第六話「守勢の攻防」
相対するヴィーさん――ヴィオレが一瞬だけ朱里へと視線を向けてから微笑む。誘いに乗らないのであれば、と言う事だろう。
「先輩!」
「動かないでね?」
そう言ってヴィオレが杖を一振り。すると、風の刃が現出し、朱里を掠めて飛ぶ。予想通り、魔術の範囲内だったようだ。
「朱里、動くな。ヴィオレさん、交渉の余地があると思っても?」
「えぇ、構わないわ。あと、私の事はヴィーで」
リア様の言葉が正しければ、棄教するのにリスクはない。だから改宗する事でこの窮地を脱出出来るのであれば、積極的にそうすべきだ。理性はそう告げているのだが、感情は納得してくれない。原因はリア様の精神干渉だろうか。それとも、あの髪に対する個人的な感情だろうか。
「私の目的は人界の女神の使徒。貴方がこちらについてくれるのなら命まで取る気はないの」
「僕が改宗すれば、朱里はしなくとも良い、と言うのであれば受け入れる」
「朱里ちゃんは使徒じゃないんでしょ? だったら別に構わない」
あ、これダメなヤツだ。
朱里の改宗はデメリットが大きい。命には代えられないとは言え、やらないに越した事はない。
「私も使徒ですよ、ヴィーさん」
「あれ、でも使徒は1人って聞いてたんだけど。増えたの?」
「いいえ。私は別の神の使徒です」
「なんでばらすかな……」
最悪、朱里は置いていくから改宗しなくてもいいよね、、と言う感じで納められないかなと考えていたのに、その可能性を潰されてしまう。朱里は文字通り、命をかけて引っ付いて来るつもりのようだ。
「……まさかあのふざけた神擬きの使徒だ、と?」
「朱里、地雷踏んだっぽいぞ」
「嫌われてますね、こっちの神様。いえ、私もどちらかと言えば嫌いですけど」
「そう言えば僕も嫌いかも」
異世界誘拐拉致監禁犯だしね、と思いながらヴィオレを観察する。地雷を踏んだ割に怒りは見えず、むしろ困惑しているように見える。
「……やむを得ない事情で信仰を強要されている、と言う事?」
「間違ってはいないと思います」
「信じていない神を信仰するなんて、理解不能だわ」
信仰し、使徒とまでなっている神をそんな風に言い捨てるのが理解できないらしい。日本人の宗教観は特殊だし。神が実在する世界では意味不明で理解不能でも仕方がない。
「ここで始末しておく方が良い気がしてきたのだけれど……」
「お互い、考える時間を取りませんか? <銃撃>」
「なっ! 早い!?」
朱里に向けた風の刃の仕返しとばかりに、掠めるように魔術を行使。意識がこちらに向いたのと、朱里が逃げたのを確認して煙幕と追加の銃撃を幾つか放つ。風の刃で反撃されるが、なんとか攻撃のあたらない位置への退避が間に合った。
「話合いを再開したくなったら大声で呼んでくださいね!」
「あぁ、もう。失敗した。
まぁいいか。袋のネズミである事に変わりはないし、じっくり追い詰めてあげる」
ヴィオレの言葉と位置を確認しつつ、逃亡の為に捨てたらしい朱里の荷物を回収。通路の一番奥へと移動する。円状通路ではなく出口方面の通路に陣取っているヴィオレからは一番遠い位置だ。
「どうしましょうか?」
「一応、作戦はある」
戦う為の作戦じゃなく、逃げる為の作戦だけど。まぁ、向上した身体能力任せに走るだけなので作戦と言えるかも怪しいか。
声を潜め、大まかな説明する為に口を開こうとした瞬間、洞窟内に大きな声が響き渡る。
「決めた。
大人しく出てくれば命までは取らない。ただしこの場で棄教して貰う事が条件」
あまりよくない結論が出てしまったようだ。そんな風に考えながら、時間を稼ぐべく、こちらも声を上げる。
「棄教って、どうやるんですか」
