第十話 探降者拠点
その後色々とあって、僕とレナは「探降者拠点」という建物へ入ってみることにしたのだが。
もう、なんというか。
「ここが入口かな?お邪魔しまs」
「ようこそ探降者拠点へ。本日はどのようなご要件でしょうか?」
――あまりにも早い接客対応だった。
なんとなくの流れで件の建物――「探降者拠点」の扉を開いた僕らは、まさかいきなり話しかけられるとは思っておらず、二人揃って固まることになる。
扉を開けて約一秒。
現状を説明するのであれば、扉の脇に立っていた制服姿の女性が、疾風の如く僕らの接客に入ったという形である。
これはもう従業員の教育が行き届いているとか、従業員の練度が高いとかそういうレベルではない。待ち伏せとか不意打ちとか暗殺の派生系だ。
長閑な田舎で生まれた僕にしてみれば、都会のお店ではこれが普通なのか……と戦々恐々である。
「あ、や……。ごめんなさい、要件とかは特に無くて……、その、なんとなく入っただけと言いますか。この建物の周りだけ、やけに雰囲気が違ったので」
僕はしどろもどろになりながら言葉を返す。
事実、僕ら二人がこの建物に入った理由など存在しない。強いて言えば、お金を稼げそうなチャンスをあてもなく探していた、なんて回答が正しかった気もするが、兎にも角にもその程度だった。
僕は改めて、目の前に立つ女性を見つめる。
「……黒い、髪」
その女性の容姿は非常に特徴的で、世にも珍しい黒髪黒目。少なくとも僕の人生の中では初めて見る。
首元辺りで切り揃えただけの、女性にしてはやや無骨なヘアスタイルと、何を考えているのかよく分からない虚無のような瞳が印象的だった。
美人、という意味で女性としての魅力は上限一杯まで振り切っているが、しかしそれはそれとして、魅力以上に無機物と顔を合わせているような不気味さを思わせられたのは、きっと気のせいではない。
僕の口から咄嗟に慣れない敬語が飛び出たのも、恐らく彼女のそんな雰囲気によるものではないか、と思う。
「む?要件が、ない……ですか」
そんな黒髪の美女は僕の言葉を聞いて、困ったような表情を浮かべる。
理由もなく謎の建物に入った僕も僕だが、しかしそれだけでそこまで困惑されると此方も困るというもの。
とはいえ適当な返事も思いつかない為、僕は目の前に立つ女性の続く言葉を静かに待つことにする。
「『要件の無いお客様の来店対応』……」
何かを思い出すかの如く、虚空を見つめる無機質な瞳。
僕らへの対応に悩んでいるようにも見えるが、しかし放置して貰えればそれで良い、というのが此方の本音ではある。
僕らは店の中を見たいだけで、特別な対応を求めている訳では無い――
「――マニュアルにはありませんね。申し訳ありませんが、一度お引き取り願えますか?」
「なんですと」
まさか速攻で追い出されるとは思わなかった。
一度「ようこそ」と言われた以上、勝手に入ってはいけない建物だとは考えにくいが。
好奇心旺盛なレナは一層うずうずしたような表情を浮かべると、僕の一歩前に出て交渉を始める。
「あの、私たち悪いことをしに来た訳では無いんですけど――」
「お引き取り下さい」
「少し中を見ていくとか――」
「お引き取り下さい」
「実は中に知り合いを待たせていて――」
「お引き取り下さい」
「お姉さんめちゃくちゃ美人ですね」
「お引き取り下さい」
「うんレナこれ無理だ。大人しく帰ろ?」
諦めた方が良いって絶対に。
だってこの人もう「お引き取り下さい」しか言わないもん。普通に無理でしょ。てか会話になってないし。
僕は、黒髪のお姉さんとの問答を繰り返すレナの肩を軽く叩き、潜ったばかりの入口に戻るという選択肢を選ぶことに決めた。
結局ここが何の為の建物だったのかは気になるが、しかし意地を張る場面でもない。
ややムキになっている気がするレナを宥め、僕はお姉さんに背を向ける。
が、丁度そのとき。
「ごごごごめんなさいニャお客様!!!ウチの新人がとんだご無礼を!!!」
黒髪美人さんとはまた違う、一人の女性の声が届いてきた。
振り向くと奥の方から、ドドドドという足音と共に此方へと駆けているのが見える。
「スキナ!お前またお客様を追い返そうとしてたニャ!?」
「マニュアルに無いお客様で対応が分からなかった。勝手に対応すると確実にお客様を怒らせる自信があったので、その前に追い返した方が良いかなと思った」
「最悪を避ける為にそこそこの悪手選ぶのヤメロっていつも言ってるニャロ!?」
わぁと、急に周りが騒がしくなった。
たった今現れた女性が、あまりにも勢いよくスキナと呼ばれた女性の襟首を振り回す為、僕は彼女の頭が飛んでいく様子すら錯覚する。
しかしそれでも無表情を続けているあたり、恐らくはまだまだ余裕があるのだろうと推測できた。
勿論のこと、喧騒の中心は僕らではない。
だけれども、辺りの厳つい連中の視線が此方へと向くのが分かった。
二人の店員(?)の巻き添えか、僕までジロジロと見られるのはとても勘弁願いたい。何故か「アイツ、もしかして……」なんて聞こえてくるけど、僕らここに来るの初めてなんで絶対に人違いです。
僕とレナが置いてけぼりにされる中も、彼女らの言い合いは止まらなかった。
黒髪の女性はあいも変わらず生気を感じさせぬ瞳を浮かべ、対して「ニャ」という癖のある語尾をつける女性は生命力に満ち溢れた声色で暴言を吐きまくっていた。
