い、いや……」
「てことは、瀬名川さんと一緒?」
「……まあ、そうなる……」
「……そっか」
穏やかな口調で言って、秋ちゃんはわずかにうつむいた。
彼女が何を思い、どんなことを考えてるのか、深くはわからない。
大方、マイナスなことを考えてる。だから俺も凄く気まずい。
そう思ってたのだが、秋ちゃんはクスッと笑った。
「アタシさ、ハル君に浴衣姿見せるって言ってたよね? 覚えてる?」
「……ま、まあ……」
「一応勘違いしないで欲しいんだけど、ああは言っても、別にハル君のこと追いかけてたりとか、ストーカーしてたとか、そういうわけじゃないからね? 今日こうして会えたのはたまたま」
「それは大丈夫。俺もそんなこと思ってないから。わかってる。たまたまだよな。たまたま、たまたま」
「うん。そう。だから、すぐにどっか行く。……どっか行くから、少しだけ……話したい……。瀬名川さんが戻ってくるまで」
「……で、でも……」
「大丈夫。アタシがここにいたってことはわからないタイミングでどっか行くから。ね、いいでしょ?」
「………………」
どうにも答えづらかった。
俺は何も言わず、無言でゆっくりと頷く。
ただの会話だっていうのに、妙に背徳感があった。
それもそうだ。つい最近まで、俺はこの子と冬香とで、大いに揺れていたんだから。
「ありがと。やっぱり優しいねハル君は。ぶっちゃけ、他の人だったら断っててもおかしくないよ」
「別に優しくはない。てか、こういうのに優しいもクソもないと思うんだけど……。断るってのも、なんか拒絶してるみたいで嫌ってだけだし」
「ははっ。じゃあ作った優しさじゃなくて、天然の優しさってことだ。ハル君は優しいよ。自分でも気付いてないみたいだけど」
「………………」
そう言われてもだ。
気恥ずかしくなり、頭を軽く掻く。
「……けど、そういう優しさはさ、時々ちょっとズキッとくる……」
「……え?」
「あ、き、聞き流してくれていいんだけどね……!? ……アタシ振られたし、振られたのにこうやって付きまとって……面倒くさい女って自覚あるし……」
「………………」
「……でも、その……なのにハル君はこうやって受け入れてくれるから……離れるに……離れられない……っていうか……」
「…………っ……」
だからといって秋ちゃんを極端に嫌ったりする素振りを見せるのは、少し違う。
それが俺の考えだ。
なのに、そんなことを言われてしまったら、こっちとしてもどうしようもなかった。
何も言えない。
……けど。
「……秋ちゃん……」
俺は空を見上げたまま、自分から口を開いた。
「……?」
「……こういう時、高岸とかみたいに恋愛経験が豊富だったら、もう少しマシなことが言えると思うんだけど、俺なりに思ったこと、ちょっと言っていいかな……?」
「……うん」
「ラブコメアニメでさ、ハーレムエンドってあるよね?」
「……ふふっ。うん」
しんみりした雰囲気だけど、秋ちゃんはちょっと笑った。
俺も自分の今話してることがどれだけ場違いなことか、よく理解していたから、軽く頬を緩ませ、続ける。
「ああいうのって、大抵主人公が優しすぎたり、誰か一人を決められなかったりして、そう言う終わり方になるわけじゃん?」
「うん」
「その、正直なんだけど、俺も最近まではそういうの見てイラっときてたんだ。誰か一人に決めろって、すごい思って」
「わかるよ。うん」
「……けど、ごめん。ほんと思いあがるなって話なんだけど、自分がいざこうして二人から好きって言ってもらえたら……正解がわかんなくなった……」
「………………」
「……秋ちゃんも……俺にとってはすごく大事な人で……けど……やっぱり誰か一人ってなったら……傍にいっつも冬香がいて……それだと秋ちゃんのところからいなくならないといけないのに……俺……なんかそれが怖いんだ……」
「……ハル君……っ……」
「……優しいって何なんだ……? 結局は傷付きたくなくて、思い出を壊したくなくて、俺、自分本位なだけなんだよ……。だから、優しいなて言葉……かけて欲しくない……。結局、恋愛に優しいなんてないんだよ……」
「……っ……」
苦虫を嚙み潰したかのように、俺はうつむいて目を閉じ、眉間にしわを寄せた。
どうにもできない。主観的なハッピーエンドなんて、結局は負の感情の上に成り立ってるものだ。
それを今、秋ちゃんからまざまざと思い知らされた気がした。
なのに俺は……。
――と、そうやって苦しんでいる俺の肩に、そっと手が置かれる。
「……ハル君……。顔、上げてよ。別にアタシ、ハル君に苦しんで欲しくて話してるわけじゃない。むしろ逆だから」
「……そんなこと……言ったって……」
「………………」
少しの沈黙が流れる。
祭りを楽しむ人の声、屋台の店主の声、花火の音。
それらが混ざり合い、賑やかな音だけが向こうから聞こえてくる。
そろそろ冬香が戻ってきてもおかしくない。
「じゃあさ、最後に瀬名川さんの好きなところ、聞かせてくれない?」
「……え?」
「どんなところを好きになったかとか、ちょっとだけでいいから」
「……な、なんでそんなこと……?」
「いーから。ね、早くしないと戻ってきちゃうよ。冬香ちゃん」
「っ……」
意図は汲み取れなかった。
けど、俺は彼女の要求を促されるままに飲み、一つずつ、好きなところを言っていく。
もしかしたら機嫌を損ねられるかもしれない。
そう思っていたけど、終始秋ちゃんの顔は晴れやかで、うんうんと頷いてくれていた。
三つほど言ったところであろうか。向こうから、こっちへやってくる人影が見受けられた。
「戻って来てるね、瀬名川さん」
「!」
「それじゃあハル君、アタシはもう別のところ行くね」
「………………」
「本当に、今までありがとう。明日からは……もう話しかけないから」
「あ、秋ちゃん……」
「いいの。それじゃあ」
手を振って、闇世の中に消えていこうとする秋ちゃん。
が、俺はそんな彼女の背を最後の最後でまた、呼び止めた。
一つだけ、言い忘れていたことがあったから。
「浴衣姿、すごく可愛かった」
秋ちゃんはクスッと笑う。
「何それ。今言うことじゃないでしょ」
「っ……!」
「でも……うん。ありがとう」
――『大好きだったよ。ハル君』
そんな言葉を、最後に秋ちゃんは言ってくれた気がした。
大きな花火が打ち上がり、音と光が彼女を、いや、俺たちを包み込むのだった。