「方法は私が知っているから大丈夫よ。痛くしないから安心して」
棄教した振りとか出来ないかな、と言う考えは見透かされているようだ。どうしようかなと考えながら朱里へと視線を向けると、紙とペンを差し出される。そう言えば作戦の説明が出来なかった事を思い出し、最低限必要な事を伝えておかなければと紙にペンを走らせる。
「実は私、棄教すると命が危ないんです」
「そんな見え見えの嘘で誤魔化そうなんて、私も甘く見られたものね」
「いえ、本当なんですけどね」
朱里の言葉を受け、何か考えているのだろうか。反響音だけが洞窟内に響いている。
「うーん。嘘はついていない、ような気はするけどダメ。神が信仰にそんな制限をかける訳がないもの。いえ、あの神擬き共ならありえる? いえ、ダメ。棄教は譲れない」
ヴィーさんが僕たちを気に入ったと言うのは、実はかなり本気なのだろうか。ならば、と僕は最低限の作戦と符丁を記入した紙を朱里に手渡し、声を上げる。
「では、僕がこの場で棄教するのでそれで手打ちにする、と言うのはどうでしょうか」
「だからそう言って、って、それは私には着いてこないと言う事?」
「えぇ、そうです。人界の女神から使徒がいなくなればいいんですよね?」
多分無理だろうな、と言う考えは間違っておらず、今度は間髪入れず返答される。
「それはダメ。貴方が付いて来るのは最低条件。また使徒に戻られたら困るもの。朱里ちゃんは改宗出来ないみたいだから置いて行ってもよさそうだけど、離ればなれは寂しいでしょう?」
死んだら結局お別れですけどね、と思いながら頭を回す。しかし良い案は浮かばない。だったらもう、仕方がない。
「そうですね。朱里の髪に触れなくなるのは困ります。ですから、答えはノーです」
「本当に答えはそれで構わないの?」
「はい。戦いましょう。むしろそちらはいいのですか? 2対1ですよ?」
なるべく不敵に笑う。相手からは見えていないが、雰囲気と、もしかしたら笑い声も届いているかもしれない。
「朱里、戦闘準備。隙を見て接近。張り付いたら離れないで」
「わかりました」
「ふぅん、朱里ちゃんって接近戦出来たんだ。って、そんな訳ないでしょ! どう考えたってブラフじゃない!」
まぁ、朱里だしな。どこからどう見ても華奢な女の子にしか見えない。しかし残念な事に、今はそれなりの怪力の持ち主だ。近接戦が出来ないのは正解だけど。
「あれ、ヴィーさん知らないんですか? 血を吸う鬼の事」
「なっ、まさか朱里ちゃん吸血鬼なの!?」
「正確にはハーフヴァンパイア、と言うやつらしいです」
完全に嘘である。ただの半吸血鬼を自称する痛い少女・朱里さんがここに誕生した。
「いいえ、もしそうだとしても負けると決まった訳ではないわ」
「そうですか? 勇者とハーフヴァンパイアのタッグって、結構強い方だと思うんですけど」
「勇者、ってアラタが?」
「人界の女神様に唯一選ばれた使徒ですよ。まさかと思いますけど、僕が弱いとか思ってたんですか?」
「あっさり背後もとれたし、まったく強者の気配も感じない。私の女神様だって今なら簡単にやれると言っていたわ」
「やれたと思いますよ。1対1なら」
さすがにこっちは信じて貰えないか、と思いながらも演技は続行。朱里の方はあれかな。お日様の下だったから弱体化してたとか誤解されてるとありがたいんだけど。
「諜報部所属とは言え、私も魔王軍の端くれ。もしアラタが強くとも、刺し違えるくらいはして見せる」
「そうですか。では、戦いましょう。朱里、戦闘準備を」
「わかりました」
