アタシャ神さまだよ
新作始めました。
前作も今後継続してやっていきますが、しばしこちらに注力いたします。
よろしくお願いいたします。
—― ここに地元の英雄であり、忘れられた維新の重要人物、幕末最強の剣豪、仏生寺弥助を皆様にご紹介できることを嬉しく思います。彼ほどの功績を持った人物が日本史より消え去り、あまつさえ郷土史からも無視されているような現状を打破すべく、私はこの度ペンをとるに至ったのです。
本文に先立ち、ご協力いただきましたすべての関係者に、厚く御礼申し上げます。
特に射水市みなと博物館館長の御世内さまには、弥助の生家に関する資料及び一族の方々について、多大なるご協力を頂戴いたしました。
またケンブリッジ大学アジア歴史研究所のビーングシーフ所長には、幕末剣士の貴重な研究資料のご提供を頂きました。
弥助研究が本邦のみならず、世界で注目されている事実に大変励まされた思いがいたしました。
本書が明らかにする弥助の功績、特に段状窟と呼ばれる修験道の遺跡発掘や、それらが江戸幕府に与えた経済的恩恵、また新撰組へ与えた多大なる影響、桂小五郎への精神的・戦力的貢献、さらには岩倉具視の護衛時代に、尊王攘夷派へ与えた言葉の数々をお読みいただければ、正に弥助が明治維新の中枢にいた事実をご理解いただけると確信いたします。
本書はこれまで明治政府により喧伝されてきた、薩長中心の歴史観を大幅に覆すものであり、研究界に与える衝撃は並大抵のものではありません。筆者は本書が世に出ることで、正しい歴史が見直されるきっかけとなることを切に希望致しております。
『仏生寺弥助と明治維新』序文より T大学社会学部准教授 宗 晴子
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安政元年1月21日(1854年2月18日) 駿河国清水 浅間神社
清水港から離れること1里ほど。
初詣の賑わいも途絶えた浅間神社の清水分社境内。
少々くたびれた黒の紬に黒袴という、人目を引かぬ若者が拝殿へ参拝していた。
中肉中背で総髪、近頃よく見かける浪人風。
やや他の者と異なるのは、参拝にかける時間がメチャ長いといういところか。
「何の神さんか存じませんが、ワシを強く....とにかく強くしたって下せえ。」
一心に念じるのはそんなザックリした願望。神も聞き届けようがなさそうだが。
学問もない、礼儀作法も知らない若者には悪気もなく、ただ『神頼み』モード全開で自身の願望を垂れ流している。
これは若者に限った事じゃなく、参拝客の誰しもがそんなものだろう。
だから普通は何事も起こらない。
神にも扱えぬ私利私欲を、ただぶちまけるのが参拝というものだ。
だが今日この若者に関しては、ちょっと様子が違った。
『フッ、チカラが欲しいか?』
そんな若者の耳に届いたご神託。
返事が来るものとは聞いていない若者は、手を合わせたまま目を見開いて、呆けたように虚空を見つめる。
するとそこには....白い人型が胡坐をかいて浮かんでいた。
若者は再びそっと目を閉じる。
なにやらおかしな事になったという自覚はあった。
深々お辞儀をすますと、くるりと後ろを向いてダッシュで走り去ろうとする。
「チカラが欲しくば...ってちょっどまでええええ!!!」
浮かんでいたのは女性の姿をした思念体。
逃げ出した若者を慌てて呼び止めるが、若者は猛ダッシュで境内を駆け抜けている。
参拝客もまばらな境内では、彼を遮るものはいない。
冗談じゃない!と思念体は憤る。
「何十年ぶりの武芸者だと思ってんのよアンタ!!最近この神社ったらなんだか知らないけど、恋愛成就やら安産祈願やらそんな客ばっかなの!逃がさないよ!!」
若い女性の思念体は、ここのご神体でサクヤという。彼女は武芸の神である。
何の因果か女性客が圧倒的に多いことに、この数百年ウンザリしていたのだった。
たまたまキャッチした武芸者の願掛けに小躍りして喜び、分社だというのにその思念体を出現させてみれば、当の参拝客は後ろを向いて逃げ出したのだ。
