5、家族の顔
「サトミちゃん?!」
声がして、浮かぶ涙を拭き顔を上げた。
「まあ、立派になって、なんて懐かしいんだろ。無事に戻ってきたんだねえ!」
この声は……
「隣の……カリヤ婆ちゃん?」
「そうだよ、隣のカリヤ婆ちゃんだよ。まあ、目が見えるようになったんだ!
良かったよ、良かったねえ。まあ!まあ!どうしましょう!」
「婆ちゃん、うちの……家族は?」
「サトミちゃんが家出た後、お父さんが人に襲われてね。
ケガが治ったら、なんだかあわただしく引っ越しちゃったんだよ。
家のカギを預かってるよ、うちにおいで。」
「襲われた?父さんが?」
ベンは畑に入って、雑草や伸び放題の野菜をムシャムシャ食べ始めている。
サトミは隣の家に行き、カギの入った封筒を受け取った。
隣も家族は多かったのに、爺ちゃんは亡くなってカリヤ婆ちゃんの1人暮らしだという。
子供達は最前線に近いこの町を嫌って、違う町で暮らしているらしい。
「ずいぶんここも寂しくなってねえ。」
サトミはその薄い封筒から中を取りだした。
カギが一つ。
手紙の一枚もない。
頭が、真っ白になった。
一体何があったのか、見当も付かない。
「中に連絡先くらい書いてれば良かったのに、黙って行っちゃってねえ。」
「……いえ……あの、俺の家族の写真とかないですか?」
「写真は・・・息子が写真機持ってたけど、ほら、戦時中慌てて越していっただろ?
ミサイル落ちたりいろいろあって、メモリもずいぶんダメになったり、なくしちゃって。
封筒に入れておこうかと思って息子に探させたけど、ブラッドリーさんが写ってるのはなかったんだよ。
サトミちゃんせっかく無事に帰ったのに、悪いねえ……本当に……悪いねえ、ごめんね。」
婆ちゃんが目を潤ませて謝っている。
サトミは寂しく笑って首を振った。
ああ…………そうか……何も、痕跡残さなかったんだな…………
まるで……追われないように…………
「いいえ、どうもありがとう。家に帰って、捜してみます。」
婆ちゃんの家を出ると、ベンが待っていた。
ベンの首を撫で、一緒に家に戻る。
「どうだ」
しぼんだサトミの顔を、ベンが覗き込んだ。
「……うん」
貰ってきたカギで、ドアを開けた。
さびて堅いドアが、音を立てて開く。
中にはいると昔食卓を囲んだテーブルが中央にある。
隣のおばさんが時々窓を開けてくれたのか、カビ臭くもない。
ホコリがうっすらあるくらいで、比較的綺麗だ。
サトミは郵便受けに入っていた手紙を置いて、奥の部屋へと進んで行く。
奥には2部屋、子供部屋と両親の寝室があった。
寝室にはガランとした部屋だが、ベッドや小さな洋服ダンスはそのままある。
洋服ダンスを開けても、中は空っぽ。
隣の子供部屋を覗くと、机と椅子一組と小さな棚にダンボール箱が一つ。
中を覗くと、サトミの名が書いてある点字の本など、自分が昔使っていた物が入っていた。
目を閉じて、もう一度家の中を歩く。
自分の成長が、歩数や触れる物の高さで感じられる。
自分は、11の時にスカウトされた。
なぜ、盲目の自分がスカウトされたのかは知らない。
ただ、スカウトを受けたら目の治療をしてやることだけを熱心に話された。
俺は、見たかっただけだ。
見たこと無い物を、この世の生きてる物を、家族の顔を。
でも、目が見えるようになると訓練に入り、そして実戦に回されて…………
帰れなかった。一度も…………
ため息をついて、ホコリだらけも気にならない様子でテーブルに戻り、椅子にドスンと座った。
「なんだ……」
一言漏らし、身体中の力が抜けて窓を見る。
「俺、もういらないのかな……」
涙が浮かんで流れた。
初めて見る自分の家が、こんなに殺風景な物だなんて。
ガチャ
突然ドアが開き、ドキッと顔を上げる。
まさか、誰かが帰って来たのかと目を見開くサトミの前に、ヌウッとベンが現れた。
「腹減った。御主人様ごめんなさいと言え」
サトミがまた脱力して、ガックリ背もたれにもたれかかる。
「お前、なあ……」
人の気持ちも知らないで、やっぱりベンは馬だ。
「日が暮れるぞ、にんじんだ、ふわふわの干し草を敷け。ここで寝る。」
ここで寝るって……そりゃ無理だろ。
サトミが涙を拭き、クスッと笑った。
「俺が傷ついてるの、わからねえかなあ。」
「しらん。にんじん食わせろ、どっか行くぞ」
「どっかって、どこに?」
「いい男は旅が似合う」
ニイッと笑う。
まったく、感傷にひたらせてくれよ。
俺だって人間なんだぜ。
声に出すのも億劫で、ぼんやり部屋を見回す。
ガスと電気は来てるのかな?
重い身体を引きずるように、水を出すとサビ混じりの茶色い水が出てきた。
古いガスコンロも、栓をひねればシュウと音がする。
スイッチを入れると、電気もついた。
「とりあえず、ここで……暮らすか……」
もしかしたら、家族の誰かが見に来るかもしれない。
まあ、確率低い、はかない希望だな…………
「よしっ」
ぐずぐず泣いてても仕方がない。
とにかくメシだ。
そのあと掃除。
寝る所だけでも確保しよう。
「ベン、買い物行こう。
ここまで付き合ってくれた礼はしなきゃな。」
「おお、にんじんでガマンしてやる。」
「了解。で、俺はここに住むけど、お前はどうする?」
「お前の物はみんなの物とソクラテスが言った。」
「言ってねえよ、つまりここに住むって?」
「仕方ないから付き合ってやる。」
変な同居人だが、なんとなくそれは嬉しい。
サトミはポンとベンの鼻先を撫でた。
「サンクス」
そうして、2人の……いや、1人と一頭の暮らしが始まった。
声というのは、記憶の底でだんだんあやふやになります。
声だけという情報量の少なさは、探す手段を小さくしていきます。




