12話 秋奈子ちゃんは数学が得意
中学三年までの間、俺はいつもテストが近付くたび、冬香に数学を教えてもらっていた。
当時はまだ不仲だということもなかったから、あいつは進んで俺の勉強を見てくれていたわけだ。
けどまあ、そうやって教えてもらうだけで俺も何もお返しをしなかったとか、そういうわけではない。
反対に冬香は冬香で暗記科目が苦手だったから、暗記のコツとかを教えてやったりしていた。
それで俺たちは互いの弱点を補い合い、不仲になりつつもその時の勉強の貯金を使う形で受験に合格。
今の高校に通っているというわけだ。
だから――
『青山君、飲み込み早いねー。うんうん、そういうことだよー』
スマホから聞こえる相生秋奈子の声。
まさか冬香についた嘘の二次元彼女さんから数学を教えてもらうことになるとは思ってもいなかった。
どうすんだよこの状況。ていうか、俺も何本当に勉強教わってるんだよ。
「あ、はは……。そ、そうっすかね?」
『えー? なんでいきなり敬語ー? 嫌だなー、距離感じちゃうなー』
いや、元々俺とあんたは三次元と二次元っていう越えられない境界線の元でわちゃわちゃし合ってただけであって、距離感あるのは当然なんですよ。
――なんてことが言えるはずもない。
電話口の向こうにいるのは、紛れもなく三次元の相生秋奈子さんであり、俺の考えるギャルゲーの中のアキナコちゃんではないのだから。
「い、いやー、こうして教えてもらってると先生と生徒みたいだから、つい敬語になっちゃって」
俺は作り笑いし、当たり障りのないことを口にする。
さっきからこんなのばっかりだ。超やりづらい。
『何言ってんのー。アタシはお礼として数学教えてるだけだし、先生とか思ってくれなくていいからね。じゃあ、次の問題やっていこっか』
「あ、はい」
確か、ゲームの中のアキナコちゃんもこんなキャラだった。
美少女であり、一匹狼気質がゆえに同性の友達が少なく、クラスメイトの男子からは好かれているものの、女子からは嫌われている。
一部の人間からは男をとっかえひっかえしてるとか言われてるが、根は真面目で成績優秀。
そして………………実は処〇……。
『青山君? シャーペンの音が聞こえなくなったけど?』
「っ! す、すいません! ゲームの中の話です!」
『ゲーム? なに、アタシに隠れてゲームしてたの~?』
「そういうわけでもなくて! ちょっとゲームのことで考え事してたっていうか!」
『あはは。集中してくれないとダメだよ~? あと、敬語は禁止。次敬語使ったら、明日デコピンしちゃうかんね?』
デコピン……。相生さんからデコピンか……。うむ、悪くない。
――じゃなくって!
「ごめん。ちょっと集中する。バカなこともう考えねーわ」
『ぷっ。バカなことぉ? 何考えてたのかなー、青山君?』
「いや、何も。とにかく集中する! Xの三乗だなこれは!」
『違う違う。四乗だよ(笑)』
とまあ、こんな感じでドタバタしつつも、通話を介した勉強会は進んでいくのだった。
〇
『じゃあ、今日はとりあえずこんなところで大丈夫かな?』
「ほんとにありがとう。想像以上に進んだし、理解度もえぐい」
『あはは。そう言ってくれるとすごい嬉しい。教える甲斐もあるよー』
相生さんとの勉強会は、休憩を含めて三時間ほど続き、そして今終わった。
時刻にして23時。
他の科目もやりたいといえばやりたいのだが、数学で赤点を取れば元も子もない。
勉強するべきなのだから、この時間の使い方は間違っていないだろう。
「それじゃあ、今日はこれで――」
『あ、あのさ!』
お開きにしようと思った時だ。
突如、相生さんの声に阻まれ、俺はビクッとする。
「ん、なに?」
『その、明日……なんだけど、放課後って時間あるかな?』
「え、放課後?」
『う、うん……。誰かと勉強するとか、そういう約束があるんなら全然いいんだけど……』
「いや、ないけど」
『ほんと!?』
「うん」
テンションの上がったり下がったりが激しいな。
思わず苦笑してしまう。
『な、なら、明日の放課後はちょっと空き教室使って一緒に数学の勉強しない?』
「え……!?」
い、一緒にリアルで……!?
『いや……かな……?』
「あ、え、ぜ、全然! 嫌じゃないんだけど、その、俺なんかが相生さんと一緒にいるところ見られたら、男子とかから勘違いされないかなー! ……なんて」
『それは大丈夫。人通りの少ないところ選ぶから』
「あ、ほ、ほんとに?」
『うん! それならいい?』
「ま、まあ……」
俺が了承すると、相生さんの声は上擦ったものへと変わった。
『じゃあ、また明日一緒に勉強しようね! ばいばい!』
「うん。おやすみ」
通話は切られ、静かになる。
静かになったタイミングで、俺は背もたれに深くもたれかかり、だらしなく天井を仰いだ。
「……なんか変なフラグ立ってないか……? 俺の勘違い……?」
約束を取り付けた瞬間、相生さんはめちゃくちゃ嬉しそうにしてた。
ギャルゲー的に……いや、ギャルゲー的に言わなくても、一緒にいられる時間を喜ぶって、それもう好きな人だからなんじゃない?
「いや待て落ち着け。相生さんが俺のことを好きとかそんなこと――」
と、言いかけたところで持っていたスマホがバイブし始める。
確認すると、画面には冬香の文字が表示されている。
勢いよく上体を起こし、通話部分をタップ。
「あ、も、もしもし?」
『……随分……仲良さそうだったね』
「……へ?」
『女の子と三時間……? ずーっと通話してて、楽しそうだったね』
「――!!!」
震える声で放たれた冬香の言葉に衝撃を受け、俺は思わず椅子から立ち上がってしまった。
「ふ、冬香さん……、もしかして……ずっと聞こえてたんですか……?」
『聞こえてたよ。特に最後なんてよーく聞こえてた。人通りの少ない空き教室使って、二人きりで数学の勉強するんだ』
「あ……あぁっ……」
全部聞かれてたらしい。
家がすぐ隣だから、それも可能っちゃ可能だ。
俺はその場で膝から崩れ落ちる。
これ以上拡大させるつもりのなかった嘘がこのままでは拡大してしまう。俺がアキナコちゃんと付き合ってるという事実を確かなものにされてしまう。
そんな絶望感から、俺は床に膝をついた。
もうダメだ。
そう思った矢先だった。
『……その勉強会、私も行く』
「……え?」
『その勉強会、私も行くから』
「へ!? えぇっ!?」
なんで!?
そう聞こうとしたのだが、聞き返す前に冬香は通話を切ってしまった。
どういうことなのか聞こうとして、その後に何度も俺の方から通話を試みるものの、冬香は結局出てくれなかった。