「祈願成就を目指しなさいよ!ナゼ逃げる?」
女が空に浮かんでれば普通は逃げる。
無理もないのだがサクヤには理解できない。
神に願掛けしているのに、わざわざ出て来てやったら逃げ出すなど、彼女の感覚ではアリエナイ。
長い徳川幕府の時代が、人間と神を分断して久しい。いや、それを分断というべきではない。
戦争の無くなった太平の世は、人々の『ただ生きながらえる』という切実な願いを取りはらった。
人々は望まなくともある程度の安寧な生活を保障される。
神への信仰は300年の間、徐々に薄れていくと共に、神との接触も霊的体験もおとぎ話へと変わって行った。
ただし神であるサクヤの感覚では300年などひと昔。
以前と同じように出現して、人間がビビってひれ伏すならともかく、逃げ出すなんて考えなかった。
「考えてみりゃあ確かに人間との交わりは減ってるわよね。」
宙を飛び若者を追いかけながら、サクヤはそう反省する。いきなり出現するのは今後控えようと。
若者は玉砂利を踏み散らし、まっしぐらに門を潜って階段を駆け下りる。
サクヤはひとっ跳びに門を飛び越え、鳥居の手前で若者の前に降り立った。
器用に下駄でたたらを踏む若者。
観念したように唸り声を上げると、震える手で朱鞘の太刀に手をかけた。
「ひえ!バケモノ!堪忍してくれえ...悪霊退散じゃあ...。」
口をついて出る言葉は勇ましくない。
「チョット待ちなさいよ!アンタね、いま武芸祈願を掛けてたじゃないのさ!神社は願掛けるとこで、化け物がいるとこじゃないでしょうが!」
「バケモンがなんかゆっちょる....ひぇえええ....。」
誤解は解けそうにない。だが真昼間にそこまで怖がることもなかろうに、とサクヤは考える。
武芸祈願に来たわりには骨の無い男だ。
「だっから化け物じゃないってば!アッおまえ神社でダンビラなんか抜いたら、お役人に言いつけるわよ!」
「バケモノのくせにお役人の威を頼るんけ!こん卑怯者が!」
神との対話とは思えぬレベルの低さ、これも徳川幕府が生んでしまった平和の負の側面か。
「落ち着きなさいよ、ここは神社でしょうが?神社で出てくるつったら化け物じゃなくて神様でしょ!」
男はサクヤの言葉に抜刀の姿勢を崩し、再び呆けた顔で姿勢を起こす。
「な、なに??.....オメエいまなんつった?」
「だーかーら!アタシゃ神さまだって!言ってんの!このボンクラが!」
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「神さまって...こんな簡単に会えるもんだったんか...。」
「んな訳ゃあないっしょ。馬鹿なの?」
ようやく落ち着いた2人、いや1人と1柱は、参道にある小さな茶屋で団子を食っていた。
「おまけにダンゴ食ってなさる...。」
「神さまだってダンゴくらい食うわよ。そもそもアンタらお供えモンとかするでしょ?神さまに。食わないと思ってお供えしてるわけ?」
門前茶屋『清久』のダンゴはうまくて評判なのだ。サクヤはちなみにミタラシとゴマ団子が好物でもある。
「そんでもここに座って団子は食うのに、どうやって空中に浮いたり消えたりすんだ?おまけに人から見えたり、茶屋のオヤジに声かけられたりすんのか?神さまってのは?」
「うっさいわね!考えたら負けよ!」
高次元の存在たる神の思念体を、江戸時代の無学ものが理解しようしても無駄だろう。
ありのまま神と受け入れる、それが本来の姿だ。
「ときにアンタ、名前は?」
「.....弥助。」
貫禄など一切ない若者は、見た目に相応しい名前をボソボソと名乗った。
五尺五寸ほどの身体は、どちらかと言えば華奢な印象を見る人に与えている。
「弥助ね。アタシはサクヤ!よろしく。」
弥助は目をぱちくりさせて、へえへえと頭を下げる。
まあ弱そうねコイツ。流石のアタシでも鍛えようがないかもとサクヤは思う。
線が細い。女性には好かれそうな風貌ではあるが、武芸者という雰囲気は皆無だ。
「そんでサクヤは...武芸の神さまなんけ?」
