31話 バカみたいだ。
一際波の打ち付ける音が強くなったような気がした。
辺りは仄暗く、夜の訪れをこれでもかというほどに教えてくれる。
そんな世界の中、俺は呼吸をするのすら忘れていた。
呼吸を気付かぬうちに止め、それに比例するように思考もストップし、体も硬直する。
目の前に立っている冬香が……いや、彼氏がいるはずの幼馴染が何を言っているのかわからなかったのだ。
「……好きなの……シュンのことが……」
どうやら聞き間違いだとか、そういうことではないらしかった。
その言葉が嘘であるという雰囲気も少しだって感じられない。
ようやく捻りだした想い。
それを体現するかのように、彼女は体を震わせ、小さく縮こまっていたのだ。
こんな冬香の姿は……小学生の時以来だった。
「……高岸がいるのに、か……?」
問うと、冬香は首を小さく横に振った。
「……ごめん……ほんとにごめん……。それは……違うの……。私、ずっと嘘ついてた……」
「……嘘?」
「……うん。……私、この学校にナツタロウって名前の男子がいるだなんて思ってなくて……。いないはずの男の子のこと想定して……彼氏がいるって嘘ついてた……」
「……え……?」
「……だから、ナツタロウ様も……乙女ゲームの中の登場人物……。誰とも付き合ってたりとか……してない……」
「はっ!? はぁぁっ!?」
驚愕の事実だった。
ひっくり返るんじゃないかというほどの驚き。
冬香も俺と同じ方法で嘘の恋人を作り出していたということらしい。
あまりに驚いたもんだから、俺も俺で割と大きめな声を出してしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ冬香! そ、その、色々ツッコミたいことはあるけど、まず最初にこれだけ聞かせてくれ! お前、一昨日夜の公園で高岸と抱き合ってたよな!? あいつも夏太郎だけど、それはどういう意味なんだよ!?」
「あ、あれは――」
冬香は一部始終を俺にしっかりと教えてくれた。
前々から冬香は夏太郎と接点があったのは確か。けど、それは告白を断り、友達になることすら避けた冬香に、夏太郎が「友達になってくれれば、青山春也の彼女の秘密を教える」と言ってきたからだというのだ。
それがなければ、冬香は高岸夏太郎を徹底的に避けていた。抱き合ってたのも、夏太郎に秋ちゃんの下の名前を教えてもらったショックから泣いてしまい、奴が勝手に慰めるためか抱いてきたのだという。
要するに、勘違い。
ずっと一途に想い続けてきた。そこに揺らぎはない。
それを教えてもらい、俺は言い難い感情に襲われた。
――安堵、罪悪感、情けなさ、呆れ。
それらがすべてごちゃ混ぜになったものだ。
相変わらず高岸夏太郎という男に関しては数々の疑問が浮かび上がってくる。
けど、そんなことはいったん置いといていい。
冬香はずっと俺のことを好いていてくれたんだ。ずっと、ずっと。昔と変わらないまま、ずっと……。
改めてそう思うと、勝手に涙が込み上げてきた。
俺は首を前に折り、表情が少しでも見えないよううつむく。
「……はっ。……なんだよそれ……。嘘とか……いきなりすぎるだろマジで……」
「ごめん。……私のは、言いたかっただけだから……気にしないで……。シュンにはもう彼女がいるし……」
「……」
「だ、だから私は大丈夫! ふ、振られたみたいなも――」
「一つも大丈夫じゃねえよ!」
震えた声で強がり、作り笑いをする冬香。
そんな冬香を前に、俺は叫んだ。
「一つも大丈夫じゃない……。一つも大丈夫じゃないんだ……」
「……っ……」
「俺だって……っ!」
ずっと冬香のことが好きだった。それは今も変わらず。
……なんてことは……言えない。
これは嘘をついた罪過のようなものだ。
そもそも、こんな感情のまま秋ちゃんと向き合うこともまた罪のように思える。
俺はどうしていいか何もわからなかった。
せっかく冬香の本音が聞けたのに。冬香が思い切って告白してくれたのに。
〇
帰る道中、電車の中で冬香とは一言も言葉を交わさなかった。
別に怒っていたからとか、そういうわけではない。
表現し難いものがあるが、取り繕うことなく率直に言うのならば、何と声を掛けてやればいいのかわからなかった、というのが正しい。
きっとそれは冬香も同じだと思う。
もっといえば、お互い罪悪感に駆られていたんだ。
どうして嘘なんてついてしまったのか。
どうして早い段階で思いの丈を打ち明けなかったのか。
どうして誰かを傷付けてしまったのか。
重ねて言うが、そこに怒りなんてものはない。
あるのは、重く漂う自責の念。
バカみたいだ。本当に。
そんなことを何度も何度もグルグルと考え、俺は車窓から見える黒を死んだような目で眺め続けるのだった。
これにて二章は終わりとなります。
最終は四章、あるいは三章内で……?とか思ってます。
終わりも近付いてきていますが、なにとぞよろしくお願いします。