範囲指定をして、煙幕を展開。形状は板。通路の先は見えないが、通過すれば視界が開ける仕様だ。それを煙幕の切れ目から逆側のヴィオレの射程外ギリギリの位置まで間隔をあけて通路に展開して行く。基本は白、最奥はピンクで、離脱時に使った煙幕の手前は黒にする。これで現在地を把握しやすくなるはずだ。
「決死の特攻とかされても面倒なので、遠距離で少しずつ削りましょう」
「朱里、サボろうとしてない?」
「そんな事はありません。接近戦はリスクが高いと言うだけの事です。がんばってください」
この朱里さん、ノリノリである。
朱里の、私はハーフヴァンパイアで力が強いけど接近戦しか出来ないんです、と言う露骨なアピールにもヴィオレは動かない。ならばこちらからと外側の壁に張り付きながら前進。射角を切りながら煙幕の壁を追加し、床には発光を付与。これはヴィオレが暗い通路から出て来た際に目視する事が出来る様に設置した、と思わせるのが狙いだ。
「<銃撃>」
「はっ、そんなへなちょこは当たらないわよ」
「まぁ、牽制ですし。頭をひっこめてくれるなら朱里が突っ込めば良いですし」
「え、もう作戦変更ですか? 先輩はもう少し私を労わるべきだと思います」
最奥に居た朱里の声が移動しているのがわかる。反響で距離感は掴みづらいが、移動している事さえ伝われば十分効果がある。朱里、ナイスアドリブ。
「ちぃ、<ウィンドカッター>」
「さっきの風魔術ですか。ちゃんと狙って撃たないと当たりませんよ」
「こっちも牽制だもの」
揺さぶり戦法を取っている僕が言うのもなんだけど、戦闘ってもっと静かにやるものではないだろうか。なんと言うか、緊張感がイマイチ足りない。おかげ様で委縮せずに戦闘行為が出来ているのだけれど。
「なっ、なんでこんなところに壁が」
「あ、気づきました? これでこっちが近づいてもわからないでしょう?」
下がったのは失敗でしたね、と言外に告げ、更に揺さぶりをかける。追い込まれつつある、と誤解してくれれば更に焦りとミスを呼ぶ事が出来るだろう。ちなみに近づく気はまったくないので、既に結構距離を取っている。
「煙幕と同じ色……? この壁、煙か」
「あ、バレた。朱里逃げて」
片方はまだ一度目の逃亡で使用した煙幕の効果が残っている。そしてもう片方は僕がヴィオレの位置を確認しつつ張った煙の壁。見比べればそれが同質のものだと気づくのは難しい事ではない。
ちなみに、実際に朱里がいるのは煙幕側に近い通路奥。これで壁側に居ると誤認させられた、かもしれない。
「煙ならば散らせば良い。<ウィンドストーム>」
「退避、退避ー」
もちろん既に退避済みなので、声だけの演技である。
焦れて移動してくれれば不意を打つ事も無視して逃げ出す事も出来るのだが、残念な事にヴィオレは煽られても出口側の通路から動く気はないらしい。
「我慢比べかしら?」
「こっちは2人いますからね。長期戦なら有利ですよ。交代で休めますし」
「ふ、ふ、ふ。私も馬鹿にされたものね」
その言葉を最後に、洞窟内から会話が消える。音が無くなった訳ではなく、風か何かの音だろうか、洞窟の音とでも言うべき環境音が響いている。
しばらく待つも、相手はだんまりを決め込んでいる。本気で我慢比べをするつもりなのだろうか。こちらから話しかけても良いのだが、ボロを出しそうだし色々バレると困るし、何より休憩にもなるので付き合う事にする。
しばらくすると音もなくヴィオレが移動を開始する。ゆっくりと洞窟の出口へ向かい、そこで足を止める。しばらくすると戻って来たのだが、三叉路で足を止めずに円状通路まで進んでくる。僕達もそれに合わせて移動。音はなるべく立てないように真逆の位置を維持し続け、そのまま一周。