「そーね、こう見えても荒ぶる富士山の鎮撫祈願で建てられた社だからね。その昔ゃ坂上田村麻呂やら源頼朝やら、武家の棟梁たちがひっきりなしに来たもんよ。」
サクヤはそう言って茶を一口。清水の茶はことのほか美味である。
「それなのに何勘違いしてんだか、今やアタシんとこに来る奴らときたら、安産祈願やら恋愛成就やら....イライラすんのよホント!」
はええと言いながら茶を飲む弥助。
神は貴人とは異なり、基本的に礼儀作法など無縁だ。つまり口が汚い者が多い。
「でもアンタ見どころあるわよ!アタシに武芸祈願掛けるなんてさ!意外と分かってんじゃん、エライ!」
はええとまた声を出す弥助。
どの神が祭られているかも知らなかった弥助、当然何も分かってない。
「武芸者の神であるアタシに願掛けてお供えモンして、それをアタシが食ったんだから契約成立ね!その性根叩き直して、メッチャ強くしてやっから任しとき!」
参拝とは人の願いを神に陳情する行為。
それを受け入れるか無視するかは、神の勝手とされている。
だが古代においてはこの行為も形式を伴っていたのであり、供物を神が受け入れた時点で契約が発生した。
この時代では人間はみな意識せず、参拝という形式で願をかけて、神々とゆるーく契約しているようなものだ。
当然拘束力は弱い。今の人と神との繋がりのように。
「へ...けいやくっつーのは?」
「まあアレね、約定って事よ。アンタはアタシに仕える。アタシはアンタの願いを叶えるってわけ。」
若者の顔が険しくなる。
「アンタに仕える?ワシに何をしろっちゅうんで?」
つくづく話が面倒である。数百年前の若者なら、神との契約に奮い立っただろう。
今の若者はこれだから....とサクヤは気疲れしつつ根気よく説明する。
「奉公しろってんじゃ無いから安心しなさい。アタシに仕えるっていうのは、言い換えればこの国のために役に立てって事よ。」
この国という言い方もこの時代では曖昧だろう。
この清水の人間たちからすれば、せいぜい『駿河国』くらいがイメージできる国の大きさだ。
こんな風にして弥助とサクヤの契約は、色々すれ違いながらも成立しようとしていた。
「そうすれば....ワシは強くなれるんけ?」
「まずその言葉遣いから直そーか。すげえ弱っちく聞こえるし。」
その時、参道の下の方から騒ぎ声が聞こえた。センセー!センセーと叫んで走ってくる男がいる。
参道にいる人々が、ザワザワと何やら言いながら道を譲っているのが見える。
「なによ、騒がしいわね。」
「ありゃあ...仁吉だわ。」
弥助はそう言って銭を毛氈の上に放り投げると、よいしょと立ち上がった。
「ちょいと揉め事が起きたようがじゃあ。ワシちょっくら行ってくるけえ。」
弥助は何事でもないようにそう言った。しかしその様子は別人のように落ち着いたものだ。
さっきまでオドオドしていた弥助とはまるで別人。
「モメゴトぉ?アンタに何の関係があんのさ?」
サクヤは不思議に思って尋ねる。その容貌からはおよそ縁遠い言葉だ。
「せ、先生!ここにいらっしゃいましたか!」
「慌てんでねえ仁吉。すぐ帰って助太刀しちゃる。」
仁吉と呼ばれた男は、切れる息を整え汗を拭っている。はだけた懐と袖口からは彫物が見え、明らかに堅気ではない様子の男だった。
(コイツが先生?助太刀って用心棒とか?.....なんの冗談よ。)
サクヤは混乱してただ様子を見ることしかできない。
「相手はどいつだい?」
「へえ、山菱んとこの若えのが20人ばかし。甲田屋の荷をぶっ壊してやがるんで。」
「多いな。」
弥助はそう言うなり下駄をつっかけ、参道へ飛び出した。
小春日和の坂道をスタコラと駆け下り、清水港の方へ向かっている。
「ちょっと弥助アンタ!話はまだ終わってないよ!」
神を放り出してケンカの仲裁?世も末である。さすがは幕末と呼ばれる時代である。
サクヤは2人の後を追って『清久』の玄関を飛び出し、新春の参道坂から空へ駆け上がった。
幾人かの参拝客が驚きの叫び声を上げるが、サクヤの耳には入って来ない。
徐々に実体を無くし薄くなるサクヤの体は、やがて青空に溶けて見えなくなる。