第十話「冒険者の教会」
朝、目が覚めると先に起きだしていたらしい朱里が荷物と睨めっこしている現場を目撃した。
「どうしたの?」
「ふーん」
謎の声と共に背中を向けられてしまう。そう言えば昨夜はちょっと不味い事をしたんだった。寝ぼける頭で思い出しながら、考える。のを放棄して謝る事にした。
「僕が迂闊でした。ごめんなさい」
「つーん」
「1つなんでも、は無理だけど出来る限り叶える努力をするから、ね? そうだ、齧る?」
「齧る、のは後にします。それよりも、なんでもしてくれるんですね?」
なんでもとは言っていない。言っていないが反論はしないでおく。
あまり無茶を言われないといいな、と思いながらベッドの上で正座する。すると何故か朱里がその正面までやって来る。朱里さん、ちょっと近くないですか?
「ボディブラシ、出してください」
「はい、どうぞ」
「渡されても困るんですけど……端っこを手に持ったまま目を瞑ってください。離しちゃダメですよ?」
どうやら今すぐ何かやらされるらしい。何をさせられるのかは、大体想像がつく。さすがにこちらから提案するのはセクハラが過ぎるかなと思っていたアレだろう。朱里の方も羞恥心の方が大きかったのか、それともそこまで面倒をかけるのを嫌ったのか、お願いされなかった、アレ。
「本当は頭から袋でも被せたいところなんですが」
麻袋なら透けるだろうし、革袋は呼吸出来ずに死ねる。そんな風に考えていると、顔が何かに覆われ、瞼の裏が暗くなる。
「制服です。あ、私のじゃなくて先輩のですよ。残念でしたね」
「制服に興奮する趣味はないよ」
朱里が着てたら知らないけど、等と言う不埒な思考をしていると、ブラシが持ち上げれる感触がした。されるがまま、なるべく何も考えないように努めていると「むぅ」と言う朱里の声が聞こえてくる。可愛らしい鳴き声だ。
「先輩、全然綺麗になりません。ちゃんとやってますか?」
「ちゃんと言われた通り、手を離さないようにしてるけど?」
「なんて意地の悪い先輩でしょう。今から私の身体とか服を綺麗にして行くので、ちゃんとしてください」
声が少し恥ずかしそうな色を帯びている。きっと頬も朱色に染まっている事だろう。
ブラシが再度動き出したのに合わせて、想像する。下着姿の朱里。頬を赤らめながらソレを普段見せない場所へと誘導し、触れさせる。擦り付けられ、形が変わり――
「先輩から邪な気配がします。その想像はいけません。著作権の侵害です。反省の色が見えません」
「はいはい。じゃあ変更して。朱里の背中を綺麗に磨き上げる感じで」
「その喧嘩、買いましょう。100キロくらいの本でいいですか?」
別に朱里の背中が前と見分けがつかないなんて言ってないよ、と口にする勇気はなかった。多分、言ったら本当に本が降って来るだろう。さすがに100kgの、ではないと思うけど。
「よかった。なんとかなりそうです」
「替えがないと大変だしねぇ」
「はい。幸い、下は洗い替えが、って何を言わせるですか。想像しないでください」
健康な男子学生としては色々と想像の膨らむ発言だったが、これ以上は危険だなと真面目に万能ブラシの動きに集中する。照れる心を我慢して。一旦手が離され、目の前で着替えているらしい音がした時は照れるでは済まない緊張感だったが、なんとかそのお願いを乗り切る事が出来た。
朝一番からの波乱の展開を終え、朝食をとった後、午前中は再び街外れで訓練。その後、昼食の為に再び街中へと戻って来た。
「先輩、提案があります」
購入した屋台飯を手にして合流した朱里は、僕の分を手渡しながらそう告げた。前回の串焼き肉の屋台では僕が購入したので、今回は朱里の番と言う訳だ。金銭的な意味でなく、経験を得るという意味で。
「戦闘訓練をしてくれる人を探しましょう」
「あー、うん。
気乗りはしないけど、必要かなぁ」