「予想以上に粘るじゃない? でもそろそろ決着をつけましょう!」
再び外への通路に陣取りながらのヴィオレの言葉に少し焦りの色を感じる。僕の希望的観測かもしれないが。
返事はせずに息をひそめる。沈黙が痛い。心臓が早鐘を打ち、その音で気づかれてしまうのではと心配になる。
「逃げられた? もしくは通路のどこかに潜んでやり過ごした?」
それは僕たちがまだ中に居ると言う前提で口に出した言葉なのだろう。聞かせる事で何か反応を引き出す為に。どの程度確信があるのかわからないが、誘い出されてやる理由はない。
「ここの通路でやり過ごせるとは思えないし、それが出来るなら背後から襲えるチャンスを逃すとは思えない。どうにかして私の移動を察知して、既に外へ逃げた可能性が高いか。すぐに追わないと」
そう言ってヴィオレは音をたてながら洞窟の入口へと向かっていく。露骨に罠を仕掛けられている、と言う感じがする。
洞窟の外まで移動するとその付近で足を止めていたのであたりかなと思っていたのだが、しばらくすると移動を再開し、洞窟からそれなりに離れた位置でまた足を止める。
「何か待ち伏せしてるような感じだったのに、普通に洞窟を出て行ったんだけど」
「待ち伏せでないとすれば。お手洗いとか」
小声で会話しながら、その可能性は考えなかったな、と小さく嘆息する。朱里は大丈夫? と声にだしかけてギリギリで踏みとどまる。大丈夫でないなら既に自己申告しているはずで、余計な事を言うべきではない。
「お手洗いなら今のうちに逃げられるかも? いや、もう間に合わないか」
「すぐに戻ってくるでしょうしね。いえ、違いますね。戻って来るのならやり過ごせば良いんです」
朱里が早口に作戦を提案。このまま長期戦を挑むよりはよさそうだと判断した僕達はすぐに移動を開始する。置き土産に光源の魔術を幾つかと、入り口からは見えない位置に高濃度の煙幕を張っておく。時間稼ぎくらいにはなるだろう。
洞窟の出口に近づくほど光源は遠くなり、暗さが増していく。ここに来て恩恵に暗視能力がある事が判明したため、僕は朱里に手を引かれて歩いていた。出口付近で足を止める。外はすっかり夜になっており、月明りもなく真っ暗だ。
「ロープが二本。多分罠です」
耳元でささやかれ、少しだけぞくりとする。頷く事で返答を返し、目を凝らすと確かにロープがある、気がする。一本だけ。もう一本の位置を朱里に確認し、たぶんここだろうとアタリを付けておく。見えないけど。
さて、ここからどうすべきか。
ここに居続けても仕方がない。取れる選択肢としては、静かに離脱するか、飛び出して不意打ち気味に牽制をしつつ逃亡するか。見つかる事を前提に全力疾走するには、位置が悪い。
話合いの結果、静かに脱出する方針に決め、ひっかけない様、慎重に2本のロープを跨ぐ。ヴィオレの方に動きはない。洞窟を出たらすぐに逃げ出したいところだが、元来た道付近にはヴィオレが居る。それ以外の道は知らないので無音で進める自信がないし、かと言ってこの暗闇を全力疾走で駆け抜けられる自信もない。明かりを付けたら良い的だ。もしかしなくとも、僕が足手まといな状態である。
結局、最初に朱里が提案した通りやり過ごす事に決め、少し離れた位置にある岩陰に身を隠す。
どれだけの時間、待ち続けていただろう。しばらくするとヴィオレが動き出し、洞窟へと戻って行く。彼女が十分に奥まで移動した事を確認すると、朱里に合図を送り、離脱再開。
しばらく暗闇を進み、ある程度距離を取ってからは明かりを点けて街に向かって走り続ける。
こうして異世界での初戦闘は逃げ切りと言う結果に終わり、僕たちは何とか生き延びる事に成功したのだった。