「……」
「……」
僕とレナは無言で顔を合わせる。
あぁ、傍若無人なレナの困った顔とはなんとも珍しい。
ガレリアに到着して初日からこんな機会に出会えるなど、やはり都会とは恐ろしい所だなと思う僕だった。
「結局僕らはここから出ていった方が良いのかなぁ……?」
と、これは僕の独り言。
別に質問として発した言葉ではなかったが、しかしスキナと呼ばれた女性の顔がグリンと僕の方へと向き、返事は飛んでくる。
「はいその通りですお客様。お出口はそちらに」
「お前いい加減黙れニャ!!」
一致しない意見。迷走する展開。はてさて何をどうしたものだろうか。
「分かったスキナ、お前は取り敢えず受付の仕事に戻るニャ。案内は100年早い――というか向いてないニャ」
「そう?そこそこ才能あると思ってた」
「にゃはは、面白い冗談だニャ。ほら邪魔。引っ込むニャ」
あしらい慣れているのだと分かる一連の会話に、シッシッと追い払うゼスチャーがよく馴染む。
ちなみにスキナさんの自賛の言葉が冗談ではないことは、彼女のことをよく知らない僕でもハッキリと分かった。恐ろしいことに、あの人は間違いなく自身の才能を確信している。
しかし互いにある程度の上下関係はあるらしく、スキナさんは大人しく奥のカウンターに戻っていった。そして残った猫人の女性は、僕らと向き合い口を開く。
「いやぁ、お騒がせして申し訳ないニャ。普段はこんなに――にゃ、普段もこんな感じか。……とにかく歓迎するニャン、好奇心旺盛なお客様がた。訳も分からずこんなクソみたいな建物に入ってくるとは、中々に将来有望ニャ」
「ふふっ、よく分かりませんけど褒められるのは嬉しいですね!」
「ほ、褒め…?褒められるの……?」
どちらかというと、自虐の色を強く感じた気もするが。
「ミャーはミニャルって言うニャ。お二人様のその格好、さては外から来たばかりってとこニャ?」
「そうです。到着したのもついさっき、なくらいで。僕はアルメリアって名前で、こっちが――」
「レナリーです。よろしくお願いしますね、ミニャルさん」
レナは僕の言葉に合わせて、笑顔で名乗る。外面の良さと本質に差異があるのは、人であれば当然かもしれないが、とはいえレナのそれは過剰が過ぎた。
お淑やかにするな、素で喋れよ……と僕は思う。
「にゃ、にゃ。アルメリアにレナリー……覚えたニャ。ここの案内はミャーがバッチリやるから心配は要らないニャ。当然、追い出したりもしないにゃあ」
「ありがとうございます」
僕はお礼を告げつつ、軽く頭を下げた。
あわや追い出される寸前にいた僕らにしてみれば、ツイてると考えずにはいられない。
「……にゃあ」
顔を上げて再びミニャルさんと目を合わせると、彼女は何故か困った表情で僕を見ていると気づく。
「にゃー……その、失礼なことを聞くんだけど、レナリーは女の子で間違いないニャ?」
「当たり前じゃないですか。この圧倒的胸部の膨らみが目に入りませんか」
と、胸を張ってみせるレナ。レナのそれも小さい部類ではないが、圧倒的かと言われると苦笑せざるを得ない。
ミニャルさんと比べればかなり大人しいし、武器にするには程遠いだろう。
もしかすると、猫人の平均から比べるとレナの胸は小さ過ぎるのかもしれないな、と僕はぷーくすくすと笑う――
「わ、分かってるニャ。本当に聞きたいのはアルメリアの方で、その……お前は男か女、どっちにゃ?」
「圧倒的に男ですが????」
本命の質問はこっちか。
「アル……っ!w」
笑うなお前ハッ倒すぞ。
「はーん、6:4で女かと思ってたニャ」
「え、僕ってそんなに男らしくないですか?ズボン脱ぎます?見ます?証拠見ます?なんなら触っても良いですよ???」
「ちょ、止めなさいアル……っ!ムキになる気持ちは分かりますが、それはセクハラです!明らかにミニャルさんに悪気はありません!」
レナの声に、僕ははっと我に返る。
女性を泣かすまいと努力してきたのに、僕自身の言葉で相手を泣かせでもしたら本末転倒ではないか。
くっ、思い返せばなんて酷い発言だろう。
僕は慌ててミニャルさんに謝罪をしようとして――
「にゃ?触っていいのか?にゃら遠慮なく」
「え?」
「え?」
――唐突に、僕の股間にくすぐったい感触が走った。
ズボン越しに三度ほど揉みしだかれ、僕の脳内はハテナで埋まる。
なんだろうこの未知の感覚は。自分で触れるのとは全く違あふん。
「にゃあ……。ホントにツイてるニャ。疑って悪かったニャ少年」
「な、ななななななななな!?!?わ、私ですら、え、えぇ!?」
「何か不味かったニャ?」
「いえ僕的には全く問題ありませんよ?いやぁ疑いが晴れて良かった良かったもうホントに」
「何ニヤついてるんですかバカ!!ハレンチ!!」
「ごめんにゃ?ミャー、自分で確かめないと信用出来ない性格なのニャ」
「う、うぅぅぅぅぅうう!!!!!」
何やらレナがうるさいが、ともかく全ての疑惑を払拭したことで、僕の心持ちは清らかそのものである。
さぁさぁ本題に入ろうではありませんか。
「それじゃ中を案内するニャ。……といっても大したものは無いけども。ここが何の為の建物か、辺りから話せばちょうどいい感じに伝わると思うにゃー」
と言われ、僕らは奥の席へと歩いていくのだった。