午前の訓練で風刃の短杖と同程度のウィンドカッターを完全習得。次いで、火の玉を飛ばす『火球』、氷柱を飛ばす『氷柱』を使える様になったのだが、こちらは本当に使えるだけで威力も射程も実践投入出来るレベルに達していない。特に距離による減衰と魔力消費の増加が酷く、使い物にならない。
色々試したのだが、どうやら僕はリア様に習った持続式の魔術よりも魔道具向けの使い切りの魔術の方が得意らしい。
朱里が風刃の短杖。僕がウィンドカッターに銃撃と指弾。そして投擲。身体能力は瞬間的であれば僕が、継続的には朱里が高いのだが、如何せんどちらも戦闘行為など喧嘩すらした事のなかった素人だ。
「剣で戦え、と言われると困りますが、遠距離戦や魔法戦のセオリーくらいは知っておきたいなと思いまして」
「近接戦は、まぁ、向いてないか」
朱里の恩恵は戦闘向けではない。力は恩恵のおかげで強いが、手も体躯も小さいので色々と不利だろう。
遠距離にしても魔術は使えず、遠隔武器の経験もないが、魔術は魔道具で代替出来るし、経験がないのであれば訓練し、経験を積めば良い。
「個人的には追加で幾つか魔道具を入手して、魔道具使いになるのがおすすめかな」
「私もそれは考えましたけど、問題が多くて。
これ、魔王軍の人が持っていたものですし、結構貴重な品なのではないでしょうか。それでも魔術の威力としてはそこまで高くない訳ですし、これ以上の性能のモノって簡単に手に入らないのではないかと」
元の持ち主は魔王軍所属の諜報員で、単独人間の街で情報収集をしているような凄腕だ。そんな彼女が持っていたのだから、軍用兵器である可能性はそこそこ高い。特にローブは潜入に必須の性能を持っている。
「次に、魔力充填の問題です。毎回先輩にお願いしなければならないとなると、要求される対価でそろそろ身の危険を……」
「朱里さんや。僕がそんなに鬼畜な人間だと?」
「身の危険は流石に冗談です。ですけど、無償で充填し続けて貰う関係は健全だと言えますか?」
現状、魔力はほぼイコールで戦闘力の残存であり、生活必需技能でもある。朱里は今でもインフラのほとんどを僕に依存している状態な訳で、更に戦闘力の維持まで加わるとなると確かにそれは寄りかかりすぎだと感じてもなんら不思議な事ではない。
「そう言われると、確かに。
今は仕方ないにしても、朱里は朱里で独立した戦闘能力を持たないと、困る事になりそうだ」
口にはしないが、仲互いして道を分かつ可能性も、僕が死んで彼女が生き残る可能性もあるのだ。しばらくは完全分業状態でも仕方がないが、将来的な事を考えれば最低限の生活能力・自衛能力はお互いに獲得しておく必要がある。
「考えるのも私の役割ですから、これでも色々考えているんですよ。
井戸から水も汲んでみましたし、火打石の使い方も覚えました。先輩と別れるつもりはありませんけど、不慮の事故で分断された時に助けを待つだけ、なんて言う事になるのは嫌ですから」
どうやら僕は少し考え無し過ぎたらしい、と反省する。この世界は厳しいのだ。
ちなみに僕は魔術がなかった時、水汲みにとても苦労したと軽く伝えた事がある。朱里は僕のそんな些細な言葉もきちんと受けとり、考えていてくれたのだろう。
「そんな訳で、冒険者の教会を利用しましょう」
「……それが目的か」
語った言葉に嘘はないだろう。しかしこの本狂いはきっと、ファンタジーを体験したいが故にその方法を提案しやすい様、誘導もしていたと思われる。そういう娘なのだ、朱里と言う少女は。
「冒険者の教会には近づかない方針で行く、って決めたと思うけど?」
「状況が変わりましたので」
冒険者の教会とは、教会が主導する日雇労働者の派遣斡旋業、のようなものだ。恐らく神々が日本人の好みそうな設定で教会に作らせたのだろう、と言うのが僕たちの共通見解だ。
「却下。
朱里が登録すると使徒だとバレる可能性があるし、僕は教会とは系統の違うリア様の使徒だからどうなるかわからない。だから登録しない、って前に決めたでしょ」
