13話 冬香と秋奈子と勘違いと数学と……
修羅場、という言葉を聞いたことがあるだろうか?
もちろん聞いたことがあるだろう。言い争いやら、暴力やら、とにかく平和じゃないバチバチした雰囲気が流れる、できるなら回避したいようなそんな場面のことだ。
そんな修羅場に、今、俺は直面していた。
人通りの少ない静かな教室棟に位置する空き教室。
そこにある机を合わせること二つ。……ではなく、三つ。
目の前には困惑色を浮かべる相生さん。
隣には…………真顔で負のエネルギーを発してる冬香さん。
そう。昨日通話で言ったように、冬香は本当に俺たちの勉強会についてきたのである。
いや、正確にはついてこられた、という方が正しいか。
帰りのホームルームが終わるや否や、俺たちの教室にべったりと張り付いてきた。
これじゃあ逃げることもできない。状況がまったく飲めないといった相生さんに、「俺もよくわからないけど、とりあえずわかる範囲で後で説明する」とだけ伝え、空き教室まで一緒に三人で移動したというわけだ。
道中、冬香を求めるナツタロウに会いやしないかひやひやしてたけど、幸い遭遇することなく、空き教室まで辿り着くことができた。
教室を出る際、宮田に意味深なニヤニヤ顔を向けられていたが、もうあいつは無視した。
そういうことがあり、今こうして俺たちは異色のメンツで集まっている。
――アキナコちゃんという架空の彼女がいることをうたっておきながら、本物の秋奈子さんに勉強を教わろうとしている俺。
――ナツタロウという完璧イケメン彼氏がおり、俺にアキナコちゃんという彼女がいると思っているはずの幼馴染、瀬名川冬香さん。
――何もわからず、タオルを貸したお礼として俺に数学の勉強を教えてくれているクラス一の美少女、相生秋奈子さん。
いくら何でもカオスすぎる……。
既に相生さんが俺の言う彼女だと、冬香は認識しているのだろうか? 美少女で有名人だし、相生さんの下の名前を知っててもおかしくはない。だったらもう完全に勘違いされてる状況!? マジでこれどうなってんだーっ!?
「えーっと……、それで青山君……? この子は?」
気まずすぎる空気の中、俺が一人で懊悩していると、相生さんがそんな空気を打ち破るかの如く申し訳なさそうに口を開いた。
「……理系クラス所属の瀬名川さんです……って、いだだだだっ!」
言った直後、隣に座る冬香に手の甲をギューッとつねられる。
つい、大きな声を出してしまった。
「理系クラス所属で、青山君の幼馴染の瀬名川冬香です」
そしてわざわざ言い直すかのように淡々と自己紹介する冬香。
幼馴染って情報紹介が果たして今いるのかは疑問なのだが、まあいい。
「うん。瀬名川さんだってことは知ってるよ。知ってるけど、そうじゃなくて……なんでここに……?」
またしても申し訳なさそうに、しかし今度は言葉を慎重に選びながら言う相生さん。申し訳なさがすごい……。
「ごめん。シュン、元々私と勉強する約束してたから」
いや、してませんけどね。
いかにも確かにあったかのように真顔で言い切る冬香さん。
「え、でも、青山君昨日の通話だと勉強する約束は誰ともしてないって……」
「い、いやぁ! ええとね、約束はしてたといえばしてたんだけど、瀬名川さん他の人と急遽勉強することになったから俺とはできないって言ってたんだよ! だから相生さんと約束したってことでさ! あははははは!」
頭をフル回転させ、瞬間的に言い訳を紡ぐ。
隣の冬香からは潤んだ瞳でキッと睨まれ、目の前の相生さんは安堵の表情を浮かべてくれていた。
ごめん、許して冬香! だってお前彼氏いんじゃん!
「な、なーんだそういうことかぁ」
「あ、あれぇ? そうだったっけ? 私、他の人とするとか、そんなこと言ってないんだけどなぁ」
「――!!!」
おいいいいいっ!
「え、青山……君……?」
みるみるうちに安堵した表情が困惑したものへと逆戻り。
冬香は冬香で向こうを向いて下手くそな口笛を吹いている。
ちくしょう……こいつ……!
「お、おっかしいなぁ! そういえばちょっとあの時家のケータイの電波が悪かったからなぁ! もしかしたら通話してる時に声にノイズが入って他の人とやるって聞こえたかもしれないなぁ!」
苦しすぎるのは自分でもわかってる。けど、瞬間的に浮かんでくるのはこの程度のものだった。
――ダメか……。
「なーんだ、そっかぁ」
なんかいけた。
またしても安堵してくれる相生さんだが、この子実はかなりの天然なのではないかということも判明。
これで騙せるとか将来的に悪い詐欺にでも引っかかりそうだ。
「そうそう! いやー、ごめんごめん瀬名川さん! 電波は今度しっかり直しと――」
「でも、私あの後家に行って勉強の約束したよね? ほら、動画もあるし」
『じゃあシュン、また明日勉強教えに行くね』
『おう! それじゃあまた明日な!』
「中学の頃のやつじゃねーかよ! ていうか、なんでそれ録画してんだ! 違う、違うからね相生さん!」
思わずスマホから見せてくる動画にツッコむ俺。
相生さんは困惑と安堵を機械みたいに繰り返し、冬香はうーっと唸って頬を膨らませていた。
「そ、そもそもシュンには……その……、アキナコちゃんっていう彼女がいるんでしょ……?」
「――っ!」
――マズい!
「相生さんと二人きりでとか……いいの?」
「……え?」
「? なに? いるんでしょ? アキナコちゃんっていう彼女」
もじもじとし、うつむき加減になりながら言う冬香に、俺は脳内を一瞬ストップさせてしまった。
だってそうだ。
その発言は、相生さんの下の名前が秋奈子だということを知っていればまず出てこない。
が、同時にそれはもう一つの勘違いを生み出す原因にもなって――
「あ、青山……君……。アタシ、」
「あーっと! ご、ごめん! ちょっと冬香、お前に返さなきゃいけないものがあった!」
「え、ちょっ!」
俺は頬を染める相生さんのその言葉の先を遮るようにして、冬香を連れ去り、教室から出た。
とても勉強なんか行える状況じゃない。
わかってはいたものの、心音は鳴り止まなかった。