教会が作った組織だ。転移者の管理や動向把握の為のシステムは当然あるだろう。冒険者カードとかその類の。
「はい。ですから、登録でなく利用するんです。
護衛依頼を頼むみたいに、訓練依頼を出して」
朱里の提案に、目をつむって一考。しかし出た結論は変わらない。
「やっぱり却下で。
同郷が依頼を受けたら困る。指名依頼的なものがあって、信用出来そうな冒険者と知り合いになれたなら試してみても良いけど」
「知り合うのが難しいから利用したいんです。それでは余り意味が」
朱里の言う通りである。
ある程度自衛力を得た後であれば、同郷と遭遇するリスクを覚悟で護衛依頼を出して知り合う機会を作ってみても良いのだが、そもそもその自衛力を得る為に冒険者と知り合いたいのだ。本末転倒となる。
「同郷と遭遇した時のリスクが大き過ぎるのが問題かな。やっぱり神都行きも考え直すべきかも」
「確かに魔族との戦争に巻き込まれるのも、強い恩恵持ちに個人的に脅されるのも遠慮したいですけど……」
朱里は可愛い。力を手にした男どもが、同郷の可愛らしい女の子を力ずくで手に入れよう、とまではいかずとも口説くために多少強引な手段に訴える事はあるかもしれない。また、国や教会等の人界軍関係者と接触して戦争に巻き込まれると、人界の女神の使徒である僕は色々と危険だ。人界軍の神はどちらかと言えば敵対的な相手なのだから。
「あれ、何か騒がしくないですか?」
「さっきまで居た街外れの方かな。逆方向に逃げておく?」
嫌な予感がする。
こう言う時、普通なら状況を確認しに行くところだろうが、行ったら何かに巻き込まれる。そんな予感が。
「定番の街襲撃イベントとかでしょうか?」
「冒険者と、いたら同郷に任せて逃げの一手で」
見に行きたそうな朱里の手を引いて立ち上がる。先日に続いてまた何かの襲撃に晒されるのは勘弁願いたい。幸い、昼食は既に終えているのでゴミだけ捨てれば即座に移動可能だ。
逃げる先の候補としては、宿と先ほどから話題に上がっている冒険者の教会。大きな街なら大体教会の隣にあり、小さな町や村では教会がその機能を兼任している。常駐の冒険者がいなければそれで充分なのだろう。
「私は遅れて現場へかけつける、に一票です」
「ヒーローは遅れてやって来る?」
「いいえ。
十分な数の前衛が揃った頃に向かえば、安全な場所から一方的に攻撃出来るのではないかな、と。私たちは訓練以前に、生き物を殺す事に慣れていませんので」
言われて納得する。ヴィオレ相手に戦闘を経験はしたが、あれはある意味綺麗な戦いで、決着だった。それ故に経験できなかったグロテスクなモノに対する耐性をつけると言う意味でも向かう価値はある。僕の思考は少々、過保護に過ぎていたのかもしれない。
「僕らの常識、この世界の非常識、だっけ?」
「目の前で肉の解体を見せられても、嫌悪感を顔に出さない程度には慣れが必要かと」
具体的な指摘に顔をしかめる。確かにこの世界で肉がパック詰めされている訳もなく。
「空気感だけでも体験しておくべき、か」
「その通りです。
奥手で慎重派な先輩にしては早い決断でしたね。これを機に肉食系男子に転向しますか?」
「しません」
繋いだ手は離さず、朱里の認識阻害ローブに魔力を込める。最悪の事態が起こった際、逃げる助けになればと、念のため満タンにしておく。風刃の短杖は訓練を切り上げる際に充填済で、今は朱里の繋いでいない方の手に握られている。
「様子を見つつ、遠距離からの援護に徹する事。僕から離れない事。どらかが逃げると決めたら2人とも逃げる事。他人を見捨てる事に躊躇をしない事」
「過保護ですね。我儘を言った立場なのできちんと従いますけど。先輩は束縛系だったか。愛が重いな」
軽口を言っていられる間は大丈夫だろうと、体力の温存も兼ねてゆっくりと現場らしい街外れへと向かう。




